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フリージア王国備忘録<第二部>  作者: 天壱
嘲り王女と結合

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そして夜が更ける。


「どうしたハリソン?お前もロデリックとアーサーの手合わせを観戦しなくて良いのか?」


クラークがいたのは先ほどまでアラン達騎士の盛り上がりを眺めていた端のテーブルだったが、今はその人だかりも纏めてアーサーとロデリック観戦に移り一変し周囲だけは静かになっていた。

しかし視線を上げればロデリックとアーサーの姿が見えないほどの騎士達の人壁が並び、鼓膜を震わす盛り上がりの歓声音は充分過ぎるほど届いた。


アーサーとロデリックの手合わせを眺めたい気持ちもあったクラークだが、手合わせが始まってからのんびり腰を上げようとしたところで自分へ向けて刺す視線に気が付いていた。

敢えて移動を止め、酒を傾けながら暇な振りをしていれば、視線の主は真正直に自分の背後まで高速の足で一瞬の内に佇んだ。「副団長」と唐突に呼ばれてもクラークは驚かない。

ハリソンの視線に気づいてから、その内話しかけてくることはわかっていた。


穏やかに笑いながら騎士達の敷き詰まった背中を遠目に眺めるクラークの投げかけに、ハリソンも一瞬だけ視線をそちらへ向けた。

しかし「いえ」とすぐに断り、またクラークへ戻す。ロデリックとアーサーの手合わせを観戦したいのは山々だが、二人の打ち合いよりもいつもは多忙なクラークが暇をしている様子の方が貴重だった。

一言断り、そのまま口を噤み自分を凝視し続けるハリソンにクラークも大体は言いたいことを先に理解する。相変わらずだな、と思わずジョッキにつけた口が笑ってしまいながら顔ごとハリソンへ向けた。


「そうそう、お前も今回の極秘任務はご苦労だったな。セドリック王弟の護衛と並行してプライド様のこともしっかり御守りしたのだから」

「はい、不浄の指一本も許しませんでした」

はははっ!と、即答で返すハリソンに思わず腹を抱えてクラークは笑う。

相変わらずの言いぶりに、もしかしたらプライドへ手を伸ばそうとした一人や二人は本当に排除しかけたんじゃないかと思う。しかしカラムやプライド達から報告や苦情がなかったということは、一応相手が無事ではあったのだろうことも見通しながらクラークは「そうかそうか」と言葉を結ぶ。

謙遜もせずに自分の功績を認めるハリソンの目がさっきよりも輝くと同時に、更に強く何かを訴えていると気付く。任務後に、自分が暇をしている時を見つけたハリソンが脈絡なく話しかけてくることは今に始まったことではない。


「……よくやった、ハリソン。今後も引き続きプライド様を頼むぞ」

そう言って肩に手を置けば、自分を見つめる紫色の瞳がきらりと輝いた。

他でもないクラークにたった一言褒められただけで、ハリソンの全身が歓喜に満ちる。労い認められただけでも喜びを感じるには充分だったが、褒められることがまたハリソンの中で別格なのは変わらない。ただこうしてクラークの口から褒めて貰う為だけに自ら副団長相手に話しかけていると言っても過言ではない。

ありがとうございます、と目を充分に輝かせきってから深々頭を下げたハリソンにクラークもポンポンとまた二度肩を叩いて返した。今では当然のようだが、あのハリソンが一か月も不要の怪我人を出さなかったことだけでも昔を考えれば信じられない成果だった。しかも護衛対象は彼が慕うプライドだ。


「………………あと」

ぼそり、とクラークの手が離れると同時に呟くような声を放つハリソンがゆっくり頭を上げる。

まだ褒めて欲しいことがあるのか?と珍しくここで話を終わらせないハリソンに笑みのまま両眉を上げて返すクラークは、ジョッキを口元へと傾けながら続きを待った。ハリソンから再び真っすぐ惑いのない両目を向けられる。

クラークに褒められた余韻で未だいつもよりも目に生気が溢れている瞳が、そのまま副団長である騎士を映す。



「妹君で在らせられるネル・ダーウィン殿のご出世、おめでとうございます」



ゴフッッ⁈

ゴホッゴホ!!と珍しく噴き出したクラークは、そのまま口元を手の甲で拭いながらもまだ咳き込んだ。

よりにもよってハリソンの口から放たれた妹の存在に、肩が揺れるほどに大きく咳を放ち酸欠になりかける。

大丈夫ですか、と首を傾けながら自分をみるハリソンは、全く噎せ込ませた理由に気付いていない。酒でクラークが噎せこむなど珍しいと思いながら、それ以上はわからない。

流石に風邪とまでは思わないが、それでも思ったより長く咳き込み続けるクラークに背中を摩るべきか悩んだ。


迷ったように手を僅かに浮かすハリソンに「大丈夫だ」と無理やり口を動かし早口で咳の合間に返すクラークは、周囲に騎士達がいなくて良かったとひしひし思う。

まさかこんなことで取り乱してしまうとはと、咳き込んだだけではない理由で顔が熱くなりながら時間を掛けて息を整えた。

二度深呼吸で整え、それからいつもの落ち着いた口調で「ありがとう」と礼を返す。プライドの近衛騎士である彼が、ネルの出世を知っていることは不思議でもない。ただでさえ一度報告に来てくれたネルの門までの送迎を担ったのは彼なのだから。

近衛騎士伝てか、プライドからか、ネル本人にその時聞いたのかまで確信できないが、それを知ったハリソンが自分に祝いの言葉をくれるのは当然といえば当然だった。

騎士の目がない今まで控えていたということは、個人的なことだからと彼なりに配慮してくれたのだろうとまで考えればその配慮も褒めるべきかと考える。しかし、呼吸が落ち着いた自分に再び口を開くハリソンの発言にまた呼吸が短く止まった。


「とても喜ばしいことだと思います。妹君も副団長と同じく才能に恵まれた御方だと確認致しました。今後とも失礼のないように留意致します」

「……。そうか、ありがとう。プライド様の近衛として会うこともあるだろうからな……」

ハリソンの発言が全く意図も含みもないと理解した上で、枯れた笑いが出てしまう。

クラークにとっては大して珍しくないが、二言以上話すハリソンにだいぶ喜んでくれてるのだなと理解する。当然ネルにとって……ではなく副団長にとって幸いなこと、という意味で。


たらりと冷や汗まで頬に一筋伝う中、クラークはネルの現状を語りはしない。

本来ならばここで近々引っ越しを手伝う予定だよと軽く言うところだったが、それを言えばハリソンが前のめりに「お手伝いいたします」と名乗り出るに決まっている。

あくまでネルと引越し先の都合が優先の為、自分の休息日に合わせられるかはまだわからない。しかし彼ならばもし休みでもそうでなくても、最悪溜まりに溜まった休息日をその為に使いかねない。

クラークに指示されない限り、与えられた休み申請を倒れた時にしか使わないハリソンの休日が自分の妹の引っ越し手伝いなど笑えない。更には休みをわざわざ取るなど妹に勘違いと期待をさせる恐れもある。大事な妹の邪魔はしないが、誤解もなるべくさせたくもない。

今のところ引越し予定日である今週末の自分の休息日にちょうどハリソンも……と記憶はしているクラークだが、確定するまでは軽はずみに決して言えない。


そして更に、引っ越しとは別に妹から頼まれていたことを都合悪く思い出す。いつかは聞かなければと思いながら、自身も言いあぐねていたことだ。そして今は、聞くに絶好の機会だと思えばもう逃げられない。

ところで、と。言葉を続けるクラークにハリソンも表情を変えずに反応を返す。クラークの笑みがいつもよりぎこちなく思えたが、深くは考えない。


「………………実はそのネルなんだが、今度お前に差し入れをしたいと言っていてな……。先にお前に断っておいて欲しいと頼まれたんだが」

「?畏れ多くも謹んで御受け致します」

若干苦々しく口を動かすクラークに、ハリソンは丸い目で顔を傾げるが即答だった。

何故自分にと疑問はあるが、自分の敬愛するクラークの妹からの差し入れを断る理由はない。妹とはいえクラークの身内からの施し自体に畏れ多さはあるが、貰えるのならばありがたく受け取ることが当然だった。

ハリソンの返しに、妹に求婚されても迷いなく同じ言葉を言いそうだなと心の底で恐れながらクラークは「ありがとう」と言葉を返した。

ハリソンが断らないことは最初からわかっていた。ジョッキを握る手が尋常ではなく湿るのを自覚しながらも、汗を拭う余裕はない。

兄としてせめてと妹に聞かれた問いを念のためにと確認に努める。


「確か嫌いな食べ物はなかったな?」

「はい」

「甘いものも平気だったな」

「問題ありません」

そうか、と。やはり思った通りの返答にクラークは汗の伝った笑みで返す。ハリソンの好みは大概把握している。

ハリソンさんの嫌いなものは?甘いものは大丈夫かな?と心配しつつハリソンの好みを合わせようとする妹の姿を思い出せば、胸は痛まないが頭は痛くなった。

大概のハリソンについての質問はその場で妹に答えられたが、個人的な内容は敢えて自分の口からは話さなかったクラークは最後に「一応本人にも確認しておくよ」と約束もしてしまったのだから仕方がない。ハリソンの好物についても聞かれた際、彼にそれが合って無いようなものだということもクラークだけがよく知っている。少なくとも味覚的な味の好き嫌いがハリソンにないことも。

恐らくネル、というよりも自分の妹からの差し入れならばハリソンは何の躊躇いもなく全て完食することも最初から確信できている。


「今度持ってくることがあると思うから小腹が空いた時……いや、その日中の可能な時間に食べてくれると嬉しい。体調が悪い時は受け取らず素直に私に言ってくれ」

「いつか」と時間を指定せずに言えば、ハリソンは速攻で食べるかもしくは何日も何か月も平然と置いておく可能性が大いにある。

痛ませても平然と食べる姿も想像つけば、先に今から手を打った。クラークからの命令に一言で即答するハリソンだが、その後には「私が取りに行きますが」と当然のことのように一度瞬きした。

クラークの手で荷物を運ばせるなどできないと考えるハリソンに、クラークは「いや私が渡す」とそこは断った。心の準備もなくハリソンが家に訪問など、妹がそれこそ取り乱しかねない。今でさえ差し入れを渡すだけで精一杯の妹に、自分の所為で余計なことはできない。

ハリソンが自分の意思でネルに会う為にならばまだ頷けるが、今のハリソンは確実にネルの為に提案したわけではないとわかっている。

宜しいのですか、と小首を傾げるような動作をするハリソンに、ここまで何度も首を傾げさせることも珍しいなと頭の隅で思いながらクラークは今度は言い聞かせるべく彼の両肩に手を置いた。


「良いかハリソン?私の妹だからという理由で遠慮する必要はない。ネルからの頼みや誘いを断っても良いし、受けてもいい。私のことは関係なくお前の意思で……、…………。……まぁ、無理だろうな」

はぁ……、とそこでクラークは自分で言いながら途中で肩を落とした。

ぱちぱちと瞬きで返すハリソンに首を垂らし、苦笑だけ露わにする。ネルが自分の妹だと判明した時点で、ハリソンに忘れろなど無理な話だ。ネルから自分の要素だけを抜くことはクラーク本人にもハリソン自身の意思でも不可能だと痛いほどよくわかっている。

更には首を垂らすクラークにハリソンも「はい」と迷いなく返した。相手の意思を汲むわけでもなく事実を躊躇いなく言うハリソンの性格はクラークも気に入っているが、今だけが頭に重しを乗せられたような気分になる。

自分の両肩に手を置いたままぐったりとした様子のクラークだけを理解したハリソンは、何か副団長が危惧されているとだけ考えそのまま口を動かす。


「副団長の妹君であれば、尊重し優先し従うのは当然です。仲がお悪いのですか」

「いや、仲は以前お前が見た通り良好だ……。……………………現時点で、お前はネルをどう思う?」

見当違いの気遣いを見せつつ、歯にきぬ着せない言葉を投げてくるハリソンに身体の節々から力が抜けていくのを感じる。

それでも最後にわかり切った問いをとうとう直接ハリソンに投げかける。ハリソンにここまで直接的な問いを言っても、彼がネルの気持ちに気付くわけがないとわかった上で。

クラークの謎の問いにハリソンは二秒だけ口を閉じた。仲は良好なのに何故自分の見識を、他ならない視野の広く慧眼の副団長が聞いてくるのかという疑問だけを残しそのまま正直に言葉にする。


「副団長に相応しい聡明で才能に溢れた妹君です。愛らしい女性だと思います」

「………………そうか」

ありがとう、とまた返したが、今までの返しで一番小さい消えそうな声になった。

妹を褒めてくれるのも、良く思ってくれるのも嬉しいが、このハリソンの発言に他意がないことも知っている。そしてこの発言を妹本人が聞いたら確実に大変なことになるだろうと思う。

覇気のない様子のクラークに、ハリソンはまさか足りなかったかと考える。過剰に褒めたつもりもお世辞のつもりもないが、大事な妹相手にそれだけの言葉では足りなかったのかと。しかし、まだ記憶上では一日しか相まみえていない女性にそれ以外の思考も回らない。クラークの妹として生まれたことがどれほど喜ばしいかについてならばいくらでも話せるが、ネル個人についてへの感想も興味もない。


考え付くだけに「お会いできて光栄です」とだけ一言続ければ、ハリソンなりの配慮はしっかりとクラークには伝わった。

そうか、と力なくまた言いながらハリソンの両肩から手を降ろす。そういってくれて嬉しいよと言いながら溜息を吐くのを意識的に堪える。今ここで吐けば、ハリソンが余計な気を回すか誤解しかねない。別にハリソンにネルと関わって欲しくないわけじゃない。


「………………今度、落ち着いたら食べに行こうか」

「!宜しいのですか」

まだ三か月ありますが、と。突然のクラークからの食事の誘いに背筋をピンと伸ばすハリソンは、さっきまでの惑いが嘘のように目がきらっと光った。「何を」も「何処に」もわざわざ言葉にする必要も互いにない。

「良いんだ」と。クラークが眉を垂らしながらも、今度は楽しそうに笑い返せばハリソンも深々と頭を下げた。

今後良く転ぶか悪く転ぶかはわからないが、ネルが少なからずこれからハリソンに関わるつもりという面でも今から詫びも含めて労っておこうと兄は考える。

ありがとうございます、謹んで御受け致しますと。いつものように誘いを喜んで受け取るハリソンにクラークからも一言返したところで



「楽しみにしております」



「……。ああ、私もだ」

その台詞を、妹の差し入れの件を話した時に聞ければ今よりは少しは心安らかになれたのだがと考えながら、クラークは騎士団長対聖騎士観戦へ行こうととハリソンを促した。


渦中では盛り上がりが冷めないままに、騎士団の夜は明け方近くまで続いた。


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