Ⅱ451.嘲り少女は受け取る。
……やはりか。
……だよな……。
窓際に佇む二人を見守りながら、眼鏡の黒縁を押さえるステイルと括った三つ編みを背中に払うアーサーはそう思う。
既にプライドを教室から指名した時点で予想できたことだ。一限であんなにわかりやすく矢印を示した青年が、決死の表情で呼び出しなど理由は限られている。
筆談の内容こそ知らないが、今日やっと親しく関われた女子が明日から会えないとなれば道は一つしかない。寧ろマルク以外には現時点で立候補者がいないことの方が意外なくらいだった。
プライドが堂々と告白の誘いに合意を示した時にはどうするかとも考えたが、しかし二限での男子同士のやり取りを思い出せば無理矢理に邪魔もできない。彼らにも彼らの都合があり、更には自分達もその感情までもは否定できないことは思い知った後だ。
ただ、同時にその青年達の若さが危険なのもよくわかっている。
否定はできない、だがプライドの安否の為にも傍から離れられない。場合によってはナイフが飛んでくる恐れもある生徒をプライドと二人きりになど見逃せるわけもなかった。
その結果、同じ教室で遮蔽物のないまま一定距離を取る今が二人には最大限の譲歩だった。
本当なら今もプライドの傍らからすら離れたくないが、何も知らない男子生徒にとっては大事な瞬間でもある。
「ぇ……えっ、あの、……〜っ、ありがとう……」
嬉しいわ……と。プライドが言葉を絞り出せたのは告白を受けて五秒も経過してからだった。
最初は何を言われたかも、予想を斜め上に突き抜け過ぎて理解できなかった。自分以外誰の目にも明らかだった青年の一大決心に、プライドは本気で気付かなかった。
まさかステイル達の目の前でがっつり告白をされてしまい、何を言えば良いかも悩んでしまう。告白する方が一番恥ずかしいのはわかっているが、同時に告白された側も当然恥ずかしい。今も一定距離から突き刺さる視線へ顔を向けられないまま、後から追ってくるように上がる熱に気が付けば指を何度も組み直してしまった。
ぱくぱくとまるで酸欠の金魚のような速さで心臓が音を鳴らしていく。目の前で顔を真っ赤にしながらも熱のこもった眼差しを自分に向けてくれる青年の意図を正しく受け止め、肩幅が狭まる。
自分にとっては五つも離れた少年だが、それでも彼にとっては同年の少女として自分を見て恋をしてくれたのかと思うと恥らいとほのかな嬉しさも沸いてくる。今目の前の彼は、王女でも何者でもない〝ジャンヌ〟に告白してくれたのだから。
……まさかこの姿で告白をしてもらえるなんて……っ。
婚約解消後のレオンとのやり取りと、ディオスを含めたからかい告白を置けば、初めて直球で本気の告白されてしまったとプライドは思う。
今までも式典や社交界でそういった言い回しをされたことはある。恋文も含めればほぼ毎日だ。それでも、あくまでその想いの先は自分ではなく〝フリージア王国第一王女〟だと信じて疑わないプライドにとって、間違いなく目の前の告白は〝本物〟だった。
しっかり返事をしないといけないのに、目の前で起きた衝撃に正面に合わせている筈の視界がぐるぐる回る。
ぽわぽわと熱が全身にまで巡ってくれば、言葉が上手く出てこない。遠回しなお断りなら何度もしたことがあるのに、今だけはそれが躊躇った。今ならアーサーが恋文をくれた女の子達に直接お断りをしたがった気持ちが痛いほどよくわかる。
こんな純度の好意を言葉にしてくれた相手に、断るしかない自分が返せるものなどそれこそごく一部だ。
あわあわと唇を躍らせ、焦点の合わない目を乾かせるプライドを凝視するマルクは次第に居心地の悪さに下ろした拳をぎゅっと握った。
せめてジャンヌと二人きりであればこんな焦燥はなかったしこんなに火に放り込まれるような熱さにならなかったと思いながらもまた勇気を振り絞る。
本当はジャンヌ以外には聞かれたくなかったが仕方がない。
「ジャンヌが、好きな奴がいるのはわかってる」
ふぇ⁈
突然の謎の暴露に、プライドの声が跳ね上がる。
アーサーとステイルもこれには思わず息を飲んだ。どれだ、どの意味だ、いつの、どこだ、どいつだ、俺達が知ってる時か人かと。今までのプライドの暴挙全てを思い出しながら必死に推測する。
プライドが初恋を女子と話題にした時のことか、それともアーサーと話題を独り占めにした時か、ディオスに抱き着かれていた時か、レイに恋人扱いをされた時か、さっきのハリエットと見せ合ったという謎の恋文かと。
少し思い巡らせただけでもあまりに該当が多いことに気付き、二人は一瞬だけ頭を抱えたくなった。
このどれかであれば全て誤解の一言で済むが、それ以外にプライドが何かしらをやらかしている可能性も充分ある。一番幸いなのはマルクの思い過ごしだがそれをこの場で口に出せるほど二人も空気の読めない人間ではない。
プライドも、一体どんな誤解から彼がそう判断したのか自分でもわからない。さっきの筆談でも彼に好きな人がいるなんて告げた覚えはない。むしろ、……と当時のやりとりを思い出せばそれはそれでまた頬が熱くなる。つまりあの会話も本気で、そういう意図だったのかと今目の前の彼を見て思う。
「俺は、フィリップみたいに顔も頭も良くねぇし」
ン゛?!!と。
最初にステイルの両肩が力いっぱい上がる。何故俺が⁈と思いながら、一気に混乱しかけていただけの顔がじゅわりと沸騰する。よりにもよってそこで自分の名が出るとは思わなかった。
まるで自分を、と思った瞬間にくらりと視界が大きく逸れてそれ以上を考えられなくなった。
今この場で「ちょっと待て⁈」と言いたくなる気持ちを大人の矜持で必死に堪える。
「ジャックみたいに強くも格好良くもねぇし」
は?!!!と。
直前までステイルを横目に苦笑いをしていたアーサーが今度はうっかり音に出た。
この場の誰よりも大きな一音を口から放ってしまったが、今は誰も振り返らない。プライドはマルクに食い入り彼も重そうに目を伏し、ステイルもそれどころではない。
アーサーはぶわりと顔の熱が沸き上がってくるのを感じながら銀縁眼鏡が曇り出し物理的に目の前が白くなった。
「あの昼休みの金髪高等部ほど大人じゃねぇし、エリック副隊長みたいに格好良い騎士じゃねぇし、あの仮面の元貴族みたいに男らしくもねぇけど……」
昇順を向けられてから茫然と惚けてしまう二人を置いて、緊張と戸惑いで全身を強張らせるジャンヌへマルクだけが言葉を続けて動く。
一歩、また一歩と目の前にいるジャンヌに歩みを進めてもすぐには二人も最初の奇襲のせいですぐには頭が回らなかった。ステイルも視界よりも頭の中の思考がこんがらがり、アーサーも物理的に視界が悪い。
もともとジャンヌという少女への告白にある程度は許容しようと考えていた二人と、プライドの同意を聞いていた護衛しかここにしかいない。
さらに一歩、手が届いてしまう距離に青年が迫ったと判断した瞬間にやっと二人も危機感が上回った。「でもやっぱ本気で好きだから」と言われた瞬間、まずいと一気に頭が冷える。気が付いた時には赤面するプライドの両肩をマルクが優しく引き寄せていた時だった。
一世一代の告白にプライド以上熱が籠り飽和した青年はもう彼女しか見えていない。慌てて地面を蹴った二人も置かれた距離からは一手遅かった。見開かれた紫色の瞳が、青年の顔が近づいてくるのを真っすぐ捉えた瞬間
「ごっ、……ごめんなさい」
むにり、と。
正面に急接近した青年の唇を、プライドは細い四指で防ぎ止めた。
見開かれた目が瞬きもしないまま、自分へ口づけを迫った青年を見つめる。今にも彼と合わさりそうだった唇が、小さく早口で告げたのは今の今まで声に出すのも躊躇してしまった言葉だった。
ほんの一瞬、確かにプライドも呆けた体勢のままからもともと近距離にいた青年の詰め方は早かった。慌てたアーサーの足でも、距離を置いた所為で間に合わなかったほどにすぐだった。
プライドが自分で防いでくれたことで、慌てて駆けた足を引き止め前のめりに転びかけたアーサーも目が零れそうになる。後を追うようにステイルも急停止しかけたアーサーの背中に顔面をぶつけたが、お互い文句を言う余裕もない。
防いだとはいえプライドに口づけを試みた青年から今度こそ安全を確保すべく引き戻らず、そのまま彼女の背後に戻った。一瞬、今こそナイフが放たれても仕方がなかったと思うステイルだが、身を隠しているハリソンもアーサーからの合図が撤回されないままプライドが合意を示した上での接近では止めようと思えなかった。本当に唇が当てられる寸前にはナイフを打ち込もうと容赦なく構えていたが、それよりも防ぐプライドの手の動きの方が早かった。
目の前で自分に好意を言葉にして伝え、告白してくれた相手が自分の両肩に手を置き引き寄せ熱のこもった顔を近づけてくれば、口づけを迫っていることに流石にプライドも気付けた。
今までの不意打ちではない、確固たる恋愛感情を示してくれた相手なのだから。
そして気付けさえすれば、防げないラスボスチートのプライドではなかった。いっそ反撃もできた反射神経で、それでも手で防ぐだけにとどめたプライドは少年の唇の柔らかさを指の腹で確認しつつぎこちなく笑顔を作る。
ここで騒ぎ立てればこの教室が血の海になることが安易に予想できた。何より、自分も今は口づけを迫ってきた彼に怒りは抱いていない。
まさかの一瞬でジャンヌに防がれてしまったことと、そしてあっという間にジャンヌの背後に付いてしまった番犬二人の熱量にマルクも目を丸くする。顔だけが未だに紅潮したまま、気まずさも込み上げた。
無理やりに女性の唇を奪うことが、許されないことは彼もわかっている。嫌がれることも、フィリップとジャックに睨まれるにも覚悟の上だった。それでも突然いなくなってしまう初恋相手に衝動が勝ってしまったと顔ごと顎をジャンヌから引きながら焦燥で息が苦しくなる。「ごめん」の一言を言おうと思ったが、それを言った途端自分の非を認めてしまうようで逆に怖くなる。
悪気はなかった、本当に好きだったからつい、と数分置けば出てきた言い訳も今は三人分の視線でいっぱいになる。
言葉が出ない様子で半歩たじろぐマルクに、プライドは少しだけほっと息を吐いた。少なくともここで逆上するような子じゃなかったと思いつつ、唇の触れた手をそのまま今度は自分が彼へと伸ばす。
自ら少年へ接近を試みたプライドに背後の二人も思わず目を剥いたが、止めようとした手が空で止まった。少なくとも一度は実力で避けたプライドに、今は自分達もすぐ背後にいると思いとどまる。
「……気持ち、本当に嬉しかったわ。ありがとう。……そしてごめんなさい」
きちんと言えなかった言葉を最初から言い直し、伸ばした手で目の前の青年の短い髪を撫でおろす。
突然告白されてしまったことも、口づけを迫られたことも未だに思考が直視すれば顔から火が出そうになる。しかし、今は目の前で全力で気持ちを伝えてくれた彼に応えたかった。
自分を見返す目が若干泣きそうに潤みだしたことに、目の前の彼が十四歳の少年だと改めて思う。社交界のように告白にも慣れていない身で、それでも自分に人前で告白を決意してくれたのだなと思えば胸が熱とは別にぽかりと温まった。笑ってみようと思えば、今度は自分でもわかるくらい自然に柔らかな笑みになる。
半歩下がった彼へ、プライドが自分の足で一歩近づけばまた吐息の聞こえる距離にまで近づく。そして一度断られた身の上で、二度目を迫れるほど青年の心も頑丈にはできていない。
近づいてくれたことに糸が張って、嬉しくて期待して、それでも駄目だと頭の半分以上が理解する。自分じゃ叶わないこと自体は、告白を決めるより前からわかっていた。
それでも言葉にしなかったら後悔するのはもっとわかっていた。
姿勢も崩れ、成長途中の青年に、今は姿勢も伸び女性としても背の高いプライドが顔の位置は同等になる。そして
その頬に、今度は彼女の意思を以て口づけが贈られた。
「ーーーー~~~っっ……!!」
「次のお相手には、手を握るところから始めてあげてね」
キスはちょっと早いわ、と。彼の視線に合わせて言葉を選び、助言と共に小さく笑えばマルクの顔も最高潮に熱が上がり切った。
頬に触れたジャンヌが半歩引いてから感触を確認するように反射的に頬を押さえるが、自分のではない温もりとわずかな湿り気が残ったことを実感し今度は目も回った。
目の前でさっきまで呆けていただけの筈の初恋の少女が、花のような笑みを自分に向けている。背後にいる二人でも他の誰でもなく自分に向けて、笑って、しかも頬にキスまで送ってくれたと理解しきった瞬間、湿っていただけでとどまった目が今度こそ潤み滲んだ。
嫌われなかったという幸いが後から迫るように襲ってくる。いきなりキスなんてしまえば、そのまま嫌われるのも当然なのにとわかりきっていた事実が三度連続頭に廻った。
「マルク、もしまた出会えても素敵な男の人のままでいていね。貴方なら次好きになった子にはきっと今よりも優しい王子様になれるわ。私が貰い損ねちゃった分たくさん愛をあげて」
本当にありがとう。何度目かになるそれをもう一度告げ、傍らの窓に手を掛ける。
施錠のない窓は、半分開きから軽く指で突くだけで簡単に全開した。
小さな隙間からふわりと新しい空気が入れ替わりが、熱の入り過ぎた彼らの体温を冷やした。詰まった息も通るような感覚に視界まで照らされる。自分に気持ちを伝えてくれた青年に、目を一度も逸らすことなくプライドはまた笑いかける。
応えることはできない、だけど気持ちは確かに受け止めましたと心の中でも唱える。既に感情の波でこれ以上言葉を出すことも不可能な少年の頬にもう一度だけ手を伸ばし、指先だけを添わせた次の瞬間
窓から飛び降りた。
窓枠に手を掛け、重心を傾けたと思ったその一瞬で。
笑顔のまま身を乗り出し、マルクが目を疑う間に本当にそのまま窓から飛び出し落下した。直前に「ジャンヌ⁈‼︎」とステイルが腕を引き止めようとしたが、アーサーがプライドの後に続く方を考え彼の身体を担ぎ上げてしまった。
プライドが飛び降りた直後には後を追うようにステイルを担いだアーサーが当然のように窓へ足をかけた。「お世話になりました!」と、顎が外れたマルクに一礼をするとまるで扉を潜るような感覚で飛び降りた。
ステイルも叫びこそしなかったが、突然の落下と何故プライドを止めないで追うのだと不満のままにアーサーの編み込まれた束の髪を引っ張った。騎士なら飛び降りれる高さでも、自分では流石に特殊能力なしで着地はできない。続いて教室の内側からも外に向け風が吹いた気がしたマルクは慌てて窓から上体を出し視線を落とした。
翻る裾が風圧で服の下までめくり上がらないように手で押さえるジャンヌが、一瞬だけ羽が生えているように見えた。
三階にも関わらず当然のようにそのまま着地した少女に、人一人とリュック三つを抱えたジャックも無事続いた。
フィリップが降ろされ、三階から飛び降ろされたのに不満げに唇を尖らせる以外動揺のない彼の様子もマルクの目には疑うものだった。
ここは三階だよな……⁈と、目が零れそうなほど開いて窓から三人を見降ろせば、服の乱れだけを気にして整えるジャンヌが自分へ向けて仰ぎ大きく手を振った。
「元気でね!」
また花のように笑った彼女に、ぽかんとしたまま腕だけを上げて左右に振り返す。
すると、続いて無事だったフィリップとジャックもぺこりと頭を自分へ向けて下げてきた。彼女のとんでもない行動に今は何も言わず、その場を彼女と共に後にした。
ジャンヌも自分から背中を向け早足でどこか校門とも違う方向へ去っていく姿を、マルクは窓から見えなくなるまで凝視し続けた。
ほんの一か月だけ現れ、生徒達の注目を嘘のように集め、厳しい祖父に守られ、騎士の親戚に元貴族の上級生、更には女子の理想図のような親戚二人に囲まれた、あまりにも高嶺に居た少女へ叶わないとは思っていた。自分が全力を出しきる前に、突然学校を去ることになってしまった。
……そんな彼女を追うには、きっとこの窓から平然と飛び降りれるくらい人間離れしていないと駄目なんだと。
等身大の初恋を終えた青年は、窓の向こうに一人想いを馳せた。
擽られた熱を、頬ごと押さえながら。




