そして連れ出す。
「僕……自分の、事情をご存じになったからですか?女王付き近衛騎士となれば確かにそれなりの報酬もあるでしょうが、そのような人選では」
「あ、いえ。推薦したのは極秘視察が始まるずっと前です」
確かめますか?と、ノーマンの言葉を迷わず切ったアーサーは再び指笛をしようと構え出す。
まさかまた第一王子に「前の話だよな?」と一言確認の為に呼びつけようとしているのかと、ノーマンは青い顔で慌てて「結構です‼︎」と断った。アーサーが駆け引きをするような人間ではないと考えれば、今の言葉だけで充分証明される。
口元へ運ぼうとするアーサーの指を手ごと叩き下ろし、ぺしりと軽い音が響いた。上官に手を挙げるなどと過ったが、今は非常識過ぎるアーサーの行動への焦りの方が大きかった。
アーサー自身、ステイルをこんな風に呼びつけることが非常識なのもわかっている上それなりに気も引ける。ステイルが友人だと知られていなければ、自室とはいえこんな気軽にもできなかったことだ。
アーサーの発言を頭の中で整理しながらノーマンは考える。
女王付き近衛騎士がどのような業務か具体的にはわからない。しかし近衛騎士の業務ならばある程度把握している。
プライドの傍を常に守るように、つまりは女王の傍に立ち護衛する立場の騎士だ。そして当然特別任務と役職を与えられたのであれば、報奨という形で金銭も発生すると考えられる。てっきり家丸ごと焼けた自分の家の金銭的事情を考えて人の良いアーサーが推薦したのかと考えた。
しかし違った。極秘視察が始まる前では、自分の家族が村に住んでいる詳細すらアーサーは知らない。ライラが学校に入学することが決まるまで話したこともなかったのだから。
「ステイル様から以前に候補者はいないかと尋ねられて。自分はノーマンさんならと思って候補に挙げさせて頂きました。勿論拒否権もあ」
「ッ他にも適任はいる筈です。何故よりにもよってアーサー隊長が僕を推薦されたのか、理解に苦しみます」
「ノーマンさんが正しさを選べる人だからです」
戸惑いのままに再び自身を卑下し尋ねるノーマンに、アーサーの答えはまた早かった。自分の話を途中で上塗られたことも気にしない。当時候補に挙げた時から決まっていた理由は当然のことのように言いきられた。
ノーマンは思わず口を閉じて息を呑む。黙したまま目だけを大きく見開き、全身内側から震えるような感覚に一瞬理解よりも先にまた込み上げた。
遅れてどういう意味かと考えれば今度は目尻からじわりと熱がくる。一度緩みきったままの涙腺に口の中を噛み、息を止めたまま言葉も話せずアーサーの続きを待つ。饒舌な口が今は使い物にならない。
黙するノーマンを見つめながら、まだ言葉足らずだろうと理解するアーサーはゆっくりと口を開いた。
「ノーマンさんは自分にも他の騎士にもすげぇキツいっすけど、それは全部やっぱすげぇ正論で。そんなノーマンさんだからこそ、国の為に正しく在る女王の傍も相応しいと考えました」
『因みに、御意見は』
女王の役職は理解していても、その深奥までは騎士であるアーサーにも理解が及ばない部分は大きい。
ステイルから提案を聞いた時、自分だけでなく他の近衛騎士もすぐには挙げられなかった。深層まで知らずとも女王という立場の大きさは誰もが理解している。
他の先輩達がそれぞれ女王を〝守る〟に適した人材を上げていく中でアーサーが浮かべたのは〝女王〟に相応しい人材だった。
アーサーにとって、騎士団の誰を選んでも任命されたら間違いなく命を懸けて女王を護ってくれることは大前提。全員がアーサーにとっては信頼できる憧れの騎士なのだから。
そして今でこそプライドの存在により騎士からの支持も人気も高い王族だが、プライド抜きであればもともと騎士と王族との関係は好意よりも主従が強い。慕うではなく、たた従い守り準じるのみ。
「ノーマンさんが、……正しいことを絶対貫こうとするノーマンさんになら安心して陛下をお任せできますし」
自分も、そしてノーマンを知る騎士も全員が女王のことも信頼できる気がする。
まるで女王をノーマンに評価させるような言葉になってしまうそれを、アーサーは胸の中だけで止め飲み込んだ。今口にした分でも、双方に対して畏れ多いことだとわかっている。
ただ誰に対しても正しく在ろうとする騎士で、立場の同じ相手だけでなく自分や他の隊長格にも物怖じせず切り込むのは少なくとも誰にでもはできない。
度を越して失言に近い言葉を放つ時もあるが、騎士団長と副団長であるロデリックとクラークには改まってもいる。何よりノーマン自身が言葉でいくら相手を叩く性格ではあっても、それは全て〝正論〟だ。
ロデリック達に対してと同様に、相手が間違った言動さえしなければ失言も何もない。隊長格である自分やアランには容赦ない発言をしても、同じ隊長格のカラムには何もない。
だからこそ国の頂として正しく在る存在そのものである女王に、自分の知る限り最も相応しいのがノーマンだった。
いくら言葉を選ばずともただただノーマンが正しく在ろうとしていることは、アーサーが一番よく知っていた。
口の中を噛み、黙して堪えるノーマンは眼光だけ厳しくなるままに拳を握った。指先が白くなるほど強く握り続ければ肩まで震えた。首を引っ掻きたい欲求に耐え、呼吸が静かに反して荒くなる。胸が苦しく視界が狭く、眩しい。一度噛みきった後の口の中を飲み込み、胸が膨らむほど吸い上げ、……整えた。
「それは、つまり。女王陛下が王族として間違っていると判断すれば首を斬られる覚悟で逆らえもしくは指摘しろという意味でしょうか」
「!!いえッそうじゃなくて!!」
「仰りたいことはわかりますが、近衛騎士の本分は護衛ではありませんでしょうか。女王の補佐には摂政が居られ、そして王配殿下と宰相に上層部もいらっしゃいます。それなのに今のアーサー隊長の発言ではまるで騎士が女王への行いをも窘めろと仰っているように聞こえます。明らかに騎士の範囲を超えています。それとも自分ならば女王相手にも容赦なくアーサー隊長達へと同様に発言を頼まずともするだろうからという意味でしょうか。大体女王を見定めるような行為を一介の騎士に任せるのはどうかと」
そして今も。
もっと言い方があるだろうと後から後悔することもわかった上でそれでも言ってしまう。
アーサーが自分に気遣って言葉を選んでくれていたこともわかった上で、それでもつらつらと思ったまま口に出る。言い訳をしようとするにもその隙も与えず連撃を注ぐノーマンに、アーサーは途中から「あっ」「う゛」と言葉にもならなくなる。
間違いなく、ノーマンの言っていることはやはり正論だ。言い訳でもなく本気で自分なりに考えた結果の餞別を本人に論破されてしまい、顔がじわりと赤らむほどアーサーは熱が入る。
しかし目の前で辛口を吐くノーマンからいつものように取り繕いも違和感もない表情が見えれば、それにはほっとした。
「それに女王に、と仰りましたがそれでは今後プライド様が王位継承された場合僕にはどうしろと仰るつもりでしょうか。まさかご自分は降りて僕に女王となったプライド様の近衛を譲られるおつもりとでも」
「ッいえそれは死んでも譲りませんけど!!」
さっきまで押されていたアーサーが、聞き捨てならない可能性にそこだけははっきりと声を響かせた。
予想よりも遥かに凄まじい勢いで両断され、一度ノーマンの言葉が止まった。ぴたりと口を閉じた状態で止まるノーマンにアーサーも次の瞬間には「すみません」とつい謝る。
直後にはこうやって謝るのも怒られると気付きながらもまた謝ってしまったことに同じ台詞で謝罪してしまう。汗で濡れた前噛みを掻きあげ、目が短く泳ぐ。唇を絞り、再び水色の瞳へ恐る恐る合わせてもまた足元に落として俯いてしまう。
「勿論、拒否権はあります。まだ騎士団長にも正式には話も降りていません。もし、今ノーマンさんが……、……本当に退任されちまっても。そういう問題は何もあり」
「わかりましたやります」
「ませ……、…………へ?……」
えっ、はい?と。間の抜けたアーサーの声は一つではとどまらなかった。
ノーマンが騎士を退任しても、現段階ならば騎士団には迷惑がかからない。拒否権もあると、せっかくノーマンを引き留める機会であるにも関わらずあくまで事実を正直に告げようとしたが、ノーマンが退任しても問題ないと言葉の綾でも言うのが嫌だった。腹の奥が重く沈むような感覚と戦いながら口を無理やり動かしている最中だったせいで、結果ノーマンへの反応が遅れてしまった。
聞き返す為の一音二音が口から洩れるしかないアーサーは、目が水晶のように丸くなった。
鼻を一度啜ったノーマンは、中指で丸縁の眼鏡を押さえつけながらアーサーを睨む。眉間に皺を刻みながらの険しくもみえる表情の彼は、一度開いた口を素早く今は閉じたままだった。
さっきまで俯いていたアーサーは顔を上げても、今聞こえた気がする発言が本当にノーマンのものかもわからない。今も言い直すことなく、いつもの厳しい眼差しで自分を見上げてくる。何度瞬きを繰り返しても、そのノーマンの表情が険しいまま変わらないのに何故かそこからじわじわと違和感が濃くなってくるだけだった。
耳が悪い筈がないアーサーは、心臓の方がさっきよりも動悸を速めていくのを自覚しながらゆっくりと口から息を吸い上げた。
「あの、……今ノーマンさんなんて言いました……?」
「やりますと言ったんです。何故聞こえていたのに二度も言わせるのですか」
「!あッそれじゃあ、えっとつまり騎士団辞めるってのは……?」
「ッ敢えて確認の必要はないと思いますが⁈騎士を辞めて近衛になれるわけがありません、やれば良いのでしょうやれば。どうせアーサー隊長にそこまで言われてこの僕に拒否権などありませんし???」
いえありますけど……と、つい押される反射に正直に返されたが、ノーマンは聞かなかったことにした。自分の言ってる拒否権とアーサーの言ってる拒否権では意味が違う。
アーサーの目にはっきりわかるほど必死に取り繕った表情で眉を吊り上げ睨みながら必死に堪える。これ以上その話題には触れたくないと言わんばかりに声の棘を強めて捲し立てる。
「言っておきますが誓って金銭の為でもなければ権威の為でも当然貴方の為でもありませんので!!」
「?わかってます」
誤解がないように断るノーマンに、アーサーは丸い目で返した。
ノーマンがそういうものに目が眩む人間だなど最初から思っていない。金銭だけで言えば、そもそも騎士を辞めるなど言うわけもない。騎士以上に稼げる仕事などそう簡単にはないのだから。
そして当然、自分の為程度でそんな大事な決意をひっくり返してくれるわけもないと考える。
アーサー自身、あまりに急過ぎて何故思いとどまってくれたのかわからない。ノーマンの表情に変わらず違和感こそ気づくが、その言葉自体には絶対嘘がないと無条件にアーサーは信じる。理由は知りたいが、今はノーマンが騎士でいてくれるという事実だけでそれ以上を求めるのは贅沢に感じた。
厳しい目で睨み上げる自分に対し、きょとんとした顔で当然のように返してくるアーサーにむぎゅぅぅとノーマンは表情筋全てに力を込めた。わかってると言われても、自分の方がまだ信用できない。
今の自分の説明不足のままな撤回の流れでどうしてそんなにあっさり信じられるのかと心で叫ぶ。誰がどう聞いても自分が女王近衛の任に釣られて撤回したと思われて当然なのに。もしくは自分が尊敬しているとアーサー自身が知っているだろう今ならば、尊敬する相手にここまで引き留められて褒めちぎられてそれで折れたと思われるのが当然だと自意識過剰な人間でなくても
「そういう人じゃないところも尊敬してますから」
「ーーーーーーーーーーっっ!!」
あまりに当然の口調で続けられた言葉に、限界まで見開いたノーマンの目に大粒がまた溢れた。
腕ごと肩に力が入り息だけ詰まる中で発熱したように顔から全身まで熱いのが、嬉しいのか悲しいのか怒っているのか恥ずかしいのか悔しいのか自分でも感情が混ざってわからない。
奥歯を食い縛ったまま明らかに表情が隠せず変わった自分の顔を真正面から両目で見てくるアーサーに一瞬だけ腹立たしさが勝った。直後には「もう良いです!!!」と自分でもわからない裏返った声で叫んでしまう。
ここまで引き留めてくれた分際で、自分がどれだけ尊敬しているかも憧れていたかもこの人はまだきちんとは理解できていないのだと確信する。今も、自分が拒絶を叫んだにも関わらず「でも良かったです」「考え直して下さってありがとうございます」「すみませんでした」と温かみのある声を掛けてくる。
涙目になってしまっているのを直視されているのが嫌で、顔ごと背けて眼鏡を外して目を擦っている間に「ありがとうございます!」と今度は深々頭まで下げてきた。部下である自分に。
いつものようにノーマンの頭の中では「何故隊長が僕に感謝を言うのですか」から、頭を下げるべきでないと、引き留めてもらったのは自分だと、むしろ迷惑をかけた自分が謝るべきだと、そもそも何故自分一人を引き留める為なんかに王子を呼び出すのかと言ってやりたいことがいくつも浮かぶ。発言を我慢すればアーサーでなくても誰でもわかるような痙攣した無理のある表情でヒクついた。
「あ!じゃあ飯行きますか⁈すみません、大分時間を食わせちまって」
そう言いながら、目に見えて嬉しそうな安心した笑顔を自分に向けてくる。
騎士のくせに何度も泣き顔を晒してしまった自分のことを気付いてすらいないように、燥いでいるようにも聞こえる明るい声で扉を開けられる。時間を食わせたのは自分だと、言いたくて噛み締めた顎が震えたが今は涙をもう一度抑え込むのに集中することで精いっぱいだった。
目が腫れるほどに強く手の甲で擦りながらアーサーの背中に促されるまま続く。まるで自分があやされた子どもじゃないかと考えるが、顔を上げるとさっきまでの表情が嘘のように満面の笑みのアーサーに睨むのも今は難しくなった。
ノーマン自身、本当に金銭や近衛騎士という役割に胸を奪われたわけではない。
家の経済状況を考えれば騎士を続けるべきだとわかっていた。むしろ騎士を辞めれば家族に苦労を余計に掛けることになる。金銭の為と今回の責任を考えるのなら、次の任務でわざと殉職した方が早い。
女王付き近衛騎士も、誉れ高く目が眩む称号で今も本当にそんなことになるのかと考えれば緊張で胸が酷く収縮した。今回のような間違いを犯す前にも任命前に騎士を辞めるべきじゃないかと逆に背中を押された部分もあった。第一王子であるステイル相手にすら上手く言葉も出なかった自分なんかと。
「朝食まだ間に合いますかね?ノーマンさん腹減ってませんか?あ!あともう一つご相談したいことも」
「…………失礼ですが、今はこっちを見ないで頂けませんか」
すみません!と相も変わらずまた謝ってくるアーサーに口を結びながら、ノーマンはまた鼻を啜った。
『ノーマンさんが正しさを選べる人だからです』
新たに定まった、たった一つの野望を胸に。
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