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フリージア王国備忘録<第二部>  作者: 天壱
嘲り少女と拝辞

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そして摂政は語る。


「今のうちに後悔を積みなさい」


二度と間違えたくないと思う自分に、まるで逆のことを言う叔父に一体どういう意味かとステイルは考える。ぱちりと大きく一度瞬きをした後は瞼がなくなったままだった。

口を俄かに開けたまま視線で尋ね続ける甥に、ヴェストは「勿論、今も許されないことは変わらないが」と流れるように付け加えた。しかし、その言葉の補足だけでは納得できない。

何より規則を重んじる叔父にしてはあまりにも不似合いな言葉にも思えた。ステイルの丸い視線に気づきながらも、ヴェストは落ち着いた口調で「それでも」とさらに続ける。


「今ならば、まだやり直しもきく。もし一人ではどうしようもない間違いや事態が生じても、後悔で済むこともあれば私達が留めることも……力になることもできる」

そう言いながらまたカップを持ち上げる。

喉を鳴らさず多めに飲み込めば、もう一口分だけが残った。今目の前にいる次期摂政、そして次期女王や次期王妹とただでさえ次世代は新体制にもなる。そんな中、何一つ綻びがないことの方が難しいとヴェストは思う。

そしてまだ上に自分やアルバートやローザ、そしてジルベールも構えている今ならばある程度はその間違いを途中で止めることも諫めることもできる。少なくとも最終決定における大事ならば、必ず独断ではなく自分達最上層部の許可が必要になる。

そして、年長者である自分達から助言を与えることも、正しい道筋を示すこともできる。上に自分以外の人間がいないことが全て楽とは限らないと、ヴェストは身をもって知っている。……正確には、養子になってから痛感した。


「しかし摂政になればそうはいかない。国の命運にも大勢の命にも関わることになる」

プライドやティアラも同様だと。そう断言するヴェストの言葉に、一気に反るほどステイルの背が伸びた。

摂政になるという責務がどれほど重いものであるかと思い知る。〝自身の失敗だけでは許されない〟という事実が、わかっていた筈なのに今改めて鉛のように肩へと伸し掛かった。

今回の犯した自身の過ちによるプライドの行動理念も、彼女が今女王だったらと思えば背筋をひんやりと冷やした。今回は〝規則〟程度で済んだが、これが国を跨ぐ法に関われば取返しもつかなくなったかもしれないと最悪の事態まで頭に駆け巡る。


「だからこそ今の内に失敗も後悔も覚えなさい。お前は昔から何事も完璧に済まそうとする節があるから余計にだ」

ぐ、と最後の言葉にステイルは思わず奥歯を噛んだ。

やはり叔父には見抜かれていると思いながら、言い返せない。失敗も後悔も、今自分が最も恐れているものまで見抜かれてしまったことに頬が熱くなった。僅かに情けない顔になってしまったことを隠しきれないままに唇を絞る。

ステイルのその反応に、ヴェストは表情には出さず胸の内で笑むとさっきまで目を通していた書類に指をかけた。一度閉じてしまったそれを、読みかけていた部分まで一枚一枚めくっていく。


「今お前の内に反省や後悔があるならば、先ずはその反省点に気付くきっかけを与えてくれた存在や咎めてくれた存在がいなかったかを一度考えなさい。……そして今後もその存在の話には必ず耳を傾けなさい」

貴重な存在だ、と。流れるように語られる言葉に、ステイルは両肩が強張った。

最初に思い浮かんだのはプライドの悲しげな笑顔だ。彼女が間違ってくれなければ、……言葉にしてくれなければ。自分は今も自信を持って正しいことをしていると信じ疑わなかっただろうと思う。

また彼女の意思も確認せずに動き、そしていつかは次期女王である彼女に取返しのつかない過ちをさせていたかもしれない。

そう思えば、ヴェストの言う通り今の立場で気付き、修正できることは幸運だった。そしてもう一つ、自分を咎めてくれた存在を言われれば過るのは。



『おいフィリップ!ジル、っ……を巻き込ンだのテメェだろ‼︎言えよ‼︎』

『お前なぁ……』

『家主にぐらい許可ァ取れ』

ジルベールやレオン、そしてファーナム家。その度々に眉を寄せ自分を諫めてくれた相棒の存在だった。

頭の中に当時のアーサーの言葉や反応を思い出せば、一瞬だけ込み上げ口の中を噛んだ。ヴェストへと頷きで返せばそれだけで数粒分が滲んできそうだった。プライドだけでなく、もっと前から気付ける機会もそういう存在が居てくれたのにと思い知る。

あの時に一度でもちゃんと足を止めて振り返っておけば、一人暴走してしまうこともなかったかもしれない。アーサーが言ってくれなければ当時だってプライドに軽い謝罪すら自分はしなかったかもしれずふんぞり返っていたかもしれない。


そう思った瞬間、急激に今すぐアーサーの元へ行きたくなった。しかし今はアーサーは交代して演習中、そして自分もヴェストの業務補佐中だ。

靴の中で足先を丸め、この場に踏みとどまるように意識的に両膝に力を込める。この場で零すわけにはいかないと、口の中を何度も飲み込みながら込み上げそうなものも目の奥に押し戻した。

その動作を隠すように「ヴェスト叔父様も」と口を開けば、少し濁りかけた声になり途中で噤む。拳で軽く口元を隠し咳払い、それから改めて言い直す。


「ヴェスト叔父様も、……後悔や間違えたことがおありなのですか」

今のヴェストからは想像できない。

しかし、先ほどの過去を聞いてみればもしかしてとそう思った。ヴェストが間違いを犯したからといって自分が間違って良い理由にはならない。しかし、もしあるのならば聞いてみたいと思った。

ステイルの問い掛けに、ヴェストは最初表情を一つも動かさなかった。書類をめくる指が静かに途中で停止し、数拍後に深い溜息が落とされる。

中途半端なページで止まった書面に手を置き、黒縁眼鏡の奥の瞳へ視線を合わせた。


「ああ、ある。…………ここだけの話だが」

期待していたとはいえ、認めるヴェストの言葉にステイルの心臓が大きく波打った。

息を引き、指先までも強張ったままに耳を澄ます。自分とヴェストしかいない空間はただでさえ静まり返っていたが、その空白は沈黙が耳鳴りになって聞こえてきた。

自分から目を逸らさず、低い声で断言する叔父に続きを待てばヴェストはゆっくりと椅子から腰を上げた。「少し掛けなさい」と仕事机から来客用のテーブルとソファーへとステイルを促す。


先に自分が座り、向かいの席を目で差し示した。

ヴェストの指示を受け、その場に佇み続けていたステイルも数拍後に速足でそこに座った。緊張を誤魔化すように「侍女に茶を用意させましょうか」と言ってみたが「今は良い」と断られる。ヴェストとしてもこれからの話に横やりは入って欲しくない。

断じられ肩幅が狭くなってしまうステイルに、ヴェストはゆっくりと静かな声で「他言しないように」と話を続けた。


「養子になる前。……まだ子どもだった頃、とても良くしてくれた庭師がいてな。腕が一流とは言えなかったが、仕事が丁寧で彼が働いている間は雑草一本すら悪さをしなかった」

良い庭師だ、と。

そう呟くヴェストの話にステイルは意識的に舌を丸めて堪えた。

養子になる前の話を自分にして良いのですか、と。規則違反でないとはいえ、すんなりと過去を語るヴェストに言いたい気持ちをぐっと抑えた。

規則も暗黙の了解も熟知しているヴェストがそれをわかっていないわけがない。その上で自分に語ってくれるのならばここで水を差すわけにはいかない。


「姉達に良い扱いをされていなかった私に、立場の弱い使用人であったにも関わらず気をかけ続けてくれた彼には今も感謝しかない」

もう覚えてはいないが。その言葉を飲み込み、まるで記憶にあるように語る。

ヴェストに姉がいたということも知らなかったステイルは、思わず喉が鳴った。王族となったヴェストの家族には何度も会ったことがあるが、その前の家族については聞いたこともない。

詳しく聞きたいとも思ったが、言い方からして良い記憶ではないらしいと判断し敢えて黙した。

ただその使用人という庭師の話を聞けば自分にとっての、……と一人の少年が脳裏に過る。

しかし膝の上に置いて両手に爪を立てるほど強く握りながら、今はヴェストの話に意識を向けた。


「王族になってから充分経った頃、既に摂政だった私に書状が届いた。前の家からだ」

えっ、と今度は抑えられず声が出た。

母親と手紙のやり取りをしている自分だが、それもあくまで特別処置。本来であれば養子となった時点で、前の家との関わりは許されない。仕事上の関わりならば未だしも、家族としての手紙など受け取ることすら規則違反になる。送った時点で家族も、そして受け取った時点で義弟も重罰を受ける違反行為だ。

まさかヴェストがそんなことを、と唖然とするステイルにヴェストは一度口を止めた。ステイルを目を合わせ直してから「言っておくが」と補足する。


「家とはいえ家族ではなくそこの使用人からで、書状内容も単なる報告だ。城の人間が中身を確認し私が目を通しても問題ないと判断したものだ。…………突然、私を名指しで尋ねてきた人物が現れたという要件だけだった」

後から話を聞いたらしい古い使用人が気を利かせてくれたと、続けられたがステイルは情報を飲み込むことで精一杯だった。

家族ではなく、またもや使用人。余計にどんな姉弟関係だったのかが気になってしまう。しかし今はそれよりも、その尋ねてきた人物というのが気になった。

話の文脈から考えれば言われる前に想像はつく。届いた書状に関しても、王族となったヴェストへ突然名指しで訪問者が現れたとなれば、どういう目的かもわからない。それこそヴェストを狙っての前準備の可能性もあり得る。


「尋ねてきた人物の家名はその庭師と同じものだった。ローザにも許可を得て、どういうつもりで私をその人物が探していたのかを調べさせた」

犯罪やなりすましの可能性もある。もし悪しき企みの上での探りの訪問であれば相応の処理が必要になると説明に、今度はステイルも深く頷いた。

ただでさえ名前が家名しか繋がっていない人物。ヴェストが昔馴染みの相手だからと郷愁の念で探させたわけではないに決まっていると推理する必要もなかった。

まるで伝記を聞いているような気分で、気付けば自身の悩みも一時的に忘れてのめり込む。「そして」と言葉を紡ぐヴェストの話へ前のめりに耳を傾け



「調査の結果私は訪問者を探し出し……この城で働けられるように斡旋した」



突然、話が飛んだ。

また一音を口から零し聞き返したステイルだが、ヴェストは口を閉じたまま沈黙した。

今度こそステイルも空いた口が塞がらない。手紙を受け取った程度とは比べ物にならない、今度こそ王族の規則に反した行為に他ならないじゃないかと思考で叫ぶ。本来、養子の元関係者に戒厳令が敷かれることも存在したことを秘匿させることもそういった行為を防ぐ為でもある。

訪問者に何と言われたのか、どう脅迫されたのか、やはりその庭師がと様々な憶測が頭に浮かびきった時、頃合いを見たかのようにヴェストが声を低めて口を開く。


「過去の家族でなければ、過去の関係者でも城で働くこと自体は規則に反しない。しかしそれも相応の能力があってこそだ。特に雇い入れる場合であれば、当然相応の能力と女王を含む上層部による認可が必要になる」

そうでなければ義弟が過去の関係者ばかりを不正雇用し、独立勢力を作ることもあり得る。だからこその規則であることはステイルもわかっている。

しかし、今のヴェストの言い方からしてそうではないのだろうと察した。その訪問者が結局庭師とどういう関係者なのかもまだ明かされていない今では正体も全く図れない。偽名だった可能性も充分にある。


「しかし私は経験も技能もましてや特殊能力もないその者を摂政の権力を使い招き入れた。…………安心しろ、上層部や補佐官どころか権力ある立場にいない。ただの下働きだ」

完全に規則違反だ。

一体どうやってヴェストにそこまでをさせたのか。その疑問が声を荒げたいほどに喉の手前までせり上がりながらステイルは口を堅く閉じた。

権力のない、という言葉に少なからず胸を撫でおろすが、そんな人物が城に居ることに不安も過る。下働きとはいえ、城の内情を知る為に忍び込んだ可能性も大いにある。そのヴェストが言う庭師が人質にでも取られていたのかとまで考えたが、その推測を口に出そうとは思わなかった。

ただそれでも一番の懸念を抹消すべき「脅されたのですか」とだけ消え入りそうな声で尋ねた。

しかしヴェストはすぐに首を横に振った。私の意思だ、とそう一言断じてから目を瞑る。



『ローザ・ロイヤル・アイビー女王陛下……‼︎お願い致します、これが最初で最後です。ッ今後二度と規則に反しないと誓います。ですから、どうか……‼︎』



そう、ローザにだけは許可を得るべく懇願した日を昨日のことのように思い出す。

あの頃には既にお互い姉弟としての信頼関係も構築され、公的な場でなければ砕けた話し方もするようになっていた。摂政としても一人前になり、結婚して子ども二人にも恵まれていた。間違いなく順風満帆だった。

しかしあの日は恥を忍ぎ、初めてローザの前で正面から規則違反することを許して欲しいと望んだ。従属の契約でローザを裏切れないこともあったが、それがなくても自分はそうしただろうとヴェストは思う。

王族としてはあり得ないほどに深く抵く低く頭を下げ、摂政である自分がこれから規則に反すると宣言した。

養子になってから唯一自分ができることをと規則に従い重視し続けていたヴェストが、初めて反した。それを境に規則を反しないと更に張りつめるようになった。


「それまでは養子になっても大きな役割を与えられたとしか思っていなかったが、……権力を扱うとはこういうことなのだと痛感した」

やはり規則は正しい、と。瞼を開けば遠い目をそこにあった。

権力を得たからこそ、あの庭師の遺産である実子を城に招き入れることができた。当時の過ちに後悔はないが、背徳感は今でも胸に残っている。同時に、……自身の記憶を消さなければもっと数多く救えたかもしれないという後悔も。


城へ招き入れた以降は、自分もそれ以上は関わらないと固く心に決めた。

贔屓もしなければ手助けもしない。後は己でやりきっていくしかないのだとそう〝記憶を奪う〟前に本人へもそう告げた。

今も城で働いているその子どもは、ヴェストと父親の関係どころか自分を招き入れてくれたのが誰かも覚えていない。そして自分も死ぬまで打ち明けるつもりはない。

直接会うまで本当に調査通りに庭師の子どもなのかも疑った。しかし


『この手紙を父に書いてくださったのは、貴方ですか……?』

そう言われ、差し出された手紙を読んだ時に涙が止まらなかった。

読んだことを後悔もしたが、同時に死んでも力にならなければならないと思ってしまった。手紙に書かれた字は間違いなく自分の字で、書かれた事実も嘘とは思えない。そして調べさせた内容と手紙を持っていた本人からの話も完全に一致していた。

いっそ養子として迎え入れたかったが、そこまでしては違法どころか自分の妻や子ども達もそして本人も周囲から白い目を向けられることになる。大金で支援すればそれは規則どころか法にも反し、広まれば民からも王族の信頼を落としかねない。

そして養子にできないのであればせめて自分の目に届く場所で彼の代わりに自分がその成長を遠くで見守りたいとも願ってしまった。



〝窓から外を眺めるばかりの僕にとって唯一の楽しみで、救いでした〟

〝あの日、花を植えてくれてありがとう〟



「私が私情で権力を行使したのはあの一度だけだ。…………今後もそうだろう」

二度と規則に反したりはしない。

その決意を胸に言い切るヴェストに、ステイルも視線を落としながら頷いた。私情、ということはヴェストにも相応の理由があったのだろうと思いながらも、やはり彼が規則に反したという事実は胸に強く残った。

摂政になったからといって、そこでピタリと理想の摂政像そのものになれるわけではない。そう考えながら口を閉ざすステイルは瞬きの数も減っていた。


ぼんやりと思考ばかりに没入する眼差しを前に、ヴェストは静かに息を吸い上げた。一呼吸入れろ、と促しているのがその薄い音だけですぐにステイルに伝わった。

丸くなった背中を伸びをするように立て、呼吸と共に肩を上げ、落とす。

視界が先ほどよりも広く感じられたところで、またヴェストへと顔を向けた。柔らかな目元で仄かに笑む男性は、摂政ではなく叔父のものだった。


〝こんなことになってしまい、謝っても謝りきれません〟

〝本当にごめんなさい〟


「お前は私のようにはなるな。……お前は元から頭が良い。間違い、その分学ぶ方が効率的だ」

間違うことを恐れるにはまだ早い、とそう思いながらヴェストはゆるやかな口調で言い聞かす。

十八歳とはいえ、まだ摂政にもなっていない保護されている青年を前に、今はその片意地を緩ませる存在が必要だと思う。プライドでもティアラでも、友人の聖騎士でもジルベールでも良い。既に上層部の人間以上に大人としての意識も高く抜かりのない彼が、このまま自身が常に正しいと視野を狭め続ける方が恐れるべきだと。

あくまで摂政は、国の中枢とはいえ〝中心〟ではなくその補佐なのだから。

養子になった頃から優秀で、そして頭の良い彼は成功体験が普通よりも多過ぎる。自分が間違ったと、そう認める経験も必要だと考える。

今回、自身から「間違う恐れ」を口にしたことも良い傾向だ。


「お前ならば、規則と法の間でもっと上手く動ける筈だ」

私よりも。

いっそそういったことは自分よりジルベールに習った方が良いかもしれないがと、短く付け加えた言葉に続けて軽く言う。しかしそれはステイルからも「いえ、叔父様から学びたいです」と言われれば肩を竦めた。

ステイルもジルベールとは以前よりは良好な関係で、学校においても協力する姿を見せているが、やはり未だにジルベールには棘も見せる。

その分、自分を慕ってくれていることは嬉しいが、今の自分は良くも悪くも規則と法に固すぎる。上手く違反しろとは言わないが、女王になるプライドと王妹となるティアラの未来を思えば、ステイルには柔軟な思考が必要になると考える。

単に頷き叶えるだけでなく、だからといって自分のように規則に法の下に頑なに跳ねのけ続ければいつかは歪も生まれかねない。

プライド達が法と規則と民の間で上手く生きていくにはジルベールだけでなくステイルの力も必要だ。


〝もし家庭を持てたら子どもは僕と同じ名前にしたいと言われたこと、本当はすごく嬉しかったです〟


「間違うことが怖ければ、お前を諫めてくれる存在に相談しなさい。法や規則であれば私に聞いてもいい」

そこで立ち上がり、ステイルの肩に手を置いてからヴェストは一度扉に向かった。

ノックを鳴らし、廊下に控えている侍女に茶を二人分用意するようにと命じる。

さらりと相談事になら乗ると言ってくれたヴェストに漆黒の目を丸くするステイルだけが、客用のソファーに取り残されたままだった。


今まで摂政業務や補佐内容については惜しみなく教えてくれたヴェストだが、それ以外の相談にも乗ると言われたことは初めてだった。

自分にも他人にも厳しいヴェストからの親身な返答に、思わず「宜しいのですか……」と気の抜けた声で確認してしまう。

扉が閉じられた後もステイルの向かい席には戻らず再び摂政の仕事机に腰かけたヴェストは、途中で開いたままにしていた報告書をまた続きから一枚一枚捲り始めた。

甥からの相談を叔父が断る理由が何処にあると頭の中では言いながら、あくまで厳しく聞こえる口調でステイルから視線を外して書類を眺めた。



「私を説得できればお前の勝ちだ」



法と規律の狭間で私に勝ってみろと。

そう、言われずともステイルの耳には通った。

今度間違いそうなことがあろうとも、自分達が上にいる間は断行するのではなく尋ねてみれば良い。もし過去の自分のように規則や法を犯そうというならば、それを侵さずに叶える方法を見つけられるようにその手助けならば惜しまない。

頭の良い彼ならば、模範解答がなくとも正誤だけでも判断されればいずれか道を見つけられる。間違った判断を推し進めるのではなく、間違ったことをすぐに認めて考え直せと教えてやれる。


ありがとうございます、と。今日見た中で一番生気に満ちた輝きを自分に向けるステイルに、ヴェストは敢えて眉間の幅を維持したまま報告書をめくった。これで話は終わりだと示すように「仕事に戻りなさい」と告げれば、すぐにソファーから立ち上がった。


最初に部屋へはいって来た時が嘘のように、血色の良い顔で業務に取り組むステイルを確認してから気付かれないように小さく笑んだ。

甥を諭す為とはいえ、まさか自分がこの口で過去の過ちを語ることになるとは思わなかったと心の隅で思う。……それだけ、自分にとっても彼が信頼に足る存在になったであろうことも。


過去を聞かせたステイルの反応によっては、過去の過ちの告白は〝なかったことにして〟一から諭し直すことも考えたが、その必要もなかったことに安堵する。自分としてもできる限りこの特殊能力を身内には使いたくはない。

念の為消したのも、その関係者と子どもについて特定できるような一部の個人情報のみ。彼が自分との今の会話を省みる分は何の問題もないように殆どは敢えて残した。


もともと、その違反採用した人物について最低限の絞り出せる情報は全て伏せた。流石のステイルや仮にジルベールであろうとも絞り込むことは不可能だと知った上で話した。

大規模な城で働く人間など全員を数え切るのも難しい。下働きの人間であればなおさらだ。〝実力さえあれば〟庶民でも使用人として働くことはできる。

しかし、アルバートにすら話したことがない過去をその息子に話してしまうことになるとは自分でも思わなかった。これも数日前のプライドとの極秘業務の所為だろうかと、妻にも見せていない当時の自分が書いた文面を少しだけ思い返す。


〝約束します〟

〝その時は今度こそ貴方の力になってみせると〟


過去を捨てた自分が、それでもあの手紙だけは今も手元に残っている。

友人だったらしいその庭師の思い出など、今は何も覚えていない。記憶として覚えているのは彼が自分の唯一の友人で、腕が一流とは言えずとも仕事が丁寧だったということだけだった。

ただ、目を閉じれば整頓され手入れの行き届いた庭の風景が今も青々と蘇る。唯一思い出せる彼の顔は、土汚れを頬に付けた優しい笑顔だ。

過去を捨て逃げた自分と違い、ステイルには乗り越え受け入れ彼らの為になる国をプライド達と共に築いていって欲しい。




〝親愛なる友人、アンドリュー・フェルトンへ〟




『私を呼ぶ時は〝アンドリュー〟と呼びなさい』

今は亡き友人が、たった一人遺してしまった子どもを安心して見守られるようにと、そう願いながらヴェストは一度だけ窓の向こうの快晴を見上げた。


Ⅱ71.126.135.

Ⅱ308






Ⅰ649-650

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