そして押し進む。
「おっせーよジャンヌ‼︎なんで誘ったくせにすぐ来ねぇんだよ‼︎」
「ごめんなさい。待っていてくれてありがとう」
さっきまでの肩幅の狭さが嘘のようにネイトが胸からふんぞり返る。
ふん‼︎と鼻息まで荒くして自分を見上げる少年に、プライドも腰を落として謝った。並ぶステイルが「まだ五分程度ですよ」と言い返すが、そこで顧みるネイトでもない。
ジャンヌ達から誘われ、昼休みになって急ぎ足で食堂前で待っていたというのに瞬く間のうちに人が集まってきてこの上なく心細かったのだから。
今まで食堂に近づこうとも思わなかったネイトは、こんなに人混みが凄まじくなることも知らなかった。ステイルにとってはたったの五分だが、ネイトにとってはそのたったの五分の間に次々と人が集まってきた恐怖が凄まじかった。
待たせたのには変わらねぇだろ‼︎と強く言い返し、そこで初めてプライド以外に視線を配る。
突然存在感を主張始めたネイトの怒鳴り声に、他の生徒達も一歩半歩と距離を空けていった。それも構わずネイトは見慣れた存在であるステイルとその背後に付いて見回しヘレネを探すアーサーとそして
「さっさと食おうぜ‼︎人ばっかのとこ気持ち悪いし大体なんでこんなー……、……」
ぷつんと。そこまで怒鳴っていたネイトの口が途中で止まった。
視線が途中で固まり、途切れた直後にはこくりと細い喉を上下させてしまう。いることは予想できたが、実際目の前にするとすぐには口が動かなかった。
ネイトの視線を受けたパウエルも、彼の言葉が止まった理由はすぐに理解する。最後に会った時意図せず脅かしてしまったのは自分だ。少しの申し訳なさはあったが、今はそれよりもと「よう」と軽く手を挙げて挨拶だけ返した。
今はネイトが自分の思っていたような適当な生徒ではないことも知っている。
二人の言葉にできない空気の変化に、ステイルは間に入るとポンとパウエルの肩に手を置いた。今の自分よりも背の高いパウエルを見上げ、空色の眼差しと目を合わせる。
「ジャンヌ。俺達で席を取っておきますので、ジャックと一緒にヘレネさんと合流してください」
行くぞ、と。そう言ってパウエルの肩をもう一度叩くと、アーサーから三人分のリュックを奪う。そしてネイトのリュックへと反対の手を伸ばした。
まさか自分まで含まれているとは思わず、リュックを引っ張られたネイトから「は⁈えっ‼︎」と怒声よりも遥かな大声が上がった。まさかジャンヌと離れる上にパウエルと一緒など、どうしていれば良いかもわからない。
ちょっと待てよ‼︎と反論を上げようとするが、その間にも「食堂の方が人混みも少ないですよ」とリュックごと連行されてしまう。
後ろ歩きに引っ張られ、リュックも手放せないネイトはぎゃんぎゃんと騒ぎながら無理やり振り払う。身体をぐるりと捻ってなんとかステイルの手を払えたが、次の瞬間にはその手を掴まれた。十四歳の姿であってもステイルの方がネイトよりも遥かに力は強い。
結局腕を引かれたままずるずると食堂へと吸い込まれていくネイトが、まるで歯医者に連れていかれていく子どものようだとプライドは小さく思った。パウエルもステイルの隣に続き、三人で一足早く食堂へと入っていく。
「大丈夫かしら……?いきなりパウエルとネイト一緒で」
「ボタン掛け違えただけですし、多分話せば大丈夫だと思います……。パウエルの方はすげぇ話しやすいですし」
ネイトが余計なことを言わなければ。その言葉をアーサーとプライドは同時にぐっと飲み込んだ。
ステイルが名乗り出たということは彼にも何らかの考えはあるのだろうと二人も思う。パウエルもネイトも単独で見れば良い青少年であることも間違いない。しかし、今さっきの気まずい空気を感じ取れば不安も覚えてしまう。
片方だけが一方的に苦手意識を持つ時のどうしようもない絶壁間は、アーサーもプライドもそれぞれ覚えがある。
せめて早くヘレネと合流して三人のもとに駆け付けなければ!と、そこでプライドとアーサーも改めて姿勢を伸ばす。
特に高身のアーサーは、人と人の向こうからも探すのには優位だった。
ネイトと違い、待ち合わせをしていないヘレネが自分達を素通りする可能性もあると思えばプライドもしっかりと自分達のいる入り口付近にも注意を払った。素通りされてステイル達も気付かない場所に来られたら最後まで会えなくなる。
人の流れが多く、邪魔にならないようにと入り口からそれても次々と人に肩がぶつかりかける。アーサーと別方向を見ていると、うっかりその間に他の生徒が意図せず割り込んできた。
流石にこれにはアーサーも護衛対象のプライドも慌てて新たに肩をくっつけ合う。前回にも増して人口の多い中で、それでもやはりまた人に揉まれ出した。
これは確かにネイトは早々に食堂に避難させて良かったと思う。
「…………ごめんなさいジャック、見えないようにするから手を掴んでいても良いかしら……?」
「あっ、はい。すみません、俺から掴ンでも良いっすか?」
あんま目立たないようにします、と。アーサーから了承を得たプライドは気付かれないようにほっと息を吐く。
てっきり以前のように人前で強引にくっつくのはと断られるかと思った。前回はアーサーの腕を引くために仕方なくのつもりだったが、今回は今回で護衛優先だから良いのだろうと考える。
あくまで人混みで離れない為、そしてクラスの子にまた誤解されないようにとお互いに下ろした腕で、アーサーの手首だけが曲がりそっとプライドの手の握った。
これで迷子にならないと安心すると同時に、やはり手を繋いでいる方が心強く思う。人混みを見るのはまだしも人混みが多すぎる中で揉まれつつ歩くのは、プライドも慣れてはいない。
お陰で今は降ろした片手の温もりがありがたい。これ以上人混みが酷くなる前にと思いながら、再びヘレネ捜索に進む。ぐるりと二人でそれぞれ別方向へと見回し、とうとうアーサーが「ヘレネさん‼︎」と声を上げて手を振った。
ネイト以上によく通るアーサーの声に、プライドもすぐに彼の視線の先へと振り返った。
つま先立ちに見ても、やはり自分の場所からはよく見えない。しかし、アーサーに手を引かれるままに人と人の間を縫っていけば導かれるままに線の細い女性と合流できた。
背の高いアーサーが手を振りながら「すみません通ります」とプライドの分の道を押し開けた。
人混みから比較逸れた壁際を伝うようにして歩いていた女性は、アーサーでなければ辿り着くどころか気付くのも難しかった。
「ジャック君にジャンヌちゃんまで。二人も食堂でお昼?声をかけてくれて良かったわ、今日は人がすごく多くて心細かったから……」
ほーーっ、と胸を押さえながら心から安心したように息を吐くヘレネは目を細めて笑んだ。
いつものように食堂へたどり着いたヘレネだったが、あまりの人混みに気圧されて最初は立ち呆けてしまった。
以前より改善したとはいえ、体の弱い自分では人混みの中を割り入ることはできない。できるだけ人混みを避けて進んだものの、やはり知り合いの存在はそれだけでも心強かった。
プライドからの食事の誘いと共に席も先にとってあると言われれば、幸いでしかない。
ええ是非ともと両手を合わせて笑うヘレネに、アーサーは軽くプライドへ視線を配った。
「自分が人混み押し抜くンで、すみませんがジャンヌはヘレネさんと手を繋いで貰っていいっすか?」
自分が両手を繋いでも良いが、それだとどちらかが人混みの隙間に押されかねない。確実なのは全体で縦一本線になって進むことである。
勿論よとプライドも反対の手をヘレネとしっかり繋ぐ。こちらは力の弱い女性同士だが、それでも人混みに流されないようにとお互いぎゅっと肩まで力を込めて握り合った。
「行きますよ」とアーサーからの合図を受け、人混みを進む自分達がまるでアーサーに救助されているみたいだとプライドは少しだけ可笑しくなる。今日は晴天で、ここは屋内で、全く災害とはかけ離れた場所なのにと
キャアアアアアアアアアアアああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁあああああああッッ!!!!!
ひっ、と。突如として上がった断末魔のような悲鳴にプライドは呑気になりかけていた思考をぶつ切られた。
思わず繋いだ両手が強張ってしまえば、慌てた口調でアーサーが「ちょっと急ぎます‼︎」と悲鳴に負けない声を張る。ヘレネの足並みが心配だったが、無理にならない程度の速度でぐいぐいと強引にアーサーは人の流れに逆らい進んでいった。いまここでのんびりしていたら今度こそ食堂にたどり着けなくなると判断する。
あらあら、とヘレネ一人が最後尾で頬に手を当てながら振り返る。
彼女の身長では声のする方を見ても人混みだけだが、それでも何があるのかは想像できた。少なくともすれ違っていく軍勢の声を一つでも拾えれば簡単である。
プライドも逃げるようにヘレネの手を引きアーサーに掴まり進みながら、人災に近いそれを相手に本格的な救助作業になったと思う。
自分達が急ぐ中、今まで人だかりだけで動かなかった集団が明らかに一方向に引っ張られている。洪水の中を突き進んでいるような感覚に、自分も別の悲鳴を上げたくなった。そして、同時に思う。今だけは〝彼〟の人気とサービス精神が血が引くほどに恐ろしいと。
「セドリック王弟殿下‼︎今までありがとうございましたっ……‼︎」
「もう会えなくなるなんてっ‼︎」
「セドリック様‼︎セドリック様‼︎これ、私達からの気持ちです‼︎」
「セドリック様‼︎どうか受け取ってください……‼︎」
「騎士様!お願いします!!セドリック様にこれを……‼︎」
「貴方達お願いこれもセドリック様に受け取ってーーー‼︎」
早くも手紙で膨れ上がった布袋を抱える双子と護衛の騎士、そして一回一回丁寧に受け取るセドリックに。
紙吹雪のように流れる手紙をすれ違う視界で確認しながら、王弟の恐ろしさを嚙み締めた。




