そして追い詰められる。
「それでは参りましょうか、姉君」
馬車の中で暫く待ち続け衛兵から安全確認と確保の報告を受けたプライドは、ステイルからの言葉に緊張を露わにしたまま一言返した。
共に座るティアラも「わくわくしますねっ」と声を弾ませる中、プライドは緊張のままに顔が強張ってしまう。ちらりと目だけで振り返れば、先ほどまでずっと無言だったアーサーも緊張を隠しきれていない。カラムが「堂々とすれば良い」と肩へ手を置くがそれも言われる前に両肩がびくりと跳ねる緊張しようだった。
きっと自分も同じくらいの顔色の悪さだろうとプライドは自覚しながら馬車の席から腰を上げた。
近衛騎士のアーサーとカラムに守られながらステイルの手を借り馬車を降りれば、後続の馬車からもレオンとセドリックが姿を現した。優雅にプライド達へ手を振り、衛兵に守られながら歩み寄る彼らにプライドも精一杯の柔らかに見える表情で微笑みかける。今回ここに訪れたいと誘ったのは自分なのに、到着した途端一番逃げ腰など許されない。
一度意識的に大きく吸い上げた息を止め、顔ごと動かして目の前の建物に掲げられた看板名を確認した。
〝ジェイコブス新聞社〟
フリージア王国恐らく唯一であろう新聞社。
新聞という文化自体、少なくとも自分が王族として異国の人間からは聞いたこともなかった。そして異国の王子であるセドリックとレオンもその文化はプライドから聞いて初めて知ったものだった。
学校潜入を始まった間もなくからずっと訪れてみたいと考えていたプライドだが、ステイルやティアラはともかく自分は今王女自粛期間として公的に視察へ降りることは少なく頻繁に降りることに至っては不可能だった。
その中で数少ない城下へ降りる許可を与えられるのが、公的に任されているレオンとの定期訪問だ。
定期訪問へ訪れるレオンへの接待として城下視察へ同行することは女王ローザにも許されている。その為、事情を正直に話した上でその新聞社へ一緒に視察へ行って欲しいと望むプライドにレオンも快諾だった。
彼にとってもアネモネ王国にない文化は最先端として取り入れたい。特に民や王族の意向、国の情勢を均一に知ることができる読み物と聞けば興味が湧かないわけがない。民のことをもっと知りたいと望むレオンにとって、その手段を一つでも多く得ることは望むところだ。そしてハナズオ連合王国にいる兄達の力になりたいと望むセドリックもまた同じだった。
ステイルとティアラも充分興味の持つ取り組みだったからこそ忙しい合間を得てプライドの視察同行の許可を得た。……が、プライドとステイルにとっては彼ら王子を同行させるのにはそれ以上の理由があった。
近衛騎士エリックの弟であるキースの存在。
彼に正体がバレる危険性も伴っていた。
弟に近衛騎士であること自体を隠しているエリックは避け、一番キースと接点の少なく穏便に事態へ対応できるカラムが護衛として選ばれた。
しかし新聞社に興味を持っていたとはいえアーサーと、そしてステイルと共に揃って訪れるのはプライド達にとって最悪の危険性も強めることになる。アーサーも同行を提案された際、新聞社を見てみたい欲よりも自分の所為でプライドやステイルの極秘視察がキースにバレてしまう危険の方を優先して一度は断った。
しかし、折角訪れるのならばアーサーと共にバーナーズ三人組で一緒に足を運びたい。そう考えたプライドと自身の望みの元に、だからこそのステイルからの提案こそが現状だった。
「いい加減落ち着け。俺達の中で一番〝紛れやすい〟のはお前なのにそれじゃあ逆に気付かれるぞ」
ぼそり、と彼にしか聞こえない声で呟きながらステイルは気付かれないように軽く肘でアーサーを突いた。
この面々になった理由をよく理解しているアーサーも、これには口を結んだまま頷きで返した。今は城下で人前の為、自分もステイルも容易にいつものように言葉は交わせない。
緊張を露わにするアーサーへ何かを話しかけているステイルに、プライドとティアラも会話は聞こえずとも何を話しているかは想像がついた。
木を隠すなら森の中。レオンとの視察であくまでプライドや自分、アーサーが印象つかないようにするのに最も効果的な方法は〝目立つ対象〟を増やすことだ。
ティアラ、レオン、セドリックとフリージア王国内でも特に目立つ存在達に囲まれた中、護衛の騎士は当然ながら第一王子である自分もまたキースを含む社員達に〝特出しては〟目立つこともない。
それどころか王族五人の訪問に、一人一人をじっくり注目する余裕も強制的に奪った。
煌びやかな王族の数々でプライド達を前に、いくら似ていても山奥に帰った少年少女を同一人物と考える人間はまずいない。更にはプライドもステイルも一段と化粧や身嗜みにも手をかけた今、無化粧に庶民服の子どもとは完全に別人だった。
唯一騎士の格好以外、眼鏡や髪型以外何も変わらないアーサーが正体を気付かれるのではと不安に思うのは当然だったが、王族が五人も揃う中で騎士にまで注目するほど民の視界に余裕があるわけもない。
「それとも目立ちたいのなら〝聖騎士〟か、名前で呼んでやろうか?情報通ならばきっと目の色を変えるぞ」
や・め・て・く・だ・さ・い。と、あくまで言葉を整えながら声を恐ろしく低めて返すアーサーに、悪戯心で投げかけたステイルも意地悪く笑んだ。
アーサーという聖騎士が存在していることは知られているが、それがどういう人物かということまでは一般的に出回っていない。しかしここで自分達の誰かがアーサーを一言呼べば、きっと一気に注目度は変わるだろうと思う。
近衛騎士、というだけでも注目を浴びやすいところを王族でなんとか注目を打ち消している。しかし聖騎士となれば一気に価値は跳ね上がる。
単なる民ならば〝アーサー〟という名だけではピンとこない方が多いが、情報通の新聞社であれば話は変わる。王族五人の布陣とプライドの近衛騎士と並べば結びつけない方が無理がある。
馬車の中では緊張を露わにする自分を楽しんで眺めていたステイルからの意地悪に、アーサーも苛立ちと共に緊張が一気に和らいだ。コノヤロウと思いながらも、直後にさっきのように足先までの強張りがなくなったとわかればすぐに怒りも収まった。唇を結び、一度息を吐いて上がり過ぎていた肩を降ろす。
アーサーのその様子にステイルも機嫌の良い笑みで再び前を見た。衛兵により開かれた新聞社の扉へ、視察の主役であるプライドとレオンが最初に先行する。
プライドを人の視線からなるべく守るようにレオンが僅かに前へ出て口を開き出す中、自分もティアラとセドリックの間で紛れるようにその後へ続いた。
最後の護衛である近衛騎士二人が進めば、小さな会社の中へ入っていく王族と騎士の姿に周辺に集まっていた民も一斉にざわつき声を漏らした。
豪奢な馬車が古い会社の前で止まった時点で注目を浴びていたが、その後に衛兵が囲い王族が姿を現した時点で大勢の民が人目見ようと集い人だかりを作っていた。既にセドリックやレオンを目に黄色の悲鳴を上げ卒倒しかける女性も出てくる中で、王族全員が綺麗に建物の中へと消えていった。
最後に衛兵が玄関を閉じても、誰もがその場に佇み王族が出てくるのを待ち続ける。
「突然申し訳ありません。プライド王女から聞いて僕らも是非一度お話を聞いてみたいと思いまして」
自己紹介を終え、滑らかな笑みで語るレオンは手で流れるようにプライドから後続の面々を示した。
いつもならばプライドかその補佐であるステイルが話を進めるところ、今回は事情を聞いたレオンが自然な流れでそれを請け負った。
一歩ロビーに入った時から大勢の社員に整列され迎えられたが、大人数からの歓迎自体はこの場にいる王族全員が慣れている。プライドも意識的に社交会で鍛えられた表情筋で微笑みを維持する中、視界の向こうのさらに向こうでちらりとだがキースの存在を捉えた。
今まではジャンヌの姿でしか会わなかった為、少し気恥ずかしい気持ちになりながらあくまで初対面の意識で目を合わせない。その間も、城での打ち合わせでのステイルからの筋書き通りレオンと共にもう一人も一歩控えめな足取りで前に出る。
プライドが新聞という物について教えてくれた。話を聞いた自分もセドリックも是非紹介して欲しいと頼んで城下視察〝ついで〟に寄らせて貰うことにしたと。そう話を続けるレオンに、「そうですっ」と鈴の音のような声が続けられる。
「プライドお姉様は〝侍女〟から聞いてずっと興味を持っていらっしゃいましたっ。私も兄様もすっごく知りたくて特別に今日の視察に同行させて頂きました!」
こうして来れて嬉しいですっ、と陽だまりのような笑顔を見せるティアラに、ぽわりと社員の大半が目を奪われる。
男性社員が殆どの新聞社で、砂糖菓子のようなティアラは王子達より意図せずとも目を引いた。両手を合わせにこにこを笑うティアラに、一瞬遅れて「光栄です」と大勢が頭を下げれば、薄汚れた会社内で上等なドレスが汚れるんじゃないかと彼女の足元を見て一気に肝を冷やした。
更にはティアラと同じ女性らしい形状をしながら、王侯貴族にしては珍しい踵の低い靴を履いたもう一人の存在へ遅れて心臓が高鳴った。
最初に玄関から入ってきた時こそ、隣国王子以上に注目を引いた深紅の髪の美女だったがレオンが話し始めた時点で誰もが彼へと目が離せなくなっていた。そして今も、ティアラと違い発言をしない彼女へ理由もなく目の照準を合わせるのは心臓に悪すぎる。
社交界と違い、貴族や王族の来訪に慣れていない彼らは主導で訪れたプライドやその補佐の王子が前に出て話さないことへ疑問を持つ余裕もない。興味を持ったと説明をされても、何故、こんな数の王族がとそちらへ疑問が尽きない。
弱小企業である自分達の元へ訪れた面々の豪華さに、誰一人取材欲求よりも畏れ多さと圧倒されて言葉も安易に出ない。更には
「!……そこの一番奥にいらっしゃる、栗色の髪に緑の瞳の方」
くるりと軽く首を回したティアラが一点へと視線を止め、呼びかける。
突然の王女からの呼びかけに、後列にいた本人だけでなく周囲にいた社員達も振り返りながら波のように素早く左右へ引いた。
ティアラと目が合った瞬間に大きく身体を上下させた青年は、目の前の人混みが避けたことに最初は反射で自分も一緒に左へ除けかけた。しかし目が合った金色の瞳が間違いなく自分へ向けられていると思えば足が固定されたように動けなくなる。呼びかけた特徴までも自分と一致すればもう逃げることはできない。
青年への道が開けられ、ティアラは軽やかな足取りで一人その間を進む。
打ち合わせでステイルからの指示通り言葉を運ぶようにと頭を回しながら、プライド達から聞いた通りの人だなと思う。取材で外に出ていることも多いと聞いた彼に都合良く会えるか、そして並ぶ大勢の中でちゃんと見つけられるか不安だったが、一目で確信できた。
兄と違う色で同じ温かみのある瞳と顔つきに、プライド達に確認を取る必要もなかった。兄と同色の栗色の髪色と、ふわりとエリックよりも少し柔らかい質髪をみるとどちらがご両親のどちら似なのかしらと少し興味を持った。
背中の後ろで両手を結び、小さく屈み青年を覗き込むように上目になるティアラに、後方のセドリックが少しだけ不安げに降ろしたまま手を握る。あまりに距離が近過ぎではないだろうか……⁈と、考えてしまう自分に対しての心の狭さに少しだけ口の中を噛んだ。
しかしティアラにとってはセドリック以外には抵抗のない距離感でもある。むしろ間近に金色の王女が覗き込んでくることに青年は不敬だと頭でわかりながらもわずかに顎を反らしてしまう。
「なにか……?」となんとか絞り出すが、あまりの別世界の可愛らしい少女に顔がじんわりと火照ることに気付かれると思うと恥ずかしい。
「ひと月ほど前、どこかで新聞を売っておられませんでした?」
ひと月ほど前、と。その言葉にキースは記憶を探るべく少しだけ眉を寄せる。
しかし緊張と一か月も前の話題と、抽象的過ぎる質問にすぐに答えは出てこない。どこかと言われても、基本的に日ごとに人通りの多いところなら色々なところで売っている。ひと月前と言われてもそれが30日前か31日前か29日前かで場所も違う。
目を泳がせながら「恐らく」と嘘にならない言葉を返すキースに、ティアラは「よく売られる場所とか、女性に売った覚えはありませんか?」とさらに追撃する。とにかく王族と美少女の圧から解放されたいキースは、恐らくひと月ほど前に特によく回った市場の名前を出せばその途端「やっぱり」とびっくりするくらいの明るい声で返された。
「お姉様っ。侍女が新聞を売って貰ったという方はこの方ではありませんか?」
聞いた特徴も一緒ですし!とにこにこと楽し気に笑うティアラは、そのままくるりと揺らめく金色の髪が広がる勢いで姉へと振り返った。
答え合わせをする感覚で姉とステイルへ目を向ければ、二人からも笑顔が返された。「偶然ね」と一言だけ落ち着き払った声で初めて第一声を返すプライドに、ステイルも眼鏡の黒縁を押さえつけながらニヤリとしそうな口角を止めた。
兄らしく王子らしい笑みを維持したまま、やるじゃないかと心の中でティアラを褒める。見事に誘導尋問を成功させている。
ティアラとプライド達からの確定発言に、レオンもそこで「へぇ」と短く声を漏らした。
ティアラが見つけた青年を見つめながら、確かにエリックと面影が重なるなと思う。兄のように鍛えられた身体つきとは全く異なるが、顔は似ている方だ。自分もプライド達と一緒に打ち合わせで特徴を聞いてはいたが、こんなにすぐ見つけるなんて流石だなと感心する。
見事にステイルから託された仕事をやり遂げたティアラへ、最後にレオンも滑らかな笑みで仕上げを試みた。
「ならこれも何かの縁ですし、彼に社の案内をお願いできますか?」
そう言って、有無を言わせない王族の微笑で社長代理の副社長へと提案した。
社員全員が瞬きも忘れて言葉も失う中、副社長も「どうぞどうぞ」と全力で青年に全てを放り託した。湿りきった手のひらで示しながら、会社の中ではまだ若い青年に任せることに指先が遠目でわかるほど震えた。
王族からの指名を断れるわけもなければ、便りの社長が不在の今適任がいるわけでもない。
一般社員だった筈の青年……キースは、第一王子の策通り網に掛かったまま真っ赤に蒸気した頭ですぐには返事が出てこなかった。
「偶然ね」と、その凛とした声を〝初めて〟目の前で聞けた瞬間から。
直撃した花のような笑顔の美女に、社運がかかった任命のやり取りもすぐには頭へ届かなかった。




