Ⅱ54.支配少女は立ち止まる。
「どうしますか?心配なら姉の様子だけでも見に行ってみましょうか」
時間は限られますが、とステイルが時計を目で指しながら私に投げかける。
三限目中、ステイルは筆談で詳しく私達にアラン隊長とカラム隊長から聞いた事情を説明してくれた。お陰で大体の現状把握もできた。
「いいえ、きっとファーナムお姉様に聞いてもわからないと思うわ。……むしろもっと事情を詳しく聞きたい子はいるけれど」
彼の姉もクロイがいなくなったことは教師に尋ねられているかもしれないけれど、それ以上は知らないだろう。今までもお昼休みは会っていなかったようだし、突然発作的に飛び出したのなら余計にだ。それにきっと彼が飛び出した原因は……。
ステイルに首を振りながら、一人の王弟を思い出す。
直前にまで確実に傍にいて話していた彼なら、きっとクロイに関しても色々思い当たることもあるだろう。アラン隊長からも話を聞いたステイルによるとやっぱりセドリックは、導火線に火を付けたのであろう発言を今朝一番に彼へ放っていた。もう流石セドリックとしか言いようがない。
それからというものの彼の態度は一変し、朝の予鈴前は焦燥が顔に出ていて、食堂前でセドリックを待っていた時なんて死刑囚のような顔色だったらしい。……まぁ戸惑うのは当然だ。
「彼には帰ってからゆっくり話を聞きましょう。今頃、アランさんから話も伝わっていると思います。……流石に教師達も彼にまでは踏み出せないでしょうが」
最後にだけ声を抑えるステイルに思わず私は苦笑う。
確かに。今日突然何の用事で学校を飛び出したかわからない子について、教師が安易に王族に「うちの生徒虐めてます?」なんて聞けるわけがない。そうでなくてもアラン隊長から聞いた時点でセドリックも彼を心配しているだろう。
王族の可愛い友人が学校から走り去りましたなんて本人に言う勇気は誰にもないだろう。少なくとも昨日までは良好な関係だったのだから。
「あン時もすげぇ血相変えて走ってましたし、やっぱ逃げたってことですかね……?」
頰杖を突いて思い出すようにアーサーが視線を浮かす。
確かにそれが一番可能性としては高い。ステイルが教えてくれた事情を統合すれば、それが妥当だろう。このまま忠告を受け入れてくれればいいけれど、ただ学校に来なくなってしまうだけだったら最悪だ。もう破滅しか待っていない。
取り敢えず、ただ何もせずに待っているわけにもいかない私達は、今できることをと攻略対象者探しに同学年の四組を覗きに行くことにした。他のクラスはもう全員確認したし、同い年の登場人物がもう一人いるとしたらここしかない。
生徒に混ざり、四組のクラスに混ざりながら教室を見回してみたけれどやはりピンとくる子はいなかった。
ならば、同年キャラは隠しキャラのみということだろうか。乙女ゲームのパターンとしては年上キャラの方が可能性は高いし、もしかしたら教師……いや二作目にはないか。
教師や職員とか学校に携わる大人は全員ジルベール宰相が選別してくれた人達だし、第二作目とそこまで大きくは変わらないとも思う。けれどゲームのラスボスプライドによる独裁政治の下にいた民と現実の彼らでは、きっと歩む人生もいろいろ変わってきている。ゲームでは教師になっているのにこっちでは別の将来を選んでいる人もいるだろうし、その逆だってあるかもしれない。……もし、このまま攻略対象者の記憶を思い出せずに且つ学校にも居なかったら完全に詰んでしまう。せめてイベント場所や他の攻略対象者をきっかけに少しでもその人物だけでも思い出せれば良いのだけれど。
「ここにも〝視た〟生徒はいませんでしたか……」
「でもまだ一年と三年もあンだろ?」
四組の教室を後にする私に、ステイルが溜息を吐いた。
更にそれを慰めるようにアーサーが指で床と天井を指差す。
一年は二階、二年は三階、三年は四階、上級層中等部一貫の特別教室は五階にある。高等部と共有で授業専用の部屋や施設は全て中等部の一階に集約されている。
実際、私が予知したことになっている生徒は最後の一人になるまで言うわけにはいかないのだけれど。……このまま四ルート目が見つからなかったら本当に一ヶ月経ってもステイル達には「見つかりませんでした」と言わなきゃいけなくなるかもしれない。折角ここまで皆が協力してくれたのだから、ちゃんと全員を助けるように思い出してから学校を去りたい。
もう二ルートは判明したし、主人公も見つけたから一週間経っていないにしては幸先も良い方だとは思う。だけどたった一人でも助けられなかったら作戦成功とは言えない。ゲームと違っても、彼らはこの世界で生きているのだから。
〝ゲーム設定〟という運命に呪われて。
「大丈夫よ。中等部に絞れただけでも運が良かったもの。明日からは一年のクラスを見に行っても良いかしら?」
はい、勿論です、と二人の返事が合わさる。
直後には図ったかのように四限開始の予鈴が鳴った。
本当に二年生で良かった。三年だったら、一年の学年へ行くのに階段をいくつも全速疾走で往復しないといけなくなったもの。私もステイルも当然騎士のアーサーも足が早い方ではあるけれど、短い休み時間の度に階段を駆け抜ける生徒とか問題児通り越して怪奇現象にされてしまう。
教室に戻った私達は、他の生徒と同じように急いで席に戻る。四限目が終われば早速彼を探しに行こう。
三限目中に、ステイルは服の中から出したカードで今日は帰るのが遅くなる旨をジルベール宰相に瞬間移動で送ってくれた。ジルベール宰相なら上手く母上達にも遅れる理由を伝えてくれる。既読必至のステイルの瞬間移動は本当に万能だと思う。
カラム隊長も今日はその為に三限目の講師が終わった後も帰らずに学校に残ってくれているらしい。クロイ達の住所はわからないけれど、ファーナムお姉様と一緒に講師のカラム隊長、そしてエリック副隊長とアーサーも入れて近衛騎士三人で探しに行こう。
授業中も教師を話を聞きながら細かくこの後のことを打ち合わせていれば、あっという間に時間が過ぎた。何か進展があったら合図を出してくれる予定だけれど、四限中は一度もカラム隊長達から合図は鳴らなかった。
ロバート先生から「途中早退する場合は必ず担当教師か同クラス生徒に託けるように」と改めて注意を受けてから、四限は終わった。
すぐに立ち上がる私達へ一緒に帰ろうとお誘いをしてくれる生徒にステイルが手短に断り、三人分の鞄を持ってくれたアーサーと一緒に私達は足早に教室を去った。
すれ違う子達に挨拶だけ送り、早足で階段へと向かう。手摺に捉まりながら降りれば「足元に気をつけてくださいね」と二人に声をかけられながら急ぐ。先ずは第一に校門で待つエリック副隊長と合流を
「ジャンヌッ‼︎‼︎」
……空を割るような激しい怒鳴り声が、正面からぶつけられた。
降りる段差で足元ばかりに集中していた私は、驚きのあまり足を滑りかける。キャッ⁈と悲鳴を上げてしまった直後には、前を降りてくれていたアーサーが正面から腕を広げるようにして支えてくれた。更に背後に続いてくれていたステイルが反対の肩を掴んで支えてくれて何とか転ばずに済む。
二人にお礼を言う間もなく声のした方へ顔だけを上げれば、昇降口正面に細身の少年が立っていた。……クロイ、だろうか。二人に前後から支えられながら段差の途中で足を止めれば、視線の先には白髪の青年が真っ赤な顔でこちらを睨んでいた。
四限が終わってすぐに教室を飛び出した私達の他には、まだ殆ど生徒もいない。一年が上の階からわいわい降りて近づいてくる中、彼は昇降口の中央で一人両足を踏み締め立っていた。走って戻って来たからか、服が酷くヨレた上に汚れている。サラサラだった無垢に白い髪が、前髪も横髪も関係なく振り乱された後だった。今までとは別人のような形相で目を釣り上げる彼からは、真っ直ぐ私への敵意だけが満ち溢れていた。
二人の支えからそっと離れて一歩ずつ階段を降り切る私に、内側の熱を発散させるかのように彼は再び響き渡る声で怒鳴った。
「お前のせいだろ⁈あの仕事も最初から僕らを追い詰める為にわざと誘ったんだろ⁈」
まだ走ってそんなに時間が立っていないのか、掠れてガラついた喉で彼は叫ぶ。
階段を降り切ってもまだ距離が離れているのに、怒りが肌に直接刺すかのようだった。危険を察知するようにアーサーが私とクロイの視線の間に立つ。ステイルが更に自分の背後に下がるようにとアーサーの横に並んでから腕で私を制す。それでも、彼は動く。
前回は二人からの牽制で躊躇った彼が、今回は怒りに任せるように早歩きで私達の元へと近づいてくる。アーサーのすぐ目の前まで立ち止まり、自分より背の高くて身体の出来上がった青年相手に一度歯を食い締めて睨んだけれど、下がろうとはしない。「ッ退けよ!」と僅かに刺の削げた声を放つけれど、アーサーからは断りの一言しか返されなかった。
それ以上前に進むことができなくなった彼は、アーサーを避けて通ろうとすれば長い腕に阻まれる。ギリッと食い縛る音を鳴らすとアーサーの腕を前から掴み、まるで柵から乗り出すような形で私へ鋭い眼差しを突き刺した。
「僕らが何したんだよ⁈お前の所為でもう全部グチャグチャだ‼︎‼︎せっかく!せっかく上手くいくと思ったのにっ!最初からお前さえいなかったらっ……ッわざと!わざと僕らをめちゃくちゃにしたかったんだろ⁈絶対そうだそうに決まってる‼︎」
階段の向こうから一年を初めとして生徒が降りてくる。
騒ぎを聞きつけた生徒達は、早々と何が起こっているのか確認する為に降りたがるか、もしくは厄介ごとに巻き込まれまいと降りるのを躊躇うのかどちらかだった。彼の尋常ではない怒声にこのままなら教師が飛んでくるのも時間の問題だろう。
アーサーに伸ばされた腕を押し退けようとしても、当然騎士の彼に敵わない。筋力は十四歳の時と同じまで退化しているけれど、この時には既にアーサーは騎士団に入団していたのだから。
ステイルが「場所を移させますか?」と尋ねてくれたけれど、その声も途中からまたアーサーに阻まれながらも叫ぶ彼の怒声に塗り潰される。
「ッふざけるな‼︎‼︎取り巻きに守られて何もしないで僕らを笑って‼︎どうせそんなことやって王族気取りなんだろ⁇お前なんか、お前なんかなあ‼︎‼︎セドリッ……本物の!王族と比べたら‼︎」
「クロイか?」
ピタッ。
火を吐くような怒声が、軽い呼び声でスイッチを切ったように止まった。
食い縛っては大口を開けて喚くように叫んでいたのが嘘のようにぎゅっと絞られる。代わりに鋭くなっていた目が大きく開かれた。アーサーに阻まれていた細い身体までその形のまま固まる。
ピキッ、ピキッと彼の首ごと顔が私から別の方向へと向けられた。私も追うようにそちらへ視線を向ければ、悠然と階段から降りて来た青年がそこに居た。
「セドリック……様」
ぽつり、と。覇気の削げた声でそう呼ぶと、彼はアーサーを押し退けようとした構えを解いた。セドリックへ正面を向け、丸い肩で直立する。
「良かった、無事だったか。アラン隊長からお前が消えたと聞いたから心配したぞ。……ん?いや、待て」
廊下の向こうからこちらに歩み寄るセドリックの背後にはアラン隊長もいた。
私達をそれぞれ見比べながら、何があったのかと言わんばかりの表情だ。セドリックだけが心から安堵したように力強い笑みを向け、途中で考え直すように眉を顰めた。
セドリックの視線に、まるでさっきのことをなかったことにするように大人しくなった彼は下ろした両手の拳を僅かに振るわせていた。激情に駆られたのとは違う汗が額から首まで湿らせ、私達に向けていた真っ赤な顔が今蒼白へと変わっていく。拳だけでなく彼の綺麗な白髪まで震えで揺れ始めれば、セドリックは顰めた眉から力を抜いた。そして何でもないような声ではっきりと言い放つ。
「なんだ、〝ディオス〟ではないか。髪留めはどうした?無くしたか⁇」
髪のように蒼白になった彼は、……ディオスは答えない。
俯き、唇を硬く絞り、乾ききった目は目蓋を無くしていた。今朝より汚れた服と、振り乱した髪。そこに留められていた〝一本の〟可愛らしいヘアピンも、全てがクロイのものじゃない。
攻略対象者ディオス・ファーナム。
クロイの双子の兄が、そこに居た。




