そして忍ぶ。
「三人ともいい子だもの。本当はもっとウチで歓迎したかったわ。明日皆泣いたらどうする?ジャック君は謙虚だし、フィリップ君は礼儀正しいし、ジャンヌちゃんなんてほら、貴方にすごく懐いているじゃない」
ロベルトにも会わせてあげたかったわ、なんて続けて言うものだから俺ははっきりと首を横に振る。
キースほどじゃないけれど、ロベルトも子どもは好きだし余計に別れが申し訳なくなるだけだ。
しかもうっかり甥っ子達を連れてきたらプライド様が別れづらくなる可能性もある。母が正体を隠していてもプライド様達を良く思ってくれることは嬉しいが、あくまで明日で終わる仮の姿だ。
そこまで考えてから、俺も騎士団演習場に戻るべく扉に手をかける。いつもの声を掛けて背中を向け、……ようとしたところで思いとどまる。
そういえば、と嫌な予感に振り返った俺はもう一度母さんへと顔ごと向けつつ声が勝手に低くなった。
「……母さん。ちなみに、明日も最後だからってジャンヌ達に焼き菓子を作らないで良いから」
「覚えているわよ。お爺さんが食べ物にも厳しいんでしょう?」
意外とあっさり返す母にほっと胸を撫でおろす。
学校初日に善意でプライド様達へ焼き菓子を贈った母に、それ以降はなんとか理由を作って控えてもらえている。明日で最後という三人に、また得意の菓子を作らないとは限らない。
料理の腕は俺だって知っているけれど、だからってアーサーはともかく王族に食べさせるものじゃない。初日にまさかの菓子をプライド様もステイル様も俺に処理を任せなかったことには本当に何度肩を落としても足りなかった。
いや、美味しかったと言ってもらえたことはもちろん嬉しかった。だが、それにも増して申し訳なさのほうがはるかに勝る。
いくらプライド様達が俺たちの生活に偏見なく見てくださっていても、いくら身内の手製に信頼があってもあくまで王族にとって〝粗末なもの〟を食べさせたという事実は変わらない。
覚えてくれていればいいんだ、ありがとう、また明日。そう返して今度こそ家を出る。
「気を付けてね」と騎士になる前から決まりの送り出す言葉を背中で受けて、俺は扉を閉めた。外の空気に触れてまた大きく深呼吸を繰り返しながら足を動かした。
あと一日。と今度は口の中で呟きながら固く目を瞑り、開く。
本当の本当に、明日までは気が抜けない。アラン隊長が来てくださると同時にキースが来る。父さんは仕事だけど、頼むから間が悪くロベルトが里帰りに来ないでくれよと今回だけは念じる。あと一日、バーナーズ家が無事に挨拶を終えて何事もなく家を出れば
『寂しくなるわ』
「………………。…………いや、ない。ない」
うっかり頭に思い浮かんださっきの母の言葉を首を振って打ち消す。
自分でも半分口が笑ってしまう。もうこのひと月、学校の日は心臓に悪い朝ばかりだった。この任務が滞りなく終えられたら、間違いなく安堵するに決まっている。
気が付けば胸を押さようとしていた右手を止め、慌ててひらひら振る。嫌な自覚に顔が熱くなるのを一人ごまかしながら足を速めた。明日の別れに、母やキースだけでなく俺まで涙目になったら一生の恥になる。
キースといい母さんといい、……俺といい。本当に血は争えないと、頭を強めに掻いた。
……
「必要ない」
騎士団演習場。
演習の合間に声を掛けられたハリソンはいつものように一言でそれを切り捨てた。
高速の足こそ使わないものの、速足で次の演習場所へと移動する。騎士隊長であるアーサーが午後も休息となっている為、副隊長である彼が隊の演習を回さなければならない。
一息吐く間もなく進む彼に話しかけた騎士もまた歩速を合わせた。昨日は八番隊も含めた包囲任務、早朝演習後には隊長とともに朝食後すぐセドリックの護衛を担うため移動。そしてついさきほどの演習前に演習場に合流したハリソンにやっと部下が話しかけられるのは今が初めてだった。
さらにはその部下もまた先ほど演習場に戻ってきたばかりである。
演習直後の為とはいえ、話しかけた途端に問答無用で奇襲をかけられた部下は攻防を終えた後も息をわずかに切らせつつハリソンを追う。
「必要はあります。いくら極秘任務で事情を知らなかったとはいえ、自分は隊長方とプラ……〝ジャンヌ〟の行動を阻もうとしました。その為正式に謝罪をするべきと判断致しました。騎士団長と副団長には既にお詫びいたしましたが、まだハリソン副隊長には満足に謝罪も」
「必要ない」
「必要あります」
速足で去るハリソンに、ノーマンも息を巻いた。
今までハリソンに苦情を言い募ったことはあるノーマンだが、奇襲を受けた後もここまで食い下がったのは初めてだった。
すれ違う騎士達も振り返っては、ハリソンがアーサー以外の騎士に追いかけられていることを珍しく眺めてしまう。ただでさえ追われているのは他ならないハリソンである。
そのハリソンの部下であるノーマンは中指で丸渕眼鏡の位置を直しながらも声を尖らせ眉を吊り上げた。はたから見ればどうしても謝罪をしようとしている態度には見えない。
しかし、演習直後に「いま宜しいでしょうか」と声をかけたノーマンへ聞くよりも先に奇襲を仕掛け、その直後に何事もなかったかのように「なんだ」と投げ、自分に不要だと判断した瞬間要件を最後まで聞かず移動を始めたのはハリソンの方である。
普通の騎士であれば、上官の怒りを買ったと判断しそこで折れる。しかしノーマンもまた同じく定評のある八番隊である。そこで食い下がり、ハリソンを追いかけた。
「処罰は当然受けます。ですが騎士団長と副団長は不問と仰られました。特にハリソン副隊長には実質的に校門前で自分は刃を向けてしまった責任もあります。事情を知った以上、あそこでお止めくださいました件について改めて謝辞も」
「ステイル・ロイヤル・アイビー第一王子殿下のご命令に従ったまでだ」
「お言葉ですが〝フィリップ〟です」
言葉を途中で打ち消すハリソンに、ノーマンもまた謝辞の手前にも関わらず指摘をする。
潜入視察が騎士団へ明らかになってしまったプライド達だが表向きはあくまで未だ〝ジャンヌ〟達である。騎士団内で話題に出すときもその呼び方を遵守するように騎士団長のロデリックより命じられているノーマンの訂正に、ハリソンも数秒口を閉ざした。
謝罪も謝辞もハリソンからすれば全て命令を遂行したまでだ。
それを部下に謝罪されても苦情を言われても感謝されても恨まれても一向に聞くつもりも興味もなかった。実力確認を終えた時点で用も済んだ。
さらにロデリック達の目線から判断すれば、何も知らなかったノーマンはむしろ突然馬車を奪われ事情も聞かされずハリソンに攻撃を受けその後は騎士団演習場に駆け込んでいる。しかも襲われたのは結果として自分の村で、特別保護が必要である細心注意特殊能力者は弟。
休息日にも関わらず任務参入を名乗り出て八番隊として包囲協力した彼を労うことはあっても、罰則する覚えは騎士団長副団長を含めて誰にもなかった。
しかしノーマン本人の心情としては全くそれで済むわけがないのもまた変えようがない。
「次の演習後に自分は休息時間を頂く予定です。その際には勝手ながら急ぎ母の、……私用で外出しますので今ハリソン副隊長に謝罪をまずきちんと」
「必要ない」
妹のライラに会う為に中座し先ほど戻ってきたノーマンは、次の休息時間には母親に会いに保護所に向かわなければならない。
昨日は弟のブラッドに付いていた為、母親の安否以外は確認できていない。まだ目覚めた母親と会話すらしていない彼には一秒でも早く顔を見に行きたいところだった。状態から考えても今日には目が覚めている筈だと予測すれば、この休息時間にじっとはしていられるわけもない。休息時間になった瞬間に馬を借りて急ぐつもりだった。
立ち止まりさえすれば、ものの二分で終わる為の作業もハリソンは良しとしない。
別段ノーマンからの謝辞を受けたくないわけではない。ただただ無意味で時間が無駄だと判断しての行動だった。もともと八番隊内ではそういった上官部下とのやりとりも最低限しか存在しない。
思わずノーマンは奥歯を食い縛るが、その秒でとうとうハリソンは高速の足で消えてしまった。ふわりと正面を撫でる微風だけを残し、残像すらも一瞬で追えなくなった。直後に喉を張り上げてハリソンへ呼びかけたが、当然ながら戻ってくることも返事もない。
次の演習所に着けば遅かれ早かれまた話す機会はあるが、ここまで聞いてくれない上官にノーマンの足が止まった。
思わず苛立ちをぶつけるように踵で地面を蹴りつけたが、あくまで謝罪する側の自分がそれ以上怒る権利がないことも嫌というほど思い知っている。
これが他の隊長格であれば問題行動にも取られるが、八番隊については今更だ。良くも悪くも互いに必要以上干渉せず、それが黙認されている。ノーマン自身もそれを良しとし、望んだ。お陰で今もこうして自分の身内や村が関係していることを任務に関わった騎士達に知られても不要に絡まれない。
大変だったなと軽く労いの声をかけられることはあっても、ねちねちと絡まれない。関係者であるノーマンを遠巻きにしているという意味ではない、ただ八番隊の彼がそういった関わり自体を好まないことを騎士全員が周知しているだけである。
こうしていても、今日今までハリソンも含めて同じ八番隊の騎士には昨日のことや身内について声を掛けられることはなかった。
『あのっ……御節介とはわかってるンすけど!俺、この後もし良かったら』
「…………」
たった一名の騎士隊長を除いて。
今朝のことを思い出したノーマンはそこで今度は意識的に口の中を噛んだ。成り行きとはいえ、自分の家事情を一番良く知ってしまった騎士。さらには今回迷惑をかけた人物の一人、そして直属の上官であるアーサーに「弟さんの様子を見に行ってもいいすか」と言われたら断れるわけもなかった。
なにより、アーサーであれば弟の特殊能力を踏まえても無事でいると信頼できる。
今朝早朝演習前に突然話しかけられた。自分が謝罪の言葉を舌の奥まで待ち構えていたというのに、その隙も与えずに畳みかけてきた問いは全て「弟さん大丈夫ですか」「母親さんは」「ライラはどうでした」と家族のことばかりだった。
尋ねられたまま答えれば、まさか謝罪の前に隊長自らあんなことを申し出られるとは思わなかった。
ハリソンへ同様、それ以上にアーサーにはノーマン自身言いたいことは山のようにある。しかしあの時に返せる言葉は「わかりました」「宜しくお願いいたします」と弟が泊まっている宿と部屋の情報だけだった。
─ 今は頼るしかない。……たとえ相手がアーサー隊長でも。
悔しく歯痒く胃がひっくり返るような感覚に襲われながらもノーマンはそう思う。
ライラ、そして母親という家族の中で、昨日はブラッドを優先した結果である。自分の体は一つしかない。
こんな状況でなければ、上官とはいえアーサーにブラッドのことなど頼みなかった。いっそ、直接弟と話をさせたくもなかった。
今もアーサーとブラッドが会話している様子を想像するだけで口から血を吐きたいほどの苦痛と屈辱に襲われる。だがそれでも、自分がどれほど嫌で近づけたくなくても、その全ての何にも遥かに増してただ今はあの馴染まない城下の宿部屋に弟を一人にしておくことが心配だった。
─ あいつは僕より人が好きで臆病だから。
昔から、と。
その言葉を胸の内だけで止め、ノーマンは再び足を動かした。家族への杞憂も今後の不安も全てを振り払うように今だけは駆ける足に力を込めた。




