Ⅱ435.騎士と義弟はしてやられ、
「あの、ジャンヌ……先ほどはマルクと何を……?」
一限終了後、男女別授業の為に男子生徒が次々と席を立っていく中でステイルがプライドに歩み寄る。
前席であるアーサーもくるりと振り返り立つ中、プライドは目をぱちくりさせながら二人を見比べた。「へ⁈」と声を漏らしつつ、座ったまま困ったように強張った笑顔を返すプライドにアーサーは余計気になった。
明らかに怪しんでいる表情のステイルと心配そうな眼差しのアーサーを前に、流石のプライドも顔が強張る。自分が授業中に何をしていたかだけでも、二人を怒らせるのに充分な理由がある。
「じゅ、授業のノートを見せて欲しいって言われて。…………その、ちょこっとだけ筆談でお話をしてました」
駄目よとは言ったのだけれど、と言いながら無理やり上げた口角で目を逸らすプライドは閉じたノートを手元に引き寄せた。
流石にノートを奪い取ろうとはしないステイルとアーサーだが、確実にそのノートには授業内容よりも多く二人のやり取りが書き記されているだろうと思う。一限の授業中、殆どの時間をプライドは筆談していたのだから。
交互に聞こえるペンの音を聞き拾ったアーサーだけでなく、一つ離れた右横の席でそれを監視していたステイルにもそれは筒抜けだった。
ごめんなさい。と、二人に叱られる前にプライドが謝った。授業中にお喋りなんて、とわかってはいる。しかし、授業中に文字のやり取りなどそれこそ前世を思い出す友達同士らしいやり取りだったという懐かしさがつい緩ませた。何より今日で最後だと思うとつい貴重なクラスメイトとのやり取りが魅力に映った。
「次からはもうちょっと控えるわ」と頭を重く垂らしたプライドに、ステイルは眼鏡の黒縁を押さえたまま少し黙してしまう。まさか心臓に悪かったのが授業中ということではなく男子生徒との密接なやり取りだとは言えない。
「ちなみに、一体どのような会話を?」
「ごめんなさい、それはちょっと……」
あくまで個人的なやり取りだから、と。そう静かにプライドが断れば、もうそれ以上言及することも難しい。
下に向けたままのプライドの頭を上げさせるべく「わかりました」と一度ステイルが折れる。隣にアーサーが並ぶ中、プライドの表情へ少しだけ訝しむように眉を潜ませたがすぐにちらりと一瞬視線が別方向に向いた。自分達が話している所為で最前席でまだタイミングを見図っている少女を確認する。
自分達も次の移動教室がある為、のんびりはしていられない。更には、この後プライドには授業よりも大事なやり取りが待っている。
行くぞ、とステイルはアーサーの肩を軽く叩きプライドに礼をした。
アーサーもそこで「失礼します!」と礼儀正しく頭を下げてから背中を向けた。いってらっしゃいとプライドが手を振ってくれる中、アムレットが彼女に歩み寄っていくのが前を向く寸前にアーサーの視界に入った。そのままステイルの顔をみれば、明らかに機嫌が悪い。
唇を堅く結んだまま眉を中央に寄せて険しくさせている表情は、明らかに消化不良の顔だった。しまいには廊下に出た途端黒い覇気まで零しだすステイルに「ンなムキになんな」と今度はアーサーが軽く背中を叩いた。
アーサーの喝が入り、黒い覇気は消えたが軽く睨み上げた後もまだステイルは固く口を結んだままだった。
無理もねぇけど、とアーサーも頭の中では思う。背中を向けていた自分と違い、ステイルはずっとプライドが男子生徒と仲睦まじく筆談でやり取りをしていたのを隠し見ていたのだから。しかも、自分が声を聴いただけでもプライド自身も迷惑がるより遥かに楽しんでいた。
ステイルからの問いも筆談のことだけということは本当に文字のやり取り以外は何もなかったんだろうなとだけ考える。授業中は監視しているのもアランの為、ナイフを投げる人間もいない。
前方にはクラスの男子も既に移動教室に向かって今はいない。
遅刻するまいと速足で階段を下りて外に出れば、やっとそこで見覚えのある背中達が見えた。まさか十四歳の少年相手にステイルが何かするとは思わないが、それでも近づいたところでもう一度その背中をアーサーは念を押すように叩いた。速足から歩みに戻し、ゆっくり集合している彼らに近づく。
次の授業になるまでは一か所に留まらず散らばって身体を動かしているか、雑談をしているかの男子達だが今日は全員が話に夢中だった。
「え!じゃあ次俺!俺と代わろうぜ‼︎」
「はぁ⁈待て俺だろ俺!マルクと一番家が近いの俺だぞ‼︎」
「マルクそこは俺と代わるよな?親友だろ」
「いや!協力した僕だろ‼︎」
「待てよもともと俺が思いついてやったから……」
「いやお前まさかやるとは思わなかったってさっき言ってたろ」
「………………」
接近するごとに聞こえる彼らの会話に、ステイルとアーサーはお互いに言葉が出なかった。
彼らが盛り上がっていることは珍しくないが、今日はその中心にいるのが彼だった。プライドの隣を独占した勇者にヒーローインタビューかのように男子達が囲い集まり、背の高いアーサーすら離れた距離では姿が見えなくなっていた。
目線を合わせるまでもなく二人は足並み揃えて歩み寄る。こうして彼らの輪の中に入ることも珍しくないが、今は情報収集の意味が強い。密集する彼らの背中に近づけばガヤガヤと声が多い者以外の話し声も聞こえてくる。
マルク本人ではなく、彼の話を聞いた他の友人達の語り合いだ。
「確かに今日が機会だと思ったけどなぁ。本当にそこでジャンヌがいつもいる席に座ると思うかよ?」
「良いなよぁ、俺も横の席開けたの選んだけどやっぱ一番後ろの席か……」
「でも俺、前じゃねぇと図とか文字よく見えないんだよな」
「僕は落ち着かない。先生に手を上げても気付いてもらえない気がするし」
「一限は聞き逃したくないよなー。ロバート先生の授業特に一限のが好きで」
「俺一度、一番後ろの席に座ったけど全然集中できなかった」
「お前はジャンヌ見てたからだろ。俺と同じみたいに言うんじゃねぇよ」
「僕もジャンヌと筆談してみたい。…。せっかく文字覚えてきたし」
わかる!!と、今度は複数の男子生徒の声が合わさった。
密集の中心では、別の論議も白熱している。後から来た自分達のことなど存在も気付いていないように語り合う彼らに、アーサーは喉が渇いていくのを感じた。
まだほんの片鱗だが、確実に今日の席替えは仕組まれてのことだと理解する。どうりでステイルが何を言っても席を譲らなかったわけだと引き攣った口端で思う。
視線を投げる前からじわじわとまた黒い靄がステイルからあふれ出しているのを肌で感じ、今回は少しだけ身を反対方向に傾けた。
きっとステイルのことだから、自分よりも前から彼らの策は見通していたのだろうと思う。そうなれば、さっきからの異様な機嫌の悪さも納得できる。策士が策に落とされたのだから。しかも十四歳の一般人に。
一人黒い覇気を巻き上げるステイルを見ていると、反するように自分の方が落ち着いてくる。さっきまで授業中、二人のやり取りの音に苛ついてしまったことが嘘のように頭を掻いた。少し背筋を伸ばしてみれば、中央の彼らの顔も自身の高身長のお陰で覗けた。
燥ぎ声を上げる彼らのやり取りを黙して聞きながら、今度は咎めるでなく汲み取るようにその肩に手を置いた。
ポン、といつもより柔らかいその振動に、ステイルは黒縁を指で強く押さえつけながら大きく深呼吸を繰り返した。こんなの負けに入らない、と自分で自分に言い聞かせながらも反対の手で思わず拳をメキリと堅くする。




