楽しみ、
「どうだい?一か月の学校生活は楽しめたかい?」
「…………クソガキ共をいびった時程度だな」
後は寝ていただけで楽しめたもクソもねぇ、テメェが来た時は面倒でしかなかったと嫌味も交えた愚痴を続けたが、レオンは「そっかぁ」と受け流して笑みを続けるだけだった。
学校の授業に毛頭興味も沸かなければできる限り放棄したヴァルにとって、プラデストの設備はともかく機関やカリキュラムについての感想はない。しかしレオンの問い掛けに不良生徒をいびったこと以外良い思い出などないと言おうと口を一度浮かせれば……直前、プライドの所為で惰眠が深くなった二限を思い出し無意識に止まってしまった。
レオンに嘘を吐くことはできるヴァルだが、それでもつい口が止まってしまったことに一人顔を苦々しく歪めた。言葉と一緒に飲み込む酒が無駄に不味くなる。
ヴァルの反応に、他にも何か楽しいことかもしくはその逆があったのかなと考えながらレオンはグラスを一口二口含んでから頬杖を突く。
「僕は楽しかったよ」と言いながら、この一か月の思い出に思考を回す。間接的にであったがプライドの予知に協力できたことも、フリージア王国の新機関である学校を一番に見学できたことも良かったと思う。お陰で他国に差をつけてアネモネ王国は早速学校設立の準備を進められている。
今日もレオンの見聞きした情報をもとに、アネモネ王国城下に設立場所の検討に入っている。フリージア王国に倣い、アネモネ王国も学の必要な民に向けてである学校を城下の中でも王都よりも一般の民が通いやすい場所にと決議した。
「本当に良い一か月だったなぁ。プライドも可愛かったし、予期せず良い紹介もあったからね」
そして自分にとってのひと月を思い浮かべれば、アネモネ王国とは別に愛くるしいプライドの姿を思い出す。
もうあの姿は見れないと思うと惜しくは思うが、それ以上に目にできた喜びが強い。自分が出会う前のあどけなさも残るプライドをこの目にすることができたのだから。
今でも学校見学初日に目を丸くした彼女や、その後も飾り気を排除した素顔の愛らしさで自分に笑いかけてくれた時を思い出せば胸がとくんと鳴り響いた。
あんな愛らしい姿まで見られたなんて本当に自分には公にも個人的にも得しかない一か月だったと思う。
しかも、彼女に紹介された発明家の少年を思い出せばむしろアネモネ王国側が何か礼をすべきじゃないかとまで考える。
大事に保管しているネイトの発明は未だ一回も使用していないが、父親に説明した時もとても驚いていた。時間も日にちもかかる筈の姿絵が、ほんの一瞬で手に入るなど記録を残したい王族や上流階級には夢のような製品だ。
残り三回と思えば無駄使いはできないが、自分が個人的に買った分なら一回はプライドと残せればと心の中で思う。そして、可能であれば一緒に目の前にいる三人の家族も一緒に写ってくれたら嬉しいのだけれどと、発明を買い取ったその日からずっと画策し続けている希望を思う。
今ここで事前に頼んでもセフェクとケメトはともかくヴァルが頷いてくれないだろうことはわかっている。
ならば残す機会は、定期訪問と彼らがフリージアに帰還する日を合わせるくらいだろうかと今も綿密に考える。
自分とプライドだけを姿絵に残すなんて自分からは許されないし、それにプライドと目の前の友人が一緒に入っている姿絵も欲しいとも思う。そこに自分も入っていれば尚嬉しい。
王族である自分やプライドはともかく、同じ場所に何時間何日も同じポーズで佇み続けないといけない姿絵なんてヴァルが付き合ってくれるとは思えないから余計にだ。
一瞬で姿絵が手に入るなんて、彼のような性格の者の姿も遺す為の専用機材じゃないかとも過った。
ネイトに関してはプライドに助力して救出した時はなかなか難しい境遇の子だったなと思ったが、知り合えばそれ以上にとんでもない才能を持つ逸材だった。
本気を出せばたった一日でも発明を完成させてしまい、短時間で込められるらしい特殊能力。そして今年で十三歳にも関わらずの天性の技術力。学校で学ぶことを課題にしたが、彼が一人前の知識と常識を持つ大人になれば一人で莫大な財産を築けてしまえると冗談抜きで確信に近く思う。
そんな金の卵とも呼べる才能を持つ若き発明家を、アネモネ王国の第一王子である自分が紹介して貰えたのは幸運だった。彼がより高値に売ることを目的にとはいえ、国外に売買を求めている上でアネモネ王国がその契約を結べた。生産ペースが凄まじいだけでなく、あの発明自体今まで国外市場に出された発明の中でも目を引く。
王侯貴族に富裕層、手さえ届くなら庶民も誰もが欲しいと憧れる商品だ。今後価値は膨大に上がり、ネイトの発明の仲介料だけでもアネモネ王国は相当な利益になる。よりにもよってあの才能の塊である少年の発明を独占契約できたことはアネモネ王国にとって膨大な利益だった。
あとは彼が今後も叔父のような醜い人間に狙われないように願うばかりだ。
少なくとも時々ネイトの学力確認もする予定が入っている分、少しは発明以外でも目を配ることはできるだろうかと考える。多忙な自分が直々に会いに行けるかは別だが、信頼できる従者やアネモネ騎士へ任せることはできる。
滑らかな笑みが僅かに崩れてにこにこと綻び出すレオンに、ヴァルは三本目の酒に口を付けながら鼻で笑う。
どうせ彼がそんな顔をしている時は、プライドか自国の利益でも考えているんだろうと検討づける。ここで「何笑ってやがる」と言っても、そのどちらかへの惚気話を聞かされるだけだ。
敢えて睨むだけで何も言わずに酒を傾け続ければ、レオンもグラスを同じように傾けた。先ほどよりも大口で飲むレオンはそこで不意に視線をヴァルからずらす。空になったグラスを軽く掲げて見せながら「飲むかい?」と滑らかな笑みを向けてみる。
「セフェク、ケメト。一緒に乾杯しないかい」
あー?と、返事をしたのはヴァルが先だった。
突然のお誘いに、狐に包まれたように目を丸くするセフェクにケメトも首を傾げたまますぐには返さなかった。今までヴァルと共にレオンと同じテーブルに着いたことは何度もある二人だが、乾杯を勧められるなど始めてだった。
どういうつもりだ、とヴァルが声を低めながら訝しめばレオンは肩を竦める動作だけで笑って見せた。自分の発言を三人がどう捉えているかもわかった上でわざと黙してみる。
女の子であるセフェクと、年齢で飲酒を縛る法がないとはいえ身体の小さなケメトに酒を飲ませることは流石にヴァルも気にするのかなと少しだけ様子を見てみる。
今まで自分の目の前では少なくとも酒を二人に飲ませたことがないヴァルだが、拒むというよりもただ「飲むか」とも誘わなかっただけ。酒を飲む自分達に興味を示さなかった二人に、警戒されないようにジュースや果物に菓子だけ出し続けたのもレオンだ。
酒が未熟な身体で飲むと体調不良を引き起こすこともあれば、大人よりも子どもは酔いやすいことも常識として知っているレオンだが、ヴァルがそういうところまで彼らに気にしているのかはまだ掴めない。セフェクとケメトを大事に想っていることは明らかだが、彼自身が酒に対して〝美味い飲み物〟としか思っていない節があるとレオンは思う。彼も自分と同じ、酔わない人種だから特にだ。
そして実際、ヴァルも別に二人に酒を飲ませたことはある。しかし突然酒の誘いと聞こえる言葉に、何のつもりかとは眉を寄せた。レオンにしては珍しい誘いにヴァルもヴァルでどういうつもりか掴めない。
滑らかな中性的な笑みと、訝しむ極悪の人相が視線を交わす中、おずおずとケメトが小さく声を漏らす。「あの……」とレオンへと断るのも悪い気になりながら、フォークとナイフを握り直す。
「僕、お酒は苦くてまだあんまり…………セフェクは僕より飲めるけど、やっぱり味が得意じゃないです」
ケメトの言葉にセフェクもこくこくと頷いた。
酒が主成分と言っても良いほど飲むヴァルと違い、二人は酒を美味しいとは感じない。酒の匂いこそヴァルと一緒に暮らす中で慣れているが、舌はまた別だった。ケメトは憧れはあっても実際飲めば苦く不味いとしか感じず、そしてセフェクも酒を飲むくらいなら果物を齧っていたい。
せっかく誘ってくれたのにごめんなさいと謝るケメトに、レオンはフッと笑う。ヴァル達がどういう反応をするかの興味本位だったが、それ以上に二人が自分と乾杯すること自体は嫌ではない反応が嬉しくなった。
ケメトはともかく、セフェクは飲めるということはあとは舌が慣れるかどうかの問題かなと考えながら「じゃあこれは?」と一度席を立つ。
ボトルを並べている中から、ひと際珍しい二本を両手に三人へ示して見せた。
「大丈夫、お酒じゃないよ。この前取引した貿易船の娘から面白い飲み方を教えて貰って、二人に飲んでみて欲しかったんだ」
ボトルを二本二人に見えるようにテーブルへ置けば、以前より文字が円滑に読める二人は同時に身を乗り出した。
ヴァルも背凭れに預けたまま目だけでそのラベルを睨む。酒じゃないなら何なんだと逆の興味がわきながら、ラベルとその向こうで二人分のグラスを棚から取り出すレオンを同時に捉える。
一つは酒どころか飲み物ですらない。一体何をするつもりかと考えるヴァルを前に、むしろレオンは鼻歌交じりにマドラーを取り出した。
ヴァルとの時は一回も使ったことがない、酒を一種類以上混ぜる為の先が丸い細い棒をカランッとグラスに入れて一緒に運んでくる。
「船乗りの娘さんなんだけどお酒が苦手なんだって」と言いながら、三人に見やすい位置にグラスを置いた。




