Ⅱ473.騎士は訪ね、
コンコンッ
「すみません、アーサー・ベレスフォードです。……起きてますか?」
ひと月間に及ぶプライドとの極秘視察。その功労が騎士団全体に公表されたことでアーサーとエリックは共に労いとして、短いが午後からの半日休息を与えられた。
本音を言えば休息を与えられるよりもプライドの近衛騎士任務に就きたいとも思ったアーサーだが、折角もらったならばと足を運んだ先は実家でもない一件の宿屋だ。
家族に迷惑をかけた礼に午後からは家の手伝いに戻ったエリックと同じく、彼もまた城下へ降りた。一度来た道は迷いなく、午後丸ごと休息に得られた彼は自分の足で直接向かった。
既に二度目になる銀髪騎士の訪問に、宿屋も僅かに目を丸くする以上は疑問もなく中へ通した。
もともと部屋を借りた男自体が騎士団の団服を纏っていれば、関係者であることも明白だ。階段を昇り、部屋の前でノックを鳴らせば今度は待たされる時間も短かった。
扉一枚向こうの気配が「わっ」と短い声を漏らした後に今度はぱたぱたとすぐに足音が近づいてきた。扉前で「アーサーさん⁇」と確認され、一言返せば質問もなくすぐに施錠も開けられた。
勢いよく引かれ開けられた扉の前には、見知った青年が目を輝かせていた。
「わー、不死鳥さんいらっしゃーい」
「…………。お邪魔します」
どうぞどうぞーと扉を開いたまま手で招き入れるブラッドに、腰を低くしながらアーサーも中へ入った。
緊張感の欠片もない満面の笑みが、全く取り繕いもない表情だと確認すればまだ訪問した二回目なのにと自分の方が思ってしまう。扉を潜ってからガチャリとしっかり内側から施錠するブラッドに、僅かに肩が揺れてしまう。
「兄ちゃんは良いって言ってくれました?」「ちゃんと許可は貰いました」と他愛のない会話を重ねながらアーサーは静かに部屋を見回す。つい二日前に訪れた筈の部屋の変化に、自分が気付いただけでも緊張で口を結んだ。
「………………なんか、二日前と違いすぎません?」
「兄ちゃんが昨日色々買ってきてくれて。あっ、アーサー隊長今日はお酒もありますよ」
飲みます⁇と小首を傾げるブラッドに、アーサーの顔が今度こそ引き攣った。
つい二日前までは物の少ない仮宿の印象が強かった部屋の変貌に、椅子へ腰を下ろす前にたじろぐ。ベッドと机、簡素な棚しかなかった部屋に食料と水差ししかなかった筈なのに、軽く一望するだけでも食料の他に酒や酒の摘まみがいくつも棚に並べられていた。
確かノーマンはそこまで酒を好んでいなかった筈と思い出せば、その酒が誰の為に買ったものかは流石のアーサーでも理解した。しかも前回はカップ二つしかなかった筈なのに、今は明らかに来客用のカップもあればグラスも一つ置いてあるのを見ればヒュッと喉から変な音まで零れた。
ブラッドが呑気にツマミもありますよと言ってくる中、硬直したまま顔色だけが悪くなった。二日前まではハリソンの部屋に近い簡素さだったのに、今は自分の部屋よりもインテリアからして充実している。
─ すっっっっっげぇ気ぃ遣わせてる……!!
心の中で叫びながら、今度はブラッドにどうぞ座ってと促された椅子にゴクリと太い音を鳴らした。
二日前にはそのまま座った椅子に今は明らかに宿のものではないクッションまで敷かれている。あのノーマンが、と考えれば今日家を訪問して良いか尋ねて眉間に皺を寄せて怒られた本当の理由はこっちじゃないかとすら思う。
考えれば当然だと思う。自分はノーマンにとって直属の上官で、正論で人を刺す彼が客を迎えるのに礼儀を重んじないわけがない。ついさっきも自分の方が訪問する側としての礼儀を怒られたばかりだ。
初日は突然だったから良いが二回目になればノーマンも上官を迎える側として色々気を遣ったのだろうと考えれば、今から部屋を飛び出したくなった。ただでさえ家が焼かれて財産も殆どなくしたばかりのノーマンに無駄な出費を余儀なくさせてしまったのは自分なのだから。
酒もグラスもクッションも間違いなく自分の為だけに用意されたものだと確信すれば、その代金だけでも今日ここに置いて行って良いだろうかと本気で考える。しかし上官が金だけ一方的に置いていくなんてノーマンが許してくれるかとまで考えれば、血色だけがみるみる悪くなっていく。
「兄ちゃんってば本当に面白いですよねー。紅茶と珈琲もありますけどどうします?確か最年少騎士隊長さん普段は珈琲でしたよね?」
アーサーがどうして戸惑っているのかも半分理解しながら、ぷぷっと笑うブラッドは酒に乗り気でないアーサーへ今度は棚を開いた。
今後アーサーが部屋に訪問することがあると決まってから翌日にはアーサーを迎える為の最低限用品を買いそろえて返ってきた兄の顔を思い出せばそれだけで楽しくなった。紅茶も珈琲豆も買って、引く道具まで騎士館の自室から持ち込んできた兄に「アーサー隊長は普段は珈琲だよ」と教えた時の「なんでお前が僕より知っているんだ!」と叫ぶ姿は何度思い出しても飽きない。むしろ現時点ではブラッドの方がアーサーの細かい嗜好まで知っている。
あれだけ買い込んで部屋全体を整頓し始めた時には早とちりだなとも思ったブラッドだが、こうして二日後に早速訪れてくれたアーサーを思えば兄の予想も当たったなとおかしくなる。
自分が思った以上には兄も隊長のことをわかっているのかもしれないと評価をこっそり改めた。
いえおかまいなく……!と遠慮を喉から絞り出すアーサーはそこでやっと、座り心地の良くなった椅子に腰を下ろした。
正直にいれば水で充分だが、せっかく用意されたのに受け取らないのも申し訳ない。じゃあ珈琲で……‼︎と苦渋の決断を絞れば、笑い混じりに「紅茶は特別ですもんね」と相槌まで打たれる。
自分が立場的には客とはいえお邪魔しているのに、年下の青年に茶まで淹れさせることに申し訳なくなりながら肩幅を狭めた。視界の先ではブラッドが機嫌が良さそうに柿色の髪を揺らしながらコーヒーをぐるぐる削っている。
「今日は聖騎士さんはお仕事良かったんですか?聖騎士特別休暇があるとか?」
「いえ、ちょうど午後休憩を貰えて……そぉいう特別休暇とかはねぇっす。つーか、なんで呼び方毎回変えるんすか」
二日前もそうだった、と思い返しながらアーサーは落ち着かず膝の上で指を組む。
最初は単純に呼び方に悩んでいるのかと彼の中で落ち着くまで気にしなかったが、今日もまたバラバラに呼ばれると引っ掛かる。
ブラッドの表情からして自分に本当は心を開いてないとか取り繕っているようにも見えない。ただ言葉遊びをしているだけならば良いが、連続は流石に気になった。しかも呼び名の中には「不死鳥」と聞きなれないものや「聖騎士さん」と落ち着かない呼び方も混じっている。
アーサーの問い掛けに、湯を沸かしながら「どれが良いかなって」と返すブラッドは上機嫌のままだ。
「なんか嫌な呼び方ありました??」
「いえ、嫌っつーか……せめてどれかに統一して貰えると助かるンすけど」
聖騎士の呼び名も、嫌なわけではない。しかし、ころころ呼び名を変えられるといつその呼び名が来るかも予想できなかった。
落とした音で続けるアーサーに、ブラッドは少しだけ空へ視線を浮かす。湯が沸くまでは腕を組んで黙し、のんびりと沈黙で返した。自分もその呼び名でも好きだしなと思いながら、もうちょっとだけ呼び遊びたい。しかしアーサーが統一して欲しいのならせめて少しは絞ろうと思考を回す。
沸かせた水が湯気を放ち始めたところでやっと結論を下した。
「じゃっ、アーサーさんか不死鳥さんって呼びますね」
─ ンでその二つなんだよ!!?
二度目の無音の絶叫を、結んだ口の奥で響かせながらしかしアーサーは同意した。
まさか基礎的な呼び方と一番所以が謎の呼び方が同一にされるとは思わなかった。
悠長に慣れた手つきで珈琲を淹れる青年を眺めながら、やっぱり揶揄われているのかなと思う。別に自分が揶揄われることは良いが、どこまで本気なのかと考えてしまう。
試しに口を開いてみるかと息を静かに吸い上げるか、言う前から半ば諦める。こういう相手は基本的に何を言っても空振りだと知っている。
「その、不死鳥ってなんすか?」
「こっちの話でーす。でも格好良くありませんか不死鳥?アーサーさんにはぴったりだと思うなぁ」
「いや格好良いとは思いますけど……」
予想通りの返しに息を吐きながら、言葉を返す。




