そしておくられる。
「ネル、先生は……?」
三限授業終了後、ステイルとアーサーと急いで私は被服室に向かった。
まだ恋文イベントの影響で覇気が凪いでいたアーサーと少し疲弊気味のステイルだったけれど、一緒に速足でついてきてくれた。アーサーの返事は大丈夫かも確認したけれど、今は教室に全員いたから一人ずつ断るのも困難だった。
あの状況だと、一人ひとり手紙をくれた女の子達をクラスの子全員の前で振ることになるというステイルの判断もあり、放課後に一人ずつ狙いを定めて女の子を呼び止めることになった。
ステイルの方も速読で自分の手紙の内容は確認したけれど、「返事を求めるような手紙は一通もありませんでしたので」らしい。放課後はアーサーの返事手伝いに協力するらしい。……私は不参加だけれど。ステイル曰く「女性が関わると拗れます」と、なかなか重みのある声だった。
まぁ私も同意見だ。ジャックにお姫様だっこや腕を組んだ親戚が横でへらへら見物していたら心優しい乙女でも鬼になる。
教室を出てからも私の背後で二人がこしょこしょと「お前の斜め前の席が……」「アムレットの隣の席に……」「いっそ手紙で貰ったのだから手紙で返すのは」「便箋ねぇよ」と会議をしながら付いてきてくれた。
そして速足で階段を降り、被服室に着くと……そこはもう施錠された後だった。
内側から閉めているのかなと思ってノックを何度か鳴らしたけれど、全く返答がない。いつもなら授業終了しても暫くは残って刺繍をしている筈なのに、まさか今日に限って帰ってしまったのだろうか。引っ越しも急所勧めると言っていたもの。
四限終了までいる生徒のレイと違って三限で業務終了のネルだから優先したのにこれでも遅かったなんてと肩をその場で落としてしまう。
「一応職員室に行ってみましょう。もしかしたら自主退職の時期について相談しているのかもしれません」
カラム隊長にも確認して貰えば、と提案してくれるステイルに私も落とした視線を上げる。
そうだ、まだ諦めるには早い。ファーナム兄弟に会う時に運が良かったら会えるかもしれない同居予定のネルだけれど、やっぱり可能ならきちんと今日挨拶したいもの。
被服室を後にし、そのまま私達は職員室へと足を運ぶ。先生が行き交う教室だしと、あまり走らないように意識しつつ足を速める。
すると今朝は大分落ち着いていた方だった筈の職員室から、なにやらガヤガヤと声が何重もの声が聞こえてきた。まさか何かあったのだろうかと、足を前に出す度に拍動が響く。近づけば近づくほど騒ぎ声の中心は心臓の悪い騒めきではなく………
「カラム隊長、本当に今日までありがとうございました……‼︎」
むしろ、スポットライトの下のような怒涛の盛り上がりだった。
近づいただけで聞こえてきたその声に、職員室の扉前に着く前から私達はお互いに顔を見合わせてしまう。私も、そして二人もなんとも言えない半笑い顔だ。
開け放しにされた扉に近づく頃には拍手の音まで聞こえてきて、もう目を瞑っていても状況がわかった。
いつも生徒に「静かに」「騒がないこと」と授業前に告げる教師陣が全員ぐるりとカラム隊長を囲むようにして並んでいた。生徒として潜入してひと月だけれど職員室でこんなに職員が大勢揃っているのを見たことがない。選択授業でしか見なかった講師までいるし、まさに勢ぞろいだ。
端から端まで首を動かしつま先立ちで目を細めれば、窓際の端にトランクを傍らに立つネルも見えた。どうやらネルもこの為に立ち会ったらしい。
ありがとうございます、と次々告げられる教師講師からの一言挨拶へ順々に答えるカラム隊長の手には花束まである。もうこれだけみると、教師歴十年以上のベテラン退職のような佇まいだ。
もしかして今朝の妙な慌ただしさはこれの為だろうかと、ロバート先生へ報告した時のことを思い出す。
「本当に身に余るご厚意感謝致します。しかしこの後も私は引き継ぎの最終確認で四限後もいますし、先生方もお忙しい中授業の合間にここまでして頂くのは……」
「講師陣にもカラム隊長にぜひご挨拶したい者が多かったので。本当にカラム隊長には何から何まで相談に乗って頂き感謝しています」
やはりカラム隊長ここでも。
前々からわかっていたことだけれど、本当にカラム隊長素晴らしい。たったひと月でこれだけ教師陣に慕われているのだから。
しかも今挨拶しているのは我が校の新理事長だ。講師の方々もうんうんと頷いていたり温かい拍手を送っているから確実に強制で集められたわけでもないだろう。
講師の人達は三限後に帰る人も多いからこの時間帯を選んだということに、本当皆でカラム隊長に挨拶したかったのだなという想いがひしひしと伝わってくる。
理事長の言葉を受けて、カラム隊長もぐるりと先生たちを見回し出す。端の一人まで確認し、それから花束を持った手で肩の力を抜いた。
ふっと少しだけ力の抜けた笑みを浮かべた横顔に、きっと先生方の気持ちをしっかり受け止めてくれたのだなとわかる。
わかりました、それではと。そう口を再び開くカラム隊長に、大人達全員が反対に口を噤む。何か一言二言あるのかなと私達も気配を消して清聴の構えを取った。流石にこのタイミングで水は差せない。
ネルを呼んだら少し私から離れて避難する予定だったアーサーも、今は扉脇に嚙り付くようにしてカラム隊長を凝視している。
大勢の視線を独り占めにしたカラム隊長は、無言のまま一度自分用のらしき机に花束を置いた。両手が開いた、と思った途端花束の前から置かれていた別の重厚な色の手提げ袋を二つ片手で掴み上げた。
「実は僭越ながら私からも教師と講師の方々にお世話になったお礼を用意させて頂きました。この場でお借りして配らせて頂いても宜しいでしょうか」
次の瞬間、興奮か感激か区別のつかない騒めきが上がった。
「今日まで頂いてばかりでしたので」と断りながら、カラム隊長が手提げから一つ一つ綺麗な包装物を取り出し渡していく。遠目でもわかる高級感のある包みから判断して、たぶん王都の店じゃないかと思う。
しかもランダムで取り出すから皆に同じ物をかなと思ったら、それぞれ贈り物の形状が違う。中身を取り出した傍から品を見て「ドレーク先生」「ジュリエット先生」と本人を呼んで手渡していくから、きっと全員それぞれに選んでくれた品だ。
時々「先日のお借りした作家の新作です」「頂いた菓子にも良く合う紅茶だったので」「何度も荷物入れをお借りし使い古してしまいましたので」と一言添えているのも聞こえると、もう本当に完璧すぎるお気遣いだ。流石カラム隊長としか言いようがない。
先生たちもまさか自分達が贈られるとは思わなかったらしく「いえ、こちらが貰うつもりは……」と何人かが呼ばれても一歩引いていたけれど、最終的には畏れ多そうに受け取っていた。
涙目の先生もいるのを見ると、本当に慕われていたんだなぁぁと実感する。学校から城にカラム隊長講師化希望が出されたのも頷ける。
カラム隊長も一人一人贈り物をしつつ、挨拶をして別れを惜しんでいるからなんだか引き離す私の方が申し訳なくなってきた。
「ネル先生」
とうとうネルの名前が呼ばれ、私もドキリと背筋が伸びる。
窓際から大きなトランクと一緒に教師達の間を抜けようとするネルに、やっぱりカラム隊長から先に歩み寄った。
周囲の教師達もこれまでと同じように二人へ道を開ける中、カラム隊長がまた片手に収まる小さな包みを手渡していた。カラム隊長の接近に、恐縮するように肩が丸くなって小さくあるネルを見ると、もしかして副団長のワードを出されるのを心配しているのかなと思う。
確か学校にはまだ内緒にしているし、カラム隊長はアーサーと一緒にネルに会っているもの。
「専門店で良い糸を見かけましたので。好みに合わなければ練習用にお使いください」
うん、わかっていた。
ネルの心配をよそにすんなりと挨拶を済ますと、カラム隊長はその手に包みを手渡した。副団長のワードも出さなければ、綺麗に他の講師の先生と一緒の扱いだ。
ネルもそれを受けてカラム隊長のお気遣いがわかったのか贈り物が好みばっちりだったのか、目を大きく開くと次の瞬間には力の抜けた笑みでお礼を伝えていた。そのまま次の先生へと贈り物を渡し始めるカラム隊長を目で見送ると、邪魔にならないようにかトランクごと私達のいる扉方向に逸れてきた。
今しかない。そう悟った私は意を決してネルに大きく手を振り主張する。
最初は貰った包みを見つめていたネルだったけれど、ずっと振り続けたら視界の端に入ったらしくこちらに顔を向けて気付いてくれた。目を丸くしたネルがそのままトランクを転がしながらこちらへ駆けつけてくれる。カラム隊長に夢中の先生達は誰一人こちらは気にしない。今は完全にカラム隊長の時間だ。
「ジャンヌ!どうしたの⁈」
職員室を出た途端、張り上げた声で笑いかけてくれるネルの優しい笑顔に…………とても申し訳ない気持ちになった。




