そして尋ねる。
「その、不死鳥ってなんすか?」
「こっちの話でーす。でも格好良くありませんか不死鳥?アーサーさんにはぴったりだと思うなぁ」
「いや格好良いとは思いますけど……」
ステイルだったらこういう時に強く追及すればなんだかんだ教えてくれることが多いが、ブラッドにまでこの程度のことで強く言う気にもなれない。
ステイルへの言及も結局は親しいから許されることだ。部下の弟で、ましてや知り合って数日の青年には別だった。それに不死鳥の響き自体は嫌じゃない。
ただ、それを他でもない自分に付けられると擽ったい上に冠が大きすぎて不相応だと思う。名前負け、という感覚で言えば聖騎士呼びされるよりは抽象的な分マシだがそれでも揶揄われているとしか思えない。不死鳥なんて呼び名、自分よりも……と考えれば深紅の髪を揺らす王女が頭に浮かんだ。
「隊長呼びだと兄ちゃんの呼び方と被っちゃうし」と付け足しのように言うが、やはり遊ばれているには変わりないと思う。取り繕いのない顔が、今は悪戯っぽく笑んでいるから余計に。
「今日も来てくれるのすごく嬉しいです。こんな格好ですみません」
「……もしかして体調でも悪いんすか……?」
満面の笑顔で差し出された珈琲を両手で受け取った後、アーサーは改めてブラッドへと目を向けた。扉を開けられてから驚いたのは部屋だけではない。
柿色の髪が左右にぐちゃりと混ざり、寝衣らしき緩いズボンとシャツを着た彼は明らかに寝起き姿だった。最初に訪ねた時は単純に部屋の向こうで物音が何もしなかったからだが、今は彼の格好で本当にさっきまで寝ていたのではないかと思う。
前回会った時は衣服もそれなりにきちんとしていた彼が、今は着替えた気配もなければシャツもはだけてボタンを上から三個開けたまま胸の位置まで露わになっている。
格好自体はどんなでも気にしないが、まさか体調不良で寝込んでいたんじゃないかと心配になればカップを受け取ったのと反対手で正面からそっと彼の肩に触れた。
心配するアーサーに笑顔のままふるふると首を横に売るブラッドは、自分の分のカップには水だけ注ぐ。自分の分当然珈琲はあるが、勿体ないなと飲む気にならない。誰かの為以外で珈琲を削るのは億劫だった。
「だってどうせ見る人兄ちゃんくらいしかいないし。服変えるのも面倒なんで良いかな~って」
結構緩い。そう思いながら、彼がノーマンの弟なのかと改めてアーサーは思ってしまう。
ブラッド自身、村にいた頃は家の中だけでもしっかり朝には着替えていた。しかし今は母親の目もなければ洗濯を増やすのも面倒な仮宿。安易に外にも出れず公共の洗濯場にも行けないブラッドにとってはそのままの格好で充分だった。そして何より、今はアーサーの前で見栄え良く繕おうとも思わなくなった。
そんなもんっすか、と一言返すアーサーもそれで納得してしまう。私生活に緩いとは思うが、それを良い悪いとは別に思わない。
確かに部屋の中にいれば自主鍛錬でもしない限りそこまで汚れることも少ない。いつもきっちりしているノーマンと比べると意外だが、彼個人であれば全然あり得る考えだと思う。
ただ、上官をもてなす為にここまで部屋を施してくれたノーマンなら弟がこの格好で接客したら怒りそうだなと思う。念のために「ノーマンさんにはその恰好は秘密にしときます?」と尋ねてみれば「どっちでも」と笑顔が返って来た。
騎士団内では自他ともに厳しいノーマンも弟にはやはり甘いのかと考えながら、カップを一口傾けた。飲みなれた苦味を喉に通してから、口を開く。
「……外には出ないんですか?やっぱ、怖いですか」
「出ませんよ~。ほら、僕の特殊能力ってアレじゃないですか。村でも家に殆ど引き籠ってたし別に慣れてますよ」
にこにこと笑いながら、そこに取り繕いはやはりない。
彼の背景に色々事情があるらしいことは察しているアーサーだが、さらりと引き籠っていたと言われると身構える。少なくとも今は何とも思っていないのは理解したが、自分も近い年の頃に似たような経験があることも重なり聞き流せなかった。
ブラッドの〝拡散〟の特殊能力。プライドの予知で簡単にしか聞いていないが、受けた刺激をそのままの形で周囲に拡散してしまう特殊能力。苦痛や感情が大きければ大きいほどその範囲も広くなる。
湯気を溢れさせるカップを盾に口を結ぶアーサーへ、ブラッドは笑顔のまま言葉を続ける。悲観しようとすればいくらでもできるが、外に出られない事実自体はとっくに慣れている。
「うっかり怪我したら周囲の人も怪我させちゃいますし、村でも買い物とか水汲みぐらいですね。昔は外も全然好きだったんですけど」
特殊能力で失敗する前までの頃を思えば、水色の瞳が遠くへ揺れた。
口が笑いながら、目は正直に笑わない。ブラッドのその表情に今は動じないアーサーだが、それでもカップを両手に持ったまま口はつけるのを止めた。ふわりと薄い蒸気の向こうで視線を落とすブラッドを見つめる。
アーサーの真剣な視線に気づいた瞬間、そこで初めてブラッドも繕った。にこりと作った笑顔で返しながら「でも家の仕事は嫌いじゃないですよ」と自ら話を変えるように笑った。
「料理も好きだし掃除洗濯も〜……綺麗にするのが好きなのかな?こういうところは兄ちゃんと一緒かも」
もう全部燃えちゃいましたけど。笑い混じりにそう言っても、アーサーは釣られない。むしろ眉の間を狭めるだけだ。
険しい表情のアーサーに冗談とわかる口調で「いっそお嫁さんにしてくださいよー」と笑ってみたが、返事はなかった。時々こうして見通される目をされる時だけはブラッドもずっとは目を合わせられなくなる。にこにこと意識的に笑えば笑うほどアーサーからの表情も暗くなる。
やっぱ騎士ってすごいなぁと思いながら、カップを手の中で二回持ち直した。
「でもここは台所がないからそういう意味ではちょっと窮屈かなぁ。習慣が全然できないから暇で暇で。窮屈なところは慣れているんですけど。ほら、僕の家ってすっごく小さいじゃないですか」
あははっと今度は本気で笑い飛ばす。
この宿が比較上等に広いこともあるが、やはり自分の家も周囲の家も全然小さかったと思う。そして思い返せばそんな家が自分も決して嫌いではなかった。
今の物が増えて二日前より狭くそして少し豪華になった部屋に決して不便はない。母親や妹に会いたいとは時々思うが、ただやることがないことで茫然と時間が経つのを待っていただけだ。
二人が無事なのも元気なのも兄から聞いてよく知っている。アーサーが来るまでも、ただベッドに転がり窓の外を眺めていただけだった。遠目から人の流れを見るだけで羊を数えるような感覚にはなった。
「外っつーか人が怖いってことっすか」
「人は怖くないですよー。怪我させずに済めば百人でも億人でも。外も人もそれ自体はむしろ好きっていうか、ほら城下は特にすごいですよね」
むしろ村と違って自分のことを知らない人たちばかりで気が楽だと思う。
だがそれは同時に黙っているだけじゃ誰も自分を〝避けてくれない〟ということでもある。外の風景も、人の憩いも好きだし眺める分は飽きない。村と違って自分の見慣れない世界が広がっているのだから嫌う理由がどこにもない。
城下にもなると普段服や持ち歩いているものや、一目じゃどんな仕事をしているかわからない人もいる。城下は危険が村の何倍もあることは知っているが、自分がもし普通の人間だったら兄に怒られてでも抜け出したい。
「兄ちゃんが買ってきてくれた食べ物も美味しいし、ここに来るまで馬の上から見た時もどこも活気があって本当に城下ってすご」
「じゃあ出ますか?」
「…………え?」
唐突に投げられた問いに、今度はすぐに返せない。
表情が不出来に笑ったまま固まり瞬きもできない目で聞き違いかなと見返してしまう。しかしその先には冗談を言う顔ではない真剣な蒼の眼差しがある。冗談めかしてすらいない、さっきまでと同じ当然のように投げかけられた。
さっき自分が出れない理由をいった筈なのに、と思えば嫌味かとも考えたがよりにもよって〝アーサーさん〟がそんなことをするとは思えない。
しかしそれとは別に、二日前吐露する自分に肩を貸してこの人は確かにわかってくれてた筈なのにという疑問がふつふつ湧き出てくる。疑問と唐突な裏切り間がまざり、どんな表情をすればわからなくなるブラッドの顔つきに、アーサーは少しだけ話しやすくなったなと思う。
「気分転換になら良いと思います。料理したいってンならウチに来ますか?」
実家があるんで。そう言いきったところで、アーサーの口が一度止まる。
やっぱり思い直したのかな、とブラッドは思ったがその予想はひっくり返される。
小料理を営む中で普通の家よりは台所が充実している方の実家は、今はまだ母親も仕事中だ。流石に突然連れていくのは駄目かと、それだけ考えたアーサーは「すみません、やっぱ次までに聞いておきます」と言い換え「それに」と続けた。
「ウチはここから歩きだと結構遠いですし、やっぱ城下見て回りますか?あんま案内とか上手くねぇですけど、この辺も店は多かったですし近場の市場を見て回るだけでも楽しいと思います」
「…………あの、僕の話聞いてくれてましたよね?」
珈琲の水面に、揺れはない。
しかし反してブラッドは水面もカップも明らかに揺れていた。ついさっきまでは理解してくれる人だなと思っていたのに、なんでそんなことをわざわざ聞くんだろうと思う。
枯れた笑い顔で尋ねるが、アーサーからは「聞いてました」と迷いのない返答だけだった。ブラッドが外に出ない理由も、彼の特殊能力の危険性もわかっている。
そして、彼自身は決して外を恐れても嫌ってもいないことも。むしろ城下に興味を持ってくれていることも。
「大丈夫です。守りますから」
怪我とかしちゃ駄目なんですよね、と改めた確認に続けるアーサーにブラッドは今度こそ口が開いたまま言葉が出なかった。
さらりと凄いことを言われた気がする。自分に対しては手探りの様子だったのに、外に出すことには全くためらいがない。
珈琲の残りを湯気が出ているうちからそのまま半分以上一度に飲むアーサーは、そこからはのんびり返事を待った。
護衛など近衛騎士であるアーサーには慣れている。怪我一つなく護ることが大前提である王女を三年以上護衛して来た彼にとって、特殊能力者とはいえ一般人の彼の護衛など軽いものだった。絶対に守り切れる自信があるからこその提案でしかない。
そしてそれを兄から話を聞いているブラッドも理解した。
毎日のようにプライド王女を守っている騎士が自分を護ってくれるなど普通じゃありえない。しかも目の前の騎士はずっと自分も兄から話を聞いて憧れ続けた聖騎士で八番隊隊長で最年少騎士隊長なのだから。
ほんのうっすらとだが光が差し込んだ感覚に、そこでゆっくりと瞬きを済ませた。「どうします?」と尋ねてくるアーサーに一度唇を結び噛む。
兄からも外出禁止までは言われていない。何よりも聖騎士と一緒に買い物へ行く機会などこれを逃せば二度とないかもしれない。
外に出られる。恐れもなく、兄でもない相手に遠慮もなく、更には人目も気にしなくて良いのだと。
そう一度だけでも過れば、さっきまでは思い出すだけで満足していた窓の向こうに胸がとくとくと鳴り出した。急激に動きを主張する心臓を服越しに手で押さえながら、強張った口角をゆっくりあげる。
こんな機会は二度とない。憧れの聖騎士となんて。そうまた思えば、さっきまで汚れひとつなかった寝衣が汗で湿っていくのが全身でわかった。
「……今、着替えます……」
せっかく忘れかけていた筈の自信の枷の存在を思い出してしまいながらも、恐怖とは別の感情で着替え中もドクドクとブラッドの血流は波打ち続けた。




