Ⅱ55.支配少女は対面する。
「ところでクロイを知らないか?昼休みの直後に学校を去ったらしくてな……」
さらさらとセドリックが話を進める中、ディオスは未だに硬直したままだ。
もともと良くない顔色が更に蒼白となり、俯かせたまま虚ろな目がまるで犯行を暴かれた犯人のようだった。
唇をぎゅっと噛み締めた彼はすぐに血を滲ませた。下ろした拳を握り、肩までカクカクと震わせて言葉すら出ない。
ディオス?と反応のない彼にセドリックが呼びかければ、その震えは更に大きくなった。完全に自分達を見分けているセドリックに、戸惑いが隠しきれないのが見てわかった。彼にとって、……いや、〝彼ら〟にとって想定できない事態だったのだろう。
ディオス・ファーナム。それこそがキミヒカ第二作目の隠しキャラであり、攻略対象者の本当の名前だ。
「……ディオス。何があったの?まさか貴方達」
「ッ白々しいことを言うな!!お前の所為だろ!!!!お前がっ……お前がクロイを、僕らを、僕を、っ……脅しっ……」
さっきまで硬直していた彼が私に声を掛けられた途端、火が付いたようにまた怒鳴る。
ぐわりと顔ごと見開いた目を向けてきた彼は、歯を剥き出しにして声を荒げ、端正に整った顔立ちを歪めた。私に対する敵意と憎悪が肌にぶつかるかのようだった。
怒鳴った後も肩で息を荒げる彼は、この場にセドリックがいることも忘れているかのようだった。感情のままにディオスが手を振り上げた瞬間、アーサーが前に出て庇ってくれる。けれど、……それとは関係なくディオスは拳を静かに下ろした。鋭くした眼差しを私に向けたまま、若葉色の瞳からじわりと涙を滲ませる。歯を剥き出しにしたまま唇が酷く震えだし、蒼白の顔を赤く紅潮させる彼は十四歳の子どもだった。
脅した、というのはセドリックの従者兼友達役での件だろうか。
だとすればあの時に私が提案した相手はディオスではなくクロイだったのかと考えながら、彼を見返す。アーサーに阻まれたまま自分の視界が滲んでいることに気がついた彼は袖で目元を拭った。力の限り拭ったらしく、擦った後が赤くなった彼は鼻をすすりながらまた顔を俯けた。
「僕、……って、………………たい……」
ぽつり、ぽつりと零す声は小ささに反して噛み締めるようだった。
私にではなく、自分自身の中に落とし込むような言葉に私は黙してそれを聞く。今は彼の吐露でも良いから、正しい現状が知りたい。
既に大勢の生徒が階段を降り、火が消えた様子のディオスの横を通り過ぎて下校する生徒も現れた。彼らにも今から行くべき場所や帰るべき場所がある。ざわざわとしていた人の声も私達の横を通り過ぎる時には沈黙へ変わり、奇異の視線ばかりが私をディオスを刺した。
突然大声で怒鳴り出したディオスと責められる私に、どちらが悪人なのかは生徒にも判断が付かないのだろう。更には王族であるセドリックが立ち会っている状態は異様でしかない。
「……どうして、どうしていつもっ……、……ばっかり……」
次に聞こえたのは、さっきよりも感情の乗った嘆きだった。
その言葉にやっぱり彼はと、ゲームの設定を思い出す。少なくとも今までの発言では〝あの状態〟にはなっていない様子だけれど。……いや、でも。
さっきの発言をもう一度思い巡らせれば、嫌な予感が消えない。少なくともセドリックの言葉が通じる程度にはと頭を整理するけれど、今の彼が単に怒りに飲まれているだけとも思えない。しかも王族であるセドリックの存在すら目に入らなくなったのだから大分混乱しているとも考えられる。一体今彼らはどこまで
「!君ッ!!クロイ・ファーナムだな?!戻ったのか!」
突然、背後から男性の太い声が上がった。
振り返れば教師だ。ロバート先生ではないけれど中等部の教師である彼は、目を丸くして職員室へ戻る途中だったであろう足をこちらへ向けた。「一度職員室で話を聞かせて下さい!」と声を上げながら、カッカッカッと早足で迫ってくる教師にディオスの顔色がまた変わる。
勢いよく俯けた顔を上げた途端、目に溜まっていた水の塊が跳ね、若葉色の瞳を持つ目を赤くして教師の方へと振り向いた。
直後には「あっ……いえっ僕……」と何か言い訳をしようと言葉を漏らし、視線を交互に教室とアーサーへと見比べる。まるで袋小路にでも追われたように瞼を無くした目を震わせて一歩、そしてまた一歩とアーサーから、そして教師から後ずさる。
駄目だ、今の彼では多分何も誤魔化せない。
私は口の中を噛み締め、地面を蹴る。背後からステイルが「ジャンヌ?!」と呼んだけれど、返すよりも先に前に立ってくれていたアーサーの腕を直接下ろさせ、そのままディオスの細い腕を掴んだ。アーサーも驚いて私を呼んだから、反対の手で伸ばしてくるアーサーの手も掴み、止まらず校門へと二人を引っ張った。
「クロイ!!話は外で聞かせてちょうだい!!」
え……と声を漏らし、茫然とする彼を力尽くで引き込む。
まるで棒にでもなってしまったかのように足を動かさず、引っ張られた上半身だけが倒れかかるディオスを今度はアーサーが「走れ!!」と私の意を汲み声掛けた。アーサーが力尽くでディオスの背に回した手で押せば、フラリと転びそうになりながら思い出したように駆け出した。
私の引っ張る方向に足を動かし、背後からの教師の呼び声に押されるように地面を蹴る足へだんだんと力を込める。
「フィリップ!アランさん!!ごめんなさいあとはお願いします!!」
顔だけで振り返り、彼らに叫ぶ。
先頭を走る私はディオスとアーサーの肩越しで二人の姿は殆ど見えない。けれど教師への説得と仲裁はあの二人がいれば大丈夫だ。今は先ず、一刻も早くディオスから話を聞かないと。せめて彼らが今どういう状態なのかだけでも確認したい。
学校まで走ってきたばかりだからかフラつきながら走るディオスの背中をアーサーが押し、私が前のめりに引っ張り走る。歩いて下校する生徒達を抜かし、中庭を抜けて校門へ近づけば既にエリック副隊長が待っていてくれた。ステイルと打ち合わせ済みのカラム隊長も並んでいる。
ディオスを引っ張ってきた私達に驚いたように目を丸くしたカラム隊長は、行き違いだったかディオスが戻ってきていたことには気付いていなかったらしい。「彼は……!」と声を上げるカラム隊長に続き、エリック副隊長が「ジャック!その子はどうした⁈」とアーサーに投げかける。
その返答に、アーサーより前に私が声を張り上げた。
「私の〝友人〟です!!このまま彼らの仕事場へ向かいます!ジャック達で充分です!エリック副隊長はフィリップと一緒に!!カラム隊長!彼のお姉様を送ってあげてくれますか⁈」
騎士に対し、なるべく命令していると思われないように言葉を選ぶ。
私の言葉の意味を理解し、エリック副隊長とカラム隊長も言葉にはせずとも戸惑いつつ頷きで返してくれた。アーサーも二人に頭を下げ、私達は校門を抜けてそのままとにかくは中級層の方角へと走る。背後からカラム隊長の「あくまで民だということを忘れるな!!」という叫びが放たれ、誰に向けて言ったのかはすぐに理解できた。
教師から逃げるべく今はただ逃走を続ける中、風を切る音に紛れて微かにまたディオスの声が細く耳に届いた。
「なんでっ……クロイ、……ディオスばっかり……こんなっ……」
嘆きを痛みを滲ませたその言葉と、掴んだ私の手を弱くも握り返してきた彼に。
彼らが恐れた事態に足を踏み入れようとしていると、理解した。




