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フリージア王国備忘録<第二部>  作者: 天壱
見かぎり少女と爪弾き

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そしてつかまる。


「ッ……はっ……はっ、……‼︎」


足を回し手を振り熱息を切らせ、走る。

何度も首を四方に回し注意を振りまくが、今のところ追う者もない。だがそれでも安心できず地面をまた蹴った。

郊外から細い足で殆ど休まず駆けてきた影は、目を白黒させながら今も足を回し続ける。いつの間にかここが城下だと気づいたのもついさっきだ。

人波に溺れるように息を何度も何度も切らせ咳込みながら、路地のわきに背中を預けてやっと胸を押さえる。その間も路地や人波へギョロギョロと目を回す影は、すれ違う誰の目から見ても余裕がなかった。


─ 逃げないと。


そう、意思だけが何度も何度も身体を突き動かす。

だが何処へ逃げれば良いかもわからない。ただ、ここじゃない何処かにとその意思だけでここまで駆けてきた。なるべく治安の良い、城下でも上級層が行き交い衛兵が闊歩する地区へ逃げ込んだ。


ここなら、きっと、大丈夫だと。

そう自分に言い聞かせながら膝を折れば、滝のような汗が全身から地面に滴り落ちた。

身体の細いその影に、行き交う民は物乞いかとも思ったがそれにしては自分達と目を合わさない。存在を消すように肩の幅を狭くする影は、自分を抱き締め腕を交差した。一度足を休ませた所為で、ガクガクと遅れて膝が震え出す。カクン、と堪らず崩れるようにその場に座り込めばそれ以上動く気力も削げた。


一体何が起こったのか、いっそ全部自分の悪い夢だったら良いのにと思いながら目を泳がせる。

いつ、追っ手に見つかるかもわからない今、足を止めても張り詰めた気は緩められない。

ハァ、ハァ、ハァハァと息を何度も切らしては飲み込み、自分の意思とは関係なく震え出す身体が押さえきれない。


─ まさかあんなに早く駆けつけるなんて……‼︎


酸素の足りな過ぎる頭が白くなる。

必死に考えろ考えろと脳を回すが、これからどうすれば良いかわからない。これ以上何処へ逃げれば良いのか誰を頼れば良いのか全く結論が届かない。

何故、何故、何故、どうしてと。意味もない自問自答を繰り返せば、全て自身の運が悪かったとしか思えない。まさかこんな展開は予想してなかったと思いながら腕だけで足りず頭を抱え蹲る。

誰も自分のことなど気にもしないとわかっている筈なのに、顔をあげた先で全員が自分を見ているような気がする。


騎士が現れた瞬間、言葉も出ずその場から動けなかった。

茫然と眺める先で、白の団服を靡かすいくつものか影が騎士だということは一目で理解した。この場に一秒もいちゃいけないとあの瞬間気付いた筈なのに、口を開けたまま暫く呆けてしまった。

火の海よりも明らかに早く村全てを飲み込み人身売買を掃討する光景に、圧倒されて言葉も出なかった。

深く呼吸を繰り返し、悪夢じゃない現実を少しずつ思い返す。


『でぇ?お前はどっち⁇』


そう、問われた瞬間に決まっていた。

自分の目の前で次々と運命を決められていく負け組を見ながら、このままじゃ自分も同じ道を辿ると思った。だからこそ、こうして再び自由を得られた自分は特別だと思った。なのに、今自分は見えない影に怯えて逃げ回っている。

本当はこんな筈じゃなかった。ほんの高みの見物のつもりだった。今日この日が来ると最初から知っていたから、お気に入りのあの場所でその時を一人で待った。

城下からも自分の足で行ける郊外、どこよりも高く見晴らしの良い場所は遠くの村まで誰にも気付かれず見張らせた。村人にも、人身売買にも、そして騎士ですら、遠く離れ見渡すだけの自分には誰一人気付かなかった。

村へ直接向かう道とも遠くかけ離れ、降りる方法も登る方法もないただの崖だ。

襲われる村人を助けるつもりも人身売買達と関わるつもりも微塵もなかった。ただ、安全な場所で自分の犯した結果を高見で眺める為だけにそこに居たのだから。




「……グレシル?」




はっ、と息を呑む。

両肩が自分でも信じられないほどに跳ね、顔を上げるのも怖くて抱え込む腕だけ強張った。聞き覚えのある声が〝どの〟声なのかも今の怯える彼女にはすぐには判断つかなかった。数秒だけ意識が遠退き、また戻る。

城下の、上級層が行き交う王都の、路地だ。下級層や裏稼業の人間も滅多に足を踏み入れなければ、路地にわざわざ入る上級層の人間などもいない。

お零れを得られることも難しく下手に盗みをすればすぐ衛兵に捕まる地区で、何故ここに人が近付いてきたのかもわからない。やはり誰かが自分を追ってきたのかとまで考えれば、悲鳴が喉の奥から競り上がった。

「こんなところで何をしているんですか?体調でも悪いんですか?」



「…………ケ、メト?」



馴れ馴れしく親切な言葉を掛けてくる少年に、静かにグレシルは顔を上げた。

見れば、つい先日自分が陥れ損ねた少年が自分を覗きこんでいる。更にはその背後に見覚えのある茶髪の少女と、褐色肌の男がフードの下から自分を見下ろしている。彼らの凶暴性は嫌でも理解している彼女は短く悲鳴をあげ、座り込んだまま後退った。


プライドから呼び出しを受けていたヴァル達だが、急遽予定変更のカードを受け暇を持て余していた。

近場へのみ配達を済ませ、フリージア王国へ配達物を手に帰国したところだった。突然呼び出し、突然断ってきたプライドに配達を名目に文句を言いたかったこともある。

そして王都から城まであと少しというところでケメトが彼女を見つけた。

大丈夫ですよ、何があったんですか、と。優しく尋ねるケメトは、断絶した筈の日から全く変わらない。この場でケメトからもセフェクからもヴァルからも逃げたい筈の彼女は、足が微弱に震える以外動かなかった。

また件の裏稼業に追われてるのかと尋ねられ、首を横に激しく振った。彼女が恨みを買ったのはその程度の相手ではない。

それを思い返した途端、険しく歪んだ彼女の目が滲んでいった。彼女の恐怖は鉛のように重く、強大だった。そしてその全てを語ろうとすれば




自業自得、そのものだった。




『そんなに生意気なら足でも折っちゃえばいいのに。そうすれば一生家から出る心配もないでしょ』

あの後の恐怖は、今も忘れない。

その日もまた彼女にとってはいつもの日常だった。酒場で飲んだくれた男のぼやきを聞きながら、そっと毒を囁き掛けた。「あのクソガキこの俺にたてつきやがって」「ネイトのやつ最近妙に怪しい」「妹夫婦さえいなけりゃあ一生あんなガキ」と酒を仰ぎぼやく男に親切の顔で囁き、目の色を変えたところでいつものようにするりと去った。

その内あの酒場に寄って、あの男がどうしたかを確認するのが楽しみだと鼻歌混じりにいつもの路地へ一人身を隠した瞬間。



突然、意識を奪われた。



気が付けば何処かもしらない馬車の中に押し込められ、自分と同じような格好の人間達と一緒に建物に収容された。

武器を掲げる衛兵に命じられるまま進めば、消毒液臭い部屋に順々に並ばされた。最前列から次々と断末魔のような悲鳴や雄叫び、命乞いの声を聞きながら順を待てば問われる前からどんな命乞いをを言えば良いのかは聞かされた。

そしてその事前の通達通り、最前列の先に待つその男が彼らに問うのは全て同じ言葉ばかりだった。

「要る」であれば殺されず商品として仕分けられる。「要らねぇ」であれはその場で断末魔をあげて転がる物体に成り下がる。そしてもう一つの選択肢を言われれば。



『ッ抜け道を知っています‼︎』



家族を差し出します、なんでもしますと命乞う人間の中で自分の番がとうとう訪れた彼女はやっとの思いでその影へと声を張り上げた。

最前で彼女を待っていたのはベッドに横たわる男だった。仕分けの声で判別できただけで薄く重ねられた天蓋のカーテンの先で、包帯をぐるぐる巻かれてるだろうことくらいしか顔どころか姿もわからなかった。

その男は、彼女の言葉を聞きすぐには仕分けなかった。続きを聞いてやろうと沈黙で返され、彼女は急き立てられるまま最悪の交換条件を彼に投げ掛けた。


『フリージアの、郊外の村です……!国外に繋がる抜け道を知ってます‼︎ははっ……。小さな、田舎の村だけど、山に囲まれてるから騎士団もすぐには気付かないし、……た、助けてくれたらその抜け道を教えます』

帰る場所を持たず、城下から中心に色々な場所や人間の間を歩き渡っていたからこそ見つけた道だった。村の子どもが話してるのを偶然聞いた。

村丸ごとと引き換えに自分一人を助けて欲しい、そう繰り返し命乞いした彼女に天蓋のカーテンの向こうの男は軽く腕を上げ指差し示した。

他の人間達同様に選別を司る男が、にっちゃりとした声で彼女に告げたのは



『採用』



奴隷でも使い捨ての八つ当たり道具でもなく、唯一開放される道を得た彼女の提案はその男に充分な利益になるものだった。


『フリージアの村全~部かぁ。なら色々楽しめそうだよなぁ、こんな美味しい話なかなかねぇよなぁ?……ねぇ?』

それから命じられる通りに村への抜け道を提供し、そのまま解放された。たった九日前の出来事だったが、自分の命が天秤にかけられ続けたあの時間は彼女にとって地獄そのものでしかない。

そして今日、本当にあの男達の言われた通りになるのかと見にきてみれば盗賊に村が火をつけられ、……騎士団が駆けつけた。


こんな辺鄙な村に騎士団がどうしてと思ったが、答えをくれる相手はどこにもいない。

それどころか、図らずとも自分はあの男達を騙したことになる。抜け道の情報も山に囲まれた辺鄙な村も、事実だった。しかし、どう考えてもこんなに早く騎士団が駆けつけるなどあり得ない。誰か密告者でもいなければ。


「助けてっ……‼︎助けて!助けて‼︎なんでもするからお願い‼︎」


普通に考えてその密告者と判断されるのが誰か、それは彼女もよく理解していた。自分が抜け道を教え、自分が決行日を知っていたのだから。


あの時の恐怖が込みあげ、訳もわからず金切声を上げたグレシルは目の前のケメトへ縋りついた。

肩を掴まれ、腕を握られ、突然のグレシルの言動に目を丸くするケメトにセフェクもとうとう眉を釣り上げる。ケメトに何するの!と乱暴な腕を引き剥がそうと間に入れば、今度はセフェクにまで彼女は縋り出す。



『裏切ったらマジで殺すからな?……手足捥いで連れ戻す』



本当に自分一人で抜け道を通っただけで、あの男の宣言通り九日後に村が襲われるのか。そして本当に襲われるのならばそれは自分がきちんと役割を果たした証拠になる。

もう自由だ、もう影のないそれに怯えることはないのだと安堵することができる。その為に確認へ赴いただけだった筈なのに。


本当は一緒に眺めさせてあげようと思っていた少年も、結局最後まで思い通りになってくれなかった。

あの、崖の下で村一つが滅びゆく光景とそれを安全な場所で見殺しにさせれば、きっと自分側に彼も転ぶと確信していた。一人で目の当たりにするのが怖かっただけではない、もう一人その光景を自分と一緒に共感してくれる人が欲しかった。

そしてそれは、これから自分の物になる少年が良かった。

この上なく残酷で惨めな光景を一緒に眺めて怯える彼の肩ごと抱き締めて、貴方もこれで共犯ねと囁いてあげたかった。

自分が知る限り誰よりも純粋で真っ白な少年を、これ以上なく汚してみたかった。真っ白な雪原に黒い沁みが落ちた少年をどこまでも自分好みに染め堕としたかった。


しかし、実際は自分一人が血相変えて逃げるだけ。

優越を味わうどころか今も助けてと頭の中で叫び、息を切らせているのが現実だった。

助けて、助けて、とそれしか言えないように繰り返しセフェクの腕に爪を立てしがみつくグレシルは錯乱にも近かった。

あまりの距離の近さと突然ベタベタとしがみつかれたことに、思わずセフェクも悲鳴をあげる。慌てて今度はケメトがグレシルを引き剥がそうとすれば、今度は褐色の腕が彼女達の間に入り強引に二手に引き剥がした。



『奴隷よりまともじゃねぇ目に遭わせてやる』



命拾いした時に言われた言葉が何度も何度も突き刺し煽る。

確かに見た。何か毒を飲まされたのかどんな拷問を受けたのかはわからない。ただ、涎を垂らし白目を剥き手足をジタバタさせていた人間達は、生きたまま道の生ゴミのように纏めて積み上げられていた。

あの場所に戻りたくはない。死にたくない。だからこそ、自分は村一つを身代わりに売った。


しかしもうきっと自分は裏切りと認定された。

いくら言い訳を言おうと信じてくれるわけがない。自分が囚われていたのがどこかもわからない。しかし、元はと言えば捕まったのは城下。衛兵による警備も厳しいこの街で、自分以外にも大勢の人間を国外に連れ去った相手なら必ずまた同じことができるに決まっている。


崖の上で煙を上げる村を眺めている間はまだ良かった。

本当に来た、本当にあの抜け道を使ったんだという興奮すらあった。自分には一つもない誰かの帰る家がいくつも燃え焦げた。嬉々として男達が、平穏に生きて来たのだろう村人を引っ張り出しては川の方向へと連れていった。


自分が眺めて来た時は誰もがつまらない顔ばかりしていた村人が、今は涙を流し声を上げ恐怖と絶望に顔を染めているのが遠目でも想像するだけで楽しかった。


このままこのままと、気付けば両指を組みながら茂みの中で寝そべり崖を覗き祈っていた。あとどれくらいすれば、この村から人が全員いなくなるのだろうと確認したい気持ちはあったが、燃え盛る火事の中で降りたいとは思わない。自分がそこへ行けば間違いなく村人と同じ目にあってしまう。

せっかく彼らを犠牲に助かった身なのに、ここで再びあの人身売買組織の元へ連れ戻されたくはなかった。


そんな時、颯爽と現れたのが王国騎士団だった。

突然馬を走らせ大勢が道を走り抜け、一直線に村へと降りた。赤と黒しかない村の光景に、騎士団の白が注がれれば略奪が鎮火するのも早かった。

家家を襲っていた襲撃者は流れるように捕らえ粛清され、一人として騎士に敵う者はいなかった。あっという間に騎士達が核心へ迫るかのように抜け道のある川の方向へと駆けていくのを見た時、彼女もまた反対方向へと駆け逃げ出した。


今まで高みの見物としてそこにいた自分が、まるで騎士達が来るのを待っていただけのようだと自覚した。


こんなところをあの男や関係者に見られれば、裏切ったと言われて今度こそ殺される。そう確信するままに彼女は城下へ逃げ帰った。

城下へ、安全な場所にと逃げないといけない。

絶対安全な場所、治安が良い場所。もう裏稼業のいるような下級層も中級層や下級層の裏通りや路地もいけなくなった。なるべく太陽の下でなければ、またいつまた捕まるかもわからない。


前回もまた、自分は何の気配を感じ取る間もなく気を失い捕まった。

そう考えれば、今まで自分が当然のように闊歩してきた何処にも逃げ場などないのだと思い知らされた。今まで自分が居場所としてきたのは、むしろそういう日陰の場所ばかりなのだから。

今まで自分が稼いで生きた場所にも行けない、逃げて身を潜めていた場所にも行けない。自分を捕まえた時どころか、抜け道を教えた時すら気配も感じなかった相手にそれ以上どうやって身を守れば良いのかもわからない。

そう考えれば今もじわじわと首を絞められているような錯覚まで覚えた。人影のない場所に入ればその瞬間が自分の最後。今度は捕まるどころか、その場で殺されてもおかしくない。

自分は捕まる、裏切り者として、陥れたとしてまたあの地獄に連れ戻される。今度は自分があの不要物の一部として



「殺される……‼︎」



ぐちゃぐちゃに濡らした顔で、再び手を伸ばしてくれるケメトへと縋りついた。

自分より小さいと見下していた細い身体に両腕で抱きつき、ガタガタ震え出す。

そのまま歯を鳴らすだけで立ち上がることすらできなくなった少女に、ヴァルの背中に隠れたセフェクも、抱きつかれたケメトも茫然とした。

えぐえぐと嗚咽を漏らし咽ぶ少女を前に、ヴァル一人が怪訝な顔で面倒この上ないと思いながら自身の懐を探った。今日届いた城へは急がなくて良い旨のカードではない。

昨日、突然ステイルから瞬間移動で送られてきた方のカードである。それを取り出し、改めてその書面を確認した。



『明日放課後城へ三人で来い。話に聞いたケメトの友人について聞きたいことがある』



取り敢えず自分やケメトが話す手間は省けたか、と。

それだけを考えながら、城への荷物が増えたことにヴァルはうんざりと息を吐き出した。


Ⅱ371.230

Ⅱ369

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