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フリージア王国備忘録<第二部>  作者: 天壱
嘲り王女と結合

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そして知っている。


「…………あ。そうだ、包帯一回変えなきゃ」


忘れてた。

また忘れる前に身体を起こし、左腕の包帯を確かめる。今朝掃除した時にうっかり水を零して汚しちゃった。掃除が終わってから変えれば良いやと思ったけど、兄ちゃんが帰ってくる前にやらないと怒られる。汚れた包帯なんて膿んだり病気になったらどうするとかなんとか絶対言う。


保護所行きになった人たちは噂の特殊能力者の治療とか受けたのかな。僕は一足早く兄ちゃんの馬に乗せて貰って帰ったからわからない。

あの場の騎士にも居たみたいだったけれど、僕より大怪我の人で忙しそうだった。僕は一応止血していたしただの腕だし良いんだけれど。どうせ自分で切っただけだし。

引き出しから新しい包帯を取り出して、巻いていた方をくるくる取り外す。まだ赤赤と傷の抉れた部分は瘡蓋もできていなくて、自分でも「うえっ」って顔を顰めちゃう。

薬もついでに塗り直した方が良いかもしれない。兄ちゃんが、あまりに抉れて範囲も広いから特殊能力者の治療で治っても傷痕全部は消えないかもって言っていた。別に跡は良いんだけど、ライラが心配するしこのままずっと包帯か長袖生活かなぁとそれだけがちょっとめんどくさい。


『私が痛いんです』


「…………」

思い出した瞬間、ちょっとだけ薬を引っ張り出そうとする手が止まる。

痛くない、平気って、本当に自分の傷なんてどうでも良くて笑っちゃった僕にそう言ってくれた。怪我をしていないジャンヌがなんでそんなこと言うんだろうって、最初はわからなかった。もしかして僕の傷の痛みとかも拡散させちゃうのかなとか思っちゃったり。

薬を薄く伸ばして、新しい包帯を巻き直す。

あんまり薬は沁みないけど、この傷を見る度にあの時の紫色の眼差しを思い出す。僕に向かってちょっと怒っていて諫めるような鋭さは兄ちゃんが怒る時にもちょっと似ていたなと思う。多分ジャンヌの顔の方が怖いけど。


『特殊能力を持つことに罪なんてないの。貴方は普通の人間よ』


……言葉一つ一つはびっくりするくらい優しかった。

もう、あの日一日だけで十四年分は優しいことを言って貰えたような気がする。ずっと特殊能力を持って責められて、化物って言われてて、…………僕もいつの間にかそうだと思えてたから。

母さんやライラや兄ちゃんは家族だから、優しくしてくれるのも守ってくれるのも僕にとっては当然で。

だから全くの他人だったジャンヌに言われた言葉は最初は油に弾かれたみたいにすぐには飲み込めなかった。せっかく落として貰えたのに、つるりと丸く数滴分そのまんま。本当にそれぐらい何にも感じなかったし気付けなかった。

ジャンヌが王女様だったかもってこの目で見たのに僕の頭がおかしいだけだと思って、傷の痛みもわからなくて、あんなに雨が降っていたのに寒いのもわからなくて、ジャンヌの手が温かいのにも気付かなかった。

なぞってくれた指の感触も、まるで手袋の上からみたいでなぞられているのが自分の手じゃないみたいだった。


『大人より力も弱くて家族を大切できて、人を傷つけるのを怖がる優しい子だわ』

そう言われた途端、やっと受け止められた。僕が弱いのも家族が何より大切なのもそれだけはずっと知っていたそのままだったから。

人を傷付けるのが怖いって、それが「優しい」なんだって言われた時にやっと初めて僕以外の感情がプツリと全部染み入った。ちょっと前まで笑えてたのが嘘みたいにぞわぞわと足の先から寒さが這い上がった。

痛いのが嫌だったのに腕を何度も切って、怖い人達に襲われて母さん達の大事な家が焼かれて、殺されそうになった怖さ、……だけじゃない。〝そんなこと〟よりも、ずっと重くて大きくて息苦しいくらい暗い感情を思い出した。沸いたとか、そんなんじゃなくてずっと、ずっとそこにあった感情は数年前にも覚えがあって




─なんで僕がこんな目に?




僕は悪いことをしようとしたわけじゃないのに化物化物ってあの目で言われて大好きだった友達に嫌われて村の人達に白い目で見られて避けられて僕はなりたくないのに騎士になれ騎士になれって言われて僕だけが悪者みたいで普通じゃないみたいでなんで僕がこんな目に遭わないといけなかったんだろうって。……怒りよりも絶望に近い感情がずしりと突然重量まで帯び出した。

当たり前で、平気で、仕方なくて当たり前で慣れていた筈の全部が全部、本当はそうじゃなかったって思い出した。

そう思った途端、目の前のことも全然平気じゃなくなった。ただ、今までと比べたら大して辛くなくて平気だっただけで、あれも辛くてこれも辛いってわかった途端全部が苦しくなった。

僕一人で大好きな家族を捨ててでも消えちゃおうかなとか、誰かを傷付けたくないとか、本当は特殊能力がなかったら考える必要がなかったことなんだって。



─〝特殊能力を持つことに罪なんてない〟〝普通の人間〟……なら、どうしてこんなに僕だけ犠牲にならないといけないんだろう。



『……やっぱり、死にたくないなぁ……』

そう小さな疑問が浮かんだままに、気づけば言葉が中途半端に零れたのを今でも覚えてる。

騎士の血、って。その呪いみたいな言葉がまた浮かんだけれど、ちょっと時間がかかってから沁み込んだジャンヌの言葉の方が強かった。

僕は特殊能力があるだけの普通の人間で、子どもで、弱くて、被害者で、ずっとずっと望んでいたことも逃げていたことも普通のことで。子どもの頃は知っていた筈なのに、いつの間にかそんなこともわからなくなっていた。

死にたくない。一人になりたくない。家族と離れたくない。ライラに会いたい、兄ちゃんに会いたい。……騎士みたいな特別じゃなくて、昔みたいな普通の暮らしがしたい。

温かい家に帰って美味しいものを食べて、いつかは好きな子と一緒になって子どもをつくっておじいちゃんになったら毎日空を眺めてのんびり過ごしたい。

やっと思い出せたその望みに気付いたら、びしょ濡れの身体で堪らなく喉が渇いた。



『何度でも当たり前のことを言うわ。貴方はただの被害者で、普通の男の子よ』



その前にも何度か言ってくれた言葉の筈なのに、気づけた後に言われたらまた全然胸を染める色が違った。

それまではただただ優しい言葉に聞こえただけなのに、……僕にもそれが〝当たり前〟として響いたことに息が酷く通り出した。もう何年も何年も呼吸を忘れてたんじゃないかってくらいで、鉛を吐いたみたいに胸が軽くなった。ずっと化物で普通じゃないと思っていたのに、そうじゃないと受け入れられた自分が自分で信じられなかった。

気付かなかったあの子の手が信じられないくらい温かくて、熱くも感じて、雨の中だったのに花の香りみたいな甘さが鼻に過った。全身くっついてジャンヌを感じて、……一つになったんじゃないかと思うくらい安心した。

突然あの子の指が強張る感覚まではっきり伝わった。


『遅くなってごめんなさい』


「…………あれ、なんだったんだろう……」

雨音が耳鳴りみたいに煩い中、鼓動と同じくらいの静かさでそう聞こえた気がした。

ジャンヌの声か、それとも別の声か幻聴か夢かもわからない。ジャンヌの温かさに微睡んでほんの数秒夢を見ていてもおかしくないなと思う。正体はわかったけれど、そうじゃなかったら本当に天使だったんじゃないかと思った。


巻き終えた包帯の残りを引き出しへ放り込んで閉じる。壁に背中を預けてベッドに両足を放り出しながらぼんやり考える。

予知能力。あの子が本当に噂の第一王女様ならきっとそれを持っている。詳しいことは知らないけれど、そのお陰で僕の村も助かった。なら、もしかしたら村のことも燃えちゃう前に助けたいと思ってくれたのかな。…………あんな山奥のオンボロド田舎の豆粒村なのに。

首を大きく横に傾け、うーんと唸る。王族のことなんてそれこそもっと知らない。でも王女様が、城下とか王都とか同盟国とかならまだしもあんな村のことまであんなに必死になって守ってくれようとするなんてちょっと意外だ。お蔭でみんな人は助かったし、むしろ偉そうに胸を張って自分の手柄にしちゃえばいいのに。


『予知しました。心の安定さえ得れば貴方の能力は完全な制御も難しくはありません』


「…………優しい人なんだなぁ……」

考えるだけ考えて、やっと絞り出せた結論はそれだけだった。

最後には王族だけっていう特別な予知を僕にまでしてくれた。偶然視えたのか、それとも視てくれたのか。どっちにしても教えてくれちゃうなんて滅多にあることじゃないとそれだけは僕にもわかる。


ぽわん、ともう一度浮かぶのはジャンヌの顔だけどどれも女の子らしい笑顔よりも険しい顔が圧倒的に多い。でも美人だったなと思う。

あれがアーサーさんと同じで子どもの姿になっていたのなら、本物はもっと大人でもっと美人なんだろう。ちゃんと最後にお礼も言えなかった気がするけれど、もう一回会いたいなぁと思う。騎士の身内ってだけで会わせて貰えるわけもないけど。

でもそんな顔よりも、剣を手に立ち上がった背中とか凛とした声とか、……言葉とか。そっちの方がすごく魅力的な人だった。目を閉じると花の香までまだ記憶に残っていて、気づけばそのままぼすんと壁に頭を擦ったままベッドへ横倒れる。王女様ってすごい。


カンカン、……カン。


「…………兄ちゃん?」

枕に頭を乗せようかと思ったところで、扉の向こうの足音が耳に引っ掛かる。

僕の部屋に近づいてくる足音に身構える。時間的には兄ちゃんだと思うけど、いつもはこんな足音なんて聞こえないのにとちょっと妙だった。不規則な足音は僕の部屋の前でぴたりと止まった。コンッ、って一回だけ鳴らされたと思ったらそこで鍵が差し込まれる音がする。これもいつもの兄ちゃんにしては珍しくギギリと音がこっちまで届いた。いつもの兄ちゃんならそんな雑な開け方はしない。

アーサーさんかなとも思ったけれど、それも違う。アーサーさんもこんな雑じゃない。「誰」って聞くのも怖くなって、慌てて身体を起こしてナイフを取ろうと手を伸ばす。すると引き出しに指が到達するより先に、開かれる音がやっぱりいつもより大きく部屋に響いた。

ガチャリ。って。思わず息を飲んで指が引き出しに触れる寸前で強張って固まった。今までの訪問者で一番乱暴な音で開けられる扉に、胃の中がひっくり返されるような感覚で見返せば







ふらっふらの兄ちゃんが、そこに居た。







「ただいま……」

バッタン!って次の瞬間には扉がまた乱暴に壁にぶつかった。

扉に手のひらがくっついちゃったみたいにそのまま前のめりになる兄ちゃんに、僕も慌てて引き出しを放って飛び出す。兄ちゃん⁈って呼ぶけれど、ただ立つだけでも足元がふらふらの兄ちゃんは顔を俯けたまま後ろ手でまた雑に扉を閉めた。

ガチャッ、といつものクセぐらいの感覚で鍵を閉めてはくれたけどその後は扉に背中を預けたまま背中が丸い。

こんなに姿勢が悪い兄ちゃんも珍しいと思いながらどうしたのか尋ねる。口を結んだままの兄ちゃんはそれでも答えなくて、とにかくベッドで休みなと腕を引っ張る。


ずるずると数歩歩かせてベッドでもう一回強く引っ張ると、ドスンッと大きな音を立ててベッドへうつぶせに上体だけ倒れ込んだ。

膝は床について、背中から上半身がベッドに減り込んだ。顔が顎からついて、すぐにそのまま自分から顔面全部をシーツに埋める。反動でずれた丸眼鏡がそのまま額に上がった。明らかに平気じゃなさそうな兄ちゃんの反応に、…………医者を呼ぶ必要はないことは知っている。

大丈夫?と尋ねながら背中を摩れば、小さく呻き声を零しながら口を開いた


「もうやだ最悪だ疲れた……。なんで、本当に僕はいつもいつも…………、……………………疲れた……」

「うんうんどうしたの~」

よしよしと泣き言を零す兄ちゃんの背中を取り合えず優しく何度も叩く。

色々聞きたいことはあるけど、先ずはいつも通りに宥める。もともとそういうところがあった兄ちゃんだけど、騎士団に入団してからはたまにこうして落ち込むこともある。まさか家の中に入る前からあんなに背中を丸くしているのは初めてだったけれど。

騎士団では気を張っているらしい兄ちゃんは、僕らの家に帰ってくると特に糸が切れるらしい。

その愚痴も僕は毎回聞いていたけれど、騎士の話自体嫌いなライラには無視される時もあった。兄ちゃんも騎士団にいること自体が嫌いじゃないことはわかっていても、母さんもたまに心配するぐらいの落ち込みよう最大値がこういう反応だ。ただ突っ伏すとか頭抱えるくらいはほぼ毎回だけど、こっちはわりと珍しい。

そういえば家が焼けてからは一回もこういう風に落ち込む姿は見せなかったなと思えば、…………やっぱりずっと僕の前でも気を張り続けてくれてたんだなと気付く。だからあんな決断もさせちゃった。

だけど今は先ず兄ちゃんの話を聞かなきゃと、僕もいつもの調子でもう一度呼びかけてみる。


「どうしたの~兄ちゃん。荷物は?今日全部持ってくるんじゃなかった⁇騎士団辞めちゃったんじゃなかったの?」

「………………………………やめた……」

ちょっとの沈黙の後に、ぼつりと短く低い声で返された。

兄ちゃんが突っ伏している中、バレなかったけれど聞いた途端顔がぴくりと強張った。わかっていたのに、それを言われた途端内側がざわりとざらつき騒ぐ。さっきまで笑っていた筈の口端が歪に緊張しているのが鏡をみなくてもわかる。

本当に、辞めてきちゃった。兄ちゃんが嘘や冗談で言わないとわかっていたけど、胸がぎゅっと締まった。思わず片手で胸を押さえながら「そっか……」となるべく柔らかくなるように言う。兄ちゃんが辞めちゃったのももとはと言えば僕の所為でもあるのに、ここまで来て責められない。もう辞めちゃった兄ちゃんに「だめ」とか「騎士でいて欲しかった」とまた我儘を言ったらただ兄ちゃんを苦しめるだけだ。だってもう辞めちゃったんだか



「辞めるのをやめた……」



「…………へ??」

ぶつぶつと低めた力のない声のまま続けた兄ちゃんの言葉に、うっかり変な声が出る。

なにそれ、と思いながら聞き間違いかなと思う。やめるのを辞めたってなに⁇

もしかして、と顔が半分笑っちゃうように引き攣りながら、変わらず突っ伏し兄ちゃんに顔を近づける。なに?もう一回言って?どういうこと??ねぇねぇ、とちょっとしつこめに聞いてみれば、べったりシーツに伸ばしていた両手が拳を作った。

ぼそぼそとくぐもった声で話してくれる兄ちゃんへ耳を限界まで近付ける。いつもの愚痴を聞くときと同じ態勢で聞き続ければ、思った以上だった。


兄ちゃんは、騎士を辞めていない。

アーサー隊長に引き留められて説得されたらしい。ならどうしてこんな明るい時間に帰って来たのと尋ねると、そこでやっと兄ちゃんは曲げた右腕で顔を起こしてくれた。帰って来た時に覗き込んだ顔よりも若干もう目が赤い。


「アーサー隊長が……「やっぱりちょっと休みましょう」って僕を騎士団長のところまで無理やり……。あの人に力で僕が勝てるわけないじゃないか……しかも一緒にいたハリソン副隊長まで「隊長命令」だって剣まで向けてくるし、仕方なく騎士団長にやはり少し休日を頂けますかと打診に言ったら騎士団長も副団長も「今すぐ休め」って強制的に一週間も……。引っ越し作業とかもあるからちょうど良いだろうってなんだ……?今日こそちゃんと演習に気持ちを入れ直したかったのに……まだ母さんの誕生日とお前の誕生日も祭りの日も僕だけじゃなく家族の体調不良時も考えたら一週間も休める時間なんてもったいないじゃないか……」

いつもより話し方に勢いがないし、すごく珍しく自分に対して以外の愚痴だ。


「アーサー隊長はずるい……間違いなくずるい……ああ言われたら辞めれるわけないじゃないか……しかもあんな、お節介にもほどが……なんで同じ人間なのにアーサー隊長はあんなに強くて格好良くて人間ができていて器が大きいんだ……?ハリソン副隊長なんて隊長だった時に僕が体調悪くても斬りかかってきたのに……」

「兄ちゃんハリソン副隊長に最初は殺されかけたんだよねぇ」

懐かしいなぁと思いながら笑えば、兄ちゃんがドンドンと拳でベッドを殴った。また顔がシーツに埋もれる。


本当に騎士辞めてないんだと、落ち込む兄ちゃんの前で僕は顔が緩む。

両肘で頬杖を突いて兄ちゃんと一緒に膝を床につけて並ぶ。引き留めてくれたのもアーサー隊長なら納得もできる。

どんな風に引き留められたのかは教えてくれなかったけれど「ずるい」「卑怯だ」「もう辞められない」「なのに僕はまた」「気遣ってくれたのに」と何度も溢しながら段々いつもの愚痴っぽくなってきた。


気を抜くとくすくすと笑い声まで漏れそうで、意識的に結べば唇が今度は両端ともにんまり上がった。

うんうんといつもの相槌を繰り返しながら兄ちゃんが吐き出しきるのを待つ。すると、いつもなら終わるくらいの時間よりちょっと過ぎたくらいで兄ちゃんは一度黙った。

べったりとベッドにくっついたまま今日はこのまま寝ちゃうかなと予想する。小さく呻いた兄ちゃんに「なに?」と鼻歌気味に聞いてみると、兄ちゃんは僕と反対側の方に顔を横向けにした。


「…………疲れた。……………………知らなかった。すごく、…………疲れて……。…………城から出たら急に、…………疲れて……」


鼻を啜る音がちょっと短く聞こえた。

本人は毎回隠してるつもりなんだろうなと思いながら、僕も覗かない。うん。うん、と返しながらまた背中をポンポン叩く。

兄ちゃんが自分のことで愚痴をいったり落ち込むのはいつもだけど、……こんなに「疲れた」って言うのは初めてかもしれない。

いつもは村に帰っても家の中に入るまで我慢できるのに、城をでたところで疲れが出ちゃうなんて本当に無理していたんだ。

毎日顔を合わせていたのに、自分のことばっかで気付けなかった。アーサー隊長が遊びにきてくれたことも色々疲れたのかも。……その、アーサー隊長は気付いてくれたのかな。


「僕……本当に、…………本当に、格好悪くて。……今日は特に……。でも、…………やっぱり騎士にー……」

ぽつぽつと零れた音に、耳を澄ます。

それ以上はもう続かなかった。一秒、二秒と頭の中で数えていると十五秒くらいしてから寝息が聞こえて、僕は兄ちゃんが半分下敷きにした毛布を引っ張り出す。

ずれたままの眼鏡を取って机に避難させ、いつも通り団服を脱がす。家でもたまにこうやって潰れることがあったから、脱がせるのも慣れている。


兄ちゃんは騎士を辞めなくて、今日は早めに上げて貰って一週間のお休み。その間に僕らの引っ越しをするつもり。

息苦しくないようにベルトを緩めて上着を回収して吊るしながら、聞いたことを整理する。母さんには遅くなって悪いけど、取り敢えずライラに会いにいく時間までは寝かせておこう。

すうすう寝る兄ちゃんへ最後に毛布を掛ける。兄ちゃんの顔の方に回って膝を付いて、ベッドに腕を置き交差する手の上に顎を乗せる。そういえば兄ちゃんの寝顔を見るのも久しぶりだ。

宿に泊まってからずっと僕が先に眠ってたから。ちょっぴり目の周りを湿らせた顔を見ながら、自然とまた頬が綻んだ。


「…………兄ちゃんは格好良いよ」


いつも言っている、僕にとってずっと昔から当たり前のこと。

起こさないように指先でそっとだけ髪をなぞりながら、僕らにばっかり格好悪いところも見せる兄を見る。

兄ちゃんはずっと格好良い。努力して、覚悟して騎士を目指して叶えて。…………ずっと僕らを守ってくれた。



『遅くなって悪かった!』



ジャンヌに引き留められた雨の中。……兄ちゃんが来てくれた時、それだけで泣きそうになった。

ずっと、もっと長い長い間兄ちゃんが迎えに来てくれるのを待ってたような、やっと会えたとそう思った。その前だって時々帰ってきていた筈なのに。それでも不思議なくらい、あの時一番助けに来て欲しかった人は兄ちゃんだった。


間に合ったかどうかなんで関係ない。兄ちゃんに生きて会えて、迎えにきてくれた。それだけで十分すぎる。

兄ちゃんが来てくれて嬉しくて嬉しくて、……やっぱりもっと欲しいと思った。兄ちゃんともやっぱりまだ一緒に笑ってたくさん話を聞きたいし、母さんとも暮らしたいし、ライラにも会いたくなった。僕は弱くて普通のまだ子どもの十四歳だから。


抱き締めてくれて、馬で連れ出してくれて。騎士団の人達に囲まれるよりもずっと安心した。

母さんの顔を見なくても、ライラに会えなくても、兄ちゃんが隣に居てくれるだけで本当に大丈夫だと思えたから。

自分の意思で騎士を選んで、自分の意思で命をかけて、自分の意思で努力して全部を注いで騎士になったすごい人。

ジャンヌより、アーサー隊長より誰よりも。僕にとって絶対兄ちゃんが世界で一番格好良い。



「ゲイル家自慢の騎士だもん」



寝息を変わらず零す人に投げかける。

家族の誰もが知っていて、兄ちゃんだけがきっとわかってない。これもまたすごく当たり前で普通で当然のこと。


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