そして悪態つく。
ヴァルの見積もりであれば、もしグレシルから聞き出したという大元が彼女へ報復を考えたとしてももって一週間か二週間。
抜け道も把握され、強襲も失敗した以上簡単にフリージアには入れない。
正規の国門から入る手ならいくらかあるが、わざわざ偽装し彼女一人に報復する為だけにフリージアへ使者を送り込むなど手間暇かけるとは思えない。グレシルにとっては最悪の展開と驚異でも、大元からすればそんな小魚相手に必要以上浪費しない。
責任を取らせて殺すとすれば、わざわざ探しにいかないといけない小魚よりも手元にいる使いっ走りである。グレシル個人に思い入れがあれば別かもしれないが、そうであってもフリージア王国へ潜入して城下から国内まで探し歩くのはあまりに無駄過ぎる。人身売買なら特に、そんなのグレシルに似た少女を数人嬲り殺す方が楽だし気も晴れる。
むしろ逆に国内の裏稼業相手だったら確実に始末されていただろうとヴァルは考える。
実際ケメトを差し出す筈だった裏稼業がもし捕らえられることなく今も城下にいたら、ひと月以内にはグレシルの死体が路上に転がされている。
……その時はケメトがめんどくせぇだろうが。
そう考えた途端、気付けば舌打ちが口から零れ教室にも小さく響いた。
突然の舌打ちに女性講師もビクリと肩を揺らすが、それ以上は変わらず授業を断行する。自分はなにもしていない筈なのに、自然と怖い空気を放つヴァルに寒気を感じながら気付かないふりをした。
ヴァル自身はグレシルがどうなっても構わない。
むしろ殺してやっても良いとすら思うが、自分には契約でそれもできない。その上、ケメト自身がいま目の前で無事であり平然としていれば自分からも余計な怒りは失せる。
もしこの事実を知ったのが、ケメトが被害を乗り越える前もしくは自分達が駆けつけた直後であれば間違いなく荷袋の砂が彼女めがけて飛び出していた。むしろ敢えて袋だたきにされることもわかった上であの時の裏稼業連中と纏めて詰め所に投げ込んだという自覚もある。
いっそ、あの場で怒ったセフェクがグレシルに掴み掛かり取っ組み合いになれば一番面白かったんだがと心の底から思う。
『僕もグレシルに何かしてあげられれば良いんですが』
『ケメトはそんなこと考えなくて良いの!最後までケメトと目すら合わせなかったじゃないあの子!』
ジルベールの命で衛兵に連れて行かれた後の二人のやり取りだ。
まさか自分を嵌めた相手をそれでも力になりたいと首を垂らすケメトに、セフェクも猛反論していた。その後プライドとティアラが必死にセフェクを宥め、ケメトに「ジルベール宰相に任せて」「ケメトは何も悪くありませんからっ」と声を掛けていたがケメトはずっとグレシルがどうなるかを心配したままだった。
最終的にジルベールに吐くだけ吐いた後は〝投獄〟という形で刑罰待ちにされたグレシルだが、その間もケメトに一瞥もくれなければ全く逃げる素振りすらなかった。むしろ前のめりに投獄に飛びついていたようにも見える。
この後に処刑されるか永久投獄かそれともといくらか刑罰が頭に浮かぶヴァルだが、どれがグレシルに相応かどうかは知らない。取り敢えず死刑にするならケメトに知られないようにやれとだけ思う。
本当ならば、ジルベールに問われた時点でも隠せる罪は全て誤魔化して適当に嘘を吐けば本当に保護だけをされたかもしれないものを、彼女にはその余裕すらなかった。
ただただ目の前の〝投獄〟という名の保護されることに飛びついた結果である。裏稼業に人身売買の次はジルベールに良いようにされたとしかヴァルには見えなかった。
ジルベールとグレシルのやり取りに、自分を呼び出したステイルだけでなくプライドも唖然とした様子だったとヴァルは思い出す。
顎が外れたようにポカンを開いたままだった顔は彼にとってもなかなかの見物だった。
最終的にグレシルの情報を聞きたがったのは何なんだと投げかけたヴァルに、ステイルから説明もされたが片眉を上げるだけだった。
アンカーソンに関わっている可能性や裏稼業との繋がりと言われたところで、結局は裏稼業界隈の小間使いだったというだけである。結局は小犯罪も全て人身売買組織に村を打ったという大罪で塗りつぶされた。
「では、皆さんもやってみましょう。では最初は男性から」
講師が説明を止めたのに気づき、ヴァルは無言のまま片目を開ける。
講師の見本ならばともかく、生徒の不出来な動きならば見て嘲ってやる程度は楽しめる。そう思って眺めたが、……すぐにまた舌を打った。
目の前で講師が教えた通りに記憶を頼りに振る舞う男性陣を眺めながら、嫌でもその〝正解不正解〟がわかってしまう自分に腹が立った。
ヴァル自身はマナーなど毛ほども教養がない。今お前がやってみろと言われたらできるとも思わない。しかし眺める分はあまりにも自分の見知った相手に〝お行儀の良すぎる〟連中が多すぎることを思い知る。
講師が一人一人の動きを指摘する前から、どの辺が違和感かも本来ならどれくらいの深さで頭を下げているかも大体わかってしまった。
事実として、いま教室で講師の次にマナーに理解があるのはヴァルである。
嫌でも第二王女のお茶会や王族同士のやり取りを目にしてきているのだから。
クソが、と今度は口の中だけで唱えてから目だけでなく顔ごと背ける。講師の見本などを見なくても充分に王族同士のやり取りがすり込まれてしまっている事実にヴァルは全力で目を逸らした。
「こちらが専用教室ですっ!あちらが医務室ですが、それ以外の教室は全て講師による選択授業の為の部屋なんですよ」
「ありがとうティアラ。高等部の棟で見るのは初めてだから嬉しいな」
アァ⁈と唸る声が喉の手前まで出かかった。
まさかの自分が知る中で最も〝お行儀の良すぎる〟二人が接近していることに気が付く。
自分が寄りかかっている壁の一枚向こうでの話し声に、またかよとヴァルはうんざりと顔を歪めた。授業中の生徒は未だ気付いていないが、廊下側の壁に高等部を預けていた自分ははっきりと聞こえてしまった。
一度自分の教室に訪れてから付近にも近付かなくなった二人だが、今ヴァルがいるのは高等部三年の階ではない。高等部の専用教室のある一階である。
「……へぇ、マナーの教室か。確かにそれを覚えるだけでも働く場所の幅は広がるね」
「講師の先生も、ジルベール宰相が選ばれた優秀な方なんですよっ」
しかも聞き耳を立てればこちらの教室に興味を示している。
レオンにこの姿を見られるのは構わないが、ここで二人が訪れればどうなるか。確実に再び阿鼻叫喚の嵐である。またつんざく黄色い悲鳴に当てられると思うと今から吐き気がした。
いっそ壁でも叩いて追い払おうかと思ったが、そんなことをすれば騎士が異常と判断して教室を覗き込んでくる可能性もある。万が一にも無駄に騒ぎが大きくなってアネモネの騎士だけでなくフリージアの騎士が訪れればそれこそ正体に気付かれかねない。
規則的な足取りでじわじわと近付いてくる話し声に、ヴァルは一度背中を起こした。もう壁に頭をつけていなくても話し声が聞こえてくる。
もう扉の前まで近付いていると思えば、腰を上げて今の内に震源地から遠のくべく立ち上がった。「良いかな」「はいっ」と軽やかな声が聞こえる廊下へ向かい
チッ‼︎と響く音で舌を打ちつけた。
「「…………………………」」
途端に。王族二人の軽やかな話し声が止まったことに、ぐらぐらと壁際を廊下側から反対方向へと避難するヴァルは気付かない。教室にいる生徒達が口を閉ざしたことしかわからない。
壁一枚隔てた所で、レオンとティアラは同時に口を閉ざし目を合わせていた。ぎこちなく笑んだままの表情を確認しあい、そのまま無言で壁の向こうを注視する。マナーの授業中に到底聞こえる筈のない音に、この先がパンドラだと言葉もなく理解した。
どうかいたしましたか、と騎士が尋ねる中でレオンは一言断り、ティアラも首を振る。
「……ティアラ、ごめん。やっぱり騎士の授業を覗きに行っても良いかな。カラムがどんな手解きをしているか気になるから」
「ええ!是非そうしましょうっ!カラム隊長の授業もとても好評で……」
滑らかな笑みに合わせ、両拳を可愛らしく握ったティアラも全面同意した。
マナーの教室から離れ、その先の校庭へと足を動かす。
二人がいつまでも突入してこなかったことに片眉を上げたヴァルだったが、どうせ気が変わったんだろうとしか思わない。
ヴァルが彼女達の姿が馴染むほどに目に焼き付いたのと同じように、彼らもまたヴァルの言動はできていた。




