そして乾杯する。
「この前ヴァルとは乾杯できたけれど、二人はもう寝ていたから。今日で無事プライドの極秘視察も終え彼女の目的も無事完遂できて、それに明日からは正真正銘君たちも新しい生活になるのだろう?」
最初にボトルの一つを開け、グラスを少しずつ傾ければトロリと赤いシロップが注がれた。
ボトルから香る甘い香りに、セフェクの目がきらりと光る。ケメトも果実の香りにくんくんと鼻を動かした。ラベルを読んだ二人は、それが何と言う果実のシロップかも今はわかっているがレオンが何をするつもりかはわからない。
始めてそれを船乗りから聞いた自分と同じように、二人が興味を持ってくれたことに顔がにこにこと笑みながらレオンは手を動かす。
教えて貰った一回だけで量も注ぎ方も身に着けたレオンは、これを学んですぐに同じ品を買い付けていた。ヴァルに二人が酒を好むか飲むかを聞く前でも、これなら二人と乾杯できると思うと楽しみで仕方がなかった。
ほんの指二本分の幅だけグラスに注がれた後、今度はもう一つのボトルの中身が注がれる。マドラーを通し慎重に注がれる液体は正真正銘ただのジュースだ。下層のカシスのシロップの上に衝撃も最小限に注がれるオレンジの液体で二層を作り上げれば、二人も「わぁ」と声を重ねた。
まるでティアラやレオンのところで出される極上のスイーツのような見かけと、液体が混ざらず二層のまま維持されている光景はそれだけで胸ときめいた。
「果実のシロップとジュースだけだから二人も好きかなと思うよ。混ぜるともっとお酒に見える色になるけれど、こっちの方が見かけも綺麗だから」
「甘い尽くしじゃねぇか」
どうぞ、とセフェクとケメトの前にグラスをそれぞれ滑らすレオンにヴァルが顔を顰める。
甘い物も普通に食せるヴァルだが、甘いものをさらに甘くした目の前の飲み物に安酒の方が味はマシだと思う。想像するだけで舌を口の中で丸めた。
レオンから差し出されたグラスに、味を確かめるよりも赤とオレンジの二層の美しさに二人は目をきらきらさせる。
二人の理想的なな反応に顔を綻ばせるレオンは流れるように自分のグラスにも酒を注いだ。取り敢えず飲むことについては三人から異議はないようだと安心しながら、グラスを軽く掲げてみせた。三人にとっての祝うべき時を自分も一緒に祝したくて仕方がない。
乾杯、と軽く誘いかけてみれば今度は自分でも驚くほどすぐにセフェクとケメトから「乾杯!」と反応があった。
早く中身を味わってみたい欲求からとはいえ、輝く眼差しのままに自分へグラスを持ちカランカランッと当ててくれた二人に思わずぽかんと目が丸くなる。最初の頃はご馳走しても会話すら殆どしてくれなかった二人が、満面の笑みで乾杯を受けてくれたことはそれなりの衝撃だった。
勢いのままにレオンのグラスだけでなく二人のグラスからも中身が跳ねて零れたが、構わずセフェクとケメトは続けてヴァルの酒瓶へ嬉々としてグラスを当てた。突然酒瓶にぶつけられ軽く摘まみ持っていたヴァルは瓶を手から弾かれそうようになり肩が上下したが、なんとか落とすことなく済んだ。
「ヴァルも乾杯!」「乾杯です!」と声を弾ませる二人にも文句より一音だけしか返さない。
そのままマドラーも動かさず口へ傾けた二人だが、勢いよく乾杯を繰り返したグラスは既に中身の二層が崩れていた。二人にとっても何の憂いもなく乾杯できるのが嬉しくて仕方がない。
「~美味しいっ!!」
「すっごく美味しいです!僕これなら飲めます!!」
酒じゃねぇんだから当たり前だ、と目輝かせる二人にヴァルは溜息を吐きながらジュースでべたついた酒瓶を揺らす。
二人の反応に、滑らかに笑むどころか未だぽかんとしたままグラス片手に固まっているレオンに目を向けた。ソースを零した時のセフェク以上に、二人のジュースで右手の袖が染まっているが気にも留めていない。
自分でやって誘っておきながらあまりにもわかりやすい反応をするレオンに、飽きれた息を吐きながらヴァルは酒瓶をそのままに手を伸ばした。
カランッ!と、短い硝子の響きと振動にレオンの目が覚める。パチリと大きく瞬きをしながら翡翠の視線を向ければヴァルの酒瓶が自分のグラスに当てられていた。
その反応に、彼からしても二人への乾杯提供は悪くないものだったのだなとわかりレオンもふと肩の力が抜けた。柔らかな笑みをそのまま浮かべれば、その反応に少しだけヴァルの片眉が吊り上がった。
「なんだ」と短く尋ねるヴァルへ「ううん」の一言と滑らかな笑みで返すレオンはそこで初めて乾杯したグラスに口を付けた。
少しさっきより甘い気がするのが二人のジュースがこぼれたからか気持ちの問題か今はわからない。
「確か明日から選択授業も固定を決めるんだっけ?セフェクとケメトはもう何にするかは決めたのかい?」
「私は女子の選択は料理と被服と、あと男女共有はマナーの授業」
「僕もマナーは取ります!専攻歴史や座学関連もできるだけ取って、あと男女別は強くなりたいから騎士の授業も取ろうかなって」
学校見学を重ねたレオンは、プラデストのカリキュラムも把握している。
男女別と共有で最高で五科目ずつ選択授業を取れるが、ケメトは幅広くセフェクは数を絞る様子かなと考える。
二人の希望選択授業についてはヴァルも初耳だった為、へぇとだけ声を漏らした。ケメトの希望はそこまで意外ではなかったが、セフェクの方はそれなりに感想も口に出た。
どれも普段の彼女からは想像しなかった科目名に「ダチにでもせがまれたか」と聞いてみれば、吊り上がった目で睨まれた。半分図星でもある。
「料理と被服はヴァルとケメトが全然できないから仕方なくなんだからね‼︎」
ビシャンッ!と今夜二撃目がまたヴァルの顔面に直撃した。
レオンとケメトが二枚目のタオルを取ろうとしたが、面倒がったヴァルが先にさっき床に投げた使用済みのタオルを拾い上げた。
顔を拭いながら、二撃受けて完全に濡れ切った上着に渇くことを諦める。褐色の肌の張り付く上着を脱ぎ、叩きつけるようにタオルと一緒にまた床へ放り投げた。
上半身に何も纏わないまま酒瓶を掴み直すヴァルに「風邪ひくよ?」とレオンからも着替えを提案したが一言で断られた。今更この程度で風邪を引けるような生活をしていない。
その間もセフェク一人は構わず「料理ができるようになれば野宿でももっと美味しいの食べれるし服が破れても治せるでしょ!!」と言葉を続けた。
今まで野宿では最悪食材を焼くだけか丸齧り、服が破れてもそのままで放置か丸ごと買い替えるしかしてこなかった生活はセフェクも不自由は感じなかったが、それでも今後も配達や野宿を続ける中でそれくらいできた方がもっと二人に良い生活をさせてあげて自分が役にも立てると思う。
すべての選択授業で配達を続けることと生活についての授業しか興味も持たなかったセフェクだが、都合よくその二科目に友達も興味を持っていたら迷いはなかった。被服は感じの良かった講師が近々変わることは噂で聞いて残念だが、やはり習得して困る授業ではないことは体験授業で確認できた。
セフェクの主張を聞きながら裁縫も料理もいっそケメトの方が器用にできそうだと考えが過ったヴァルとレオンだが、そこは二人とも頭の中だけで口を噤んだ。どちらにせよ、その二科目は女子だけの選択授業だ。何よりセフェクがやりたいと思うのならば本人の技量は関係ない。
「それに勉強とかは座学は友達に教えて貰うから選択授業は実技で良いの!!」
その子は頭が良いんだから!と自分のことのように胸を張るセフェクに、ケメトは嬉しそうに笑んだ。
特待生試験の時は友人に負けたことを少し気まずそうにしていたが、今はむしろ誇らしそうな様子に安堵する。ケメトにとっても、セフェクが少しずつ仲の良い友達ができてくれるのは嬉しい。友達との勉強会を口にするセフェクに「良いですね」と配達がない日はそういう放課後も楽しいと思う。
学年では上位のケメトだが、セフェクのように友達に勉強を教えてあげるのも良いなと思う。自分の周りには寮住まいの子も、自分と同じ下級層出身の子も多くいる。
自分が教えてあげられるなら何でも力になってあげたいと思えば、そこで最初に頭に浮かんだのは生徒ではない一人の少女だ。
「……僕もグレシルに勉強教えてあげたいです」
ええっ!!とセフェクから次の瞬間ひと際大きい声が上がる。
眉間に皺を寄せながらケメトに視線を注ぐ彼女から「私は嫌い!」とはっきりと嫌悪が言葉にされた。グレシルのやったこととケメトを陥れようとした策謀も含めて知るセフェクは当然のこと、ケメトの発言にはヴァルも片眉を上げた。まだ凝りていねぇのか、と思いながらもセフェクのように言葉にしようとはしない。
グレシルと名前を始めて聞くレオンだけが「友達かい?」と尋ねれば、セフェクが尖った声で「ケメトを騙そうとしたんだから‼︎」と主観込みでの悪行が語られた。
思い出した怒りのままに握っていたグラスが揺れて完全にマドラーの存在意義もなく中身が完全に混ざりきる。
セフェクからの説明に困ったように眉を垂らすケメトの反応と、むしろ興奮したセフェクの金切り声をうるさそうに片方の耳を手のひらで押さえるヴァルの反応に、レオンも少しだけ胸の中で首を捻る。
少なくともセフェクの話を聞くと自分も彼女と同意だなと思う。ケメトを騙し、裏稼業に売ろうとして他にも他生徒を貶めた少女を何故ケメトがまだ仲良くなりたいのかもヴァルが平然としているのかもわからない。
試しに「良いのかい?」とケメトではなくヴァルに一言投げてみれば、ケッと吐き捨てられた。
「ケメトの勝手だろ」
「でもケメトにまた酷いことしたから私は絶対嫌い!!」
そう言ってヴェルに牙を剥くセフェクの言葉に、彼女もケメトが関わること自体は止めないんだなとレオンは思う。
あくまで嫌いなのは〝自分だけ〟と主張する彼女は、ケメトには何も止めに入らない。そして勝手だと言うヴァルも見ると、この二人はケメトの選択は関係なくどちらにせよ守るつもりがあるから自由にさせるのかなと考える。
既に彼の希望通りに入学祝の品にナイフを身に付けさせていることも買い物に付き合ったレオンは知っている。
二人のやり取りにケメトも眉を垂らしながら「僕も酷いことされないくらい頑張って強くなります」と言うケメトはグレシルを弁護しようともしなければ、関わることを止めようともしない。
「ケメトはその子のことが好きなのかい?」
純粋な疑問がレオンから転がる。
話を聞く限り、どうしようもない悪人にしか思えない彼女を憎むどころかそこまで気に掛けるのは不思議だった。ならば好意の理由、と考えればパッと浮かぶのは恋愛だ。
悪戯にからかうのではなく、何故彼女にそこまで構うのかという疑問の一つの選択肢として投げるレオンにセフェクも目を丸くしてケメトを見た。
なんでもかんでも恋愛に絡めねぇと気が済まねぇのかとヴァルが欠伸を零す中、ケメトはレオンへときょとんと首を傾げる。
「好き⁇ですか」と単語をそのまま返すケメトに「恋をしているのかい」と直球をレオンが投げる。年頃の少年に家族の前で直接的過ぎたかなと発言後に少し考え直したレオンだったが、ケメトの返答はすぐだった。
「友達ですよ。たくさん僕の大好きな人達の自慢話を聞いてくれた友達です。学校のお陰でできた大勢の友達の中の一人で、僕にとって特別な女の子は姉のセフェクだけです」
ねっ、と直後にはケメトが満面の笑みをセフェクへ向ければパッとセフェクも顔が綻んだ。ねーっ、と弾む声で返しながら安堵のままにケメトを抱き締める。
続けて「でも主とティアラも大好きです!」とさらなる恋愛感情と別の存在を上げられれば、セフェクも「私も!」と言葉を重ねた。
あまりにも不変のケメトにレオンも負けたような気分で肩を竦めてしまう。横目でヴァルを見れば、彼は全く動じるどころか最初からわかっていたかのようにつまらなそうに酒を飲んでいた。
二人と大分仲良くなれたつもりでも、まだヴァルにはセフェクとケメトの理解度では勝てないのだなと当然と知りつつも痛感させられる。そうかい、とその一言だけで享受を示したレオンはそのまま飲みかけのグラスを頭の横に軽く掲げて見せた。
「……また〝乾杯用〟の種類数を増やしておくよ。ヴァルだけでなくケメトやセフェクに嬉しいことがあったら、またこうして聞かせて欲しいな」
学校のことでも、グレシルの今後でもとそう含ませながら滑らかな笑みで笑いかけたレオンに、ケメトとセフェクも陰り一つない笑顔で言葉を返した。
レオンの城を訪れることの楽しみが増えたことに、今は次の乾杯を心待ちにする。
二日に一回の配達に、時々のレオンへの近況報告と乾杯。
昔のことが嘘のようにレオンと晩酌の約束をする二人を前に、ヴァルは勝手に動きそうな口角を酒と一緒に大口で飲み込み押し止めた。
二人がそれなりに成長していることもたくましくなっていることも、自分と生活していることを疑われてもいいほどに〝マトモ〟な性格だということもわかっている。しかしそれ以上に今は
自分も昔、似たような誘い文句でレオンに酒に誘われたという事実に。…………なんだかんだで揃って誰よりも自分に似てしまっていると今更ながらに一人気が付いた。




