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フリージア王国備忘録<第二部>  作者: 天壱
支配少女とキョウダイ

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Ⅱ56.支配少女は説得を試みる。


「ディオス。クロイは何処にいるの?貴方の仕事場?」


今すぐ案内して、とディオスに振り返る。

学校から逃走した私達は中級層の居住区まで辿り着いた。教師も追ってこないし、生徒らしき人も見当たらなくなったところで一度足を止める。

突然引きずり回してしまったこともあって、両膝に手をつくディオスは暫く肩で息を繰り返していた。アーサーはともかく、一般の十四歳より体力がないわけではないと思うけれど、既に一度学校に走ってきたのであろう彼は更に走らされたことでもうフラフラだった。私の呼びかけに悪態をつく余裕もない様子で時々酸素を取り込んでから咳き込んでしまう。ゼェ、ハァを苦しそうにする彼の顔色はもともとの白さに増して酸欠に近かった。

アーサーが周囲を警戒してくれる中、彼の背中を摩りながら言葉だけでもかける。彼に水をとアーサーにお願いすると、担いでくれたリュックから自分の分の水を彼に手渡した。ディオスも弱弱しくそれを受け取ると、コクコクと喉を鳴らし出した。

大分喉が枯れていたのか、仰ぐように喉を逸らして最後まで飲み干すとやっとプハァッと強く息を吐き、背中ごと丸くしたまま口を開く。


「ッどうして!僕がお前らなんかにっ‼……なん、で逃がしたんだよ‼お前は、僕らを、追い詰」

「それは否定しないわ。だけど貴方達が最初から私の忠告を聞いていればこんなことにもならなかったわよ」

キッ‼と私の発言に鋭い眼光でディオスが振り返った。

剥き出しにした歯を食い縛り、顎まで震わせて私を睨む。彼らを実質的に追い詰めたのはセドリックだけれど、そうするように計画したのも彼らに半強制で依頼をしたのも私だ。

王弟であるセドリックに直接言えない分、その矛先が私に向けられるのも想定の範囲内だ。「どうしてっ……」と噛み締めるように声をもらしたディオスは、一度口を噤んだ。若葉色の瞳を揺らしながら、また泣きそうな顔に歪めて私を見る。


「連れて行かせてどうするつもりだよ……。どうせ学校だけじゃなく、今度は僕らの仕事まで奪うんだろっ……」

「〝今の働き方〟を続けるつもりなら、止めるつもりよ」

弱弱しく顔を歪めて下唇を咬み押し黙るディオスは、ぎゅううっと拳が震えるほどに握った。

どうして自分が私にここまで言われなければわからないと全身に訴えている。殆ど初対面の私に、本当なら彼らの生き方や人生を否定する権利も止める権利もない。だけど


彼らが自ら崩壊へ進むつもりというのなら。


「もう一度尋ねるわ、ディオス。貴方にとってこれが()()()()()()()()()()()よく考えて答えなさい」

声を低め、はっきりと彼に言い放つ。

水を飲んだ後も荒い息で上下する彼の両肩を掴み、丸い背中で私より小さくなっている彼を見下ろす。眉間をぎゅっと寄せて私を睨みあげる彼を正面から見据え、押しやれば簡単にそのまま地面へ尻もちをついた。

どさっ、と地面に後ろ手をついて崩れるように座り込む彼と一緒に私も両膝を地面に落とす。王女として命令する時のように、意志を込めて睨む彼を私からも瞬きせずに見つめ返す。

ラスボス女王の顔つきに怯えたように、ディオスは呼吸とは関係なく痙攣するように肩が飛び上がった。細い咽喉が上下し、今までの威嚇とは違って少し怯え始めているのがわかった。


「貴方はだれ?」

あの時と同じように、今度は私からもはっきりとそれを訪ねる。

地についたまま、地面をひっかくように拳を握るディオスは答えない。僅かに背中を私から反らした彼は咬んだ下唇を一度離し、何かを言おうと口を開いてまた閉じた。言葉が喉の奥で詰まっているかのようだ。

既に彼がディオスであることはセドリックによって証明されている。だけど、大事なのは単なる証明でなく、その確固たる〝自信〟だ。

黙し、彼の言葉を待ち続ければ、私から逃げるように視線を地面に落とした彼はか細い声で言葉を紡いだ。


「……でぃおす。……ディオス・ファーナムだ。クロイの、双子の」

「本当に?」

敢えて言葉を被せて問いただせば、ビクリと肩を震わし顔を上げた。

蒼白な顔にはもう殆ど血の気がない。見開いた目を潤ませる彼は、噛んだまま唇を震わせた。それを真っ直ぐ見返したまま捉えれば、お互いに見つめ合うだけの時間が流れる。私に返す言葉を必死に探す様子の彼は、まだ何も答えられない。

今の彼にとって、恐らくこれは最も怖い問いだ。


「お姉様はそれを証明できる?……貴方は、本当に」


滲み、潤ませた涙が彼の白い肌を伝い出す。

悔しそうに表情を険しくさせ、未だ言葉を精製しようとせずに汗だけを湿らせる喉は何度も口の中を飲み込んだ。……きっと本当はこの問いにもう〝答えられなくなっている〟自分に、誰よりも恐怖しているのは彼自身だろう。

細い肩を掴む指に力を込め、強制的に私に意識を向けさせてもう一度問いただす。普通なら誰もが質問の意図すらわからず、当然だと即答できる簡単な問いを、彼に。



「〝ディオス〟だと。そう自信を持って証明できる?」



見開いたままの彼の目が絶望に染まる。

やせ衰えた身体と、血色の無くなった肌が真っ白な髪と相まってまるで死体のように色褪せた。私の問いよりも、それに即答できない自分に絶望しているようだ。

パチリ……パチリ……と思い出したような瞬きは酷く遅く、濡れて赤くなった若葉色の瞳までもが色を失っていく。彼一人だけが世界から白以外の色を奪われていくかのようだった。

沈黙を保ったままの彼は暫くしてゆっくり、本当にスローモーションのようにゆっくりと、土だらけになった自分の両手に視線を落とす。そして彼は、答えを持っていない。

時間をかけて自分の右手を頭のヘアピン一本に添えるように触れた彼は、指先から全身を振るわせ始めた。最初は微弱だった震えが次第に激しくなり、何も言えないままボロボロボロボロと大粒の涙をこぼし始める彼は……やっぱり、既におかしくなりかけていたのだと確信する。


「っ……やだ……。……やだっ、やだっ、やだ‼ 僕だって、僕だって、僕だってこんなのばっかは嫌だ!僕だって、クロイとっ姉さんとっセドッ……っ。……でぃおっ……ッディオスだけ可愛そうだ!ディオスは、僕だってずっと、僕と姉さんの為にっ……」

ぐちゃぐちゃと泥を作るかのように彼の言葉が混ざり出す。

震える細い手で頭を白髪ごと抱え出した彼は、そのまま何かから自分を守るように地面に額を打ち付け伏せ切った。

あまりの異常過ぎる言動に、周囲を見張っていたアーサーも振り返って唖然と口を開く。驚くのも当然だ。私から事情は聞いていたとはいえ、アーサーも目の当たりにするのは初めてなのだから。

混乱するかのように頭ごとグシャグシャと綺麗な髪を掻きあげて瞼を痙攣させる彼を落ち着けるべく、その背に触れながら私はゆっくりと彼に言い聞かす。

「落ち着きなさいディオス。大丈夫、貴方はディオスよ。セドリック、……セドリック王弟がさっきそう言っていたでしょう?貴方はクロイじゃな」



「嫌だ〝クロイ〟が良い‼‼なんでディオスばっかり苦しまないといけないんだ‼‼」



ガラついた喉からまた劫火のような怒声が放たれた。

ぐわりと顔を勢いよく上げたディオスが、濡れた目で私を睨む。ギリッと食い縛った音まで耳に届く。

それに〝まずい〟と思った瞬間、両肩を掴まれていた彼の方から私に手を伸ばしてくる。ジャンヌ!とアーサーが仲裁へ飛び込んでくるのより至近距離のディオスの方が僅かに早い。彼の肩を掴む手を逆に掴み返そうと私の腕を細い指が食い込もうとした瞬間、アーサーがディオスを引きはがそうとするよりも先に


ディオスが吹き飛んだ。


バンッ!と、何が起こったかわからないほどの一瞬で私の目の前にいた彼がその背後にある壁に背中を打ち付けた。

座った体勢からそのまま背中を打ち付けた彼は、短く呻いた後にズルズルと地面へ崩れるように座り込んでしまう。直後に「大丈夫っすか?!」と私と彼の間に入ったアーサーが、膝を折って守るようにそっと私の肩を引き寄せてくれた。

大丈夫よ……とディオスの肩を掴んでいたままの形の手が、今は空気しか触れていない。一メートル以上背後に突然吹き飛んだディオスは、項垂れるように壁に寄り掛かったまま俯くだけだ。ぶつぶつと「僕も……、なんで…………なんで」と呟く声が聞こえるから、意識は失ってはいない。

周囲を見回してもここには私とディオス、アーサーだけだ。つまりは、とディオスが吹き飛んだ理由を理解し、アーサーに目を受ければ彼も大きく頷いた。うん、間違いない。


「ディオス……」

大丈夫、今も首を絞めてこようとしたわけでもなく、ただ腕を掴み返してきただけだ。

そう思って私は立ち上がる。アーサーが危ないと言わんばかりに腕で私にそれ以上近づかないように制したけれど、それをゆっくり下ろさせた。「大丈夫よ」と小さく声を掛け、アーサーが自分の意志で降ろしてくれてから、壁にもたれかかったままのディオスに一歩一歩歩み寄る。アーサーと一緒に再び彼の前で足を止めてから、目線を合わせる前に私はアーサー達へ呼びかける。


「大丈夫です。次は怪我をしそうになったら止めて下さい」

助けようとしてくれた感謝も込めて、穏やかに聞こえるように声をやわらかく放つ。

返事はない。だけど、そのまま再び両膝をついて動かないディオスに手を伸ばしても誰にも止められなかった。

そして、……ディオス本人も止めなかった。もう拳を握ることもなく、力なく地面に垂らしたまま半開いた目からパタパタと涙を零す姿は白髪と端正な顔が合わさって呪い人形のようだった。

頭を痛めていないかと、最初に後頭部に正面から手を回してそっと撫でる。少なくとも手探りでは腫れていないことにほっとしつつ、やっぱり手加減はされていたのだなと思う。他にも打ったところで痛めてはいないかとペタペタ触れる私に、もうディオスは放心に近かった。

ぶつぶつと掠れたぼやき声にも近い独り言が聞こえるけれど、殆どが口の中だけで消えていた。こんな近くにいても殆ど聞こえない。ただ、


「…………ごめん……クロイ、……ごめん…………ディオス……」


急速に彼が壊れ初めていることだけは確かだった。

涙の粒が弾ける音と同じくらいの掠れた声は、見ているだけで痛々しかった。こんなになるまでこの子はこの四日間……ううん、もっと長い、長い間きっとこの子たちは苦しんできた。


「もうやめましょう、ディオス。……これ以上それに頼っちゃだめ」

「いやだ……。…………こう、しないと……もう、………………戻りたくない」

首を振る余力もないように、口だけが小さく動く。

もう今度こそ最後の怒る気力も削がれた様子のディオスは、言葉だけは頑なだった。まだ一週間も経っていない筈なのに、こんなにも彼は〝それ〟に依存してしまったのだと思い知る。学校で見かけた時や、セドリックの話を聞く限りは本当に普通に過ごしていた筈なのに。

人形になってしまった彼の垂れた手を、両手で掴む。このままじゃクロイの元どころか一歩も歩けなくなるんじゃないかと思うほど力付きてしまった彼に気持ちを注ぎ、呼びかける。


「自分でもわかっているでしょう、ディオス。貴方だけじゃない、クロイも危険なことも。……引き返せなくなったら、今度は後悔だけでは済まなくなるわ」

私の言葉に、それでもディオスは「いやだ」の言葉をぽつぽつと小雨のように繰り返した。もう届いてないんじゃないかと思うくらいに力ない声に反して開かれた目からこぼれる涙の量だけが増した。……やっぱり、自分でもちゃんとわかっている。

私の忠告通りそれがもう危険だということも、クロイもまた自分と同じくらい大変だということも。

それでも、もう抜けられない。


「ちゃんとクロイと話しましょう、ディオス。お姉様に聞かれたくないのでしょう?なら、今話さないとだめよ。今止まらないと、……一生本当のクロイとも話せなくなっちゃうわ」

「ッッいやだ……‼‼」

強い感情で彼が首をとうとう横に振った。

顔を恐怖で歪ませ、何度も振るディオスは自分から私の両手を掴み返した。さっきみたいな敵意ではなくまるで縋るように掴んだ彼は、力こそ込められていてもそれ以上はない。私に触れたままの彼は、今までの「いやだ」とは別の意図をもって波立てた感情をぶつけ、再び声を零した。


「いやだ、駄目だ、クロイは弟だ。僕が守ってやらないといけないのに、……………………僕の所為で、僕の為に……。……なのに。もう、いやだって……」

早口で気持ちだけが先行するようにポロポロと零れていた。

つまりは仲違いが起きたということか。セドリックの存在はそれだけ彼らには脅威だったのか。……それとも。


「…………お願い。もうやめましょう。貴方さえ決めてくれれば、……まだ引き返せるわ」

涙で濡れきった彼の顔は、目もとを指で掬うだけでは足りなかった。

服からハンカチを取り出し、彼の顔をとんとんと軽く叩くようにして涙を拭きとる。とめどない涙を前に、まさかもう限界を超えていたらと焦燥が迫る中、それでも今は彼を説得するしか道はない。

これだけは私の意志だけではどうにもならない。クロイがどう考えてくれていても、ディオス自身の意志が変わらないと駄目だ。たとえここでアレが始動しても、彼らの為にお姉様へ全ての事情を教えて彼らの苦労を水泡に帰しても、……ディオスが決めてくれないといつかは絶対にまた悲劇が起きてしまう。

顔全体を拭ったところで、最後に彼の目もとを交互に押さえつける。涙が川のように伝い続ける彼は、返事の代わりに小さく嗚咽を洩らした。

ひっく、ひっく、と喉を鳴らしてしゃくりあげる彼は、どうしても私の言葉に頷けない。頭ではわかっていてもどうしても頷けないように顔だけを歪ませるばかりだ。もしかしたらそれが〝どちらの〟意志なのかも、もう自分ではわからないのかもしれない。

彼の涙を拭き、声を掛け、拒まれるのを繰り返す。せめてクロイの元にと言っても、彼はもう手足の力すら入らないように脱力し、本人にもその意志がないようだった。本当にこのまま尽きてしまいそうなほど。

動けなくなってしまったディオスに、アーサーが今度はそっと肩に触れた。「俺が担ぎましょうか」と言ってくれるアーサーに私も悩む。彼の家がわからない今、一度落ち着かせる為にもエリック副隊長へ御自宅にディオスもとお願いすべきだろうかと考えたその時。



「ジャンヌ。ご無事ですか」



突然、聞きなれた声が掛けられた。

顔を上げればさっきまでいなかった人達が、物陰から飛び出してきた。ステイルだ。

エリック副隊長達と一緒に瞬間移動で駆けつけてくれたステイルは、壁に項垂れたディオスとそれに向き合う私達に目を丸くした。きっともうクロイのもとにたどり着いているものだと思っていたのだろう。実際、結構な時間が経っている。

唖然としたように私達とディオスを見比べながら「遅くなって申し訳ありませんでした」と謝ってくれるステイルは続けて「これは……」と声を洩らす。

ディオスも俯いたまま、顔を上げなかった。ステイル達が物陰から現れたのには気付いているだろうけれど、全く反応を示さない。私の手をぎゅっと両手で握り返したまま動かない彼は、ぼやくのもやめて唇を結んでしまう。




「ディオスはどうした?体調でも悪いのか」




その声に、ビクリッとディオスが今度は大きく反応した。

今まで気が付いていなかった彼は半開きだった目をまた限界まで開き、顔を上げた。口がポカリと空いたまま驚愕一色になった顔から初めて涙が流れ切って、止まった。

顔を上げた途端、ステイルだけでなくエリック副隊長とアラン隊長と、騎士が二人もいることにも驚いた様子で若葉色の目を白黒させたディオスは、その間に立つ人物に息まで止めた。


「セドリック様……⁈」

校門で会った時と一緒だ。

驚愕一色になった彼から、裏返りそうな声が止まった息とともに放たれた。まさか騎士どころか王族までこんなところにいるとは思いもしなかったのだろう。しかも馬車すら使わずに。

きっとディオスと私達が逃げてから、アラン隊長達と一緒に心配して会いに来てくれたのだろう。セドリックにとっては三日間面倒をみていた子だし、気にしない筈がない。

ディオスからの反応に「どうした?」と心配そうに顔を萎めるセドリックは、添えるように「どうしても気になって俺も同行させてもらった」と断った。

するとさっきまで自分から背中すら壁から起こさなかったディオスが、急に足に力が入ったように座り直した。さっきまで両足を放り出していた体勢から、慣れない動作で綺麗に地面に座り直そうとする彼の視線はもうセドリックしか入っていない。私を握り返す手も離し、手を膝についてセドリックへと向き直る。驚愕色の顔をみるみるうちに不安げに歪めたディオスは、まるで今から殺される前のような顔で唇を動かした。


「セドリック様……!ご、ごめんなさいごめんなさい‼あのっ……僕ら、違う!僕がっ……ディオスはっ……じゃなくてクロイは悪くないんです!僕が、お願いして、僕がクロイにやらせてっ……本当に、王族の人を騙すつもりなんてなくて‼‼」

支離滅裂になりながら言葉を必死に紡ぐディオスは、ひれ伏すように頭をペタリと下げた。

正しい型を知らない彼の平伏はとても不慣れで、勢いよく頭を下げ過ぎてゴンッと地面にぶつけ、ペコペコと頭を下げようとして二度目もまたぶつけていた。

突然のディオスからの平謝りにセドリックの方が驚いたように顎を上げ、瞬きも忘れて見返してしまう。一体何故自分が謝られているのかもわからない様子で、少しだけ狼狽えたセドリックは「どうした?何を言っている⁇」と慌ててディオスに駆け寄った。「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」とその後からは繰り返し誤り続けて顔を上げないディオスに、顔を上げさせようと片膝をつく。

ディオスが顔を俯けている内に、一度私へ訪ねるように目線を合わせた。彼に少しでも事情と説明が伝わるように私はセドリックではなくディオスに向かって声を掛ける。


「ディオス、聞いて。大丈夫よ、最初に言ったでしょう?「やり方もそっちに任せる」と。セドリック王弟殿下は貴方達が()()()()()()()()()()()()()()()ことくらいで怒らないわ」

そういってセドリックの方に平伏する彼の肩に再び触れる。

さっきとは比べ物にならないほど小刻みに震えていた彼は、まるで雪の塊のように冷たくなっていた。

セドリックも聞いて理解してくれたらしく「!ああ」と呟くと、彼からもディオスの反対の肩に手を置いた。大きな手で細い彼の肩を包むように掴めば、またビクリとディオスが大きく震えあがる。


「そんなことで怯えていたのか!だからクロイも突然顔色を変えたのか?もともと彼女からの依頼だ。俺が怒るわけがないだろう!」

宣言するような大きな声でセドリックが言い切れば、ゆるやかにディオスの身体の震えが止まりだした。

それでも信じられないのか、固まったまま地面と同化するディオスにセドリックが「俺を困らせたくないなら顔を上げてくれ」と頼む。それに応えるように小さくディオスが顔を上げた。

額に擦り傷を作った彼を、その勢いのまま今度は両肩を掴み力強くで身体ごと起こさせた。目を丸くしたままのディオスの目が、釘でも打たれたかのようにセドリックから離れない。


「怒って……ないですか?……僕、……その、でも、昨日嘘ついて」

「あの程度の嘘で怒れる資格など俺にはない。気にするな。……そういう真面目さはクロイに似ているな」

ぽかんとした顔で尋ねるディオスに、セドリックがなんてことないように笑う。

そのまま起こした彼の肩から右手を離すと「痛まないか?」と赤くなった額を優しく指でなぞった。その途端、見開いたままのディオスの目がじわじわとまた涙を潤ませ零し始めた。

「ディオス⁇」と予想外の反応にセドリックが声を上げると、また彼の喉が引き攣り始めた。ひっ……ひっぐ!と大きくしゃくりあげるディオスの目をセドリックが指の腹で何度も拭えば、とうとう嗚咽から泣き声まで上げ始めた。十四歳とは思えないほどに幼い声でうえええええぇぇえええええ゛え゛!と声を上げて泣き出す姿に、私までびっくりする。

それにセドリックは「どうしたどうした」と目を丸くしながら、抱きしめるように腕を回してディオスの背中を叩いた。まるで手慣れているかのような様子に、……きっとセドリック自身も〝そう〟されたのだろうなと思う。

よしよしと、まるで小さな子どもをあやすような声をかけるセドリックは、そのままディオスの喉が泣き声から嗚咽に収まるのを待ってから、最後にその背を撫でた。「怒っていないといっているだろう」と優しく声掛け、なだめる。


「ディオス。それでクロイはどうした?プ……ジャンヌ達と向かうところだったのだろう?せっかくだ、俺も連れて行ってくれないか」

俺もクロイのことが気になっている。と、続けるセドリックにディオスはヒッグ!と大きなしゃくり上げで返した。

返事か偶然かもわからないそれに、セドリックが「ほら立て。それとも俺が背負うか?」と抱きしめた腕を緩めて呼びかける。ふるふるとそれに首を振るディオスは、今度はゆっくりと膝に手をついて立ち上がった。

ぐし、と手の甲で目をこするディオスにセドリックも並ぶように立ち上がる。「よし行くか」と明るく言えば、こくりと小さく頷いた。

トボトボと言えるほど足並みは遅く、喉を引き攣らせながら歩く彼はそれでも自分の意志で体を動かした。先導するように歩く彼に私達も続くべく足並みを揃える。

良かった、セドリックのお陰だと、彼の背中を見つめながら私は静かに胸を撫で下ろすと


「……………………」


ちらっ、と。

一度だけ彼が急に振り返ってきた。……セドリックではなく、私の方に。

もしかして私は付いてくるなという意味か、それともセドリックとの本当の関係を怪しまれているのか。少し不安に胸がもやついてしまったけれど、すぐにまた前を向いたディオスは何も言わなかった。隣を歩くセドリックが「まったく、心配したぞ」とその背中を叩けば、ディオスの方から「ごめんなさい……」と消え入りそうな萎んだ声が聞こえてきた。

彼らと私を護衛するようにアラン隊長、エリック副隊長、アーサー、そしてステイルが付いてくれながら私達はディオスの後へ続いた。


「!……ハリソンさん。もう普通で大丈夫だと思います」

ふと、アーサーがディオスに聞こえない程度の声を宙に投げかけた。

その途端ふわりと一度風が吹いた後、さっきまで姿を現さなかった筈のハリソン副隊長がエリック副隊長の隣に並んだ。無言のまま何ごともなかったかのように歩くハリソン副隊長にエリック副隊長の肩がわずかに上がった。「お疲れ様です」と声を掛けたけど、ハリソン副隊長からの返事はない。

アラン隊長が苦笑いをしながら「ハリソン、一般人に変なことしてないだろうな?」と尋ねたけれど、やはり返答はない。私とアーサーもその投げ掛けには一度意識的に唇を絞った。

それからディオスの目を盗み、ハリソン副隊長達へは彼らが私に何をしてきても危険がない限りは抑えるようにとこっそりお願いする。


間違ってもさっきのように、彼らを壁に叩きつけたりしないようにと願いながら。


私達は、クロイの元へと向かった。


Ⅱ32

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