Ⅱ467.騎士は受け、
「…………やっぱそのまま来てたのかよ」
ハァ、と。
後ろ手で扉を閉めたアーサーは、溜息を吐きながら自室の椅子へと向き直った。
騎士団演習場にある騎士館、その騎士隊長専用の個室として与えられたアーサーだけの自室だ。つい先ほどまで飲み会を行っていたアランの自室と同じく、複数人が入っても全く窮屈さを感じられない広々とした部屋ではある。
しかし常に整理されシンプルな家具配置となっているアーサーの部屋は、部屋自体は同じ規模でもアランの部屋より遥かに広々としていた。酒棚や複数の椅子やカウンターのような大テーブルが並んでいるアランと違い、最初から据え置かれてい家具を必要以上変えようとも増やそうともしない。まめに片づけている為、私物が足場を埋めることもない。今も上着を皺が付かないように引っ掛ける為に服掛けを手に取った。
「一、二時間ほど焦らして欲しかったか?」
これでも自室から取ってきた後だぞ、と。指先でくるくると底の深い帽子を回しながらもう一つの声が返される。
シンプルに整頓されたアーサーの自室で唯一目立つ上等な椅子に腰かけたステイルは、部屋主よりも遥かに寛いでいるように足を組んでいた。
ついさっきアランの部屋で「また明日」と互いに挨拶をした筈の相手の訪問に、アーサーは「いやそういうわけじゃねぇけどよ」とだけ返す。ステイルが来ていることは予想できていた上、今回ばかりは「先に寛いでるんじゃねぇ」とも言えない。もともと呼び出したのは自分だ。
『ステイル、ちょっと耳貸してくれ』
上等な椅子の腕置きに肘を置き、アランとアーサーの部屋までの僅かな時間すら待ちくたびれたと言わんばかりに頬杖を突くステイルは憮然とした表情でアーサーを見やった。
指先で遊んでいた帽子を瞬間移動させ、アーサーのテーブルの上へ置く。ステイルを待たせていることで、団服の上着だけ掛けたアーサーはいつもより乱雑に残りを脱いだ。身に着けている装備も外し普通の衣服と上着に着替えながら、少し機嫌の悪そうなステイルにそんな待たせてねぇじゃねぇかと頭の中だけで悪態吐いた。
しかし直後に別の可能性を思い出し、自分の用事よりもと別の言葉を投げかける。
「ンで?さっきは何言いたかったンだよ」
酒が僅かに影響し、ふわぁと欠伸を零しながら思い出すのはさっきのアランの部屋での飲み会だ。
自分に言いたいことがあるくせにずっと口を結んで不機嫌だけを当たってきたステイルに、今度こそさっさと話せと促す。
しかし、未だ着替えが終えていないアーサーを前にステイルはまだ話さない。大したことない話題なら着替え中でも構わず話を続けるステイルが黙することに、これはちゃんと聞かないと駄目だなと見当づけながらアーサーは「ちょっと待ってろ」と先に続けた。
ステイルが話したくないのならと、先に自分の聞きたいことだけでも着替えながらまとめて投げることにする。
「あと、なんで例の……俺がやらかしたことも知ってたんだよ。プライド様か、それとも侍女か衛兵に聞いたのか?」
お前あの時いなかったじゃねぇか、と言いながら自分が着替え中のプライドへ特攻してしまった事件を尋ねる。
もしプライドから聞いたのならば、近衛についていたアランやカラムも知っている筈だ。エリックのネクタイの件のように言葉を伏せた可能性もあるが、二人ともそちらの方は話題すら知らない様子だった。しかも自分の責任じゃないと断言するところから考えても、ステイルは何かしら知っている。
今度の問いには、ステイルも肘をついていた側に傾けていた顔を起こした。
一人唇を一度尖らし、すぐ戻す。どこから離すべきかの順序を頭の中で組み直してから「もとはと言えば俺が原因だからな」と返答した。
「お前が着替えに退室した後、俺が姉君を長話に付き合わせた。結果、途中でジルベールの特殊能力が解け始めてしまい俺は即瞬間移動し姉君は悲鳴を上げた」
は?!?!と、あまりに淡々と言われた裏側にアーサーは絶句する。
着替えの手が中途半端な位置で一度止まり、首ごとぐるりとステイルへ回された。つまりはあの悲鳴の原因は元をたどればお前かと、大きく開いたままの口が言いたくても上手く動かない。変質者や襲撃犯ではなかったが、それでも驚愕に目が皿になる。
アーサーには言おうと最初から心の準備も説明も決めていたステイルと違い、完全な不意打ちを受けたアーサーはまるで真犯人を見つけたような気分だった。
「おまっ、何やってン」と纏まる前の言葉をなんとか零せば「特殊能力が解けるのに気付いてすぐ消えたから何も見てない」とだけ言い返した。まさか抱き締め合っていた最中とは言えずあくまで平然と振舞うステイルに、アーサーは一目で何か隠してるなとは見抜いた。
しかし敢えて指摘はしない。プライドの着替え前を見てしまった自分も人のことは言えない今、自分のことを棚に上げて全部を全部聞かせと言おうとも思わない。
「だからあんなンに」と独り言のように呟くアーサーは、そもそもプライドがあんな状態に陥った理由へやっと思考が回る。今の今まで自分がやらかしたことで頭がいっぱいだったが、そもそもああなった原因は着替え損ねだ。
ハァァ……、と。二度目の溜息は少し深い。
眉間に皺まで寄せ気味になったアーサーに、また騎士団長に似てきたと思いながらステイルは口を閉じた。恐らくアーサーなら今自分が隠していることも見抜いているのだろうと思いながら、言及されないことに安堵する。
騎士の衣服ではない、普段着にも近い上下に着替えたアーサーはそこで身体ごとステイルに向き直る。最後に頭の上で括った髪を一度ほどき、もう一つの備え付けの椅子へと腰を下ろしながら括り直した。
ドカッと座るときの音は乱暴だったが、「で?」と尋ねる声は対照的に静かだ。
「……どォした」
「すまなかった」
今度こそ真正面から真剣に話を聞こうと正面から尋ねたアーサーに、頬杖も組んだ足も降ろしたステイルの最初の要件は一言だった。
アァ?と、思いもしなかった言葉にアーサーの眉が上がる。一瞬、さっきのプライドの着替えのことかとも思ったが、黒縁眼鏡の向こうの瞳の沈みように深刻さを感じ取る。また別の、ステイルが重い詰めるようなことはと考えれば残る理由は一つしか思い浮かばない。
じっと、俯きがちになる顔から上目で見上げるステイルは僅かに顔をこわばらせる。アーサーに会ってから最初に言いたかったものをやっと言葉にできたが、当然まだきちんと言い切れていない。こんな短い謝罪だけで許されるわけも、そして自分が納得できるわけもなかった。
言う前に下唇を小さく噛むステイルに、アーサーが今度は足を組む。別に気にしてないと態度で示しながら思い当たる節を言ってみる。今、自分にとってはそれしか思い当たらない。
「母親さんのことか?会えたなら別に良かったじゃねぇか」
防音された壁と締め切られた扉の中で、それでも声を抑えたアーサーは自分の組んだ膝の上で頬杖を突く。
殆どさっきまでのステイルと同じ体勢になりながら、なんでそれを自分に謝るのかと首を更に捻る。王族の規則があることも、ステイルが昔から前の家族である母親を想っていることも知っている。
一度は自分も、その母親に自分が会いに行ってステイルの現状を話す形で橋渡しになれればと提案して断られている。
いまいちあの邂逅が規則に結局反したのかどうかも自分には判断がつかないが、単純にステイルにとっても母親にとって良い再会になったなら個人的には良かったと思う。
他の近衛騎士達に隠すのは心苦しいが、別に隠してどうなることでもない。ハリソンのように騎士である自分が違法でなければ王族のすることに関しないとまで割り切らないが、誰が傷付いたわけでも現段階で危険にさらされたわけでもない。
何より、きっと自分もプライドと同じ事実を知ったらやはりステイルに会わせたいと思った側の人間だ。
試しに「規則に反したか?」と尋ねてみれば、ステイルは首を横に振った。「しかし危うかった」とだけ返されたが、反せずに済んだなら余計に自分が謝罪されるのはおかしい。
先ず、もし謝罪したいのならばそれはあそこまでのお膳立てをしたプライドにかもしくは規則を牛耳る最上層部にだ。自分はただあの場で立っていただけだと結論付ける。
反しなかったんならもう気にすんなと、そう返そうとした時「それじゃない」と苦し気にも聞こえる声がステイルから返された。
Ⅰ47




