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フリージア王国備忘録<第二部>  作者: 天壱
見かぎり少女と爪弾き

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Ⅱ410.騎士子息達は休息を得る。


「じゃあここに置いておくが……足りなかったらまた買うから遠慮なく食べるんだぞ」


ガチャン、と。

テーブルに置いた紙袋の中身が大きく響く。主には食料だが、缶詰なども多かった為それなりの重さもあった。

フリージア王国城下のとある宿。郊外にも近い、中級層の城下でも端に位置する宿の最上階に部屋を取ったノーマンはそこでやっと一息吐いた。

兄の言葉に、はーいと軽い調子で返した青年も背中からベッドに両手を広げて倒れ込んだ。宿どころか外泊も初めてな彼は、家ではない匂いのするベッドに一度目を閉じながらも寛ぐのを見せるように脱力した。

このまま寝ても良いような体勢で転がる彼に、ノーマンは小さく息を吐いた。


「水も多めに汲んでおいたから平気だと思うが、一応こっちの引き出しにいくらか金も置いておく。水やある程度の食料品なら宿の主人に言えば用意して貰えるから」

「大丈夫だって。どうせ家と違ってやることなくてゴロゴロしてるだけだし、そんなお腹も減らないよー」

兄ちゃんは心配性だなぁ、と困り眉で笑うブラッドは転がったまま大きく伸びをする。

値は張るが部屋数自体が少ない最上階の部屋。更にはある程度の値段がする宿は、使用人というほどではないがある程度の必要物資は外に出ずとも買い取れる。弟の特殊能力を鑑みたノーマンの選択だった。

ここならば万が一弟が軽く特殊能力を使ってしまったところで部屋の外にも被害は出にくい。


今日は休息日の為、弟と一緒に居てやれるノーマンだが明日にはまた騎士団演習場に早朝から出なければならない。

母親と一緒に保護所へ残すこともできない弟を一人宿に残すのは、彼としても不安は大きかった。

馬を使い城下までブラッドを連れて来たノーマンは、学校の寮にいるライラと再会を果たしてからも買い物で忙しない時間を過ごしていた。

ノーマンはすぐにでも弟を休ませてやりたかったが、ブラッドとしては宿で一人待つより兄と一緒の方が気も休まった。結果として衣服や食料の買い出しを終えて宿を取り終えた今はもう外も真っ暗に沈んでいた。


「それに今夜はお腹いっぱいだよぉ。ははっ……兄ちゃん、ケーキに気合い入れ過ぎ」

「作ったのは僕じゃない。ライラの希望通り注文したらああなったんだ」

何日も前から注文していた妹のケーキ。

家で食べることは叶わなかったが、ライラへ会いに行く前にケーキ屋から引き取ったそれを学内にある女子寮の前で食べることはできた。

学校関係者ではない二人だったが、ライラの身内であることと騎士であるノーマンが事情を話せば特別に許可も降りた。女子寮の前にテーブルだけ出した簡易の誕生日会は、結果としてライラの寮の友人達にも祝ってもらうことができたのは幸いだったとノーマンも思う。……自分の思った以上に巨大だったケーキに、食べてくれる人数が増えたことも幸いだった。

あれでは三人どころか、母親も一緒の四人でも食べきれはしなかった。


突然の誕生日会が変更と母親不在には少なからず落胆したライラだったが、それでも近々母親と城下で会える約束と大事な兄二人が約束のケーキを持って会いに来てくれたことで誕生会中は終始笑顔だった。まだ家が村ごと全焼したことを知らないこともある。

大事な誕生日にこれ以上落胆させたくないという兄二人からの総意だった。今は妹の笑顔の方が優先だ。


「また予約しないとね。今度は母さんと四人でケーキごとやり直しするって約束しちゃったし。兄ちゃん、お金は大丈夫?」

「そんなこと心配しなくて良い。…………明日、また予約してくる」

天井を見上げながら話す弟に、ノーマンは視線を向けながら眉を少しだけ中央に寄せた。

長年住んでいた家の全焼。それは、彼らにとっても仕方ないで済む話ではない。亡き父親との思い出の品も先祖代々の手記も家にあった分は全て燃えてしまった。

国から補助は受けられるであろうことは知っているノーマンも、だからとすぐに飲み込める現実ではない。金以上の存在が今は全て灰になってしまった。

うっかり思考が直視すれば、今この場でも平静を装える自信はなかった。


騎士になってから家に住むことはなくなったノーマンも当然家には愛着もある。母親にとっても、そしてライラやブラッドにとっても同様だろうと思う。

しかしここで自分が最初に崩れるわけにはいかないと、眉間の皺だけを深くしつつ丸渕眼鏡の位置を指で直した。嘆くことも泣くこともここ以外でできる。弟を前に取り乱せるわけもない。


明日演習後にでも焼け残っているものがないか確認に行こうかとも考えるが、それよりも母親や弟の傍についていることの方が先決だった。今自由に動けるのは自分しかいない。

村人と同じく保護所に運ばれた母親も、明日には目を覚ましている。その時に改めて事情を話すのもまた、ノーマンの役目だった。


「この服だって、僕はあのままで良いって言ったのに。家無くなっちゃったんだからあまり無駄遣いしちゃ駄目だよ」

「あの煤と雨で汚れた格好でライラに会わせられるわけないだろ。それに家が無くなったんだからこそ服は必要だ」

着の身着のままのブラッドを、ケーキ屋の次に連れて行ったのが服屋だった。

単純に濡れていた格好のままにしておけなかったこともあるが、あまりにも「何もなかった」と思わせるには難しい格好だった。火事の煤で全身が黒ずみ、雨に打たれてべっちゃりと絞れるほど水を含み透けて薄汚れた格好でライラに会えば流石におかしいと気付かれる。


今は城下の人間と変わらない格好で寛ぐブラッドは、新しい布の香りがベッドと一緒に鼻にかかった。

あれだけ囲まれていた自分達のものが全てなくなったのだと、鼻の先から静かに思い知らされる。一瞬笑んでいた口角が下がりかかったが、寝返りを打って誤魔化した。

兄が我慢していることはブラッドもわかっている。


口の中を噛み、手近に伸ばした枕を両腕で抱き締めかかえ込む。

仰向けから変わった視線の先では、兄が椅子に落ち着くこともせず衣服をクローゼットにしまっている。暫く弟が住むことになる生活環境を整えるノーマンの姿に、こうやって家を無くした自分が保護所で村人と一緒にされずゆっくり落ち着いていられるのも彼のお陰だと素直に思う。

そう考えれば、横に転がったまま盗み見る兄の姿にぎゅうっと枕を抱える腕の力が強まった。


「……ほんっと、兄ちゃんは格好良いなぁ……」

今まで何度も言ってきた褒め言葉が、自然と口につく。

聞き慣れたそれにノーマンも今は落ち着ききった気持ちで見返した。

ベッドの上ではにこにこといつもの笑顔で笑うブラッドが、枕を抱き締めて転がっている。それが嫌味でもお世辞でもなく、弟からの純粋な賛辞であると知っているからこそ言い返しはしなかった。唇を結び、自分と同じ水色の瞳に目を合わせる。


「ブラッド。……そのままで良いから聞いてくれ」

「んーー?」

静かな声に、ブラッドも少しだけ首も動かして兄に顔ごと向けた。

馬の上や買い物中こそ村での話題には殆ど触れなかった兄だが、いろいろ言いたいことがあるに決まっている。しかも、軽く記憶を辿るだけでもあの場で起きた事件は兄にとって村や家が焼けただけじゃないことも察しが付いていた。

窓の向こうに近付く雨の音がうっすらと聞こえながら、言葉を待つ。

仕舞い終えたクローゼットの扉を閉めツカツカと早足で自分に歩み寄ってくる兄に、変わらぬ笑みで笑い掛けた。


「今日、……村で最後に会ったあのジャンヌという深紅の髪をした少女についてだ。まだ、騎士団長からどういった御触れが来るかはわからない。とにかくそれまでは決して彼女のことについては」

「言わないよー。どうせ話す相手もいないし。……やっぱりあの子、そうなんだぁ」

最後まで言う前に兄の言葉を上塗る。

ジャンヌと呼んだその少女が誰なのか、今は確信に近くわかっている。王女ならそれはそれであの身のこなしや何故村にいたのかなど疑問がいくつも浮かぶが、今は口を噤んだ。

夢のような話だが第一王女様に自分達は助けられたんだなと、少しだけ他人事のように理解する。


村でも噂されていた立派で心優しく素晴らしい王女だと、本当にその通りだったことだけ実感とともに脳裏に浮かんだ。ただの騎士の弟である自分にあんなに優しくしてくれたなんてという気持ちと、知らないとはいえ色々話せたことの幸運感が胸を落ち着けた。


ブラッドの確信めいた言葉に、ノーマンは口を固く閉じたまま返せなかった。

弟の勘の良さはよく知っている。しかも自分が畏まったところも見られてしまった。深紅の揺らめく髪に紫色の瞳を持つ自国の王族など絞れるに決まっている。


「天使みたいだったなぁ……。僕と同い年くらいに見えたけどあれで十九?あれ、十八だっけ。とにかく綺麗だったよね。兄ちゃんごめん、僕ちょっと不敬しちゃったかも」

「⁈何をっ‼︎……、…………っ。……知らなかった、のだから仕方がない、な。……機会があれば、僕から謝っておく……」

乱しかけた声を喉の奥で感情と共に抑え、飲み込んだ。

仮にも壮絶な経験をした後の弟に怒鳴れるわけがない。それよりもと自分を落ち着けるようにノーマンも弟と同じベッドに腰を下ろした。ズン、と兄の重量分沈み、ブラッドの身体が僅かに傾いた。


近づき過ぎた兄の背中を眺めながら、ブラッドはぼんやりと今まで聞いたプライド王女の話を思い出す。

思ったよりずっと子どもっぽい見かけだったが、あそこから化粧で大人っぽくなるのかなぁと適当に考える。続けて、ジャンヌがプライドだったならばと考えればもう一人傍にいたジャックという銀髪の少年が今度は引っかかった。


「でもさ、ジャンヌがそうだったんなら……あのジャックって銀髪君は誰だったか兄ちゃんわかる?」

あっちは自分よりちょっと年上かなとぼんやり思う。しかしそれ以上がわからない。

ブラッドのくぐもった問い掛けに、ノーマンの肩が大きく上下した。奥歯を噛んでそれ以上は堪えたが、今はプライド王女以上に自分が向き合いたくない正体だったと思う。

何故今まで何度もすれ違ったのに気付かなかったのかと考えれば、嫌な感情が一斉に襲ってきかけて必死に頭の中を打ち消した。

丸縁眼鏡が曇りそうになりながら、弟に顔を向けられない。プライドの正体がわかれば、当然その傍らの銀髪少年が誰かもわかってしまった。この場で顔を覆ってしまいたくなりながら、物に当たることもできずに必死に取り繕う。

その間も、勘が良い弟の独り言が耳を通り抜いていく。


「もしかして騎士かなぁって。だってすっごーーく強かったから。家に乗り込んできた奴も倒しちゃうし母さんも軽々運んでくれてさ……なんか、髪の感じとか兄ちゃんから聞いていた〝アーサー隊長〟っぽかったけど……」

ぎくっ、ぎくっっ‼︎と、枕に視線を埋める弟の気付かないところでノーマンの肩がまた揺れ、心臓が跳ねていく。

脈拍がおかしいほど速く忙しくなる中、口を貝のように閉じ続けた。

弟にバレるのが怖いのではない、ただその事実にまだ向き合いたくない。自分が〝ジャンヌ〟達にどんな話をしたか嫌でも覚えている。そこから自分の知らないところでアーサーに話が漏れている可能性は大きいと思えば、この場で死にたくなった。


「…………なわけないよね。だってどう見ても兄ちゃんより背も低かったし、年上にも見えないし」

恐らく何らかの特殊能力だろう、とノーマンは理解する。

プライドの傍らにいる騎士など、限られている。その中で銀髪碧眼となれば疑いようもなかった。

ここで弟に真実を告げるべきか悩んだが、今は止めておく。これ以上弟の頭を忙しなくさせたくはないし、自分もまだ整理がついていない。


無駄に眼鏡の位置を中指で直しながら、ノーマンは固く目を閉じた。

村では目すら遭わせられなかったあの少年は間違いなく自身の直属の上官だったと今は伏せることにする。

兄からの返事がないことに、ブラッドは諦めてごろりとまた寝返った。兄が否定しないなら騎士かもしれないが、若い騎士なら名前を知らないのかもしれないなと考える。

どちらにせよ、まだ十五才そこらくらいで騎士になってプライド王女の護衛まで任されるなんて凄い子だったんだなぁと今はだけ結論づけた。

二個のベッドがくっつけてある為、続けてもう一度転がってもまだベッドから落ちなかった。ごろんごろんと転がりながら、清潔にされたベッドに自分の匂いをつけていく。


「ケーキ美味しかったなぁ。ライラも母さんも兄ちゃんも無事だったし、家燃えちゃったけど良かったよねぇ」

簡単な感想だけを箇条書きのように並べながら、今日のことを思い返す。

無意識にまた明るい声色になってしまったことを自覚しながら、ブラッドはまた笑う。へらへらと表情筋を緩めながら、寝返りの拍子に前髪のかかった視界で兄を見上げる。

ベッドに座ったままの横顔を眺めながら、やっぱり兄は家に思い入れがあったんだなと考える。自分のようにただ困るだけじゃない。ブラッドにとっては家族が無事で、父親の形見を兄と母がそれぞれが持っていてくれると考えれば今は落ち着けれたが普通はそんな簡単じゃないと思う。


家族と違い、ブラッドは住む場所にはあまり思い入れがない。

無いと困るしこの先どうしようとは思うが、そこまで自分に大事なものはない。どちらかといえば、家族にとって大事なものが燃えてしまったことの悲しさの方が強く胸を擦った。

父が遺した団服や、母が一度も袖を通さず飾って終わってしまったドレス。兄が勉強していた机やライラが幼い頃に抱いて寝ていたぬいぐるみがなくなったことは思い返せば喉に引っかかるような苦しさを感じた。

だが、自分個人がなくして残念な物などあるとしても家族が自分にくれた誕生日の贈り物くらいである。後は惜しさを感じるならば普段使っていた家具や……


「…………せっかく、ご馳走作ったのになぁ……」


はぁ……、と今度は深い溜息が半開きの口から零れた。

さっきとは打って変わって沈んだ声に、ノーマンも振り返り弟を見る。

ぐったりとベットに転がったままのブラッドは視線が遠くなっていた。低くくぐもった弟の呟きに、ノーマンは無言のままそっと手を伸ばし父親譲りの柿色の頭を撫でた。


ライラの誕生日。家に帰ってきて過ごす筈だった妹の為に、昔から料理担当だったブラッドが例年通りに腕によりをかけてご馳走を作っていたことは聞かなくてもわかっていた。満面の笑みで料理を頬張り喜ぶ妹の姿を見るのは、家族全員の幸せな時間でもあった。

その為に何時間も前から献立を考え食料も買い込み下拵えもしていたのに、今は火事で跡形もなくなってしまった。

ケーキで喜んでくれたライラだが、本当は一緒に自分の料理も披露する筈だった。いや、……そうしたかったと。自覚した瞬間、ブラッドの胸を引っ掻いた。


「お前や母さんが無事でいてくれたことの方が大事だ。……また来年作れば良い」

「……うん」


〝その前に母さんと兄ちゃんの誕生日だね〟と。その言葉も今は口から出なかった。

撫でてくれる兄の手の温もりに、ほんの少しだけ家の匂いにも似た懐かしさが鼻孔を過ぎる。数年ぶりに兄に撫でられた頭の感触に、ぼんやりとまた視界がぼやけた。

いつもの何倍も静かで甘やかしてくれる兄に、今はその存在だけでじわりじわりと身体が表面から溶けていくような感覚を覚える。

知らない街で、知らない宿で知らない部屋の知らないベッド。

だが村の人間からも隔絶されて、家族だけがいる空間にそれだけで心音が遅く聞こえるほど胸が落ち着いた。




『貴方は普通の人間よ。大人より力も弱くて家族を大切できて、人を傷つけるのを怖がる優しい子だわ』




もう一度ここで〝そう〟言ってくれないかなと。

思いながら、ブラッドはゆっくり目を閉じた。瞼に押され、雫がシーツを小さく濡らす。


毛布も被らずベッドに寝入る弟を、ノーマンも何も言わずに見届けた。


Ⅱ190

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