Ⅱ59.支配少女は断じる。
ディオス・ファーナム
ゲームで全キャラクリアした後に開示される隠しキャラルート。そこで初めて彼の真実は明かされる。
双子の弟がいること。身体の弱い姉を養わなければいけないこと。その為にはお金が必要で、自分を雇ってくれた主人の命令通りラスボスの従者としても働き続けていること。そして
〝同調〟の特殊能力者であること。
「いやだっ……だって、そうじゃないと……そう、しないと」
私の言葉にディオスは顔を歪めてまた俯いてしまう。
いやだ、とひたすら拒絶だけを唱え続ける彼は小さな子どものようだった。テーブルの上に置いた拳が酷く震えるのを、クロイが苦々しい顔で見つめている。もう自分がこれ以上何を言えば良いのかも、ディオスが何を言っても頷かないことも知っている。
一緒にお姉様の為に頑張ってきた双子の片割れだから、……だけじゃない。
「もうわかったでしょう?〝同調〟で貴方達は混ざりかかっているわ。……記憶だけじゃ、ないのでしょう?」
ディオスの特殊能力。
彼は、彼らはそれで互いの一日を共有していた。職場にも学校にも、そして一番近い存在であるお姉様にも気付かれないように。
ゲームではそれで学校は疎か、双子であることを知っていた主人とラスボスにも気付かれず何度も入れ替わってきた。……いや。〝気付いてもらえずに〟と言った方が正しいか。
彼らを見分けられたのは、ディオスルートに入った主人公のアムレットだけ。ゲーム開始時にはもう彼らは同調しきっていたのだから。
ディオスは、歯噛みだけで答えない。
ギリッと食い縛りながら、言いたくないように顔を硬ばる。〝言いたくない〟〝頷きたくない〟と、その意思だけがひたすら硬い。
何も言わないディオスに代わって先に口を開いたのはやっぱりクロイの方だった。低め、抑えた声が鎮まりきった部屋で小さく届く。
「少なくとも僕は混ざってる。ここ数日の記憶だけじゃない。同調を繰り返す度に、過去の記憶までどっちのものかわからなくなってきてる。……記憶の中で、僕らは〝一緒〟だから」
ぐっ、……とその言葉に、ディオスの肩が無言で強張る。
俯いたまま見開かれた目が目蓋を失ったまま痙攣した。丸く映った若葉色の瞳が酷く震えている。自分のことよりもきっとクロイの危機の方が彼にとっては大きい。ここに来るまでだって、彼が一番に取り乱していたのはクロイのことだ。
促すようにクロイがディオスに目を向ける。
静かな口調で「ディオスは」と尋ねれば、黙したままその肩へ余計に力が入った。貝のように閉じられた口はなかなか開かない。ただ、自分だけでも否定できないということが充分にその事実を物語っている。
ゲームでもディオス達は主人公にそう語っていた。寝たきりになった姉の世話をするクロイと、三人分の生活費を工面する為に働くディオス。
その偏った生活を互いに補完し合う為に、そしてお姉様にも気づかれないために彼らが選んだ手段。それこそがディオスの特殊能力による〝同調〟だった。
同調でお互いの生活を共有することで、誰にも気づかれずに彼らは生活を分割し合うことを決めた。……双子である自分達が同調することが、どれほど危険なことになるかも知らずに。
他の誰かだったらきっとそうはならなかった。ただ、お互いに顔も姿も一緒の彼らは、唯一の家族であるお姉様にも見分けがつかないほどにそっくりだった。しかもずっと兄弟として苦楽を共に生きてきて、殆ど同じ経験を味わい、互いに顔を見合わせれば顔も一緒、服装も一緒。唯一の見分ける方法は、お姉様がくれたヘアピンの数だけ。
そんな彼らがディオスの特殊能力で同調して、……たった数回で副作用は訪れた。自分の特殊能力に加減ができないディオスはクロイと同調した結果、数日の記憶だけでなく一生分の記憶を同調してしまう。更には回数を重ねれば重ねるほど鮮明な記憶だけでなくその時の感情や思考と意識まで同調してしまった。姿が一緒、辿ってきた経験も殆ど一緒、そんな双子が同調した結果彼らは
二重の人格に、飲まれた。
自分を失い、二人ともが両方の人格を得てしまった。
二人分の感情も記憶も区別がつかないほど混ざり合い、別々の人間だった二人は全く同じ人間になってしまった。しかもただ同じ人間になっただけじゃない。二人ともが同じ症状の二重人格者だ。
〝ディオス〟の人格と〝クロイ〟の人格が共存したまま、ゲーム開始時にはどちらかが学校で〝従者のクロイ〟を演じ、もう片方が〝姉の世話をするクロイ〟になっていた。
ゲームで主人公の前に二人並んだ時は完全に台詞が重なり、時には一つの文章を交互に言葉を繋げて話していたほどに二重人格の症状までもが同じだった。
アムレットが隠しキャラルートに入れば彼女が「顔や姿なんかより大事なのは心よ」と二人の心の傷を癒し、最終的にはディオスもクロイも二つの人格が綺麗に混ざり合い、一つの新たな人格を形成していた。
エンディング後には主人公と相思相愛の〝ディオス〟と、兄の恋愛を応援しつつ主人公にちょっかいを出す〝クロイ〟で少しずつ人格に差ができ始めました、で終わったけれど……混ざり合った先は、元の人格の〝ディオス〟でも〝クロイ〟でもない別人だ。
二重人格に苦しむこともなく自分として生きていけるようにはなったけれど、こうして相対しても彼らは性格も考え方も違う別々の人間だ。
「ディオスと同調しようと言ったのは僕、……クロイだ。でも、もうどっちが最初に姉さんと学校に行ったのかも、今は自信を持てない」
「少なくとも学校二日目に食堂前で俺と最初に会ったのはクロイだ。そして昨日はディオス、そして今日の昼休みまではクロイ、その後はディオスが戻ってきた。それだけは間違いない」
二本のヘアピンをつけたクロイの発言に、セドリックが補足するように口を開く。
その途端、押し黙っていたディオスが目を猫のように見開いてセドリックのほうへ振り返った。二人の視線を受け、話の間に入ったことを一言謝ったセドリックは「だが、間違いない」と断言する。
「その為に俺はジャンヌに協力した。もしお前達に違和感を感じたら徹底的に見分け、〝誰〟なのかを指摘して欲しい。もしもの時には見分けて欲しいとも言われてな」
「「どうしてセドリック様が、……っ⁈」」
セドリックの発言に、二人の言葉が合成音のように重なる。
思わず、といった様子で出た言葉が重なったことに二人は違いの顔を見合わせる。……やっぱり、大分人格が混ざりかかっている。
さっきの二人の会話もそうだ。二人とも、お互いにお互いの意識や感情を共有してしまっている所為で〝両方〟の意見も考えも言えるようになってしまった。お互いのコピーが自分の中にいる状態だから当然だ。
ゲームの彼らはそれを当然のようにこなし、そして……。だからそうならない為に私はセドリックに依頼した。絶対的な記憶能力を持つ彼ならば、きっと瓜二つの彼らのことも些細な違いだけでも記憶して見分けてくれると思えたから。
『最初は小さな違和感だった。けれど、気が付けば僕の記憶がディオスの方かクロイの方かもわからなくなった。……そして、正解をくれる人もいなかった』
過去を語ったディオスが、主人公のアムレットに告げた言葉だ。
同調を繰り返す内に、違和感を感じた彼らが最初に弊害が出たのが互いの記憶の判別だった。どっちがどっちの記憶か、どちらが〝自分〟かと自信が持てなくなった二人は、足場を失い沼に飲まれた。
だからこそ私はセドリックに依頼した。二人を区別し、しっかりと判別してもらう為に。
その結果、セドリックはたった三日でディオスとクロイを完璧に識別してくれた。ヘアピン無しで一体どこをどう見て識別できたのかは私にもわからないけれど、お陰で今もこうして二人をヘアピンや特殊能力の有無関係なく識別してくれている。
ゲームでも『同調を重ねるようになってすぐ副作用が』と話していたし、入学手続きを入れてもまだ学校が始まって二日目だったからすぐ判別できる人さえ現れれば二人の自己認識の崩壊だけでも引き留められると思った。
ゲームでは、彼らが同調したきっかけはお姉様の介護と仕事の両立。少なくとも未だ付ききりの介護は不要なお姉様の様子から考えても〝同調〟は必要なかった筈だ。…………プラデスト通学の為に〝学校への付き添いと入学〟という必要性が生まれる迄は。
「……今日、クロイが学校から抜け出したのはセドリック殿下に指摘されたから?」
今日はまだ同調はしていない筈。そう思って二本のヘアピンを付けたクロイに投げかければ、唇を絞ってから小さく頷いた。
どうやらセドリックに区別されたのは、副作用を防ぐ以前に彼らへの揺さぶりが強かったらしい。
名前を出されたセドリックから少し驚いたように「俺か?」と零す声が聞こえたから、頷きだけで返す。
きっと、王族を騙していたことを罪に問われると思って取り乱したのだろう。一般人の私相手ならお姉様にバラされるくらいの危惧だけれども、王族を騙して仕事を請け負っていたなんて重罪も想像に難くない。……依頼時にやり方は任せると言った時点で、そこは安心してもらえると思っていた。
そしてセドリックにバレたことで学校を追い出されるどころか大問題にもなりえると思ったクロイがディオスへ報告に走り、何かしら兄弟喧嘩か意見の相違か……とにかくさっきみたいに記憶の相互や違和感に気付いたのだろう。もしかしたらその前から予兆はあったのかもしれない。
それだけ取り乱すほどに民である彼らにとって〝王族〟の名が脅威だったということか。それとも、それ以上にー……。
「僕はもうやだって言った。けど、ディオスは。……」
ディオスはそれを嫌がり、お互いの副作用を元々仕事を押し付け脅迫してきた私の仕業だと判断し、怒鳴り込んできたと。
やっとここまで来て現状が理解できた。言葉を詰まらせたクロイへ納得して頷けば、ステイルも同じく察したように続けて頷いた。ここまでの様子でも完全に私達に協力的なクロイと拒絶的なディオスで意見が真っ二つに割れている。
実際は彼らの副作用に私は関係ない。
寧ろどちらかといえばパニック状態になったのはセドリックの所為……、というかお陰だろう。セドリックが二人を識別してくれたお陰でクロイは自分がディオスかクロイかを再認識して、自分が〝どちらのつもり〟でいたかの違和感にも気付けたのだろう。もしかしたら既にクロイの振りをしているディオスのつもりだったのかもしれない。激昂していたディオスも自分をクロイのように言っていた時があったもの。
クロイの言葉に、ディオスは答えない。
下唇を噛み過ぎて血が染みていた。古びた時計が刻々と時間を刻む中、誰もが頑ななディオスの言葉を待って沈黙を保つ。
「ディオス、嫌なのはわかったわ。……けれど、クロイがこれ以上自分を失うのも嫌なのでしょう?」
ひたすら拒絶だけを固めるディオスに、私から問い掛ける。
ディオスもそれにはやはり戸惑いがあるように、口を固く噤んで肩を揺らした。
そう、彼の特殊能力では一度に同調するのは彼だけじゃない。クロイも一緒だ。彼が同調をやめないということは、クロイも道連れにすることになってしまう。そしてディオスもきっとそこまでは望んでいない。
口を固く噤んで黙してしまうディオスにクロイが静かな声で呼びかける。だけどもう彼は答えなかった。……きっと、今この場で私達が引いてももうディオスは望むことはしても、特殊能力は使わないだろうとも思う。もう自分達の危うさと、クロイからの拒絶も理解している。同調を止めたくないと言う彼だけれど、今この瞬間までは一度も無理に使おうとしなかった。
彼が、……この特殊能力とクロイとの入れ替わりに依存したいのもわかる。ゲームのディオスだって、今よりもずっと辛い環境の中でも〝ディオス〟としてお姉様とクロイの為に耐えてきた。
〝ディオス〟を消し、主人公のアムレットに見つけて貰えるまでただただ〝クロイ〟として生きてきた。
「………………っかったよ……」
ぽつり、と雨粒のような声だった。
押し黙ってから暫く続いていた長い沈黙。それがとうとう破られた。絞り出したような掠れた声は、どう聞いても自分の意志で決めたものには聞こえない。ただ、状況が彼にそう言わせているとしか思えないくらいに弱弱しい。
彼の言葉に誰もが注視して耳を傾ける中、ディオスの肩は微弱に震え続けていた。洩らした息まで震える音が聞こえる中、クロイからの呼びかけに彼は振動する唇をまた動かした。
「……もう、……しない。同調も、…………入れ替わりも、しない。学校も二度と、行かないし仕事ももう、押し付けない。……それで、いいんだろ」
本人の意志じゃない。
途切れ途切れの言葉は、誰の耳にも明らかだった。ただそれしかもう自分に残された道がないことを細い身体が受け止める。
クロイがまたディオスへ語り掛けるように「やっぱり今度からは僕が」と言ったけれど、途中で遮るようにディオスは首を振ってしまった。その意志だけは鉄のように硬い。
椅子を引いて立ち上がったディオスは、セドリックをはじめとして騎士一人一人に頭を下げる。ごめんなさい、ごめんなさいと謝る度に小さく零した声は、彼らへ向けての言葉というよりもディオスの感情そのもののようだった。
腰を何度も大きく曲げるだけで、俯かせた顔を見せようとしない。白い髪に隠れて見えない彼の顔を、腰を屈めて覗くクロイが誰よりも痛そうに顔を歪めた。
酷な事だとはわかっている。だけど、その決意だけは絶対に無理やりにでもさせるしかない。ディオスの特殊能力はゲームスタートの時も今とそう変わらない。
相手の記憶や思考を同調すると同時に自分の記憶と思考も相手に同調させてしまう。どちらか一方に調整ができないディオスに悲劇を防がせる為には、彼自身がクロイへ特殊能力を使わないと決めるしかない。それだけであの悲劇は防げるのだから。もう二人が自分を消してしまうことも、二重人格になることもない。これで
「良いわけないでしょう……‼」
まだ、終わらせない。
椅子から立ち上がり、前のめりにディオスへ手を伸ばす。
私に横を向けていた彼の腕を捕まえ、低めた声で荒げる。突然掴まれたことに驚いたディオスと、椅子に座ったままのクロイが同時に振り返った。
ディオスが首を上げれば、涙で濡れて歪んだ顔が露わになった。まるで窒息しかけていたかのように苦しそうな顔で私を見返す彼は、きっとこのままでは自分の意志で自分を殺してしまう。そんなことは私が認めない。
「機会をあげる。今度こそ自分の手で掴み取りなさい」
彼らを幸せにできなくて、学校を作った意味はない。
プラデストは民の為のものなのだから。




