II4.我儘王女は頭を垂らす。
「それは……僕らにも話していないことですか、姉君」
落ち着き始めた空気が再び張り詰めた。
ステイルの恐る恐るな声と、何より俯いても感じる視線の熱さに肩が上がり、強張る。私が返事代わりに一度頷けば、ステイルだけでなくジルベール宰相も息を飲んだ。
背後からアーサーやカラム隊長から呼吸の音が止まる。ティアラが「お姉様っ……」と既に心配そうに震えた声で私を呼ぶ。もう話す前から不安を感じているティアラにまでこんな話をするのは躊躇う。それでも、言わないといけないことだから。
両手首を掴む手に力を込め、深呼吸をしてから顔を上げる。その途端、一瞬で騎士団や副団長。そしてアラン隊長、エリック副隊長、ハリソン副隊長の険しい表情と刃のような眼光が目に入った。騎士団長から「その、話とは」と静かな声で促され、私は口の中を飲み込む。心臓が煩く「言うな」と警報を鳴らす中、私は手首から緩めた両手でドレス越しにそれを押さえつけた。
「私の、予知で……もう一つ。これは、確証はありません。あくまで可能性の一つとして受け取って下さい。母上達に報告しなかったのもそれが理由です。」
そして、本当は彼らにも言いたくなかった。
私の言葉に誰もが無言で頷く。だけど、興味を失った様子の人は誰もいない。全員が私の言葉の続きを待っている。
言いたくない、口にするのが怖い。だけど、全てを隠してばかりではきっとまた取り返しのつかないことを招くから。
もう一度、息を吸い上げる。そして、今度こそ覚悟を決めて、私は部屋にとどまる程度の声で気を払い、言い放った。
「アダム・ボルネオ・ネペンテス、並びにティペット・セトスに生存の可能性があります。」
もし、彼女がゲームの主人公であるティペットなら。
その仮定と推測を胸に、押さえるように両手を当てた私に部屋中が凍り付いた。数拍置いてからかすれた声で、アダム……‼︎と噛み締めるようにステイルの呟きが聞こえた。
更には何処からともなく糸を張られたような緊張感と共に殺気のようなものまで滲んでくる。私の腕にしがみつき、震え上がったティアラが部屋の空気とアダム、どちらで怯えたのかもわからない。
「それは……っ、……一体どのような予知をされたのか、お聞きしても?」
騎士団長が複雑そうに顔を険しくさせる。
一度冷静になるように口を閉じた騎士団長だったけれど、やっぱりアダムの存在に戸惑いは大きいようだった。当然だ、フリージア王国に甚大な被害を出したのは私だけではない。しかも、アダムは騎士団長の息子でもあるアーサーに、当時怪我を負わせている筈なのだから。詳細を教えて貰えてないけれど、彼が死んだと断言したほどの怪我だ。
全員の代弁をするように問う騎士団長に、驚愕に切れ長な目を見開いたジルベール宰相も、珍しく眉間に皺を寄せた副団長も頷いた。煩い心臓から再び両手首を掴む指に力を込め、私は重くなった口を開く。
「……確信は、本当にありません。ただ、学校の予知とは別に予知した未来でアダムとティペットらしき影がいました。本人達かどうかもわかりません。しかし、透明化の特殊能力者で……本人の意思で物質までも通り抜けることができる〝透過〟の特殊能力者だと判明する……場面を見ました。」
それが確かゲームの終盤で判明するティペットの特殊能力だ。
彼女自身がずっと隠し、最後に明かした秘密。……だった気がする。まだストーリーどころか第何作目かも思い出せないけれど‼︎
透過……⁈と彼らが口々に呟く。驚くのも当然だ。透明化の特殊能力は知られているけれど、透過の特殊能力は違う。ジルベール宰相が何か記憶を探るように小さく俯いた後「確かに……過去の文献には」と呟いた。未確認の特殊能力ではない。それでも透明化とは比べ物にならない希少な特殊能力だ。
できるだけ、推測が当たらなくても問題ないように私は続けて言葉を選ぶ。もし全てがただの杞憂で終わってくれれば良い。正直、今はアダムの生存よりも彼女が主人公のティペットだったらという恐怖が強い。
私の発言から、暫くは誰もが絶句という様子で言葉を無くしていた。私の腕にしがみついたティアラがぎゅっと力を強めて私を呼ぶ。
やっぱりアダム達が彼女も怖いのだろう。直接は殆ど関わっていないけれど、アダムは私を味方につけてからティアラの命も狙ったらしい。
誰とも言えない多種の殺気に背筋が冷たくなりながら、私は再び口を開く。彼らの戸惑いも当然だ。……もしかすると、これをさっきまで母上達に話さなかったことを怒っているのかもしれない。だけど、未確定のことだしアダムとティペットの死体が見つかっていない今は何も言えない。何より
「あくまで確信のない推測の域です。ただ、これを母上達に話せば私は学校潜入どころか暫くは城からも出して頂けなくなるかもしれません。ですから、確信を持つまでは誰にも言うつもりはありませんでした。が、……せめてこの場にいる方々にはお伝えすべきだと判断しました」
沈黙の水面にぽとりぽとりと水滴程度の声で語る。
いっそ知らなかった方が良かったと思うかもしれない。母上達は知らず、私からこんなことを聞いたら報告するか否かですら悩むだろう。私としては学校潜入の為にも確信を持つまでは秘密にして欲しい。ただ……それが難しくても、やっぱり彼らに相談すべきだと思った。
『もう、二度と今回のような事態を起こさない為に』
『俺らが絶対に本当の意味で貴方を護ります』
私を大事に思ってくれる人達を、もう傷付けたくないと思ったから。
今日一日だけでも何度も揺らいだ。知らない振りをすれば良い。もう第一作目のラスボスには関係のないことだし、このまま平和に過ごしてもいつかは主人公が幸福な結末に導いてくれる。無駄に私が手を出す必要はないし、女王になる為の勉学と公務に集中すべきだと。誰に関われと言われたわけでもないのだから。
だけど、もうやっぱり私にはこの選択肢しかない。民が苦しむのを放ってはおけない。未来に泣く彼らを知っていながら僅かな犠牲だと見捨てる女王にはなりたくないし、……目の前にいる彼らにもう隠し事も極力したくない。
ティアラやステイル、アーサー、ジルベール宰相だけではない。あんなことを犯して、それでも私を守ってくれると望んでくれた近衛騎士にも、そしてずっと前から私が動く時は相談をして欲しいと望み続けてくれた騎士団長達にも、もう隠した結果苦しめることも、裏切ることもしたくもなかった。
「……プライド第一王女殿下」
長く深い溜息と同時に騎士団長が再び鉛のような声を放つ。
呼ばれ、私は小声で返せば背筋が伸びた。はいっ、と息まで止めて待てば、騎士団長はぐったりと脱力気味に額を片手で押さえていた。
やっぱり今更そんなことを言われたら困ると怒られるのだろうか、と既に覚悟する。奥歯を食い縛り、泣かないようにだけ顔を引き締めた。
騎士団長から重々しげに語られたのは、私への窘め
「此処で、我々が貴方からの信頼を裏切れるわけがありません。………………畏・ま・り・ま・し・た・」
……ではなかった。
えっ。と、騎士団長からの予想外の言葉に私は思わず食い縛った口が開く。
茫然とする私に続けて「騎士全員。……言うまでもないな?」と手を当てた額ごと顔を上げ目だけで見回した。その途端、部屋に響き渡る声で近衛騎士から一声が返される。さっきまで戸惑いや緊張感で張り詰めていた空気が割れ、殺気が一瞬で凪いだ。代わりに迷いのない闘志が部屋を炙るように熱を立てる。
席に座る騎士団長の背後に回った副団長が、佇んだまま一度だけ同意の意思を示すように騎士団長の肩を叩いた。……これは、母上達に隠してくれるということなのだろうか。
一気に止めた呼吸が肩を上下させる。すると、今度はジルベール宰相が切れ長な目を真剣に尖らせた。
「ならば、城と学校の方にも未だ温度感知の特殊能力者の協力が必要です。もうティペットが大手を振っての潜入は不可能だとは思いますが、衛兵だけでは城門と城壁で手一杯です。ティペットの〝透過〟の特殊能力がどこまでのものか不明な今、温度感知が全て有効かはわかりませんが、少なくとも奪還戦では感知できました。……せめて学校にも、念の為温度感知のできる騎士を。」
陛下と王配殿下には私から話を通しておきましょう。と若干早口で言い切るジルベール宰相に、今度はステイルが「ええ……!」と力強く声を上げた。
「僕も対策に加わります。そろそろ近衛騎士も〝次の段階へ〟進んでも良い頃ですから……‼︎」
ぶわり、と黒い覇気がステイルから放たれる。
一音一音噛み締めるように言うステイルは、黒縁眼鏡の奥を鋭く光らせた。テーブルに手をつき立ち上がり、ジルベール宰相と目を照らし合わせる。今この場で作戦会議を始めそうな勢いで互いに頷き合った。
ステイルの言葉の意図を汲んだらしきジルベール宰相が、「確かに」と続ける。……いつのまにか完璧に阿吽の呼吸を習得している。
「学校に通うのも悪いことばかりではありません……‼︎寧ろ、万が一の時は姉君が城にいると思い込んでいるアダムには良い目眩しにもなるかと‼︎」
そう声をとうとう荒げるステイルに、騎士団長達も頷いた。
いつのまにか、私の方が置いていかれている状況に戸惑ってしまう。すると、ティアラが私を起こすかのように腕だけではなく横から私を守るように抱き締めてくれた。
顔が近付いた途端、私の耳に潜ませるように「絶対セドリック王弟も私の代わりにお姉様に付けますからっ……!」と囁いた。……王弟がまるで私の護衛扱いだ。
そうして本当に第二次打ち合わせ兼作戦会議がステイルを中心にこのまま行われようと熱が上がってきた時。
コンコンッ
失礼致します、騎士団長。と。騎士からの張りのある声が扉越しに放たれた。
騎士団長が私達に許可を得てからそのまま扉越しに応える、用件をと促した。私達も扉へ顔を向け、騎士の報告が聞こえるように誰もが口を閉じる。
騎士は「はっ‼︎」と一言発してから、続けて「プライド第一王女殿下へ王居より報告です」と王居の通信特殊能力を持つ衛兵からの報告を告げた。
「プライド第一王女殿下の御指示により〝配達人〟が到着したとのことです。先に報告までを、と。」
ヴァルだ。
そうだ、彼には後で来るようにと指定していたのだった。
時計を見れば、あれから大分良い時間が経っている。しまった、呼んでおいて待たせてしまうと思い、見回せばジルベール宰相とステイルが同時に席から立ち上がった。
「では騎士団長、副団長。また後ほど、僕とジルベール宰相から相談に伺います。」
「近衛騎士の皆様も、どうぞくれぐれも先ほどの事は全て内密にお願い致します。」
さぁ行きましょう、とステイルに続きジルベール宰相まで私に退室を促した。
えっ、そんなにすんなり⁈と、さっきまでの熱が嘘のようにヴァルへの用事を優先してくれたステイルに少し驚く。彼ならいっそヴァルを一時間は待たせても気にしなさそうなのに。
私に合わせるようにティアラが立ち上がる中、騎士団長も立ち上がり、副団長と一緒に礼をしてくれた。畏まりました、と頭を下げてくれ、ハリソン隊長達もそれに従った。
私とティアラからも挨拶をし、二人で手を繋ぐ。ちょうど近衛騎士の交代の時間だということで、その場で引き継ぎを手早く済ませたカラム隊長とアーサーを残し、アラン隊長とエリック副隊長と共に作戦会議室を出た。
報告してくれた騎士にお礼を言うと、本隊騎士らしき彼は私が出てきたことに雷に打たれたかのように背筋をビクリと伸ばした。やっぱりいきなり王族が扉の向こうから現れたら驚くわよね……と思いながら、作戦会議室から乗ってきた馬車へと向かう。
「…………彼ならば、既に〝若返りの特殊能力者〟についても知っていますねぇ?」
「ああ。奴なら母上の許可も身分の心配もなく十分に紛・れ・込・ま・せ・ら・れ・る・。……素行はさておき、姉君を守れる人間は一人でも校内に多いに越した事はない」
「若返らせても特殊能力が退化しないのは実証済みですし」
「裏で動かすにも役に立つ」
歩いている途中で、尋常じゃない仄暗い覇気と気配がステイルとジルベール宰相から放たれた。
怖くて小さくだけ振り返って見れば、二人が真っ黒な笑みで口端を引き上げて笑っていた。ニヤリ、という響きが似合うその笑みは、確実に二人して黒い事を考えている表情だった。アラン隊長とエリック副隊長も二人のその発言に察したように引き攣った顔を見合わせた。
……何だか、更に一名巻き込み事故確定した人が現れたような。
ヴァル、ごめんなさい。
これから王居へ戻る足が少し重くなりながら、引き摺るように私は馬車へ向かった。




