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フリージア王国備忘録<第二部>  作者: 天壱
嘲り王女と結合

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そして再会する。


「ティアラ様だぁ…………」


うわぁぁぁ……。と、失礼にもなりかねない正直な声に、ティアラはくすくすと口元を隠しながら笑ってしまう。既に自分が名乗ってから分単位の時間が経っていたが、たった今その事実を飲み込んでくれたのだなと理解する。城下視察や学校見学で既にそういった反応にも慣れている。


「はいティアラです」と可愛らしい声で返されて、やっとクロイも頭にスイッチが入った。

クロイは教室の窓から馬車から降りてきた彼女とレオンの姿を遠目にしているクロイだが、自分達のクラスにティアラは現れたこともある。間近で見るとこんなに美人なんだ、と学校の噂が本物だったことを実感しながら緊張に火照った顔で「クロイ・ファーナムですお初にお目にかかります」と頭を下げた。

床に焦点が合ってから早口になってしまったことを後悔するが、続いて「ディオス・ファーナムです!!」と声を上げた兄の方はもっと早かった。


「お、お会いできて光栄です!僕、僕らッ学校でもティアラ様はすごく有名で、噂は聞いていました!すごく綺麗で優しくて天使みたいな王女様だって。せっ、セドリック様にはすごく親切にしてもらっています。まさか僕らの話を聞いていたなんて知らなかったですけどセドリック様とティアラ様も仲が良かったんですね!」

「!ちっ違いまっ……‼︎~~っっ……あの、わ、私はそうじゃなくてっ……」

悪意のないディオスの早口にティアラが思わず言葉を浮かす。

まるで自分がセドリックから二人の話を聞いていたかのような言いぶりに、あくまでセドリックの話もそれ以外も別の人伝てだと言いたくて口を閉ざす。顔色に出てしまいそうなところを何とか堪えるが、それ以上を今は言わない。打ち合わせ通り今は自分の口から言っちゃだめだと、そう考えれば考えるほど今現在進行形で双子の中で自分とセドリックが仲良しのように扱われていることに顔色より前に額に汗が染みかけた。

ぷるぷると唇が微弱に震えるティアラに、きょとんとするディオスに代わりクロイから「ッ兄が失礼しました!」と歯止めをかける。具体的にはわからないが、絶対ディオスが王族同士じゃ触れちゃいけないようなことを言っちゃったんだと急いで腕を使ってディオスを下がらせる。

クロイの反応に、申し訳ありません‼︎と慌てて一緒になって頭を下げるディオスにティアラも両手を胸の前で振りながら「違いますっ」と否定した。

「ディオスもクロイも悪くありませんっ。その、詳しいことは私ではなく」




「君達の話をティアラにしたのはセドリック王弟ではありませんよ」




敢えて上塗るように放たれた男性の通った声に、二人の心臓が大きく跳ねた。

ビクッッ!!と身体ごと震わせながら先ほどから視界にだけは入っていた男性の方へ向く。先ほどセドリックと親し気に会話をしていた人物だ。


ティアラ第二王女と一緒。というそれだけで、二人の想像も難くはない。

学校見学に訪れたティアラと異なり、こちらの男性の噂は二人もそこまで精通していないが顔の整った男性を前に名乗られる前から理解した。きちんと整えられた黒髪黒目に黒縁眼鏡。セドリックほどではなくとも自分達が顎をあげるほど高身長の男性は、第二王女ともセドリックともまた異なる王族の気品に溢れていた。

セドリックの男性的な顔立ちと比べれば中性に近い顔立ちだが、女に間違われたことのある自分達と比べればはるかに男らしい。文字通り〝王子〟という冠が相応しい男性の成熟した低い声は、聞いたことがあるようにも……ないようにも思えた。


一歩、また一歩図ったかのような規則正しい足並みでセドリックの隣からティアラの隣へ移動する王族を前に双子は同時に右足を半歩下げかけた。

光のような印象の第二王女と異なり、厳しそうな印象も持つ漆黒の眼光の王子に唇をぎゅっと結んだ。

喉が急激に干上がるのを感じながら背筋だけを必死に伸ばす二人へ、立ち止まった王子は眼鏡の黒縁を指先で押さえ、笑った。


「またお会いできて嬉しい限りです。ディオス、クロイ。勉強は引き続き頑張っていますか?」

にっこりと。見覚えのある動作と共に、誰かを彷彿とさせる意地の悪さの残る笑顔に次の瞬間クロイは心臓が止まった。

「あ」の口に開いたディオスも、そのまま続きを言えずに段々と顎が外れていく。目が零れそうなほど大きく開き、うっかり王族相手に指を差しそうなところを寸前に止めた。代わりに「あ、あ、あーーーーーーーーー!」と一音しか言えないままにティアラが耳を両手で塞いでしまうほど響く大声が放たれる。

いつもならば止めるクロイも今は心臓が動悸する音に潰されて半分近くしか聞こえない。察しが良い分、嫌でももう一人が早々に頭に浮かびそれだけで止まった心臓が今度は煩くなった。


二人の理想的な反応に、にっこりと笑顔だけで返す王子はまだ何も答えない。ティアラは両耳を押さえたままそっと一歩引いて兄の背中に隠れてみせた。貴方達のことを教えてくれたのはセドリック王弟ではなくこの人です。と、誤解を解くべく自分からも示して見せる。

数歩離れた位置のまま四人の様子を見守るセドリックも、なかなかの驚きようだなと腕を組みながら悠長に眺める。

ステイルとティアラでこの驚きようならばこの後もまた大変そうだと今から少しわくわくもしてしまう。


「ふぃ、フィリッ、フィッ…………!!うわ、うわーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」

「はい。本名はステイル・ロイヤル・アイビーと申します。この国の第一王子であり、ティアラの兄で次期摂政です」


叫び途中にも関わらずあっさりと肯定し自己紹介するステイルに、ディオスは喉を張り上げながら涙目になった。

はははは、と棒読みにも聞こえるステイルの笑い声もディオスの絶叫に塗る潰される。仮の姿の時は二人と大して変わらない身長が、今ははっきりと見下ろせる感覚も新鮮だった。


上機嫌を隠さず、ディオスの叫びも気にせず「今まで隠していて申し訳ありませんでした」と王子が軽く謝罪を告げる中クロイは一度も瞬きをしなかった。顔色が血色の良い白肌から青ざめていくのを鏡を見ずとも自覚しながら身動ぎ一つできなくなる。

情報量が多過ぎて目の前の事態を受け入れるのにティアラを前にした時の十倍は必要だった。驚きのあまり自分に両腕でがっしりとしがみ付いてくるディオスにも無抵抗で何も言葉が出ない。

言いたいことはたくさんあっても、それ以上に過去のフィリップとの関わりを思い出しかければそれだけで脳が拒絶する。王族相手に何を言ったかなど思い出すだけでテーブルクロスの下に逃げたくなる。

いっそこの場で処刑されるんじゃないかと、黒の王子を前に混乱した頭が思う。涙目のまま絶叫しか出ないディオスにへばりつかれながら、クロイは放心したように動けなかった。


「諸事情で少々特殊能力者の力を借り生徒に扮していました。今後ティアラともども姉弟で関わることがあるかもしれませんが、今まで通り仲良くして頂ければ幸いです。今後はできれば〝ステイル〟と呼んで頂ければ助かります。あとこのことは他言禁止で」

お願いできますか?と緩やかな声色で笑いかけるステイルに、ディオスは首が壊れるほど激しく頷いた。

しかしフィリップとは比べ物にならない王族の威圧感で、まるで怯えているような反応に流石のステイルもそこで姿勢を背後に引いた。ディオスを泣かせてしまったことに口が苦くなれば、背後から妹に「兄様ったら脅かしてどうするのっ」と小声でぽかりと背中を叩かれた。

あまりにも逃げ場もなく追い詰められている様子の兄弟に、ステイルは自らセドリックへ救援を頼むことにする。


セドリック王弟、と手招きに似た仕草を指先でしながらファーナム兄弟を視線で指せばセドリックもすぐに理解した。

てっきり当人同士で話を付けた方が良いかと思ったが、やはり事情を知る自分が間に入るべきか考え直す。少し大股でファーナム兄弟へと歩み寄れば手の届く距離まで行った途端ディオスがクロイを引っ張ったまま「セドリック様!!」とその背後に逃げるようにして隠れた。

間に入るどころか、ティアラを背に隠したステイルと、ファーナム兄弟を背に隠した自分が相対するような状態になってしまう。


これにはステイルも、肩を落として「すまない」とセドリックに謝った。つい反応が楽し過ぎて遊んでしまった自覚はある。

ファーナム兄弟にも当然だが、今は二人の主であるセドリックにも使用人二人を怯えさせてしまったことは素直に謝罪した。眼鏡の位置を指先で二度直しながら「つい……」と頭を垂らして背後の妹とセドリックに呟けば、また二発目がポカンっ背中から振動を与えられた。

珍しくしょげているステイルの様子にセドリックの方が「いえ……」と胸の前に両手のひらを見せて遠慮しつつ気遣う。


「驚くのは無理はないことかと……。むしろ、最初に事情を説明するべくティアラと共に先行されたステイル殿下の配慮はわかっております。こちらこそ騒がせてしまい申し訳ありません。出過ぎた真似とは存じますが、宜しければ私から……」

「…………お言葉に甘えよう……」

先ずはステイルへフォローを入れるが、その間も背後で小さくなる二人は落ち着くどころではない。

「いまティアラ様のことティアラって!!セドリック様やっぱり凄」「ッ言葉に気を付けてディオス!それどころじゃないでしょ!馬鹿なの⁈」と聞こえてしまうコソコソ声で言い合っている。

セドリックの背中という安全圏のお陰で少し話せる程度の余裕はできた二人だが、まだ心の準備は全くできていない。視界がチカチカとわけもわからず瞬きながら話す二人に、セドリックも「お前達も、ステイル王子殿下に無礼になるぞ」と厳しくない言い方で声をかけた。

「お前達を俺が雇いたいと相談した時、ステイル王子も喜んで同意して下さった。今もお前達とこれからも友好的でありたいという証明だ。ティアラにとっても大事な兄で、俺にとっても尊敬すべき恩ある王子殿下だ。気持ちはわかるがそんな様子ばかりではステイル王子だけでなく〝彼女〟も傷付くぞ」



「「〝彼女〟って…………!?」」



セドリックにしては少し説教に近い言葉に、涙目を腕で拭うディオスと胸を両手で押さえるクロイは言葉が揃う。

一瞬ティアラかと思ったがすぐに違うと思い直す。ステイルの背後からぴょこんと顔を出す彼女もまた、今はセドリックの発言にこくこくと彼らへ向けて頷いているのだから。

ステイルから「僕からもっと心の準備をさせたかったのですが」と肩を竦めると同時に、またセドリックの従者が音もなく早足で歩み寄って来た。

ステイル達が訪れたのと同じようにセドリックへ言葉を掛け、今度は従者一人がそのまま玄関へと戻っていった。流石のこの状態の双子を連れて玄関へ行くことも、逆に置いていくこともセドリックにはできない。

彼女を迎えるべく、ステイルとティアラも姿勢を正して身体を双子から玄関の方向へ向き直る。扉が開かれる音の後、従者に案内されるままに最後の招待客がゆっくりと緊張の足取りで広間へ入った。

セドリックの背中越しに顔をのぞかせるディオスとクロイも、期待と恐ろしい予想に押されるようにその陰へ注視した。先ほどまでセドリック相手に堂々としていた第一王子も、次期王妹となる第二王女も揃って深々を見本のような礼で迎える存在にぞわぞわと足先から言い知れない熱が巻き付いてくる。

まさか、でも、嘘だよねと心で叫んでも頭まで追いつかない。目を開くことしかできないまま神経が勝手に尖り出す。


最初は靴先と、零れる深紅の髪だった。

そこだけ見せてちょこんと止まり、壁の影から「ええと……」と控えめな女性の声が聞こえだす。既に〝フィリップ〟を知る二人にその声は、開校式の時よりも別の少女の声に近く聞こえた。

拳一個入りそうなほど大きく口を開き、目をきらりと輝かせるディオスは一人思わず前のめった。もしかして……!!としがみついていたクロイから期待のままに手を放し、セドリックの隣まで並ぶ。物怖じよりも興味が先立つディオスの様子に、ステイルもほっと心の中で少し胸を撫でおろす。

直後には、靴先と深紅の髪だけだった王女がその全貌を現した。

お招きありがとう、と最初にセドリックへの謝辞を告げてから胸を両手で押さえる彼女は僅かに強張った笑顔でそこに現れた。


「ディオス、クロイ。…………その、改めてこんにちは。第一王女のプライド・ロイヤル・アイビー、です。…………ずっと黙っていてごめんなさい」

ひとつに纏めず緩やかに降ろした深紅の髪と、紫色の眼差しの王女を前に、ディオスの心臓はどくんと一波分大きく脈打った。

凛とした声を鳴らすそれは間違いなく自分の知る〝友人〟と同じ温かさのものだった。今の自分達よりも遥かに高い身長と、女性らしい身体つきを見上げながら、開校式で遠目に眺めた王女様だとディオスは思う。


二人がまだ怒っているか許してくれているかもわからず居心地も悪そうに肩を必要以上狭めるプライドに、迎えたステイルとティアラも揃って左右の定位置に挟んだ。

「どう……?」「とても驚いていました」「兄様がからかうから!」と語り合う姿は、別世界のようにディオス達には眩しかった。

二人からの返事はなく、セドリックの背中に見えなくなるクロイと違い眼球を丸く見せるディオスにプライドは竦めるような動作で笑いかけてみた。少なくとも怒ってはいない様子を見ながら、覚悟は決める。もう一度自分から説明に臨もうと頭の中で言葉を整理してから口を開く。

「学校では仲良くしてくれて本当にありがとう。私はジャン」



「ジャンヌ…………」



ぽつり………と、彼女の言葉をそのまま紡ぐようにディオスから発せられた。

唐突に呼ばれ、どきりと胸を強く押さえつけながら口を一度閉じてしまったプライドは一呼吸置いてから「そうよ?」と短く頷いた。

思わず間の抜けた返答になったと思いながら、緊張で手のひらが湿り指先が震えてしまう。ステイルとティアラ、セドリックが間に入ってくれたとはいえ、自分だけではなく背後に並ぶ近衛騎士二人の存在も充分ファーナム兄弟を驚かせる要員だとわかっている。

しかしジャンヌと呼んでくれたからには、自分が同一人物ということは認めてくれたらしい。とまず前向きな事実から飲み込んだ。ぽかんと口も目も空いたディオスへ、もう一度呼びかける。

ディオス?とその名前を呼んだ途端、今度は茫然としていた若葉色の瞳がきらきらと宝石のように輝き出した。


「ジャンヌ!!ジャンヌだ!!!」

パッ!と顔を全面嬉しさで輝かせながら、事実を受け入れた瞬間迷わず床を蹴った。

あまりにも真正面の突撃に近衛騎士二人も軽く阻むべく前のめったが、プライドが腕で静かに断った。ディオス、と呼びながら自分からも期待を込めて両手を広げる。

きらきらと光る眼差しを、学校で会った時と同じ光いっぱいの笑顔と一緒に向けられてうっかりプライドの方が先に泣きたくなった。

距離も離れていなかったディオスの飛び込みはそのままプライドの両腕に受けとめられた。あまりに勢いのある飛び込みにふらついたが、近衛騎士二人に肩を支えられなんとか倒れず受けとめきれた。

若干息は詰まったが、丸くした背中で自分からもディオスを抱き締め返せばすぐ落ち着いた。むぎゅううううう!と力いっぱい抱き締め返され、愛おしさで今度は胸の奥まで心地よく締められる。


「ジャンヌ!すっごい!!本当にお姫様だったんだ!!!えっ!嬉しい!!会えるの⁈また!?山には帰らない?!!!!」

「ええ、山には帰らないわ……本当に今まで黙っていてごめんなさい。でもこうしてまた会えるようになって嬉しいわ」

僕もだよ!!と、耳に痛い音量で叫ばれても、満面の笑顔には勝てない。

ステイルが自分との反応の差に少なからず落ち込みたくなる中、ティアラはほっと両手を合わせて肩を降ろした。兄と同じように姉まで怯えられたらプライドが落ち込むのはわかっていた。

まさか突然飛び込んだ時は驚いたが、結果としては兄の説明のお陰ですんなり目の前の王女がジャンヌだと受け入れているのを見れば兄の苦労も無駄ではなかっ


「ジャンヌすごい背が高いね!!僕より高い!!!すっごい美人!!ジャンヌも美人だったけど今もすごい綺麗だよ!!えっじゃあ文通できなくても話せるよね?!あ!でもやっぱり文通としたい!!今度一緒に城下行ける?!」


「城下はどうかしら……その、私まだ城の外に出るのには色々と制約が………、…………クロイ⁇」

あまりにプライドへドレスに皺を作るほどべったり抱き着いたまま離れないディオスに、近衛騎士だけでなくステイルも引き離そうかと考えたその時。言葉を返していたプライドも含め、全員が一方向に注意が向いた。

ドサッ、と突然の大きな物音とすぐに使用人達から呼びかける声がいくつも重なる。背中を向けていたセドリックも振り返れば、プライドと共にディオスも風を切る勢いで首を回す。

プライドから腕を降ろし、「クロイ⁈」と叫び、さっきまでセドリックの背中から顔を覗かすどころか途中からすっかり髪先すらも見せなくなっていた弟へと駆け寄る。

その後をプライドや近衛騎士達も続く中、セドリックが片膝を付いて呼びかける相手は今も無音のままだった。



「…………!!…………!…………!!!!!…………」



尻もちを付いたまま背後に崩れ、足を放り出したクロイは両手を床に付いたままこの上なく真っ赤に茹っていた。

ぱくぱくと何か言いたいのかそれとも酸素を欲しているだけなのかもわからないほど口を開いては閉じるを繰り返すクロイの若葉色の眼球は、目の前のセドリックではなく今だけはプライドに釘刺さったまま動けない。

セドリックから体調が悪いのかと呼びかけられても返事どころか耳にも入らない。ふんわり湯気まで見えそうなほど白い肌を塗られ熱くなった全身で、完全に足腰が抜けて使い物にならなかった。崩れ落ちたような体勢のまま、床についた両手だけで上体を起こしているクロイは兄が背後に連れてくる深紅に後ずさりしたくても動けない。


ジャンヌがプライド様。と、その事実をディオスと違い、ステイルの登場からうっすらと予感していたにも関わらず心臓が自分のものではないようにけたたましく内側から叩き、声すら許さない。

このまま死んでもおかしくないと判断できる速さで暴れる心臓を押さえる余裕すらない。「クロイ!」と心配そうに顔色を変えて駆け寄ってくるディオスにも言いたいことすら今は浮かばない。

それよりも続いて迫ってくる深紅の王女に、炎に包まれるかのように熱が上がって上がって止まらない。この場から逃げ出したい欲求が競り上がりながら、動けない。

なのに深紅の王女は瞬く間の内に目と鼻の先まで迫ってきて、ドレスの裾を持ち上げ凛とした眼差しを心配そうに下げて自分を見返してくる。



「〜〜〜〜っ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」



瞬間。見開ききった目から、訳も分からず大粒がボロッボロッと零れ出す。

近い、近い、近い近い近い近い近い!!!!!

そう、叫び出したくても声が出ない。プライド様がジャンヌだと頭ではわかってもディオスのように割り切れない。

今まで自分の頭を撫でたのも優しい言葉をかけたのも全部が全部プライドだったという事実に向き合いかけるだけで頭が壊れそうになる。ステイル王子を前にした時以上に心も身体も追いつかない。

目の前にいるのが〝あの〟プライド様だと理解してしまった頭が、意思が介入する余地も与えてくれずどうにもならない。

目から止まらない水を溢したまま、情けなく崩れ倒れた姿を真正面に見られたことが今死ぬほど恥ずかしい。

ジャンヌの面影のある顔で、これ以上なく綺麗な顔が近付いてくる。ティアラのような愛らしさとはまた違う、大人の女性ならではの顔立ちに一度捉えた後は目がぐるぐる回り焦点が合わなくなった。

真っ赤な顔で崩れ、突然泣き出すクロイにプライドも必死に呼びかける。


「ごめんなさい驚いたわよね⁈怒らせても仕方ないと思うけれど誓って貴方達に悪意があって騙したわけではないの‼︎勿論だからって騙したことには変わりはないけれど」

「わー‼︎‼︎わあああああああ‼︎‼︎わーー‼︎わーーー‼︎‼︎わあああああああああああああああっ‼︎‼︎」

ジャンヌが、プライドが何を言ってるかもわからない。ただその凛とした声を聞くだけで、まるで羽で全身を擽られているような感覚に襲われる。

遮るようにやっと声が出たと思えば自分でも信じられないほど訳の分からない喚き声だけだった。


動けないまま顔を庇うように腕を出せば、支えを失った上体が大きく背後に傾いた。腹に力が入り過ぎたままのお陰でばったりと倒れずには済んだが、何度も騒いだディオスの大声を遥かに上回る叫びにプライドだけでなくセドリックも目を丸くする。今までクロイがここまで激しく取り乱したのを見たことがない。

ディオスもあんぐり口を開けてしまう。弟があまりに真っ赤に茹だり自分よりも見事に取り乱し騒ぐ姿に一瞬本気でおかしくなっちゃったんじゃないかと思ってしまう。

しかし直後には、以前同調した際に知ったクロイの記憶が駆け巡る。


「……やっぱクロイ、プライド様のことッムグ⁈‼︎」

「ばッッッかディオス‼︎‼︎ディオスばか‼︎‼︎ばか‼︎‼︎それ言ったら一生口聞かないから‼︎絶対だから絶対‼︎‼︎‼︎」


涙声のまま今度は飛び掛かるように兄の口を両手で塞ぎ、背後に倒れ掛かっていた体勢から逆にディオスを押し倒す。

お陰でやっとプライドから目を逸らせられたが、同時に狭い視界にディオスの丸い目しか見えなくなった。

落ち着いて……と、弱々しくプライドとそして二人の今の会話だけで何となくクロイが取り乱した理由を察したティアラに宥められる。

クロイに押され、背中を思い切り打ちつけ床へ仰向けに倒れたディオスも口を塞がれたまま物理的に何も言えなくなる。

そういえば口止めされたんだったと遅れて思い出すが、深くは考えも及ばない。それよりも




「ばかディオス‼︎‼︎ほんと馬鹿‼︎‼︎ばかばかばーか‼︎‼︎ばーーか‼︎‼︎」




自分へ馬乗りになったまま子どものような泣きべそをかき八つ当たりのまま赤い顔で取り乱すクロイの姿が珍し過ぎた。


セドリックと近衛騎士二人に引き剥がされるまで、同年齢の弟の荒れようを呆然と眺め続けた。


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