Ⅱ487.騎士子息は思い出した。
『くそ!化け物!!あっち行け!!』
『なんでここにいんだよ!!一生家から出てくんな!!』
『きゃあっ?!……あっ。うん、向こう行こっか……』
『父ちゃんなんであんな奴にまで肉分けてやんないと』
『仕方ねぇだろライラの兄貴だぞ⁈何よりあのノーマンの弟だ!!ゲイル家は昔から騎士の……』
─ 消えちゃえば良いのに、って何度も思った。……こんな僕なんか。
化物、バケモノ、バケモン。
五年以上聞きなれた響きは、もう大して胸を引っ掻かない。
今まで通りにこっと笑ってヘラッとして、騎士になって〝くれた〟兄ちゃんとライラを待つ。村の人は嫌いだけど、僕以外の家族には親切にしてくれた。ずっとずっと働かない僕と母さんの分も働いて生活を支えてくれている。
それが、辛い修練を続けて騎士になってくれた兄ちゃんの犠牲のお陰だということもちゃんとわかっている。ライラだけでも、こんな村を抜け出して城下に住むことができるようになったのは本当に嬉しかった。もう僕のことなんかで嫌な目にあったりしないで済むから。
人を傷付けるのが怖くって、それで白い目で見られるのも母さん達に迷惑がかかるくらい嫌われるのも怖いと思う反面、…………人を傷付けることにも躊躇いを持てる自分に安心した。
あの時の衝動は本当にカッとなっただけで、僕は騎士になれるほど他人を傷付けることに躊躇いなくはいられない、たとえ相手が悪人だってと。そう思うことで、必死に目を逸らして逃げ続けた。
どれだけ特殊能力に恵まれていたって大事なのは本質だと兄ちゃんも父さん達の書物でも言っていた。たとえば長い鍛錬を繰り返さないと持ちえない筋力や体力や戦術技術とか身のこなしとか
『ブラッド!本を返せ!!次は僕が読む番だぞ!ほんっとうにお前はちょこまかちょこまか……』
『だって僕も聖騎士伝説読みたくなっちゃったんだもん~』
『ブラ兄すごーい!のん兄はなんで騎士なのにブラ兄掴まえられないの?』
『僕じゃない!!ブラッドがすばしっこ過ぎるんだ!!』
─ 昔から人より足が速かった。兄ちゃんにだって勝てちゃうくらいが子どもの頃は自慢だった。
村でも一番速かったけれど、……毎日鍛錬を頑張って走り込みも欠かさない兄ちゃんより速いのが途中からちょっとだけおかしいなと思った。兄ちゃんが本隊になれてからもそれは変わらなくて、兄ちゃんが遅いんじゃなくて僕が速いだけなんだなと少し思った。
僕は、向いていない。
他の子と同じ、特殊能力があるだけで普通に食べて動いて寝て、それだけでも幸せを感じられる平凡な人間だってわかって欲しかった。
死ぬのも怖い、大事な人が傷付くのも怖い、弱虫で怖がりで何の覚悟もできていない、兄ちゃん以外の村人みんなと全く同じ臆病者。同じくらい卑怯でずるくて自分中心で自分本位で、僕を嫌う人だって傷付ける度胸もないくらい
『母さん逃げよう!!早くお願い立って!村の人達ももう逃げてるよ!一緒にっ……』
『おーい!!こっちにも残ってたぞ!!ガキと女だ!どっちも商品になる』
『女ァ?そりゃあ本当か??良い女なら先にー……』
─ 僕は、躊躇わなかった。
『ブラッド‼︎もう大丈夫です‼︎』
人を傷付けることに躊躇えなかった。
母さんを助ける為なら、一緒に逃げる為ならもうそれ以外どうなっても良いと本気で思ったんだ。
動けない母さんを置いて逃げるのも、大人しく男達に捕まるのも選択肢になかった。
もしここが戦場で、僕が騎士だったらきっとこうしたんだろうとわかるぐらい。腕から滴る赤糸に「これが騎士の血か」と刺しながら頭の隅で時々思った。
あの凛とした声が止めてくれなければ、僕がどうなってしまったかわからない。腕の痛みも自分の身体も、特殊能力で目の前の男達を殺すことにだって何の躊躇いもなかった。全員殺したかった。
騎士より、何よりもっと怖いものになりそうだったくらい。
『君達。……その線より先には決して出ないように』
突然現れた騎士は、兄ちゃんと何度も呼んだ本の騎士と同じくらい凄く格好良かった。
助けて欲しい時にぱっと瞬くように現れて、たった一人で大勢の男達を倒す。本や話でしか聞いたことがない騎士は、目の前でみると読み聞きする何万倍も格好良かった。
どれだけ怖くて命が掛かっても騎士になりたがる人が絶えない理由が思考よりも肌で理解した。
あまりに圧倒過ぎる戦闘に、どこからどこまでが特殊能力なのかもわからない。絶対あの強さは普通じゃないしきっとこの人も特殊能力者でそうやって戦ったのだろうと思った。
兄ちゃんが家でやってたような鍛錬や修練であんなに強くなれるとは思えない。それだけ圧倒的で強くて格好良くて別世界で、…………本当にあの兄ちゃんも騎士なのかなとちょっぴり疑いたくなっちゃうくらい。
騎士だけじゃない、銀髪の子も深紅の子も本当に信じられないくらいあっと言う間に倒しちゃってまるで皆が皆僕と兄ちゃんが憧れた〝騎士〟みたいだった。
『……君さ、ジャンヌって言ったっけ?』
川辺まで行った時にはもうずっと僕は落ち着ききっていた。
家が焼けちゃったことも、ライラの誕生日にこんなことになっちゃったのも、母さんの身体も心配だけど。それも全部どうでも良いくらい心がずっとずっと穏やかだった。
ジャンヌと呼ばれた深紅の子に話しかけてみれば、きょどきょどとした態度がなんだか意外で可愛かった。
さっきまではきりっとして堂々と男達に正面から睨みを利かせていたのに、今は村の子達と同じくらいどきどきしてくれている。こんな反応を返して貰うのも久しぶりで、家族以外で普通の会話をするのも久しぶりで、ちょっとわくわくすらした。
ちゃんと話せるうちにお礼とかちゃんと言いたくて、喋っちゃ駄目とわかっていても悪戯気分で口が出た。……だって今を逃したら一生言えないかもしれないから。
ほんの数分とか数秒かもしれないけれど、やっぱり人と話すのが好きだなと思う。兄ちゃんやライラが話し好きでいてくれなかったらもっと早く僕はおかしくなっていたかもしれない。
─ ごめんね。
「見逃してくれない?」
「どういう意味?」
ジャンヌは、思った以上に目敏い。
こっそり抜け出そうとしたのにすぐに気付かれちゃった。でも騒ごうとはしなくてコソコソしてくれるジャンヌにほっとする。
本当はちゃんともっとお話ししたかったけれど、もう時間がない。この後になったら騎士の応援が来るらしいし、逃げるなら今しかない。
白い手が信じられないくらい強くぎゅっと僕を捕まえて、痛いよって言ってみる。ちょっと傷には沁みたけど、握られた強さ自体は大したことないからか、ジャンヌにも何も被害はない。本当に痛いくらい強かったら、今頃ジャンヌも痛くなって怯えて僕から手を離したのかなと思う。
何度言っても逃がしてくれないジャンヌはちょっと眼つきの悪い紫色で僕を睨んだ。
こんなに危ないところで、騎士とも知り合いみたいだったし動くなと言われたら逃がしてくれないのも当たり前だよねと思う。だけど、それでも僕はここから逃げたいし、逃げないといけない。
「あのねぇ、僕。実はそんなに良い人じゃないんだ」
村の人が、嫌い。
そう本音を言えば、きっとジャンヌもこんなに優しくしてくれなくなって見捨ててくれると思った。
今だって逃げようとする僕を見て見ぬ振りするどころか引き留めて、腕の止血までしてくれる。言い方はキツいけど優しい子なんだなと簡単にわかった。
でも僕は優しいジャンヌと違って全然村の人なんか心配じゃないし、寧ろ今日会ったばかりのジャンヌ達の方が死んでほしくないくらいだった。
…………ずっと、僕を僕らを〝騎士〟として縛り付けてきたあの人達は、キライ。
兄ちゃんにも僕にも騎士になれとか言って、偉そうにして、僕たちの生き方を勝手に決めてくるあの人達がキライ。
特殊能力ぐらいで僕を騎士の〝素材〟として見てくるあの人達がキライ。
特殊能力だけで僕を化物と呼んできた人達がキライ。
怪我した理由を壊れた理由を全部僕の所為にしてきたあの人達がキライ。
友達って言ったのに好きって言ってくれたのにまた明日って言ったのに将来一緒に皆でって言ったのに、全部手のひら返して僕を遠ざけて化物扱いして被害者ヅラしてきたあのクソ共全員だ~いきらい。
「勿論家族は好きだよ?母さんもライラも兄ちゃんも。母さん優しいしライラは可愛いし、兄ちゃんは格好良くて面白いし」
父さんは、……もうあまり覚えてない。
僕が子どもの頃に死んじゃったから。きちんとその背中を知っているのは母さんと兄ちゃんだけだから。
二人の話を聞くと凄く優しくて立派な人だったと思うけど、今の僕はちょっぴり嫌いだった。だってこんな生き方しか僕に残してくれなかった人だから。
最低な僕と、病気になった母さんとまだ小さいライラを、兄ちゃん一人が支えて守ることになった原因だから。
つらつら語りながら、段々胸の奥に黒いものが渦巻いてきて、それが今〝生まれた〟んじゃなくてずっと〝そこ〟にあったんだと自覚する。
知らないふりで見ない振りで、今やっと捨てれる気になって気が付けた。
「……騎士ってさぁ、格好良いよね。人の為に国の為に身を危険に晒して戦ってさ。でも僕はそんなことできないんだ。怖いし、痛いこと嫌いだし、毎日鍛錬なんて疲れるし、会ったこともない人の為に命なんかかけたくない。危ない目になんか一生遭わないでぬくぬく平和に生きていたい。ね、最低でしょ?」」
今まで言葉にしちゃ駄目だって、母さんにもライラにも兄ちゃんにも言わなかったその本音を言えたのは、きっとこの子が村とか関係ない子だから。
口にしてみれば、本当に僕は嫌いだったんだなと実感して、自分がもっと嫌いになった。何年もずっと僕らの生活を保障してくれた村の人に、僕が大勢を怪我させたのも壊したのも事実なのにそれを棚に置いて被害者ヅラしてと本当に嫌になる。…………同時に、ちょっとスッとした。
ずっと聞いてほしくて吐き出したくてきっと堪らなかったんだなと自覚する。
眉を寄せるジャンヌの手へ重ね、笑いかける。
本当にこの子は優しくて村の人より僕よりずっとまともな子だなとほっとする。僕のことなんか放っといてと続けながら、最後にもう一度お礼を伝える。
ただ母さんを守ることでいっぱいで訳も分からなかった中、燃え上がる炎に誰も助けに来てくれない世界で「大丈夫」の言葉がどれだけ嬉しくて救われたのか、一生の宝物みたいに残ってる。…………ずっと、家族以外の誰かにそれを言って欲しかったから。
それでも僕はここで逃げないといけない。駆けつけてくれたこの子達の優しさも、守り抜こうとしてくれる騎士の人の気持ちも裏切って。力尽くでも、無理やりでも、また嫌われても絶対関係ない誰かを今度こそ傷付けちゃうその前に。……だからお願い。
重ねてくれた優しい手を潰すくらい強く、締め付ける。
─僕に優しくしてくれた人まで傷付けさせないで。
「だめよ」
パシッ、と。……叩いた手は、痛くないのに信じられないくらい強かった。
「〝大丈夫〟が嬉しかったのでしょう?なら何度でも言うわ。貴方は大丈夫よ。ここに居て良いの。お母様の横で、誰よりも安全な場所でお兄さんが迎えに来るのを待っていれば良いの」
〝大丈夫〟〝良いよ〟〝それで良い〟
欲しかったものを唐突に突き付けられて、言葉を失った。
まるで〝普通〟の子みたいに、それを許されて言葉にされるだけで、本当に欲しかったものが目の前に突き付けられたような気持ちになった。そんなことを当然のように認められて扱われる人生が僕は欲しかったから。…………本当に。本当の本当に欲しかった。
─ 知ってる?僕がここで死んじゃえば君も皆死んじゃうかもしれないんだ。
「強くなくて良いのよ。弱くて良いの。辛いのが嫌なのも、怖いことから逃げるのも、苦しいことを避けるのも、貴方が生まれてから与えられた当然の権利なのだから」
……まるで重く纏わりついた呪いが解かれるようだった。
僕の心を読んだみたいにくれる言葉全部に胸が苦して堪らない。息も心臓も止まりそうなのに、凄く心地よくて痛くて暖かい。
今まで家族以外誰にも認めて貰えなかった全部を、当たり前みたいに言葉で認めてくれたから。
ずっとずっと、それは僕が望んでも手に入らないと思っていた。今だって本当は僕の特殊能力を話さないといけないのに、言えない。「近づくな!」って、憧れの騎士にまであの目で見られるのももう怖くって。
だからその代わり、これから危険になるっていうこの場所から誰よりも僕がいなくならなくちゃならなかった。
できればずっと、ずっと遠くに。母さんが無事なら守れるならどうでも良いし死ぬなら一人で死にたい。……このまま消えちゃいたかった。
母さんにも兄ちゃんにもライラにもこれ以上迷惑をかけたくない。あんなに簡単に人を殺せそうだった、血の色に恐怖も感じなかった僕が怖い。僕はそんな人間で、……ここに居ると自分が本当に臆病者の最低な人でなしだとわかっちゃう。
大好きだった白の団服が、僕が着ていないことを責めるから。
なのにジャンヌは、何度も何度もこんな僕を肯定してくれる。弱いことも弱いままでいたいのも逃げたいことも〝まるで〟悪いことじゃないみたいに言ってくれる。
早く居なくならなくちゃいけないのに、一分一秒でも彼女の言葉を聞いていたくて身体が動かない。もっともっと認めて欲しい。
─ 知ってる?本当は僕は村の人を守らないといけなかったんだ。
「大丈夫、貴方はちゃんと優しい子よ。本当に村の人を殺しても良いくらい憎んでいたら、ここで去ろうとなんてしない筈だもの」
読まれた。
息も止まって、たぶん心臓も血も一回止まった。
心を読む特殊能力とかかもしれないとうっすら思ったけどそれ以上は頭も回らなくて、怖くなる。この子は僕がこんな特殊能力を持っているのに傍に居ようとしてくれてたことが信じられなかった。
なんで逃げないの?なんで逃がしてくれないの?僕は逃げたい、たった今すぐ全部を知っちゃっている君から。
今ここでそれを言われたら、一気に皆があの目で僕を見る。村の人には慣れた視線も、この人達には……騎士には向けられたくない。憧れの詰まったあの人達にそんな目で見られたら生きていられない。
大丈夫と、何度も何度もまた繰り返してくれるジャンヌに僕はもう怯えるしかできない。全部を知ってそれでも駆けつけ引き留めててくれるこの子はもしかしたら人じゃないのかもしれないと思った。
女の子なのに武器を取る姿はおかしい筈なのに格好良い。性別なんて問題じゃないくらいただただ輝いて見えた。…………焦がれた、騎士と同じ輝きだ。
「弱いなら助けを求めれば良いだけよ。何も難しいことじゃないの。貴方達は戦わなくても隠れていても逃げても良いの」
神聖で、眩しくて。眩しく笑んでくれた瞬間だけ「助けて」と叫び出したいくらい全身の身震いが止まらなくなった。
村の人が嫌い大嫌い。兄ちゃんを困らせて母さんを悲しませて僕を責めたみんな嫌い。助けにきてくれなかった助けてくれなかった今だって当たり前みたいに助けを待っていて、狡い。僕だって助けて欲しかった助けに来て欲しかった。
誰もそれを、兄ちゃんと僕にだけ認めてくれなかった良いんだと言ってくれなかった。
母さんを守りきれるなら見捨てられるしどうでも良い。気にしないで笑って流して、村の中を歩くのが急に怖くなって玄関の前で足が震えた時だってあるんだ。今だって僕一人が助けに行こうなんて微塵も思わない、だけど。…………傷つけたいとは、思わない。
人を傷つけることに慣れたくない。慣れるのが、何とも思わなくなるいつかが死ぬほど怖い。
皆、優しかった時もあった。大事にしてくれたことも笑いかけてくれたことも、だから僕だって。
『こんにちわぁベンジャミン、コリン。今日はいい天気だねぇ』
「だって」
欲しかった戻りたかった許されたかった認められたかった当たり前みたいな日常を。
年が近いように見える女の子が、まるでずっと年上の人みたいに凛々しくて、背中に蹲りたいほど強かった。もう逃げることを忘れちゃうくらい、この子の話を聞いていたくなる。
もっと許して欲しい。指先の感覚がなくなるくらい握って頭がくらくらするくらい息も止めて、瞬きする瞬間も惜しい。助けてを求めて良いなんて、弱いままでいいなんて許されちゃいけないと僕は〝知って〟いたのに。
飛び出し視界を埋め尽くした白の影に、一瞬だけこの子が天使に見えた。
助けて助けてと、声に出さなくても伝わってしまう気がするくらい漠然と。
小刻みに震える全身と、目の中が瞬いて吐けた息が火のように熱くて鼓動が大きく血を巡らせた。
膨らむ胸と代わってお腹が引っ張られるみたいに痛くて苦しくて、今までなかったくらい胸の奥の奥の奥がざわついた。
目の周りが引き攣って滲みそうになるのを唾を飲み込んで寸前に堪えた。今までそんなの兄ちゃんの前でも出したことないのにと反射的に我慢した。それでも力なく口が開いちゃって、もう逃げられないくらい囲まれちゃったと気が付くのにも時間が掛かった。
強くならなくてもよくて守られても良くて隠れていても逃げても良い、僕が犠牲になる必要もないその道筋を初めて示された。
そんな夢みたいな世界を僕も生きて良いんだって、いつの間にか忘れてた。
僕は狡くて弱くて卑怯で酷くて自己中心で自分本位で最低な人間な筈なのに
「そんな民を護る為に私達がいるのだから」
それでも、護ってくれる存在。
……それが僕が憧れ続けた騎士の背中だったと。空から降るような感覚と共に思い出した。
Ⅱ392




