Ⅱ411.宰相は溜息を吐く。
「ええ、……まぁ私としては構いませんが。すぐ一つ書き留めますので少々お待ちを」
プライド達と共に女王ローザへの報告を終えた後、宰相室へ戻ったジルベールは小さく肩を竦めてから机の引き出しに手をかけた。
国の最高権力者から残り二日間の断行をもぎ取ったジルベールだったが新しい仕事は山積みだった。
本来の業務のみならず、郊外の村を襲った人身売買と村人の保護。その後の保証など急遽取りかからなければならない公務に加え、グレシルの件も一段落付いたとはいえ同時に処理すべき事項が重なった。
そんな中執務室へ戻った自分を待っていた人物に、ジルベールも最初は驚いた。部屋に無断で居たことではない、その姿である。
「まさかステイル様からこのようなことを頼まれるとは。いやはや懐かしいと言うべきか嘆くべきか」
引き出しから念書用の一枚紙を取り出したジルベールは、サラサラと素早く基本のような字を書き綴っていく。
その先のソファーでは、ヴェストから一時的に時間を与えられたステイルが腕を組み座っていた。ジルベールに頼み事をすること自体も不本意だが、今自分がここに瞬間移動したことも知られたくない彼は必要最低限は黙する。うっかり気を抜くと頼んでいる側の自分がいつもの調子でジルベールに皮肉を言いたくなってしまう。
今でさえ、遠回しなジルベールの皮肉に唇をきつく絞り堪えていた。
「今日はいつにも増して驚かされてばかりですねぇ。午後に御自分だけ元の姿に戻すように仰った時も驚きましたが、その後には騎士団からの報告に続けプライド様とアーサー殿のご帰還ですから。もちろんある程度察しはついておりましたとも。そして続いては新たな予知に件の……ああそうそう、まだステイル様はご存じありませんでしょうがつい先ほどヴァルが面白い客人を連れて来ておりまして」
流れるように語りかけながら、どこか焦らすようにも聞こえる口調はいつもよりゆったりだった。
ステイルもその言葉に耳を傾けながら、眉間に皺を寄せる。
書き終えたインクを軽く乾かしたジルベールが、その紙を二つに折る動作すら遅く丁寧にやっていることに今すぐそれをぶん取って消えたい気持ちを理性で抑えた。
今はジルベールの窘めを聞くのが正しい。しかも途中からは自分の知らない情報である。
ケメトの友人と呼ばれた〝グレシル〟という件の少女が連れてこられた。更には事件の関与まで認めたことも聞けば、閉じた口に反して漆黒の目は見開かれていく。
詳しく、それでどうなったんだと。口には出さずジルベールの一言ひとことに耳を立てたが、その途端心でも読まれたように「まぁそれはまた後ほど」と途中で切り上げられた。
わざとだな?と確信して目を尖らせたが、今は簡易の手紙を片手に自分へ歩み寄るジルベールの目の方が冷ややかだった。
「……プライド様も無事お召し物を替えられて落ち着いたばかりですが。ステイル様はもう一度お着替えが必要かもしれません」
「………………」
今だけは言い返せない。
ソファーに腕を組むステイルは、今は本来の年齢に合わせ着替えも終えた後である。
プライドが帰還するよりも前に身支度を整え、作戦会議室に加わったのだから。……しかし、そんな彼が今は。
全身の至る所が焦げていた。
「……服は、上着を代えれば済む話だ」
「仰る通りですとも。服はお身体と違って代えが利きますから」
絞り出した抗言も当然のようにジルベールに叩き潰される。
ステイルの言った通り、衣服自体には大した解れはない。上半身の上着にかけて部分部分が焦げていたが、上等な布で作られた服は簡単に破れることもない。
髪と上着さえ取り替えればヴェストにも気付かれる心配はない。しかし問題は服以外である。
髪先まで整えられていた黒髪の端々が逆立ち跳ね、手や腕はところところ赤く腫れていた。端正な顔立ちの頬すらまるで蝋燭で炙ったのかのように小さな火傷痕があちこちにできている。
ステイル本人は平静を取り繕っているが、相手が城の侍女であれば間違いなく悲鳴が上がっていた。そしてジルベール自身も、最初に彼を見た時は声をあげかかった。
ついさっきまで無傷だった彼が、一時間前後で変わり過ぎた姿になっていたのだから。
目を極限まで開くジルベールに「叫ぶな」と人差し指を唇の前に立ててステイルが声を潜めなければ、間違いなくその場で医者を呼んでいた。
事情を聞けば、ステイル自ら説得を買って出た特殊能力者による傷である。
まさか諍いにでもなったのかと、ステイルの衣服を一度脱がせ傷の状態を確認しながら尋ねたジルベールだったが、ステイルの答えは「いや恙なく了承を得られた」だった。
ならば何故、と更にジルベールが少し鋭くなる声で尋ねればその時はステイルも珍しく素直に口を開いた。
光の特殊能力者が自分と話していて感極まってしまった。実はその青年は四年前に人身売買の本拠地で自分を昏倒させた時と同一人物だと。
あの時も、そして今回も本人に悪意はない。感情で能力が暴走すると少々火傷を負わせてしまうと。
それを聞いてやっとジルベールも納得はできた。言われてみれば、当時洞窟から救出された時と似たような怪我である。その頃よりも火傷自体は少々酷いが、それでも全て軽傷であることを考えても痛めつける意図とは異なる。どれも淹れ立ての紅茶を浴びせられた程度の火傷だ。
まさか当時の特殊能力者と再会していたのかという驚きと、その特殊能力者が今回の暴走者ということであればステイル自ら説得役を名乗り出たのも余計に納得できた。
パウエルと話し合い納得を得られたステイルだったが、感情を波立てる彼は泣き出した時点から能力が零れ出していた。
あの頃と同じだと思いながらも、敢えてステイルはそれに気付いた上で逃げることもなく彼との話を断行し続けた。全身が焼ける痛みを表情どころか声でも気付かれず、彼の手を握ったのも抱き締めたのも自分の意思である。
ほんの少しの火傷くらいで彼の気持ちを受け入れられるなら、それで良いと思った。
帰る間際にも、頬の火傷はパウエルにも気付かれたが誤魔化した。どうせ城にいる特殊能力者の治療を受ければ問題ないと断り、カラムにその場を任せ瞬間移動した。
そして今、一番に訪れたのがジルベールの執務室である。
彼の屋敷で働く侍女による治癒の特殊能力を受けさせて貰う為に。
「まさかステイル様が、……いえ姉弟揃って四年前と同じ無茶をなさるとは夢にも思いませんでした」
当時も、怪我をしたステイルを秘密裏に治療したのはジルベールの屋敷にいた侍女である。医者ではなくあくまで侍女ではあるが、優秀な特殊能力者である彼女によって治療されたステイルはその後城に戻っても誰に気付かれることなく事なきを得た。
そして今回、まったく同じ理由でジルベールの許可を求めた。
これから瞬間移動で向かうジルベールの屋敷で、彼女に治療を受けさせてもらう許可が欲しいと。
当然、城にも大勢の医者や中には傷を癒す特殊能力を持つ者もいる。しかし、まさか第一王子が火傷を負わされたなど知られればパウエルの立場を危ぶめることは間違いなかった。その為にも城の医者にも気付かれることなく、できれば姉妹にもアーサーにも知られず治したいステイルにとって、頼みの綱はジルベールしかいなかった。
どうぞ?と、屋敷の侍女へ主人であるジルベール直筆の署名を書いた手紙を差し出せば、ステイルも「礼を言う」と早口で返しながらも受け取った。
目を合わせれば、ジルベールの切れ長な目がそこでやっと少し緩められる。
一息分の沈黙の後、柔らかく笑うジルベールにステイルは表情を抑えて向き合った。
「一つ残らず治して頂きますようお願い致します。まだ長く使われる御身です。侍女にも私からそう指示を記しておきましたので」
「……わかった」
眉間を中心に寄せ、それでも大人しく頷きそして消えた。
叱咤よりも懇願に近いジルベールのその声と、僅かに哀しげに笑う顔がいつも受ける嫌味の百倍は痛く刺さった。
そしてジルベールも、それをよく知っている。




