Ⅱ50.騎士は急ぐ。
「……ふわぁっ……。………………………すみません」
欠伸が出てから、しまったと思う。
早朝演習を終え、朝食を摂るアーサーはスプーンを手に取りながら大きく開いてしまった口を無理矢理閉じた。最初こそ緊張や気まずさはあったが、今はもう慣れきってしまった食事相手に大分気も緩んでしまったと自覚する。
ぺこっと会釈のように小さく頭を下げるアーサーに、テーブルを挟んで向かいの席に座る騎士は「問題ない」と一言だけ返した。
「ハリソンさんは、……その、〝護衛〟の方は順調っすか」
欠伸の気まずさを紛らわすようにアーサーが正面の騎士に投げかける。
朝食を共にすることが日課となっている今では、何も話さないことの方が少なくなった。主に話しかけているのはアーサーであり、ハリソンは返答するだけではある。しかし、ついこの前までは誰かと食事するどころか食堂に殆ど姿を見せなかったハリソンがテーブルの前で朝食を食べ、更には談話にも付き合っている姿は数年前までの彼を知る騎士には未だ目を疑う光景だった。淡々と食事を味わう情緒もなく口に運ぶハリソンは、アーサーからの投げかけに大して噛み切ることもなく一度口の中を飲み込んだ。
「問題ない」
「アラン隊長のお話ですと授業時以外の〝見回り〟はハリソンさんが担っているそうですけど、…………いつ見てます?」
「常にだ」
最後だけ他の騎士達に聞かれないように声を潜ませるアーサーにハリソンは断言する。
常に?と、その発言を思わずアーサーは聞き返す。今日で四日目となる学校潜入だが、未だにアーサーすら一度もハリソンが何処に潜んでいるのか気付けたことはない。高速の足を持つハリソンならば、一瞬だけ廊下から確認して校内を見回りしてを何度も繰り返しているのかとも考えたが、その一瞬すら未だハリソンを確認できていない。言葉の真偽を確かめるアーサーにハリソンは「第一王女殿下から目を離せるわけがないだろう」と声を抑えて言い切ったが、具体的にどこから見ているのかは教えてくれない。確かに下校時は自分達が校門に到着するタイミングでセドリックの元に現れるハリソンだが、一体その直前まで何処に潜んでいるというのかと考える。
やはり隊長格は違うなと、改めてハリソンへ尊敬と自分の甘さに若干落ち込む八番隊騎士隊長は無言で一度朝食に視線を落とした。一体どのくらい自分達を見ていたのだろうと気になったアーサーは、軽くハリソンを上目で覗く。疑っているわけではないが、少し試してみたい欲が疼き「聞いても良いっすか」とおずおずと確認すれば、また一言が帰ってきた。了承を得たアーサーは、授業以外の時間に自分達しか知らない問をと頭を絞り、声を潜める。
「……俺らが一緒に飯食ってる奴は」
「金髪の高等部男子生徒」
「ステイルが今のところ毎回食ってンのは」
「サンドイッチとパン」
「クロっ……ええと、白髪の中等部生徒にジャンヌが依頼した仕事は」
「セドリック・シルバ・ローウェル王弟の従者兼友人役」
「その後の階段での返事は」
「続ける、と」
「……初日にそいつとジャンヌが何があったかも……?」
「奴が手を振るった。お前が止めなければ私がナイフを放っていた」
絶対やめて下さいね……⁈とハリソンのトンデモ発言に思わずアーサーは声を低めた。
やはりあの時も見ていたのか、と思えば改めてあの時に彼の手を止めて良かったと思う。そうでなければ、ヴァルが起こした生徒落下騒動など上塗るほどの大事件が起こっていた。
ハリソンが罪もない民の命を狙うとまでは考えていないが、少なくとも第一王女への暴力行為はそれだけで大罪だ。校内では庶民のふりをしているとはいえ、そこで目を瞑ってくれるハリソンではない。そこまで考えてからアーサーは改めて自分の口から「任務中はあくまで〝ジャンヌ〟ですから、生徒に怪我させるようなことは堪えて下さい!」「自分もちゃんと目を離しませんから!」と言い聞かせた。最後に〝隊長命令です〟の一言を付け足せば、ハリソンも料理を口に運びながらも頷いて了承した。隊長命令であれば仕方ない。
ハリソンがすんなり頷いてくれたことに安堵しつつ、アーサーはハァァァ……と息を吐き出した。
本当に全てちゃんと把握しているハリソンに敬服しつつ、自分が彼の立場だったらここまで完璧な潜伏は無理だと思う。そういう意味でも自分はプライドと同じ生徒としての潜入が適役だった。気配を消して物陰や遠目から安否確認程度なら自分にもできるが、プライド本人にも気取られずに会話内容まで把握など自分にはとてもできない。
思わず尊敬から羨みも抱いてしまい「今度、密偵の術をご教授頂けますか」とねだってみたが、「必要ない」と即答で断られた。
ですよね……と肩を落とすアーサーにハリソンも目を逸らす。自分の技術をアーサーに教えることに躊躇いはないが、自分は教えることに向いていない。全て感覚で理解しろとしか言いようがない上に、自身の特殊能力あっての密偵技術の為、アーサーに教えられる気が全くしない。
しかし言葉足らずなハリソンの返答では、アーサーには単にそんな高等な技術を自分に易々教えてくれるわけないよな、というだけの理解になってしまった。
項垂れたまま、フォークを動かして料理を口に運ぶアーサーは、ここで話を切るのだけは悪いと考える。まるで自分が教えてもらえないから不貞腐れているか、もしくはハリソンが折れるのを待っていると思われないかと気を回し過ぎてしまう。八番隊の様子はどうですか、と軽くいつもの話題を投げては一言で返される。それを繰り返しては食事を進めたところで、ふと八番隊以外に共通の話題があると思い出す。
コップの中身を半分減らしながら、ハリソンならば〝それ〟も当然見聞きしているだろうと思う。飲み込み、既にハリソンは食事を食べ終えたのを確認したアーサーは、最後の一口を一度皿に残したまま視線を正面へと向けた。
「そういえば、なンすけど……。……昨日のアレ、なんだったンすかね……」
「どれだ」
遠回しに聞いてもハリソンに察することは難しい。
もっとはっきり言えと言わんばかりに即答で切ってくるハリソンに、アーサーは恥じらいを隠すように片手で一度口を覆った。目だけを逸らし、騎士達に聞かれないようにするだけではなく、自分がその話を口にすることも気にすることも恥ずかしいのだと必死にハリソンにも伝わるように言葉を選び、考える。
その……と僅かに声を漏らし、押さえた手から若干自分の顔に熱を帯びていることに気がつく。一体なんだと、わからず眉を寄せるハリソンにアーサーは最小限まで抑えた声を指の隙間から放った。
「……昨日、下校途中の廊下で、……プ、ジャンヌが女子に聞かれた時の返答で」
「〝ただの親戚〟と〝好みじゃない〟どちらだ」
ガンッと剣を投げられた時以上の衝撃に、アーサーは思わず口を固く噤んだ。
はっきり言え、と二度目のハリソンからの釘刺しにも聞こえるそれに肩を狭める。やっぱりあの時の会話もハリソンは聞いていたのだと思うと同時に、明言されるのがどちらも恥ずかしい。
「後者です……」と消え入りそうな声で返せば、ハリソンはやっと理解した問いの意味に、飲みかけのカップへ指を掛けた。
「面倒を避ける為以外何がある」
一言で切った後、こくっと残りを飲み切ったハリソンはあくまで平然としていた。
むしろ何故そんなことをアーサーが未だに気にしているのか、それどころか直後にステイルと一緒になって額を壁にぶつけた理由も未だわからない。あの時のプライドの切り返しはハリソンの耳でも間違いないものだったと思う。それ以外の理解など必要ないと言わんばかりに問いで返すハリソンに、アーサーは
自分自身、どうしてだかわからない。
「いや、そう……なンすけど……すっげーさらっと、なんか……」
自分でもここまで引き摺ってしまう理由がわからない。
ただ、一つ確かなのは嘘でも本当でもプライドにあんな明るい口調で「好みじゃない」と、遠回しに「嫌い」に近い言い回しをされたことは頭で理解していてもショックだった。そしてそれはステイルも同様だろうと思う。
プライドが自分やステイルのことを本音で悪く言うわけがないとは思いながらも、あの土壇場でさらりと躊躇いなくその言葉を出されたのは心臓にも脳にも衝撃だった。もしあの場で聞こえない振りに徹しなければ、思い切り「俺ら何か悪いことしました?!」と詰め寄っていた。
しかも、落ち込む自分達を差し置いて何人か男子がガッツポーズをしているのを、アーサーもステイルも見逃さなかった。ジャンヌに一番身近な存在であるライバルが眼中無しと宣言されたことで「まだチャンスはある!」と思う少年はあの場に少なくはなかった。明日からはまたプライドへのアプローチが強まるだろうなということはアーサーにも理解できた。
ぽつりぽつりとまた言葉を濁すアーサーにハリソンは掴めず首を捻る。「好みじゃない」発言がたとえ彼女の本音であっても、人間性や実力を否定されたわけではない。それを何故そこまで気にするのかと。
こういう話題はカラムにでも丸投げしたかったが、今この場にいるのは自分だけだ。考えた結果「問題ない」といつもの一言を告げ、それでも頭を重そうに項垂れるアーサーに二言目を告げる。
「教師からの問いの答えを再び使われただけのことだ」
「……。!え⁈」
は……⁈と一拍遅れてアーサーは声を上げる。
上擦り、抑えることを忘れた声が予想以上に食堂に響き、騎士達の注目を浴びた。慌てて一度自分の口を両手で押さえて「すみません」と騒いだことを謝罪するように小さくなったアーサーは、今度こと声を潜めて「ちょっと待ってください!」とハリソンに前のめる。
「どっ、それ、いつのことっすか……?」
「二日目の職員室での呼び出しだ」
カラム・ボルドーもいた。と続けるハリソンにアーサーは口を大きく開けたまま思考を巡らした。
授業以外で唯一、自分とステイルがプライドから離れた時だ。あの時もハリソンは職員室か何処かで張っていたのかと感心する中、それよりもと話の内容が気になる。何故どうしてそういう話になったのかと思い、プライドから聞いた話を思い出す。
「確か、……飛び級したくない理由が同年の恋人探しって言い訳を言ったとか……」
「教師から「フィリップかジャックでは駄目なのか」と問われ、そう答えていた」
見事な切り返しだったと思いながら平然と返すハリソンにアーサーは最後の一口も忘れ、テーブルを超えるほど前のめる。
つまりは女子からの問い内容はあれが最初ではなく、二度目だったから考える間もなく答えたのかと理解する。実際は教師に恋人探しという理由づけを言う前に、その切り返しの言い訳も、予め練ってから教師に言葉を返したということになる。
しかも教師がそう言ったなら、そう返すしかないのもアーサーは頷ける。同年の恋人探しという言い訳で自分とステイルで済んでしまったら言い訳にもならなくなる。それならば「タイプじゃない」の主観で片付けるのが一番手早く、一番教師も反論できなくなる。そして教師にそう言い張ったからこそ、一貫して女子へもそう切り返せたのだと考えればやっとアーサーもモヤモヤした霧が晴れた。
だがハリソンの発言では、またどこを省略されているかわからない。既にいくらか彼を理解しているアーサーは念の為にも更に「そこを詳しく‼︎」と真剣な目で訴え、詰め寄った。
予想しなかったアーサーの食いつきに、ハリソンの目も僅かに開かれる。他でもないアーサーからの問いではハリソンも断れない。「なんだ」と、どう詳しく話して欲しいのかを明確にしろと意味を込めて返すハリソンに、アーサーは間髪入れず投げかけた。
「……その、時の発言と廊下でのプライド様の発言がつまりは一緒だったってことっすよね……?」
「全てではない」
でぇ⁈と、さっきと矛盾しているとも聞こえるハリソンの返答に、確認作業のつもりだったアーサーはまた声を上げる。
二度目の騎士達の視線に今度は頭を下げる余裕もなく「どういうことっすか?!」と声を潜めたまま叫んでしまう。何故そうも動揺するのかと思いながら、ハリソンは正確な答えだけを隊長へ返す。
「職員室でも教師に異性の好みを聞かれたが、それに関しては女子へとの返答と異なった」
「そっちだけ違ったンすか……?!え、それ、なんかまずいことでも言ってました?」
「問題ない。女生徒に囲まれていた時はあの場に適合者が居たから避けられたのだろう」
「適合⁇ンなやつ居たンすか⁈あン中に‼︎‼︎」
「王子と騎士だ」
ぼわっッッ‼︎と、急激にアーサーの顔が発火する。
躊躇いないハリソンの即答は揶揄いでも過剰表現でもなく、その言葉の意味のままだということはわかっている。
急激に顔が目見えて赤くなったまま、それ以上の発言ができなくなるアーサーは目を見開いただけ無表情で固まっていた。余計なボロを出さないようにと口を意識的に閉じて歯まで食い縛るが、そこまでが限界だった。頭の中ではぐるぐると誘発されるように以前のプライドから聞いた婚約者候補の正体が駆け巡る。
単に庶民と貴族しかいないあの場にはあり得ない人選を言っただけ、と頭では必死に納得させようとしても、心臓の音が煩すぎるほどにその思考を邪魔した。
ハリソンからすれば、無意識に目の前にいる二人を恋愛対象と誤解を招かないように急遽条件を変えたのだろう程度にしか思わない。だが、アーサーからすれば崖から突き落とされたとこに矢で射抜かれたような不意打ちだった。
むしろ同じ騎士であるハリソンがどうしてそんなに平然としていられるのかと思ってしまうほど、血が駆け回って息が浅くなる。どうした、とハリソンから眉を顰められても答えられない。酸素が足りず、閉じ切った口がパカリと開いたが、言葉までは無理だった。何か言いたくても口すら動かせない。湧き上がる熱を吐いて冷ますことで精一杯だった。
何も反応を示さず、ただ茹だるだけのアーサーにハリソンは風邪かと案じるが、それ以上は思考も及ばない。
取り敢えずつい数秒前までは正常だったのだから大丈夫だろうと適当にあたりをつけ、壁にかけられた時計を見やった。
時間を確認したハリソンはアーサーの皿に残された最後一口にフォークを突き刺し、無遠慮にそれをアーサーの開いたままの口へ押し込む。
あぐ⁈と、茫然としていた間にフォークごと押し込められて驚くアーサーだが、差し込まれたのがナイフではなく単なる料理とフォークだとわかればすぐに上がった肩も下ろした。そのままもぐもぐとフォークを咥えたまま咀嚼する間にハリソンは立ち上がり、自分の食器をトレーごと持ち上げた。
「時間だ」
ン゛⁈と、その一言にアーサーは慌てて時計へ振り返る。
見れば、既に王居へ向かわないといけない時間になっていた。フォークを口から抜き、自分もガタガタッと慌てて食器を片付け出す。
高速の足を持つハリソンと違って、自分は自力で走らないと間に合わない。ごくんっ、と喉を無理やり通してから「やべぇ‼︎‼︎」と叫んだアーサーは自分を置いて早々に食堂を出て行くハリソンを追いかけるようにして駆け出した。
二人が出て行った後。
会話内容こそ聞こえなかったものの、あのハリソンが二言以上話し、時間ギリギリまで会話を弾ませた。
その事実に、食堂に残った騎士の一部は心の中でアーサーへ賞賛の拍手を送った。




