Ⅱ479.騎士は戸惑い、
「ッいやちょっと待って下さい‼︎意味わかんねぇですよ!ンでそォいう話になるンすか⁈」
「意味も話も言葉の通りです。早朝演習には参加しましたが、この後は荷物を纏めますので本演習は……」
いやいやいやいやいや!!と、狼狽する自分に反して落ち着いた口調で告げるノーマンにアーサーは途中で上塗り激しく首を横に振った。本気で訳が分からない。
ノーマンが冗談を言うような人間ではないと知っているからこそ余計に混乱した。差し出された書状も両手を開いたまま断固受け取らない。
何故、どうしてそんなことを急に言われたのか悪い冗談と思いたくても思えない。蒼の目を白黒させるアーサーに、ノーマンは眼鏡の丸縁を無意味に位置を直しながら「騎士団長には相談済みです」と言葉を続けた。その途端、落ち着いた表情を見せるノーマンから緊張を隠す取り繕いがはっきりアーサーにはわかった。
表面上は落ち着いているが、ノーマンも平気で言っているわけでもないと理解する。しかし、騎士団長に報告済と話が予想以上に先に進まされていたことにそれ以上深く思考する余裕もなかった。
なんで、もう辞めるまで決まったのか、聞いてねぇのに、と脳内で言いたい言葉が一瞬で溢れすぎて選べないアーサーにノーマンは言葉を続ける。
「騎士団長には辞職よりも前に休みを取って考えるように言われましたが、やはり今回の責任を取って辞するべきだと判断しました。先に隊長にご報告させて頂きましたが、僕から騎士団長にも報告は済ませますのでお気になさらず」
「だァから先ず責任ってなンすか?!!ノーマンさん別に何もやらかしてねぇでしょう?!!」
まだ辞職決定までは伝えていないらしいことに安堵しつつ、それでも落ち着かない。
意思表明の書状を一度懐に引っ込めてくれたが、あまりに淡々と話を勧めようとする部下にアーサーも言葉が荒くなりかける。怒鳴るに近い声の直後、ノーマンが少し眉を顰めたがそれが自分の声かそれとも質問への反応かもわからない。続いて苦々しい顔を自分に向けてこられれば思わずアーサーの方が怯んだ。
ぐっ、と口を一度絞りながら背をわずかに反らす。いっそ自分へ不満を持って辞職だったら納得もできるしそれなりに引き留め方も定まると思いながら返事を待つ。
いつの間にか降ろした両手が拳になっていたノーマンは、一度指先に食い込むほど力を込めてからゆっくり口を開いた。
「……潜入視察と知らなかったとはいえ、プライド第一王女殿下並びにステイル第一王子殿下への不敬。プライド様の命令にも速やかに準じることができずハリソン副隊長のお手を煩わせ何より今回の村襲撃では実の弟であるブラッドが騎士団に多大な迷惑をかけました。一歩間違えれば弟が村人や騎士をも巻き込む甚大な被害を引き起こしていたことも、それを防ぐべくプライド様が自ら危険に身を晒して危険地帯に赴かれる事態になったことも存じています。幸いにも未遂で済み、弟にそのつもりはありませんでしたが関係者としてこのまま騎士団にいるわけにはいきません。多大な誤解と在らぬ疑いで失言をしてしまったことに関しては騎士団を去ることを認められた後にアラン隊長とエリック副隊長へ改めて謝罪します。アーサー隊長には特にご迷惑をおかけしました」
申し訳ありませんでした。と、規則正しく頭を下げるノーマンに今度はアーサーの顔が顰まった。何を言っているのかわかるがわからない。「なに言ってンだこの人」とさえ思う。
先ずプライドとステイルへの不敬、となれば初日にエリックやアランへの悪口を言ったアレかと想像はできたが、プライドとステイルへ直接には関わっていない上そこまで不敬とは思わない。その後にライラを通して二人がノーマンと関わった時もプライドもステイルも悪いことは何も言われなかったと話していた。
それとも真面目なノーマンなら単純に王族として関わらなかったこと自体を不敬と思っているのかとも考えたが、正体を隠していたのは二人の方だ。少なくともノーマンの辞職までプライドは勿論のことステイルも望んでいない。
村襲撃とブラッドの件を上げられても納得できない。野盗が村を狙ったのはブラッドの所為ではなく、そして予知されたブラッドの暴走も彼の故意ではない。それを本人ですらない身内が責任を取って騎士団を辞めるというのはあまりに飛躍し過ぎている。
「そんなの意味ありませんから……。っつーか寧ろ迷惑かけたと思うなら辞めねぇで騎士団に居て下さいよ」
あまりに納得できない理由ばかりに最初より頭が冷えたアーサーが引き気味に口を動かす。
ここで騎士団をノーマンが辞めたからといって首を捻る騎士はいても、「当然の報い」と思う騎士はどこにもいないと断言できる。自分にも他者にも厳しいハリソンでさえノーマンに咎めはなく、何より騎士団長と副団長からも罰を彼は受けていない。
ノーマンの言う騎士団長に休みを取れと言われたも本気でその通りだとアーサーも今思う。
あんな襲撃事件に続き家族とブラッドの問題も抱えているノーマンは今まで一度も規定以上の休みをとっていない。いっそここで殴って気絶させて救護棟に運ぶべきなんじゃないかともこんがらがった頭で考える。それくらいにノーマンの言い分が納得できない。
しかしアーサーの言葉にも「いいえ」と首を振るノーマンの意思は変わらない。むしろ、さっきよりも確固たる意思になっているとアーサーは取り繕いのなくなったその顔を見て気付いた。
「これ以上騎士としての恥を晒せません。このまま騎士団に所属しても恥を上塗るだけです」
「ですから恥も何も……。頼みますからもう少し落ち着いて考え直して下さい。ノーマンさんのことをどうと思っている騎士なんかいませんよ」
「ええそうですね。僕、……自分、は所詮未熟者で枠から外れた落ちぶれ騎士ですから。誰も自分のことなどなんとも思わないでしょう。別に居なくなったからといって何も問題はありませんからご心配なく」
「いやそういう意味じゃねぇですって!!!!未熟も外れも落ちぶれも誰も言ってねぇでしょう?!」
「言われなくてもわかります」
全然わかってねぇ!!!!となんでも間髪入れず返してくるノーマンに心の中でアーサーは叫ぶ。
行き場のない両手を浮かせ全指の第二第一関節まで力が入りながら絶句する。正論しか言わないノーマンが、それを正論と思っていることに言葉が出ない。せめて誰かに言われたとか返されれば別の思考にもなったが、アーサーの思った通り誰もノーマンを責めていない。にも関わらず一人で勝手に自分を中傷し自虐するノーマンに拳を握りたくなる。取り繕いのない顔が余計に腹立たしい。
あまりの状況にわなわなと身体を震わしながら見返してくるアーサーに、ノーマンは睨み返すような表情で落ち着き払う。
アーサーが反論できないだけだと思い込むまま「以上です」と締めくくり、もう一度頭を下げ背中を向けた。午前の演習にも参加するつもりのないノーマンは早速騎士団長室へ向かおうと考える。あとは荷物を纏め、団服を返し出ていくだけだ。
自分の背中へ向けて「待ってください!」「まだ話終わってません!!」「自分は納得できません!」と大声を上げ荒れ乱れるアーサーに、それくらい普段も隊員を叱る際に怒鳴りつけていれば良かったのにと思
「ッッガキん頃から努力してやっと騎士になったンじゃねぇんすか!!!?」
ピタリ、と。
火を吐くように叫ぶアーサーの怒声にそこでノーマンの足が突如止まった。
歩くべく前に浮かせていた足が地面に着くことなく固まり、さっきまでの思考も停止した。
背後ではアーサーが肩で息を乱している。渾身の声で張り上げた叫びに腹の底までの息を吐き出した直後だ。
ノーマンが足を止めてくれたことに安堵しつつ、それ以上に腹立たしさと不満が強い。どうしてそんな意味もわからない理由でノーマンが去ろうとするのかと歯を剥く。
背中を向けたまま十歩以上遠ざかってしまったノーマンを、その場に佇んだまま吊り上げた目で睨みつける。
過去にノーマン本人から聞いた話を引き合いに出して叫んだが、口にした途端余計に腹立たしさが増してしまう。当時自分に話してくれたことは嘘だったのかと、挑発めいた言葉まで言いたくなる。
歯を食い縛り、立ち止まったノーマンからの返事を待つ。すると、自分のではないギリッという食い縛る音が耳をかすめた。そしてこの場には今自分とノーマンしかいない。
更にぷるぷるとノーマンの背中が小刻みに震えるのにも気づき、僅かに自分の肩から力を抜く。何かしら今度こそノーマンに話が通じたのかと思った矢先、勢いよくノーマンが振り返って来た。
見慣れた筈の水色の瞳を、初めて見せる大粒に潤ませて。
「ッ〝やっと〟じゃないとなれなかったんですよ!!!!」
今まで聞いたどのノーマンの声よりも響く大声だった。
形相を変えて自分を鋭く睨み荒げるノーマンに、アーサーも一気に目が丸くなる。また言葉の意図がわからない言い返しをされた上、何よりここで涙目になられるのがわからない。
吊り上げた目に涙を溜めたノーマンを泣かせたのは間違いなく自分だということだけは理解する。
思わず背中を僅かに反らしてしまうアーサーは瞬きも忘れた。その間にもノーマンから「仰る通りです!!!」と怒りを滲ませ怒鳴られる。
さっきまで自分がノーマンに怒っていた筈なのに完全に逆転された。ノーマンから聞いた個人的な話を大声で叫んだから怒ったのかと見当違いに及ぶ暇も与えられない。振り返ったノーマンが今度は速足でツカツカと自分に迫り口を高速で動かしてくる。
「それがなんですか悪いことですか?!僕はアーサー隊長のように天賦に恵まれた才能もありませんし特殊能力もありませんし寧ろ足の速さは弟にすら負けますし?!騎士の家に生まれながら〝やっと〟騎士になれたばかりの未だ新参者ですよ!!ハリソン副隊長のナイフ投げに修練が及ぶ余裕もなければ背は騎士達どころか王……ッ女性にも負けますし?!父のような立派な騎士とは程遠いですし良い年して連携も満足にとれない不適格者ですよ!!ええそうですね悪いことですしだから騎士も辞めるんですそれでご満足でしょう?!?!」
いえ、ですから……と完全にアーサーの怒りが冷めて口籠る。
苦々しい顔で、鼻先が当たりそうなほど眼前まで止まらず迫ってくるノーマンの圧から逃げるように背中を大きく反らす。血走り気味の目を湿らせ僅かに零し、眉を限界まで吊り上げ怒鳴ってくるノーマンに〝逆ギレ〟という言葉が頭に浮かぶ。
早口で捲し立ててくるノーマンの発言は全て聞き取れたが、頭の中で一つずつ飲み込めばその分訂正したい部分が積み上がる。
先ず「天賦に恵まれた才能」なんて大仰な言葉から否定したい。何故途中で特殊能力の有無どころか身長まで出てくるのかと、自分より低い角度で見上げてくるノーマンに思う。身長こそ余計騎士に関係なければ、騎士団にはノーマンより背の低い騎士も普通にいる。確かに騎士団の平均身長よりは下回るノーマンだが、女性に負けるは言い過ぎだと思う。自分が知る限りでノーマンに身長で買っている女性はと思えば取り合えず一人すぐに上がったが、彼女は一般女性の中でも遥かに高い。そしてその妹であるティアラにはノーマンも身長は勝てている。
更には連携も取れない不適格者など言われても、自分達の八番隊にはそもそもそれは必要とされない。完全個人主義の戦闘部隊なのだから。それをノーマンが知らないわけもなければ、そんなことを言ったらノーマンどころかハリソンも含んだ八番隊の殆どが騎士不適格者ということになってしまう。
何より、「ご満足」も何も自分はノーマンの辞職が不満この上ないから怒っていたのにと。
ひとつひとつ全てに言い返したいところを、いくらか絞って思考しても考えれば考えるほど顔が引き攣ってくる。
いつも冷静なノーマンは何処に言ったのかと考えるほど、目の前の騎士は荒れ狂っている。アーサーが言い返せず口籠る間も熱は消えない。自分の目頭の熱さに気付く余裕もなく勢いだけで捲し立て続ける。言うつもりのなかった言葉が連結しそのまま口から引きずり出されていく。
「どうせご存じなのでしょうからもう知らばっくれて頂かなくても結構です!!!僕の恥晒しもご存じで!だからこそお人の良いアーサー隊長が自分を引き留めて下さるのもありがたく思いますがこれ以上は結構です!!」
「なんすか恥晒しって……」
今度は覇気のない声で言い返してしまう。
ノーマンへのイメージから程遠い言葉に溜息まで吐けてしまう。やっぱ熱でもあるんじゃねぇのかとノーマンの肩を自然と掴む。しかし、風邪ではない理由で頭に火がまわり真っ赤だった顔のノーマンに効果はない。「やめてください!!」とすぐにアーサーの手を払った。
フーフーと荒げ過ぎた所為で口を一度閉じた後も隙間から息が漏れるノーマンは、ボロボロと目から涙が完全に零れる。
訳の分からないノーマンの発言に眉を寄せるアーサーに、ノーマンは息を大きく吸い上げて「親しくされているのは存じてます!!」と憤怒の声で捕捉したがやはりアーサーはわからない。先ず誰との親しさを言っているのかすら思い当たらない。
むしろ今現在進行形で墓穴を掘っていることにノーマン自身気付いていない。自分の胸に手をバンと当て示し「だから嫌だったんですよ!!」と槍のような声で刺す。
『いま僕が話したことは誰にも内緒に、して欲しい。…………色々と、っ……立場が』
「こんな子供じみた田舎臭い人間と知られるのが!!騎士として不相応だと自分が一番よくわかっています!!」
当時のあの口留めも意味がなかったとノーマンは思う。
相手がただのアランの親戚だったら良かったが、実際は王族二人。しかも目の前の騎士がその張本人達とどれだけ親しいかは騎士団で知らない人間はいない。
あれだけ恥を晒してしまった自分の話を真正直に王族二人が揃って黙す必要性がないと確信する。しかも王族相手に自分は「三人で」と菓子まで押し付けているのだから、知られない方がおかしい。
心の広いあの二人が怒っていないことは、未だ責任を問われていない現時点から想定できる。だがあの時の恥さらしな言動は全てアーサーにも下手をすれば近衛騎士全員にも筒抜けだと考えれば考えるほど死にたくなった。
自分がそれだけ慕っている憧れていると知れば、アーサーがここまで自分なんかを引き留めてくれるのも納得できる。そもそも所属した頃から思っていた通り目の前の隊長は
「大体貴方は御人好し過ぎるんです!!!!」
びくりとアーサーの肩が上下する。
いつの間にか完全に形勢逆転して自分が怒られている。口を結び、目を見開きながら何故そうなるのかとまた疑問だけが増えていく。
今もノーマンの言わんとしている言葉に納得どころか意味もわからない。ノーマンを田舎臭いと思ったことなど一度もなければ、口ぶりからして彼自身が本性を知られたようなことを言うが身に覚えが全くない。
ノーマンが他の騎士に正論で叩く姿は自分もよく知っているし、まるで今まで隠していたと言わんばかりの口調でも実際自分の目の前でノーマンが緊張を隠す以外の取り繕いを見せたことなどなかった。
少なくともステイルやジルベールのような自分の内面を偽り隠すような薄気味悪さなど微塵もない。
Ⅱ46-2




