Ⅱ446.嘲り少女は慌てる。
「いやあああぁぁぁぁぁ……‼︎私の天使〜……‼︎」
……どうしよう。
がっしりと掴まれる細い腕と柔らかな感触に圧迫されながらそう思う。
まさかまさかの、ここが一番の難関とは思いもしなかった。
ネルとなんとかお話ができた私とステイルだけれど、お別れの挨拶を話し始めた途端、上機嫌だったネルの顔色がみるみる内に変わっていった。
最初は私の格好を見て「着てくれたのね!」「すごい似合ってる」「嬉しい」と満面の笑顔で絶賛してくれた。
あまりに褒めちぎってくれるから全身が擽られるような気持ちになったし、意識しないと本題を忘れちゃいそうになったくらい嬉しかった。だけど私の、……というかジャンヌのお別れ。
バーナーズ家事情から始まりそこからお爺様に家の事情でお呼び出しを受けましたまではもう今日一日で何度も話したことだ。ディオスもネイトもそれはもうびっくりしていたし、きっとネルも驚くだろうとは思った。一生徒且つ裁縫においてはなかなかの劣等生である私に物凄く良くしてくれたし、ファーナムお姉様くらい残念がってくれるとも思った。
けれど実際に話してみれば、本題が見え隠れする時点でみるみる内に顔色が悪くなっていくし表情筋まで強張ってしまって、事情を話し終えた時にはもう涙目だった。
まさか教師から絶賛大人気のカラム隊長以上の反応を頂けるとは思わなかった。
「もうロバート先生にはお話ししました」と締めくくった途端、潤んだ瞳と目が合ってしまって私も一瞬固まった。
まさか第一号で大声で泣きつかれるのがネルだとは思いもしなかった。大事なトランクまで手放して抱き着かれ、避けるという選択肢がなかった。私だってネルのことは大好きだし、別れを惜しんでくれているのなら猶更だ。
しかも天使発言までされたらそちらの方にも色々と疑問符が浮かんでそれどころじゃない。ティアラを前にした私もこんな感じなのだろうかとこっそり思う。いやでもあの子は本当にまごうことなき純度百の天使だし。
むぎゅううぅぅぅと抱き締められて涙目で「いやあああぁぁぁぁぁぁ」と細い声を上げてしまうネル先生に、流石に職員室の先生方も振り返った。主役のカラム隊長にも気付かれてしまった。赤茶色の目が皿になってこちらに向けられる。両手に持っていた手提げを背中の後ろに隠してしまう。
私がまた騒ぎを起こしていることに引いているだけではなく、プライベートな時間をちゃっかり見られてしまったことにも少し困っているのかもしれない。
単に皆に愛されているカラム隊長を再認識しただけだから隠す必要もないとも思うけれど、大事な時間にお邪魔してしまったことがまた重ねて申し訳なくなる。ネルへの良心の呵責も重ねて穴があったら入りたい。
カラム隊長のお別れ会に水を差してしまったことと、まさかのネルで大注目を受けてしまったことに私も引き攣った笑顔にしかならない。
隣でネルが手放したトランクを預かってくれたステイルも、なんとも言えない表情で私とネルを見つめている。振り返れないけれど後方で見守ってくれているアーサーもそうだろう。
王族相手と見れば不敬だけれど、ネルは何も知らないし信頼できる女性だし尚且つ副団長の妹さんだ。いつもどこかで見ているであろうハリソン副隊長からも攻撃どころか、殺気すら感じられなかった。……まぁ、大好きな副団長の妹さんに殺気を向けるハリソン副隊長の方が想像つかないけれども。アーサーにだってあの溺愛だ。
「確かに私だって辞めるけど……そんな、今日で最後なんてぇ……っ!」
この上なく密着したお陰で、ネルのか細い震えまでしっかり感じる。
声に水気を帯びているのもわかればもう完全に涙声だ。実際はこれからも深くお付き合いさせて頂けるとわかっている私と違ってすごく別れを惜しんでくれているネルに、今日一番良心が抉られる。
ファーナム兄弟にも正体話すしネルにも……とうっかり欲が過ってしまう。
私からも女性らしい背中を抱き締め返しながら、目の行き場に困る。そのままネルの肩越し先へ向ければ、カラム隊長の顔も僅かに苦笑気味に攣っていた。
ネルへの良心の呵責も重ねて穴があったら入りたい。
あの、ネル先生??と注目の眼差しがひしひしと増えているのを感じつつ呼びかけるけれど、ネルもそれどころじゃない。職員室へ背中を向けているネルと違い、私はばっちり先生たちの視線がわかってしまう。大人の女性、しかも被服講師を泣かせている私がものすごく悪人になった気分にまでなる。本当に本当にごめんなさい。
ステイルへ助けてと横目で視線を送るけれど、ステイルも泣いている女性相手は難しいらしい。
ネル先生~、と私はもう一度刺繍の女神に呼びかける。
「あの、でもその、もしかすると?ファ……ええと、お引越し先にはいつか遊びに行くこともあるかもなので、その時に会うかも……?しれませんし、あとその……じっ、実は騎士のアランさんが親戚なので、そちらにお、お、お兄さんから経由してお手紙を預けてもらえたら文通とか〜……?」
「そうなの⁈」
副団長ごめんなさい。
絞り出した私の声にネルがバッと勢いよく顔を上げてくれる。
抱き締めていた腕から肩を掴まれ鼻先がついちゃうくらいの距離で顔を合わせる。ぱっちり睫毛がぶつかるんじゃないかと思う。
潤み切って目元を濡らしたままの綺麗な丸い水晶が私を映した。
ええ……きっと、と雪だるま式に増えていく約束を自覚しつつ笑みを意識し小刻みに頷けば、きらりと眼差しが一度輝いた。
「良かった」と満面の笑顔を浮かべてくれたと思ったら、また改めてむぎゅりと抱き締められる。年上の女性にこんなこと思って良いかわからないけれど、本当にネル可愛い過ぎる。
しみじみと今後もお仕事でも長くお付き合いできてよかったぁと思いつつ、今度はすぐに私からも抱き締め返す。
「引っ越しもすぐに済ませるからね」と力強く言ってくれたネルに一言返しつつ、泣き止んでくれたお陰でほっと先生達のレーザービームのような視線も収まった。
カラム隊長も合わせるように「取り込み中のようなので」と職員室内の先生たちに説明しつつ、そっと扉を閉めてくれた。完璧なタイミングで遮断してくれるところ、本当に流石だ。
このタイミングなら単純にネルへのお気遣いとして先生たちも捉えてくれるだろう。閉じられていく扉の隙間を埋まる直前、苦笑気味のカラム隊長とぱちりと目があった。
無数の視線から遮断され、小さく肩を降ろした私はそこでまた次の可能性にハッと息を飲む。うっかり次の約束もしちゃったけれどその場合……!!
「あっ、でもネル先生。その、餞別とかは良いので。もうこの服で充分素敵過ぎて一生の宝物にさせてもらいますから……」
これ以上貰うとどうすれば良いか困ってしまいますし……、とネルのお人柄から推測して先に手を打っておく。
自意識過剰かもしれないけれど、ネルならその数日でもばっちり素敵な刺繍作品を送ってくれちゃいそうで逆に心配になった。
ただでさえ私の所為で今後の活動もお忙しくなるのに、これ以上負担はかけたくない。どうせ作って貰えるのなら正規の値段で買わせて欲しい。市場で売っていた時も安売りせずに正規料金を貫いていた人なのだから。
だけど私の主張にも「何言ってるの!」と声を上げるネルは、そのまま抱き締めていたうちの片手でよしよしと私の頭を撫でてくれた。
「ジャンヌはもっと私におねだりしてくれて良いの。貴方は私の天使なんだから。本当に、本当に本当にありがとう。会えなくなっちゃうなんて寂しいけれど……」
うるうるとした目でそう言われて、うっかり私まで喉の奥が危うくなる。
本当のお別れだったら私も危なかったかもしれない。ネル先生が私を天使と言うなら、私にとってネルは女神だったもの。
こうなってみると、本当にアムレットは大人過ぎる受け入れをしてくれた。アムレットにも同じくらい悲しがられたら絶対泣いていた自信がある。
下唇を小さく噛んで、ぎゅっと細い眉の間に力をいれたネルの赤みがかった顔に、私も口の中を噛んで堪える。
今後もネルのことは一生大事にしなければと改めて思う。こんな優しい先生なかなかいない。学校からスカウトしてしまったのが申し訳ないくらいだ。
最後に「だけどジャンヌが本当に気負うならやめておくわね」と続けてくれるネルに、私からも心からの笑みで返す。自分の目元を指先で掬うように拭って目を合わせてくれるネルは、もういつもの笑顔だ。
「本当に充分です」と柔らかく断ってから、今度は私の方から抱き締める腕にぎゅっと力を込めてくっつく。
「もし我儘を言えるなら、今後もあの人達を宜しくお願いします。お向かいさんも含めて仲良くして貰えると嬉しいです。皆、私にとっても大事な友人なので」
ファーナム家と、そしてできることならレイ達もよろしくお願いします‼︎と校内で名前を伏せつつお願いする。
ネルもすぐに察してくれたらしく、「勿論よ」と即答で返してくれた。ファーナム姉弟もレイももう悲劇を回避したという意味では安心だけれど、重ねて頼れる大人が付いてくれていれば私も安心だ。お互いに丁度いい距離感と関係を築いていってくれればなと思う。
腕を緩めると、一緒にネルもまた抱き締め返す力を緩めてお互いに顔を合わせ合う。
今度こそ最初からお互い笑顔で向けあうと、ネルは「わざわざ挨拶にきてくれてありがとう」と降ろした手で再び私の頭を撫でてくれた。
「いつでも頼ってくれて良いからね。手紙絶対書くから。何かあったら私も兄さんも絶対力になるって約束するわ」
アリガトウゴザイマス。と返しながらこればかりは意識的に笑顔を守らないと苦くなりそうになる。
ご厚意は百パーセント嬉しいけれど、まさか既に優秀な副団長にも昔から多大なるお世話になっている上に、この先ネルとも長い付き合いが確定しているなんて言えずに飲み込む。副団長、本当に本当に素敵な妹さんをお持ちでありがとうございます。
この場にいない副団長に想いを馳せつつ語らうと、とうとう四限の予鈴を降り注いだ。……しまった、カラム隊長のお別れ会からネルと思った以上に長く時間をかけてしまった。
予鈴を受け、職員室の扉が再び開かれる。選択授業の講師は帰宅として、クラス担任を持っている先生達は次の授業だ。調子を取り戻したネルも、はっと息を飲む音と同時に初めて振り返った。職員室入り口のど真ん中を塞いでいることに気付いて、急いで私も一緒に端へ寄る。
「それでは本当に一か月間ありがとうございました。明日から手配される騎士も優秀な騎士に変わりありません。どうか宜しくお願いします」
私はこれから理事長と打ち合わせがあるので、と。
聞きなれた声に視線を向けると、扉を開けたのもカラム隊長だった。自分の為の会を先生達が抜けやすくするためにわざわざ扉を開けてあげていたカラム隊長のエスコートに、先生方お一人ひとり廊下へ出てくる。
ぺこりぺこりと、今が最後かもしれないカラム隊長にそれぞれ握手や礼をして先生達が授業へと向かっていった。
「それではカラム隊長」「本当にありがとうございました」と重ねられる言葉に、カラム隊長も見送りつつ一つ一つ丁寧に返している。カラム隊長の為のお別れ会だった筈なのに、いつの間にかカラム隊長が先生達を持て成しているように見える。本当に余念がない。
ネルと一緒に私とステイルも先生達の視界に入らないよう、カラム隊長が扉を開けてからすぐ前に立って私達を背中に隠してくれた。お陰でなんとか私もネルも悪目立ちせずに済んだ。
こういう時〝何故か騎士が一生徒と一講師に贔屓している〟ではなく、もう〝カラム隊長らしい〟できっと全員の認識が納得できちゃっているのも彼の人徳あってのものだろう。最後に出て行った先生を見送った後、こちらを首だけで振り返ってくれたカラム隊長はネルへ一度目を合わせた。
「……先ほどは失礼致しました、ネル先生。お取込み中と思い、扉を示させて頂きましたが失礼でしたらお詫び致します」
「!い、いいえ……私こそカラム隊長へのお礼中に取り乱してしまって…………本当にお恥ずかしいです」
申し訳ありませんでした。と、カラム隊長へ慌てて姿勢を正したネルが深々と頭を下げてから、ぽっと恥じらうように染まった頬に手を当てた。
むしろ悪いタイミングでネルを呼び出してしまった私の方も申し訳なくなって、こっそりネルの最後で頭を下げる。ここで私が「いえ私こそ」と言ったらカラム隊長はそれこそ王女相手に許さざるを得なくなるし、ここは謝罪の気持ちだけこっそり伝えさせてもらう。
ネルのトランクごと一緒に移動してくれたステイルも私と一緒に礼をしてくれる中、カラム隊長も気付いてくれて敢えて私達に視線は向けないまま小さく肩を竦めて笑んでくれた。
「とんでもありません。寧ろ、お忙しい中で勤務時間外にわざわざご足労頂きありがとうございました。なかなかお話する機会がなかったにも関わらずのお気遣い、心から感謝しております」
教師の方々も気にしてはいません。そうネルの不安も払拭するように続けるカラム隊長の優しい笑みに、なんだか私まで落ち着いてしまう。
本当に事実を知っても〝副団長の妹〟ではなく〝ネル先生〟に向けての優しさに、本当に紳士な人だなと思う。ネルもぺこりとまた深々頭を下げつつ、その気持ちが伝わったのか嬉しそうに微笑んでいた。
こちらこそ本当にお世話になって……とお礼の往来が始まりかけた時、一度ネルの言葉を片手で止めたカラム隊長が始めてそこで視線を私達に向けた。あくまで生徒としてここにいるこちらに「君達」とパリッとした声をかけてくる。
「そろそろ授業が始まるだろう、教室に戻りなさい。友達も待っている」
そう言って視線だけで廊下の先を指し示され、振り返ればちょこんと端に控えたアーサーがこちらを見ていた。
確かに先生達も向かったし、私達もそろそろ教室に向かわないと遅刻だ。
引き際の機会をくれたカラム隊長に感謝しつつ、私達もそれに応える。ステイルがトランクをネルへとそっと返した。
「それではネル先生、これで失礼します。本当にありがとうございました」
受け取ったネル先生へ告げるステイルの言葉に、私も改めて深々礼をする。
行きましょう、とそのまま促してくれる言葉に続きネルへ手を振ってアーサーの方へ向かった。慌て過ぎて駆け足になりかける私達にカラム隊長が「廊下は走らないように」と声をかける。ネルからも「またね⁈」と、ファーナム家で会いましょうの意味も込めて手を振られながら私達は教室へと向かった。
…………レイへ会いそびれてしまったことを猛省しつつ。
残る時間は放課後。既に大事な予定が詰まりまくっている中、とにかく四限が終わったらすぐ会いに行こうと決める。レイは私達の上の階だし、待ち伏せしていれば会える筈だ。
何事もなく迎えれば、絶対に会える。
既にここまで予定外のことが起こっていることに目を背けながら、私は頭の中で予定を組み直し続けた。




