Ⅱ60.キョウダイは支え合った。
ディオス・ファーナム。
産まれた時から大事な片われを与えられた、僕の名だ。
大工の父さんと、手先の器用な母さん。そして三つ上の姉さんは、間違いなく僕らの家族だった。
姉さんは顔も髪も父さん似で、中身は母さん似。
僕らは顔は母さん似で髪は父さん似。そして僕とディオスは全く同じ。……だけど。
「ディオスは俺に似て短気だから気をつけろ。クロイは母さんに似ていつも落ち着いていて偉いな」
「ディオスは父さんに似て明るいから誰にでも話しかけられるわね。クロイは私に似て愛想もないし口も悪いから心配よ」
中身は、違う。
一緒に産まれて、一緒の服を着て、一緒のものを食べて、一緒の人生だったのに僕とクロイは中身は違った。
けれど当たり前だ。僕とクロイは別々の人間なんだから。
僕らが似ていると言いながら、ちゃんとディオスとクロイとして見てくれた父さんと母さんも、そして姉さんも僕らは大好きだった。
「良いかクロイ。僕が兄なんだから、困ったら僕に頼れよ」
クロイとは双子だけど、僕は兄だ。
いつも愛想がなくて大人びたことばっかり言うクロイを遊びに引っ張るのは僕の役目だったし
「わかった。……けど、ディオスはもうちょっと落ち着いて考えられるようになってよ」
そんな僕を止めたり怒るのはクロイの役目だった。
僕らの見かけは見分けられなくても、理解してくれた父さんと母さんは馬車に引かれてあっけなく死んでしまった。
残されたのは父さんが改修する筈だったボロボロの家と、僕らの為に大きな買い物をしたばかりの所為で残り少なくなっていた財産。借金がなかったのは、不幸中の幸いだった。
ボロボロでも住める家があって、父さんと母さんが遺してくれたものを売って暫くは生きてこれた。地方から城下に移住してきたばかりの僕らには、頼れる人もいなかった。
姉さん以外。
「大丈夫よクロイちゃん、ディオスちゃん。お姉ちゃんが守ってあげるからね」
そう言って家財を売るだけじゃ生きていけなくなった僕らの為に最初に働いてくれたのは、九歳の姉さんだった。まだ小さかった僕とクロイは〝働く〟ということもあまりわかっていなかった。
毎日朝早くから仕事を探して働いて、夜遅くに食べ物を買って帰ってきてくれる姉さんだけが頼りだった。毎日毎日働いてくれた姉さんは、……二年経つ前に限界がきた。
もともと身体が丈夫じゃなかった姉さんは、体調を崩すことが増えて働ける身体じゃなくなった。今度は僕らが働く番になった。
二人で仕事を探して、なるべく家から離れない場所を選んで働いた。姉さんがしてくれたみたいに朝から夜まで働いて、体調の良い日は姉さんが家のことをしてくれた。やっと僕らで姉さんを支えられるようになったことが嬉しかったし、このまま貧しくても姉さんとクロイと一緒に居られるなら良いと思った。
いつか大人になってもっと良い仕事について、姉さんにもっと良い生活をさせてあげたいと思って働き続けた。姉さんが十七、僕らが十四になる年に
〝学校〟が開校されることを知るまでは。
「お姉ちゃんは一人でも行くわ。ディオスちゃん、クロイちゃん。……二人は行ってみたいと思わない?」
プラデスト。お金がない僕らでも無償で勉強を受けられる場所。
それだけじゃない、卒業前には色々な仕事を紹介だってしてもらえる夢のような場所だ。今よりもっと頭が良くなって今より良い仕事につけば、きっともっともっといい暮らしができる。
母さんに読み書きを教えてもらっていた姉さんは、いつか色々な本を読んで勉強したいと言っていた。僕らは文字を読むことしかできなかったけれど、学校というのが〝できることが増える場所〟だとわかれば、行きたくない理由なんてどこにもない。
姉さんはずっと身体が弱いから家に閉じ籠ることばかり増えてたし、外に出るのにも良い機会だ。学校に行けば無償で姉さんの好きな本を読ませてもらえて、たくさん姉さんも学ぶこともできる。もしかしたら、身体の弱い姉さんでもできる仕事が見つかるかもしれない。
城から国中への公布でそれを知った時には、夢のような場所だと思った。……けれど。
「僕は行きたくない。行くならクロイと姉さんだけで行きなよ」
僕らは貧乏だ。
学校なんて三人一緒に行けるわけがない。でも、身体が弱い姉さんを一人で学校に行かせられるわけもない。また道端で倒れたら大変だ。拐われたり、また男に絡まれるかもしれない。
だから、姉さんと一緒にクロイが行けば良い。
「でもディオスちゃん。とても将来の為になると思うの。お姉ちゃんも最近は二人のお陰で体調も良いし、学校が終わってから三人で働けば」
「いやだ。僕は学校なんて行きたくないし興味もない。クロイは気になるんだろ?なら二人で行きなよ。学校終わってからクロイも働いてくれれば食べていくくらいなんとかなるよ」
姉さんにこれ以上無理なんかさせられるもんか。
ずっと、二年近くも一人で働きながら僕らを育ててくれた。弱い身体に鞭打ってその所為でもっと身体を弱くして、僕らが代わりに働くようになってからもずっと家のことだけで精一杯だったじゃんか。
ずっと家にいないといけないなら、いっそ学校に行けば良い。きっと僕らの中で一番勉強をしたいのは、仕事を見つけたいのは姉さんだ。
「ディオス。……なんで姉さんにあんなこと言ったの。ディオスだって本当は行きたいんでしょ」
「行きたくない。クロイは行きたいんだろ?だから姉さんと行けよ。僕は今の仕事の方が大事なんだ。折角近くて払いも良い仕事なんだから」
「嘘ばっかり。学校の公布見た時、ディオスずっとそれに齧り付いてたでしょ」
僕は、クロイの兄だ。
姉さんは二年も一人で僕らを助けてくれた。なら次は僕の番だ。僕が姉さんもクロイも学校に行かせてあげれば良い。
十四歳になって、やっと払いの良い力仕事でも雇ってもらえるようになった。僕の一日とクロイの半日で、姉さんを食べさせることもできる。
ずっとじゃない。せめて姉さんが学校に通い続ける二年間だけでも、僕が二人を支えてあげれば良い。
「僕も。……姉さんに、興味ないって言ったから。ディオスだけ働かせられるわけないでしょ」
「!馬鹿‼︎‼︎クロイも行かないなんて言ったら姉さんも遠慮するに決まってるだろ‼︎僕は良いから行けよ!大体姉さん一人で学校に通ったとしてまた途中で倒れたらっ……」
「そんなに心配ならディオスが行きなよ」
「ッ良いからクロイが行け‼︎‼︎僕の方が兄なんだから言うこと聞けよ‼︎」
歳なんて数秒しか変わらない。そんなこと、もう何度もクロイに言われてるしわかってる。
いくら兄だと言い張っても、僕よりクロイの方がずっと大人だし落ち着いている。並んでみたらきっと誰にだってクロイの方が兄に見られるだろう。だけど僕の方が兄なのは事実だ。だから僕が姉さんもクロイも守ってやらないと。
兄弟喧嘩は、学校の開校式まで続いた。
最後に折れたのはクロイだ。……いや、〝譲ってくれたのは〟クロイだった。聞き分けのない僕の代わりに、クロイが姉さんの面倒を見てくれることになった。
二人が学校に行っている間に僕は仕事をして、少しでも多く稼いで二人が何も心配しなくて済むようにしないといけない。
「おい聞いたか⁈開校式にあのプライド王女殿下が挨拶されたらしいぞ‼︎」
日が暮れて仕事が終わると、僕と同じように仕事から帰ってくる人達で帰り道は少し賑わった。
プライド第一王女。今はもう公務以外では殆ど姿を現さない王女だ。……クロイと姉さんは開校式でひと目でも見れたかなと思う。聞きたいけれど、興味を持っていると思われたくない。
「それでね父さん!学校の案内して貰ったんだ!すっごい施設ばっかりで……‼︎」
そっか、今日は案内もあったんだ。
姉さんはちゃんと見回れたかな。クロイも、……楽しめたら良いな。
学校の中はどこもピカピカしていて、まるでお城の中みたいだったと僕より小さな子どもが話していた。お城の中みたいなんて、どうせ城の中に入ったこともないくせに。
「授業中は無料で本や資料を貸して貰えるの‼︎もう先生の話よりも本が読めるのが嬉しくて!」
良かった。なら、姉さんもたくさん本が読める。
きっと姉さんも嬉しいだろう。僕らの中で唯一読み書きもできる姉さんなら、きっとこれからもっともっと頭が良くなる。勉強ができたら、本当に身体を動かさなくてもできる仕事に就けるかもしれない。
「え?人数⁇わかんない。でもすごく大勢いたわ!私と同じ歳の子がたくさん!友達もできたの‼︎下級層の子なんだけどすごく優しくて」
姉さんやクロイに友達もできるかもしれない。
ずっと僕らは三人だけだったから、姉さんもクロイも友達の作り方わかるかな。僕は人と話すのも好きだったけど、姉さんもクロイもあまり初対面の人に自分から話しかけられないから。…………僕、だったら。
「ねぇ母さん!やっぱり私もペンとノートが欲しいわ!たくさん書いてたくさん覚えたいの!」
そうだ、授業があるなら姉さんとクロイにもペンも紙も買えるようになりたい。
二人の入学祝いに贈れば喜ぶかな。クロイは僕と一緒で文字を読むことしかできないけれど、学校に通えばきっとすぐに書けるようになる。
二人とも、学校のピカピカの施設でたくさん勉強して、賢くなって、友達とかできて、それでー……
「……………………良いなぁ……」
ぼつり。と、気持ちが溢れた。
本当に、気がついたら口に出た。道行く人達の噂話に感化されただけ、そう思えたのはほんの数秒だけだった。帰り道の真ん中で足が止まって、お腹が減ってふらふらして、今日は大荷物が多かったから疲れていて、ダドリーさんにも遅いって怒られて落ち込んだだけで
「……良いなぁ……良いなぁ……」
ぽつり、ぽつりと気がつけば、また気持ちが溢れた。
口を絞りたくても震えるだけで閉じなくて、ふらつき過ぎて視界が滲んで腕で擦れば濡れた。
擦っても擦っても目から水が止まらない。明るく家族や親子が学校の話や噂をしているのを聞きながら、僕一人が泣いていた。
勝手に口から溢れた気持ちを耳で聞けば、余計に自分の本音がわかって苦しくなる。だけど、……同時に少しだけ胸の奥に溜めていたものが軽くなって、それに気がついたら止まらなくなった。
「良いなぁ……っ、……良いな……ぁ……、……っ。……僕も、……僕も……、……っ」
行ければ、良かったのに。
その言葉だけでも言わないよう必死に気を張った。それを言葉にしたら、それだけでもう挫けてしまいそうだった。
まだ学校は始まったばかりで、明日からは入学手続きを済ませた姉さんとクロイは
「行けば良いでしょ、学校。」
聞き慣れた声が背後から聞こえた。
僕と同じ声だというその声は、いつも僕の耳には別の声に聞こえる。毎日、毎日聞いたその声は、振り返れば僕の背後に立っていた。
泣いていたのを見られたのに焦って目を擦ったけれど、余計に目が赤くなるだけだった。クロイは自分と同じ顔の泣き顔を冷めた目で眺めてた。驚きもせず、馬鹿にもせずに、……まるでわかってたみたいに。
「わかるよ。僕らは双子なんだから」
いつから見てたのか、聞く前にクロイが口を開いた。
僕の心を読んだように言い放ったクロイは、言葉を詰まらす僕に言い訳の暇も与えず言葉を重ねた。
「ディオス。…………分け合おう」
淡々と何でもないことみたいに言うクロイは、そう言った。
意味なんて、聞く必要もなかった。
僕の特殊能力を指してそう言っていることも、そしてクロイが自分の幸せな時間を半分わけてくれようとしていることもすぐにわかった。今までそういう話をしたわけじゃない、ただ漠然とわかった。
〝同調〟する前から、僕らは互いを理解していたから。




