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フリージア王国備忘録<第二部>  作者: 天壱
嘲り王女と結合

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Ⅱ485.騎士子息は拒絶した。


「ブラッド!ブラッドお願いやめて!!ライラだけでも連れっ……」

「母さんは伏せてて……!ライラ!僕が隙作ったら一人で外出て!!」

「やだぁあ!!ライラ絶対離れない!!!お母さんとブラ兄といる!!」


……ここ、どこ……?


「やりやがったこのクソガキ!!一体どうなってやがる⁈」

「おいガキは殺すなよ!?特殊能力者一人で村一つ焼いた釣りがくる!!」

「ならテメェがあのヒョロガキ捕まえやがれ!!」

熱くて、赤い。

信じられないくらい視界が真っ赤で、竈の中に閉じ込められたみたいに熱くて堪らない。

早く逃げたいのに、一歩も動けない。そうに決まってる、だって母さんが一歩も動けないんだから。こんな煙ばっか吸って咳き込み過ぎてもう一人で立つこともできなくなっている。なのに今も無理して、無理やり喉から僕に呼びかける。そんな無理しないで欲しいのに。

母さん、身体が悪いのに。

今日は大事な日だからって、3日前からいつもの何倍も身体を大事にして過ごしたのに。ライラも、今日は朝からせっかくおめかしして可愛い格好してくれたのに。母さんに特別だよって化粧してもらった顔も涙でもう台無しだ。


……僕の家、燃えて……?……、……こいつらは……なんで、僕こんな目に


果物ナイフで、腕を裂く。

殆ど同時に痛みが、伏せる母さんの頭上で拡散する。僕の腕と同じ位置にあった喉から男が一人血を噴き出した。僕にとっては腕でも、相手は薄い喉を斬れば簡単に死ぬ。やっと一番どこを狙えば良いかよくわかった。腕や脚や心臓も狙ったけどどこよりずっと簡単に死ぬ。


死ね。死ね、死んじゃえ死んじゃえと何度も念じながら男達の喉に腕を上げてナイフを突き刺し、裂く。

このまま僕の腕ぐらいなら斬り落ちちゃっても良いと思うくらい何度も何度も思い切り。母さん達が死なないで済むならそれでいい。

もう何度も何十度目も裂いたから今は怖くない。ただ鋭い熱さと垂れる温度が周りの火よりも生暖かい。熱を浴びた肌を薄く冷ましていっそどこか気持ち良いような気もする。僕がまだ生きているとこの感覚だけでわかる。


……腕、ぐちゃぐちゃだ。


ライラの泣き顔より、ずっと。

目に入った自分の腕じゃないみたいなそれは、森で獲った獣の肉片とあんまり変わらないと思う。

ああ洗濯しても駄目だなと頭の隅でそんなことを思う。それどころじゃないこともわかってる。

ただただ目の前の奴らを早く殺さなきゃ母さんを助けられないと、それだけの為に照準を合わせて何度も何度も僕は腕を裂く。早く殺さないと家から逃げられない、逃げられないと母さんを連れ出せない。どんどん咳をすることができなくなるくらい蹲って小刻みに肩を揺らす母さんはもう虫の息で、早く外の新鮮な空気を吸わせてあげないと死んじゃう。

村の人も誰も助けに来てくれない。当然だよねだって本当は僕らの家の方が村の人達を護ってあげる立場なんだし僕はずっと村で嫌われている。

あと三人、あと三人と思いながら何度も無我夢中でナイフを振り続ける。振る度に、垂れる血の量が増える度に何か悲鳴がギギギと亀裂みたいな音が聞こえた気がしても無視をする。村の人も建物もどうでも良い、ただ母さんとライラを助けられればそれで


ドガッ。


何が起こったかもわからないくらい、一瞬だった。

腕の痛みよりずっと痛いとわかったのも、燃える床に倒れて動けなくなってから。

腕で首を庇った大男が僕にイノシシみたいに突っ込んできて、避ける暇もなく殴られてそのまま吹っ飛んだ。燃えかけの本棚に背中がぶつかって、殴られた正面の次は背中で息が詰まった。

バタンとうつ伏せに倒れて、一緒に数冊落ちた。僕以外にも男達まで「いてぇ!!」「この馬鹿!!」と叫ぶのが聞こえた。

お腹を殴られた僕の衝撃が拡散したんだなと頭の隅で理解するけど顔を上げられない。意識が薄くて、目の前が大変なのに上手く考えられない。煙の所為か血が足りない所為か殴られた所為かもわからない。床についた頬も、腕も背中も熱いなぁと思いながら這い出ようと思えない。…………疲れたな、となら思う。

再開した中途半端な呼吸で咳き込んだだら口から血が出た。腕よりずっと痛いしまずい味で、ちょっと殴られただけで血を吐くぐらい僕は弱いんだなと改めて思う。騎士の兄ちゃんだったらきっとこうはならなかった。


…………兄ちゃんは、家の一番の自慢だった。

騎士を目指して毎日凄く努力して、……あの女王さら始まって騎士団の悪い噂がこんな山奥まで届くようになっても、それでも騎士になる為に鍛錬も欠かさなくて。最年少で入団も入隊もサクッと決めちゃって。

村の人達の評価なんて関係ないって、自分が騎士になってきっと爺ちゃん達の時代みたいな騎士団に戻して見せるってずっとずっと言ってた兄ちゃんはここにいない。…………今、一番居て欲しいのに。


「見ろ!!テメェの所為でこのガキまで売れる顔じゃなくなった!!」

……ライラ⁈

ガキ、という言葉にやっと目が覚める。

なんでこんな大事な時にぼうっとしていたんだろうと思うくらい、ライラの声が聞こえないことに一気に心臓が倍以上脈打った。

身体がまだ上手く言うことを聞かなくて、ナイフを握っていた方の腕に無理やり力を込めて身体を起こす。一体どれくらい呆けてたのか気を失っていたのかも今はわからない。

ライラ、と乾いた喉で中途半端に叫びながら二人がいた場所を向く。母さんはもう気を失っていたみたいに僕と同じで床に倒れ込んでいて、男達がそこに立っていた。


「あのバケモンを一人でなんとかできてから言いやがれ!!」

一人は僕を指差しながら唾が飛ばして怒鳴る。

もう一人は気を失っている母さんを足先で蹴りながら顔を確認する。「こっちはババアだ」と言いながら、汚い靴で母さんの顎を二度突くように蹴った。もう一人はライラの腕を掴んで、無抵抗な僕の妹が、まるで人形でも持つみたいに膝をついたまま上体が吊り上げられている。僕が殴られて母さんが捕まって、怖い男達三人に囲まれたライラは腕を掴まれ持ち上げられたまま大きく開けた口から




ボロリと歯が数本折れてた。




「ッーーーーっ⁈」

息が止まって一瞬あれだけ熱かった全身から血が引いた。

いつも僕らににこにこ笑顔を見せてくれていたライラが、今は父さん譲りの濃いオレンジ色も見えない白目を向いたまるで別人だった。顔が火で炙られたような火傷と別に、真っ赤に腫れきっていて白目を向いた片方は瞼から大きく腫れていた。小さかった鼻が人目でわかるくらい折れ曲がっている。顎が外れたように力なくがっくり開いて、整っていた白い歯が正面から折れて、抜けて……壊れたくるみ割り人形かと一瞬思う。

口から血なのか涎なのかわからない液体がタラタラ零れていて、人間だとわかればもうライラだった。二つ結びと今日何回も見せびらかしてくれた可愛い服だけが同じだ。


あいつらに、と思えたのは一瞬で。

男達がそれぞれ痛みに押さえている位置と、ライラの顔の位置が一緒だったとみてわかってしまった。

全身の血が気持ち悪く引いて廻って蔓延って。さっきまであんなに吸い上げたかった息が小刻みにしかできなくなった。またやった、また、僕の特殊能力の所為でライラがと、それしか考えられなくなった瞬間に動かない身体がビクビクと痙攣するみたいに震え出した。瞬きの仕方もわからなくなって、眼球が乾いて焼けるくらい見開いている間明滅する視界の向こうで男達がぎゃあぎゃあ責任を擦り付け合う。

文句があるならあのバケモンをお前が後はなんとかしろ、お前が殴ったんだからさっさとふん縛れ、俺はこの女共連れて行くぞと言い合う中、今の内今度こそ殺さなきゃとナイフを握り直し、…………震えて動かなくなる。


もう一度、もう一度この能力で今の内にあいつらを殺して母さん達を取り戻さないとと思うのに、またこの能力でライラだけじゃなく母さんまでと過ったら手が痺れるみたいに動かなくなった。

早く、あいつらが言い合いしている間に、二人が連れていかれちゃうとまず傷の位置を上げる為にガタつく片膝を立てる。

立ち上がるまで力が入らなくて、膝の腕に左腕を乗せて台にする。今度こそあいつらを殺さなきゃと、ナイフを掴む指に必死に力を込めようとする。今の距離なら三人全員殺せる。

やだ、兄ちゃんが来るまえに二人とも攫われる僕も掴まる殺される。

僕もやだしライラと母さんもそんな目にあうのはいやだ!怖い怖い死にたくないライラが怪我してもやだでも死なせるのもやだ殺したいあいつらを早く殺さないとライラが母さんが僕が兄ちゃんはやく助けて父さん父さん兄ちゃん兄ちゃん誰か誰かはやく殺さないとはやくまず全員の足を潰してだけど今の位置だと一緒にライラも一緒に拡散でと時間が迫る中



バキャアッ。って。



「ッッッああッああああ?!あああアアァァアアあああああアああアあああああああああああああああああああああああああああああああああッッ?!?!!!」

また、一瞬。

僕が背中から何かに潰されるのと、殆ど同時に僕以外の悲鳴が同時にたくさん上がった。

僕はただ背中が熱くて、視界の端に火の塊になった本が落ちてきても何が僕を潰しているかわからない。ただ熱くて、熱くて熱くて熱くて熱くて熱くて熱くて熱くて熱くて熱くて熱くて熱くて熱くて熱くて熱くて熱くて熱くて熱くて熱くて熱くて熱くて!!!!!!!

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

熱い、も言えないくらい舌まで攣って声しか出ない。死ぬ。死ぬ、死んじゃう死んじゃうきっと、いまここで。

目の前が赤いのが何かもわからなくて僕に特殊能力者の価値があるなら早く助けてとさっきまで殺したかった男達を真っ白になりかけた視界で見る。

ここにいない兄ちゃんを、一音した叫べない喉で呼ぶ。なんでこんな熱くて熱くて燃えるぐらい熱いのになんで誰も助けてくれないのと痛みに堪えて目を絞り睨みつければ






全部、火の中だった。





「……………………あ、……あ、あ……」

男達も、母さんもライラも皆。

ぎゃあああああああ!!!って男達が〝全身に〟必死に燃え纏う火を払おうとするけれどその間もぐんぐん火が奴らを焼いていく。

よく、わからない。だけど僕の背の位置だけじゃない。拡散が背中より下の床にも、僕より上の位置にいる男達も壁も棚も天井も全部を一瞬で火に変えた。

転手で叩いていくらか消せても、まるで呪いみたいに僕の丸めた背中が燃えるのと同じ位置だけ火に覆われたまままた消えない。水、水、と叫ぶ中もう家にそんなもの零れて割れてあるわけがない。それにたぶん、……僕の背中が消えない限りまた燃える。


気を失っていたライラも、吊り上げられた腕を放り放されたのか今は力なく床に転がっている。小さな足からスカートまで燃える火がじわじわと身体まで襲っているのにライラは目を覚まさない。ただただ無抵抗に燃えてまるで蛇に飲まれるみたいに妹が頭の先まで火に覆われた。

倒れていた母さんも、見た時にはもう全身が火の塊だった。母さんの影なのか母さん本人なのかもわからない姿を乾ききった眼球で見る。

炭みたいな男達がごろごろ転がって、何度か勢いのまま近くにいる母さんやライラを潰して蹴った。転がって僕の背中と同じ位置になった途端、男達も余計酷く燃え出して新しい悲鳴が汚く重なった。一番に炭になりそうなくらい身体全部が火に包まれている二人は、水を求めるどころか転がることすらできない。

目の前の光景が信じられなくて、ナイフも手放し手を伸ばすけど届かない。ライラ、母さん、と呼んだけど干上がった喉と震える舌で音にならなかった。

だんだん転がっていた男達も動かなくなってきた頃には、自分の背中の熱さなんてわからなくなった。息もできなくて、心臓が一回止まってまた動くと今度は血だらけの左と無事な右を両腕バタバタ動かして動かない両足もバタつかせてわけもわからず藻掻く。


「あッ…………ああああああああーーーーーーーーーーーーあああああああーーーーーーーーーーあーーーーーーーーーーーーーああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」

熱い、熱いけど、今は目の前の方が痛くて熱い。

自分が何を言っているのかもわからない。なにを言いたいのかもわからない。嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だと目の前の光景を拒絶する。

頭は嘘だと叫ぶのに全身の毛が逆立って、こんなに熱いのに寒い。自分が人間かも化物かもわからないままただ母さんとライラの火を消したくて助けたくて手足をなんでも良いから動かす。僕の声で今すぐにでも二人が目を覚ましてくれれば、兄ちゃんがかけつけてくれたらと願って叫ぶ。


変な、油の乗った煙の色と匂いに吐きそうになる。

はやく僕の背中から火を消さないと、いつまでたっても二人の火も消えない。手の届かない先でいつまでたっても誰の火も消えない。

左手から血が噴き出して目にかかっても、蒼くなっても右手の骨が軋んでも構わず暴れ続けるとその度に火の固まりになった本が僕の眼前に落ちて来た。顔や頭が焼けて、その度に両手をばたつかせて振り払いながら少しずつ背中の重みが減ってくるのに気が付く。

背中を潰していたのが本棚だったとやっとわかって、必死に棚の中の本を落とす為に左右に暴れる。バタバタと本が何冊も落ちてきて、何度も読み飽きたくらい読んだ本も、兄ちゃんがお気に入りだった本も、父さんが大事にしてた本も全部が全部火の玉だった。このまま火に囲まれて死ぬかもと思った時、やっと重さが減った本棚が斜めに傾いた。


丸めて潰された背中のまま、思い切り床を蹴って傾いた背中から本棚の下を抜け出した。

ガタン、と本棚がぺったり倒れきる音を聞こえる。背中から転がれば僕の火は簡単に消えた。そのまま四つ這いで母さんとライラ方へ急ぐ。途中で左手が僕の体重すら支えきれなくて転びやすくなったから右手と両膝だけで進んだ。

二人の火をどうやって消せば良いかもわからなくてとにかく手ではたくしかないかなと振り上げて、……止まった。


もう死んじゃっている、と。溶け焦げた顔でわかっちゃった。


特に母さんはもう顔がわからないくらい丸焦げで、兄ちゃんと同じ黄色の髪もいまは殆ど炭だった。細い腕が片方だけ伸びていて、……僕がいた本棚の方だった。

母さんには見えなかったところに倒れていたライラは、顔や肌が溶けて火の向こうでうっすら肉が見えた。その姿を見た瞬間今度こそ喉の奥からせり出して胃の中全部吐き出した。

ライラにも母さんにもかからないように身体を捩じったらちょうと男達の上だった。こっちも醜い火の固まりで、ジュッという音と一緒にまた嫌な煙が上がった。


「っ…………だれ、か………っ、…………だれか、たすっ助け……」

助けて。

もう目の前の全部が現実か悪夢かもわからない。どうして僕だけ生きているのかもわからなくて、このまま死んじゃいたい気がするのに死ぬのが怖くてどうやって逃げれば良いのかもライラ達をどうすれば良いのかもわからない。

ぼとっ、て今度は目から水がでた。こんな量じゃ二人の火も消せない。

バキャリとまた何か崩れる音がして、今度こそ潰れて死ぬのかなと思いながら振り返る。今この瞬間に兄ちゃんが助けに飛び込んでこないかなと一瞬だけ真昼の夢を見る。誰もいない窓の向こうの景色が目に入る。窓枠がビキビキと亀裂をつくってそろそろ駄目だと思う。



『午後には帰るから。ブラッド、母さんとライラを頼んだぞ』



「……にいちゃ……。にい、ちゃっ…………兄ちゃ」

助けて、助けて、助けて。

自分でもわからない衝動のまま、炭の固まりのライラだけでもそのまま抱き締める。火の固まりだった妹が助からないとわかっているのに、はやく冷ましてあげたくて死んじゃってるのに早く〝助けて〟あげたくて抱き上げる。

腕が痛いのが焼けるのが火なのかナイフの傷かもどうでもいい。母さんは運べないけれど僕の細腕でもライラならなんとか運べる。

外に出れば誰か助けて、兄ちゃんが助けに来てくれると思考のまま母さんを置いて家を飛び出した。外の空気は乾いていて、また見るのも嫌だった火が嫌でも視界に入った。僕らの家以外も全部が焼けている。高い高い屋根も、ずっと向こうに見える山の木々も丸ごと全部。

手の中の妹から煙が上がる。今日やっと十歳になれたライラはまるで中身が入っていないみたいに軽かった。

目から水が零れて視界も悪い中、誰かと足りない声で呼びながら見回せば……家の傍に一人いた。



「…………兄ちゃん?」



かたん、と膝からその瞬間崩れそうになった。

家を出てほんの数歩先。ばたりと倒れた燃え焦げた人。今朝、城下へ買い物へ出かけた時と同じ団服を着た人がそこに居た。まだ顔も見てないのに、その服と背格好に一目で兄ちゃんだと思えた。

変な匂いがするライラを抱き締めたまま、ふらふらと力も入らなくなる足で歩み寄る。顔が変に引き攣ったまま今も燃え上がる炎に飲まれた人の前で、今度こそもう動けないくらい崩れ落ちた。

やっぱりそれは、兄ちゃんだった。無抵抗に燃えて、動かない。母さん譲りの黄色の髪も焦げて黒い。全身が焼けていて、変な匂いがする。

僕はライラを抱きかかえた手だけが硬直して、動かない。兄ちゃんの火を消すことすらできずにただそれを見る。消したくても水も、何も僕にはない。

ただ穴が開くほど変わり果てた兄ちゃんを見れば、気付いちゃいけないことに気が付いた。全身が火に食べられている兄ちゃんは一番酷く焼け焦げているのが、ライラと同じ足だった。

あの男達とも同じ、足。

兄ちゃんが倒れていた場所は火事になったどことも離れていて、傍に火を受けるような瓦礫も何もないと確認すれば這いずったような後があった。ここから五メートルは離れた位置まで続いていたけれど、元居たのだろうそこにも火種になるようなものはないし男達の仲間だっていない。男達の仲間の死体はもっと向こうだ。…………這いずり始めた場所にはただ、箱が転がっていただけ。


「…………ライラ。ライラ、ねぇ、兄ちゃんが」


何で口が動くのかもわからない。

何が言いたいのかどうして死んでる妹に語り掛けているのかもわからない。右腕に妹の亡骸を抱え、力の入らない足を地面に擦らせ、兄ちゃんがそうしてくれたように這いずるようにしてそこへと進む。血が垂れた左腕を肘ごとついて、少しでも早くその箱へと腕を伸ばす。ぼとぼとと手や地面に水の痕が続いて雨が降ったかと何度も空を見上げたけれど僕だけだった。

ずる、ずる、と焼けた膝を擦りながら悲鳴も聞こえない村で煙と火に囲まれながら箱へと辿り着く。

地面に放り出された箱は燃えたまま真横に倒れていたけれどライラが喜びそうな可愛い色のリボンの炭がついていて、爛れた指でそれを解く。向きを変える余裕もなくて、そのまま蓋を横にずらす形で開ければぐちゃぐちゃのケーキがあった。拡散の炎から箱がケーキを守ってくれた。ゴロゴロと新鮮な果物が蓋まで零れ転がっていた。

母さんも、僕も家に引きこもって、一人支えてくれた兄ちゃんがそれでもはたいて買ってくれたケーキはたくさんの果物が乗っていた。一年に一度の我儘くらい聞いてやると、新兵の頃も兄ちゃんは毎年僕らの誕生日には母さん以上に無理をした。


「ライラ。…………見てよ、すごく……っ……美味しそ、…………」


真っ白なクリームが果物を潰して飲み込んで、スポンジごと崩れて元がどんな形かも想像できない。だけど、何種類かも一目じゃわからない大きなケーキは赤以外の色が全部空より輝いて見えた。

全身が震えて、胸が痛くて寒い。鼓動の音が信じられないくらい遅くて重かった。

今年はライラの十歳の誕生日だからと、兄ちゃんがすっごく良いケーキを用意してくれていた。


はは……と枯れた笑いの後に、口が不出来に笑おうと引き上がっているのに気が付いた。腕の中で何も言えない妹はもう目が閉じているか開いているかもわからない。僕ももう視界が滲み過ぎてケーキも何も見えない。

ライラに誕生日おめでとうも、母さんと歌も、兄ちゃんにありがとうも言えない。……ただ、腕の中で変わり果てた妹と誰よりも優しい母さんと、格好良かった兄ちゃんは僕の所為で死んだって。





「…………生まれてこなけりゃ良かった」





それだけは、間違いないんだと。

雨が降り始めるまで、ただ焼けていく兄ちゃんと白く溶けるケーキの匂いと一緒に思い知らされ続けた。










…………










「…………ふわぁ……、……まだ眠いなぁ……」


庭で服を干しながら大きく伸びをする。

ぐーっと思いきって両手を空に上げてみれば、ちょっとだけ目が覚めた。

昨日は今日に備えていつもより早く寝たのに、まだ眠い。今朝夢見が悪かったのかなと思う。どんな夢かどころか夢を見たかどうかも全然覚えていないけど、息も苦しいくらい辛くて目が覚めても暫く涙が止まらなくて大変だった。


「やだなぁ……せっかくのライラの誕生日なのに」

最後の一枚を干した後、がっくりと肩を落とす。

やっぱり考えないようにしてても色々考えちゃったのかなと考える。

毎年この日になると、ライラに嫌な重いをさせないか心配で落ち着かない。しかも今年は離れて城下の学校というところに暮らしているライラに久しぶりに会えるから。


ライラは良い子だし可愛いしきっと友達もできると思うけど、やっぱりいろいろ聞きたいし聞いてあげたいなぁと思う。最近はずっと僕も兄ちゃんの話ばっかりに夢中だったし、今日は僕らがライラの話を聞く番だ。

学校の話とかきっと話してくれることもいろいろある。僕も学校については気になるし聞いてみたい。せっかくのフリージア王国独自の初機関って兄ちゃんも言っていた。

ライラの誕生日。今年で十回目になるその日を口にしたらちょっとだけ気持ちが浮き上がった。久々にライラにも兄ちゃんにも会えると思うと、ちょっと鼻歌が零れた。はやく二人に会いたい。



ブラッド・ゲイル。

兄と共に正当な血統を継ぐべく生まれた僕の名だ。



先祖代々継ぐ騎士の家系。

騎士として栄えある城に務め、村で騎士の子をつくり、そして騎士の務めを終えれば村に戻り、元騎士として山奥の村を護る。そんな家が僕は







すっっっっごく嫌だった。






父さんやじいちゃんや先祖みたいに生きたくないって本気で思った。

……兄ちゃんと違って。


Ⅱ238-1

Ⅱ407-2

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