Ⅱ61.キョウダイは欲しかった。
『それは災難だったわね。だけどディオスちゃんに悪気はなかったのでしょう?』
〝同調〟の特殊能力に初めて目覚めたのは、僕らが姉さんの代わりに働き始めてすぐの頃だった。
当時の雇い主に触れ、〝同調〟してしまった僕は雇い主が別の奥さんと浮気しているのを知ってしまった。そして雇い主も僕の過去や年齢を誤魔化して働いていたことに気付いてしまった。
僕が十歳だと偽っていたことに怒った雇い主だけど、代わりに僕も僕で彼の秘密を知ってしまったと話せばお互いに無かったことにすることで収拾がついた。……ただし、僕はクビになったけど。
『ほら、お姉ちゃんにおてて貸して?……ね。大丈夫』
姉さんとクロイにその話をした時、二人とも驚いたけれどそれだけだった。
特に姉さんは、その所為で雇い主の知られたくない秘密を暴いてしまって、仕事までクビになって落ち込んでいた僕を責めずに慰めてくれた。それどころか「将来は良い仕事に就けるかもね」と言われた時は、少しだけ前向きにもなれた。
ただ、僕の特殊能力は使えば確実に相手にもバレてしまう。それどころか僕の過去すら相手に共有されてしまう。
それが嫌で、僕も自分の意思でこの特殊能力を使うことはなかった。使わない使わないと自分に言い聞かせていれば、誰に触れても大丈夫だった。姉さんにもクロイにも一度も使わなかった僕は、殆どこの能力の存在も忘れかけていた。
「〝同調〟の特殊能力でディオスが僕になれば。その間、僕がディオスになるから。同調すれば記憶も共有できるんでしょ。姉さんも僕らの顔だけじゃ見分けがつかないし、上手くやればバレないよ」
お互いの真似は慣れてるだろ?と言われて僕も頷いた。
確かに、お互いのふりをするのは初めてじゃない。子どもの頃はよくやって父さんや母さん、姉さんのこともからかった。髪留めさえ外して黙ってみせれば、僕らを見分けられる人なんて居なかった。
中身がバラバラの僕らでも、記憶を共有すればきっと誰にも気付かれない。
姉さんにも隠せて、仕事でも間違えず、雇い主から入れ替わっていることも知られなくて、僕も学校に行ける。初めてこの特殊能力が僕のために役に立ったと思えた。
クロイの提案に、僕はすぐ飛び乗った。
兄なのに弟に助けられて情けなかったけれど、それ以上にやっぱり羨ましさと憧れの方が勝った。六年ぶりの同調は、数回繰り返してみてやっと成功した。一度でクロイの記憶が一気に流れ込んできた時は驚いたけれど、一緒に育った僕らは殆ど一緒だしそこまで違和感もない。
その日のクロイの学校見学の記憶が流れ込んできた時には期待も膨らんだ。噂通りのピカピカな施設に、僕らと年の近い子どもが列になって入学手続きや学校見学をしている記憶は何度思い返しても一晩中飽きなかった。クロイから髪留めを一本借りた僕は、翌朝早速姉さんと一緒に学校へ行った。
同調した記憶だけとは違う、実際にこの目でみれた景色や空気は格別だった。子どもの頃に移住した時以来の異世界感に胸が弾んだ。
授業の合間も〝クロイ〟として振る舞った。クロイは人付き合いが好きじゃないから、僕もなるべく自分からは話しかけないようにした。
本当は話しかけたくて堪らなかったけれど、それができなくても充分にクラスの空気を味わうことは楽しかった。
……なのに。
『貴方本当にクロイ・ファーナム?』
何も、問題なんてない筈だった。
一度目と二度目は、お互いの記憶を予想以上に共有しただけだった。
『ではクロイ、食事にしよう。お前の話も聞かせてくれ』
三度目は、記憶と一緒に互いの感情まで共有した。
『兄弟が居る、ということはこの世に生まれ落ちた上で幸いなことだ』
四度目は、互いの思考も共有した。
『もう、あの人は、僕らがどっちかわかってる……!』
それで、……今の自分の記憶と感情もわからなくなってきた。
記憶がどっちのものだったかもわからない。今僕がディオスなのか、それともディオスの振りをしているクロイなのか。それすらも朧げだった。
僕の中で僕とクロイの意識両方が存在して、どっちかが本当の僕かもわからなくなった。僕とクロイは双子で、全部が全部全く一緒で、違いなんて髪留めの数と、ディオスが特殊能力者ということだけだ。お互いに入れ替わりを繰り返しただけで、髪留めがもともとどっちが二本だったかもわからなくなりそうで。特殊能力を使えればそれがディオスの証明になる。けれど、クロイと同調すればするほどに
『……ディオス。いま、自分のことクロイって言ったでしょ』
僕も、クロイも壊れていった。
クロイに言われる前から、僕だってわかってた。だけど、だけどもうどうしてもあの場所にまた行きたかった。
自分が壊れても、おかしくなっても、ディオスでいられなくなってもどうしても僕も学校に行きたかった。
もう知らなかった時の僕には戻れない。クロイと同調して、自分の身でも味わったあの時間はもう手放したくない。
壊れるのが僕だけだったら良かった。そうだったら、クロイに気付かれても壊れる最後までずっと僕は隠し通し続けていられたのに。
姉さんと一緒に学校に言って、ピカピカの建物の中に入って、知らないことを沢山学んで、僕らだけじゃ買えないような本をたくさん読んで、僕らと同じ歳の子どもを知ってそれでもっと、もっともっと
『なんだ、ディオスではないか。髪留めはどうした?無くしたか⁇』
気付かれた。
仕事場に飛び込んできたクロイの言った通りだった。
たった三日で、セドリック様は僕らが入れ替わっていることに気づいてしまった。家族にだって黙っていれば気付かれたこともなかった僕らが、どうしてバレたのかはわからない。
僕はちゃんとクロイになったし、同調でお互いに言っていることや記憶に相違だって作らなかった。だけどセドリック様の指摘は当てずっぽうなんかじゃないことは僕にも確信できた。だってあの人は、昨日の朝にだって僕がお迎えした時に言ったのだから。
『ディオス・ファーナム殿でしょうか?』と。
違います、と嘘をついた。
セドリック様は僕らが双子なのはクロイからも聞いて知っている。けれど、僕らが入れ替わっていることは知らない筈だ。ならきっと適当で、ちょっと僕をからかっているだけだと思った。でも、僕の元へ飛び出してきたクロイの言い方はどう考えても当てずっぽうとは思えない、……断言だった。
駄目だった、やっぱり王族の人を僕らなんかが騙せるわけがなかったんだ。きっとジャンヌは最初から僕らがバレることも計算してたんだ。僕らがセドリック様に気付かれて、王族を騙したと罪を負わされて、僕らから何もかも奪うつもりだったんだ。
どうして、どうして見ず知らずのあんなやつに僕らがここまでされなきゃいけないんだ。クロイだって怯えていた。僕のところに戻ってきたクロイはあんなに怯えて狼狽えてっ……、………。……違う。
クロイを苦しめたのは、僕だ。
僕の所為でクロイは、半分になった。
本当はクロイだけが姉さんと学校に行く筈だったのに、僕が泣いたから半分にしてくれた。辛いことだって半分に分けてくれた。
僕と一緒で特殊能力で苦しみながら、クロイには全然得はないのにそれでも僕の為に耐え続けてくれた。
同調してから嫌でもクロイの気持ちがわかった。あの時僕と分け合おうと言ってくれたのもちょっとのきっかけと、……僕が可哀想だからだった。僕が本当は学校に行きたいのも、毎日仕事ばかりが嫌なのも、姉さんとクロイが羨ましいのも、クロイは同調する前からわかってくれていた。兄の僕が可哀想で、僕だけに押し付けた罪悪感から分け合ってくれた。そして僕はそんなクロイの罪悪感を利用して、甘えた。
『今日もお前達の話を聞かせてくれ、クロイ』
ディオスに戻りたくない。
仕事ばかりで辛くて苦しくて楽しいことなんて何もなかった。毎日使えない遅いと怒鳴られて、くたくたになって帰るだけの人生なんて嫌だ。
僕だってもっと、もっと違う未来が欲しい。姉さんとクロイだけが頭が良くなって良い仕事をして、いつか僕だけが置いてかれるのが怖い。クロイになりたい、学校にいきたい。あんなに楽しくて眩しくて明るい未来がある場所に僕だってー……
「……もう、……しない。同調も、…………入れ替わりも、しない。学校も二度と、行かないし仕事ももう、押し付けない。……それで、いいんだろ」
もう、……クロイを巻き込めない。
クロイが嫌がっている。僕だってクロイが壊れるのは嫌だ。
兄の僕より大人で冷静で優しいクロイに、僕なんかが混ざっちゃ駄目だ。クロイはずっとクロイでいて欲しい。
姉さんにだって無理をさせたくない。僕のことで胸を傷ませても欲しくない。姉さんにはずっと何も気にせず笑顔でいて欲しい。本当はクロイにだって僕のことは気にせず姉さんと一緒に学校を楽しんでいて欲しかった。
身体の弱い姉さんを守るのは弟の僕の役目だ。
弟を守るのは兄である僕の役目だ。
最初から、こうすれば良かった。僕が我慢するべきだった。僕が我慢すれば、それでこんなにたくさんの人を巻き込むこともなかった。王族の方や騎士の手を煩わせることもなかった。辛くても羨ましくても苦しくても涙が出ても、僕が耐えれば良かったのに。
「良いわけないでしょう……‼」
激しい声が、耳に響かせられた。
顔を上げれば、滲んだ視界の奥で紫の瞳を鋭く光らせたやつがそこに居た。今の今までずっと意味がわからないくらい僕らに関わってきたやつが、そこにいた。
撫でるような声で悟らせようとして、何度も何度も僕らの気も知らずに押し付けてきたそいつは、初めてその目に怒りを滲ませた。今まで、僕が何をしてもそんなに怒ったことなんてなかったくせに。なんでどうして今怒るんだ。
肩を掴まれ、真っ直ぐに吊り上がった目を向けてくる。同い年とは思えないくらい覇気の纏った眼差しに、思わず息が止まった。掴まれた肩が強く、熱い。一つに纏められた深紅がまるで炎のように熱を纏って窓の陽射しが反射した。口を結んで見返せば、そいつは高らかに言い放つ。
「機会をあげる。今度こそ自分の手で掴み取りなさい」
意味がわからない。
どうしてここまで言うのか、僕らと同い年のお前なんかに何ができるんだ。王族や騎士様と知り合いだからって偉そうなことを言うなと言いたかった。
だけど、敵わない。
言葉にできない。ただ今はひたすらに縋る思いで彼女の言葉を
信じたくなった、僕がいた。




