Ⅱ428.副隊長は耐え、
あと一日あと一日あと一日あと一日……
「もう明日で最後だなんて早いものね。親戚の人とは仲良くできそう?家はもう見た?」
「はい。今日放課後にちょっとお邪魔してきました。ギルクリストさん家と同じくらいとても良い家でした」
「伯父さんもギルクリスト家に挨拶をしたがっていたので僕も残念です。仕事の都合でどうしてもということで。代わりにアランさんが明日ご挨拶に伺います」
「本当にお邪魔しました……!」
「いえいえ。本当にあっという間だったわね。寂しいわ」
あと一日あと一日あと一日あと一日あと一日。
プライド様達とのやり取りを聞きながら、頭の中で何度もそう唱える。あっという間だなんてとんでもない。この一か月はあまりにも長かった。
だけどそんなこと言葉で言えるわけもない。家族の前で表情に出さないように意識しつつ、口を堅く閉じる。あと一日とはいえ気を抜くわけにもいかない。
あくまで最後までプライド様達の正体は知られずに終わらせる為にも不自然な行動はとれない。ここはあくまで〝ジャンヌ達〟の保護者代わりとして、ある程度の会話は飲み込む。いくら本音では早く城へ瞬間移動してくださいと言いたくても、ここは耐える。
副団長の妹君であるネル先生への下見同行とそしてファーナム家で短い憩いの時間を過ごした後、結果としては何事もなく我が家まで帰ってくることができた。アーサーの午後休息にもちょうど間に合いそうだとプライド様とステイル様も安心しておられたが、……まさかのここでだ。
目の前では、プライド様達が扉を閉めた後にも玄関で三人揃って佇んでいる。いつもならもう瞬間移動で消えていてもいい時だったが、今日は少し違った。いつも殆ど家にいる母が、……最終日を手前に惜しみだした。
「キースもエリックも三人に会えなくなって寂しくなるわ。ね、ジャンヌちゃん」
「ふぇっ⁈あっはい!」
あと一日あと一日あと一日あと一日あと一日あと一日!!!
もう今にも顔を覆いたくなる羞恥を必死に拳の中で堪える。この年で親を前にいたたまれなくなる日が何度も来るとは思わなかった。
目の前で母親がプライド様の頭を撫でるのを見た瞬間にまた眩暈がする。その御方がこの国の第一王女だと知ったら確実に腰を抜かすだろう。俺だって今血が引いている。あまりにも引き過ぎて本当に眩暈だけでなく頭がくらりと揺れて額に手を当てた。
撫でられている本人であるプライド様が嬉しそうに笑まれていることと、ステイル様がお怒りでないことがせめてもの救いだ。アーサーも俺の心情を察してか目を転がりそうなほど丸く開きながら母と俺を見比べた。もうこうして心臓が危ぶむのも何度目か数も忘れた。
あと一日。あと一日でプライド様……いや〝バーナーズ家〟は名目上〝アラン隊長とは別の親戚の家へ世話になる〟形で、この家に訪れることはなくなる。無事予知した学校の危機も、そして予知した生徒も解決できて問題はなにもない。俺も心置きなく任務も完遂できる。
ただ、その結果が母だった。あとはこの場にはいないキースか。
父さんは仕事と入れ替わりで接点がないから良いが、母とキースはこのひと月でかなりバーナーズ家を可愛く思ってしまっている。特に我が国の第一王女を。
もともと昔から娘や妹が欲しかった上に次男のロベルトも息子二人だったからこの展開も予想はできたことだった。だけどその結果、明日を前にこの上なく名残惜しんでいる。これが極秘視察ではなくて本当にアラン隊長のご親戚だったら俺だって名残惜しくなる自信があるから気持ちはよくわかる。
けれど、今も明らかに含みをもってプライド様の頭を容易に撫でては膝を曲げて笑いかける姿に生きた心地がしない。キース同様に母さんも〝ジャンヌ〟が俺に好意を持っていると勘違いしているから余計にだ。この前もキースと朝食に二人でジャンヌの話題に花を咲かせていた。
「キースさんは今日もお仕事ですか」
「そうなのよ。でも明日は何が何でも帰ると言っていたから会えると思うわ」
会えなくて良い、会えなくて……。
ステイル様の問いに答える母の言葉を聞くだけで、はぁぁ……と言葉にする代わりにため息が出てしまう。一度荷物を取りに帰ってきたらしいキースはまた職場に行って帰ってこない。やっぱり昨日の村襲撃事件が耳に届いたのだろう。頼むからそのまま明日も帰ってこないで欲しい。……まぁ、ジャンヌ達がお気に入りのキースには無理な話だ。
それに俺も流石にそれをわざと阻む気にはなれない。仕方がないとはいえ、実質バーナーズ家と会うことは明日で一生最後になるのだから。ちゃんと最後の別れくらいしたいと思うのは当然だ。
「ご親戚の家はどの辺だった?」
「学校から北方向に暫く歩いた町でした。ギルクリストさんの家とは正反対なのが本当に残念です」
母のどんな問いにも、波風なく答えてくださるステイル様には感謝しかない。具体的な町名も上げてくだされば母も怪しむ様子はない。
ただし代わりに「詳しく教えてくれたらこちらから挨拶に行こうかと」ととんでもない提案をするから、とうとう俺からも口を出す。いやいやいや……と言葉を繰り返し、アラン隊長のご親戚もお忙しいからと断る。
俺だって本当にただのご親戚だったらそうしたい。だけど存在しない家に家族を連れていくなんてできるはずもない。実際はアラン隊長のご親戚もいなければ、プライド様達は城に帰るのだから。
焦る俺にアーサーも合わせて両手を左右に振って断ってくれる。さらにプライド様ステイル様からも続けて援助が入った。
「ありがとうございます、ギルクリストさん。でも明日アランさんが挨拶に来てくれるのは決まったので」
「お気遣いとても嬉しいですが、叔父さんの家も引っ越したばかりで慌ただしい上にちょっとお爺さんに似て気難しい人なんです」
本当に申し訳ありませんと、続けて我が国の第一王子と第一王女、そして聖騎士が頭を下げる。
アーサーはまだ見慣れても、プライド様とステイル様にはいまだ何度見てもなれない。本当ならこちらが平服する立場だ。
明日、親戚という形でアラン隊長が代わりに初日と同様挨拶に来てくださる。正直、事情を知っている立場の人がもう一人同席してくださるだけでも本当に安心度が違う。
母もここでやっと納得したように話を引いた。プライド様へと曲げていた背中を伸ばし、また明日と笑顔で挨拶に手を振る。……こういう純粋に嬉しそうにしてくれる母さんの顔を見れること自体は嬉しいんだが。
はいまた明日、お疲れさまでした、失礼しますとプライド様達とアーサーが挨拶を返し、手を重ねあったところで姿を消した。三人がいなくなった玄関に、ほっと音には出さず息を吐ききる。
あと一日、あと一日。こうして心臓を悪く過ごすのもあと一日だと自分に言い聞かせながら順番に腕ごと両肩を回し、首も回す。三人が消えた途端、母もいつものように身を引いた。奥の部屋へ行く前にと水差しを用意するためにか台所へ向かう。
「本当に残念ね。せっかくなら卒業まで通ってくれても良かったのに」
「親戚がいるならそれが一番だろ。むしろ一か月も協力してくれて母さん達には感謝しているよ」
行く前に水を汲んでこようか、と俺からも確認する。
まだ在庫があるから大丈夫と返した後、水差しに足しながら俺に肩を竦めた。「協力なんかじゃないわよ」と笑いながら言う母さんに、もう続けられるだろう言葉は何となくわかる。
「三人ともいい子だもの。本当はもっとウチで歓迎したかったわ。明日皆泣いたらどうする?ジャック君は謙虚だし、フィリップ君は礼儀正しいし、ジャンヌちゃんなんてほら、貴方にすごく懐いているじゃない」
ロベルトにも会わせてあげたかったわ、なんて続けて言うものだから俺ははっきりと首を横に振る。
本当に、キースのせいで完全にジャンヌへの誤解が定着してしまっている。
否定したい気持ちをぐっと堪え、空笑いで胡麻化した。




