Ⅱ385.宰相は案じ、
「お断り致します」
門を閉ざすような冷たい声が、放たれた。
あまりにも取り付くしまもない彼の言い方に、肩を竦める。予想できていた返答とはいえ、あまりにも強い声色だ。
この執務室に呼ばれた時から、彼の態度は明らかに我々から不穏を感じ取っていた。
テーブルを挟んで向かいに座る彼は、眉間に皺を寄せ私を見る。別の机からこちらを睨む眼差しにも臆さない彼は、宰相である私に構わず強い口調で言い切った。
「大変ありがたいお話ですが、こちらはなかったことに。私では貴方方のご希望にはお応えできません」
「そこをどうにかなりませんかね。我が国を誇る騎士団長に御協力頂ければ、民の為にもなると思うのですが」
あくまで笑みを保ち、籠絡を目指す。
しかし眼差しも言葉も固く閉ざされたままを維持される。流石は王国騎士団を統率する騎士団長。私の言葉にも首を横に振り、目の前に出したカップに口すら付けず腕を組んだ。
私もできることならば彼に強制はしたくない。しかし、今最も最善の手を考えればここは簡単に諦められない。
私自身、彼にはあまり良い目で見られていないことは自覚している。しかし今この場で平和的に彼を落とせるのは私しかいないのも事実だ。
持て成しの準備だけ終わらせた侍女も従者もそして護衛の衛兵も全員人払いした中、今この部屋にいるのは私と騎士団長をいれた三人。できることならば私だけで交渉を成立させたい。
しかし、民の為フリージア王国の為と言っても固い拒絶を示す騎士団長は全く考える素振りすらこちらに見せない。「申しわけありませんが」「こればかりは」とそれだけだ。
試しに別視点で問いを変えてみたが、それにも全く粗を見せない。改めて我が国は優秀な騎士団長を得たものだと思うが、今だけは少々手詰まりになる。
とうとう最後までカップに手をつけることもなかった騎士団長がソファーから立ち上がった。「話がそれだけならば私はこれで」と上の立場である私に向けて話を自ら切り上げ
「お待ち下さい、騎士団長」
……ついに、口が開かれた。
今まで一貫して黙しておられた御方が、騎士団長を引き留めるべく声を放つ。
私は音にならぬように息を深く吐き出しながら、成り行きを見守ることにする。ここで私まで余計に口を挟んでも破綻が近付くだけだ。
騎士団長も彼の言葉に足を止め、振り返った。眉間の皺を深くしながらも「何でしょうか」と落ち着いた声で返す。先ほどまで話に加わらなかった御方に、眼差しまで冷え切っていた。……この方が、今まで発言を控えていた理由は私もわかっている。
自身の席に腰を据えたまま、騎士団長以上に鋭く冷たい眼光を彼は黒縁眼鏡の向こうから放った。
「私の〝義妹〟でもあるティアラ女王の伴侶となることに、どこが不服なのですか」
全てです、と。……ステイル摂政にアーサー騎士団長は間髪いれず言い放った。
十六歳となり、戴冠され女王となられたティアラ様。本来であれば国の法に則り婚約者を得ている筈の彼女は、今は伴侶となる者がいない。
サーシス王国の第二王子と婚姻し嫁ぐ筈だったティアラ様は、その立場が大きく代わり今では国を束ねる女王だ。
悪しき女王が滅び、新しい体制となった今我々にできることは一刻も早く国を再建すること。その為にも、ティアラ様が女王として国の民から支持を得なければならない。
女王戴冠こそ終えたが、女王としての勉学はしてこなかったティアラ様は未だ勉強中だ。そんな彼女に、十六にもなって未だ伴侶がいないことはそれだけでも今は大きな綻びになる。相応しい伴侶と婚姻し、国全体の結束を強める必要がある。
そして今回その黄金の矢が刺さったのが、アーサー騎士団長だった。
「ティアラ様の伴侶というお話は心より光栄に思います。しかし、私はあくまで一介の騎士に過ぎません。それよりも今は国外の結びつきを強められるべきでしょう。ローザ前女王の時代も、王配はカランコエ王国の王子であったと聞き及んでおります。私などよりも国外に声を掛けてみられてはいかがでしょうか」
彼の言うことも正論だ。
やはり手強い、と思いながらも私は笑みを維持する。だがそれを視界にいれた騎士団長からは不快の色が強くなるだけだった。
革命を終えてから、彼には一度も心を許されたことがない。いくらか手は尽くしたのだが、どうしても私の腹の底まで読まれてしまっているようだった。
そしてそんな彼と最も折り合いが悪いのが、摂政であるステイル様だ。
「ジルベール宰相が先ほど仰ったでしょう。現段階でフリージアや特殊能力を理解する国は限られている。誰もが特殊能力者と聞くだけで化け物と怯えた目を向けてくる。そんな国々に我らが女王の傍は任せられません」
「それは前女王と貴方方が犯した結果です。私個人には関係がない」
僅かに早口になりかけながら淡々と語るステイル様は無表情のままだが、騎士団長の一太刀に黒い気配を纏われた。
なかなか手痛いことを言われた。今、我が国でティアラ様と……いや、フリージア王国と強い結びつきを求める国などはいない。形だけ同盟や和平を結ぼうと、我々を受け入れているかは別だ。
その原因は前女王の犯してきたことと、そして革命後の同盟和平自体もステイル様が半ば脅迫の形で取り付けたこともある。その結果が、今でも世界に恐れられる特殊能力者の国、フリージアだ。
こちらから強く出れば王位継承者ではない王子を婿に寄越させることなどは造作も無い。しかしその者がどういった腹の底を抱えているかも今の我が国は推考しなければならない。
今まで離れの塔で過ごされていたティアラ様は、純粋過ぎる。
誰よりもお優しく、そして誰をも信じようとするティアラ様を傀儡にすることなど帝王学を学んできた王族には造作もないことだ。それこそ第二の悪夢が再来しかねない。
何より、ティアラ様を大事に想われるステイル様自身がそれを良しとしなかった。
「我が国への理解といえばサーシス王国のセドリック第二王子と元王配であるレオン殿下がおられるではありませんか。私よりも遥かに相応しい」
「レオン元王配は、既にアネモネに帰還し近々戴冠します。セドリック第二王子もです。前国王が息を引き取ったとつい先日知らせが届きました。サーシスの王位継承者は彼しかいません」
しかもステイル様は、そのどちらの王子も良く思われていない。
レオン殿下は、元は女王の番。婚約して一度も公務に出たこともなく部屋に引き籠もっておられた。その上婚約前には女性関係の噂が絶えず、我が国への移住にも遅れ女王の怒りを買った。しかも情報ではその遅刻も最後の夜を女性達を酒場で謳歌していたらしい。
そしてセドリック王子においては、元はといえば女王の命令でティアラ様の恋心を弄び殺める為の刺客。幸いにも彼と出会う前に城を抜け出した為ティアラ様は純朴な心を弄ばれずに済んだが、だからといってステイル様が許されるわけもない。
二人とも、女王からの呪縛を解かれてからは我が国……いやティアラ様へ協力的にはいてくれているが、それだけだ。
騎士団長の言葉を低い声で切ったステイル様は、その名を自らの口で語るだけで眼光が研ぎ澄ました。
表情こそ無のままに変わらず、ただ黒い覇気が部屋にも充満する。騎士団長もその気配を感じてか、ステイル様を見る度に眉間の皺が深く刻まれる。仮にも摂政に向けるとは思えない険しい表情だ。
「ならばアネモネ王国の元国王か王弟が居られるでしょう。元々レオン殿下と前女王との婚約も、下らぬ戦後の関係修復の為。レオン殿下が王位を継がれるのならばそのどちらかに」
「あのような愚鈍共に我が国の舵を任せられるものか……‼︎」
ダンッ!
騎士団長の言葉を打ち消すようにステイル様が机に拳を叩き落とした。
アネモネ王国……その国王と王弟は、世辞にも賢いとは言えない。前王が突然の死であったとはいえ、戴冠してからすぐに国は衰退の一途を辿った。
更には手がつかなくなった結果、人知れず何度も前女王にレオン殿下の返還を望みレオン殿下本人にも泣きついていた。あのような小国すらまともに統治できない者に、我が大国を任せられるとは思えない。
ギリッと歯を食いしばる音がステイル様から零れた。しかし騎士団長の眼差しは変わらず冷ややかだ。
一度もソファーに戻ろうともせず、扉の前でステイル様を見下ろされる。
「そこまで仰るのならば、ステイル摂政殿下が婚姻を結ばれればいかがでしょう。たかが庶民である私よりも遥かに相応しい」
……言ってしまった。
もはや禁句とも言える騎士団長の言葉の直後、ステイル様から殺気が放たれた。先ほどの膨らんでいただけの黒い気配とも異なる、刃のように鋭いそれを感知した瞬間にはもうご自身の机からは消えていた。騎士団長の懐に入り込む位置へと瞬間移動されておられる。……その手に、ナイフを構えて。
「調子に乗らないように。本来、王族からの勅命に拒否権など貴方にはありません」
「国のことを思うのであればと正論をお伝えしたまでのことです。私が最善とは思えません」
フーッフーッと獣のような息を吐きながら騎士団長の首筋にナイフを突きつけるステイル様に、騎士団長もすぐには対応できず喉を反らす。だが、それだけだ。突きつけられたナイフを見定めながら、その場から一歩も動かず語った。
常に正しきことを語り選ぶアーサー騎士団長だからこそステイル様もティアラ様の伴侶にと選び、……そして嫌悪するのだろう。
「ステイル摂政殿下のご出身は私も存じております。しかし今は王族の身。仮に兄とはいえ、ティアラ様とは血も繋がられておりません。王族内での婚姻も珍しくないというのに何を躊躇われるのですか」
摂政などそれこそ新たな義弟を仕立てれば良いと。ナイフを突きつけられながら堂々と語る騎士団長にステイル様の手が震える。カタカタと微弱に震えるナイフはこれ以上手元が狂えば本当に騎士団長へ突き刺さるだろう。
「それとも、ステイル摂政殿下には洗練潔白な女王の伴侶となれぬ理由でもおありなのでしょうか」
「ッ、言葉にお気をつけを。この場で粛正することも可能です」
「そのナイフも、王族の自衛としてはなかなか手慣れておられるご様子で。前女王の右腕としての所業を今更悔いておられるか」
「黙れと言っている……‼︎」
干渉を控えていられるのもここまでが限界だろう。
ステイル様、と私から声をかけ立ち上がる。仮にも王配候補である者にナイフを向けるなど許されないと告げながら、私からそっと彼のナイフへ手を添え下ろさせた。
表情こそ無に等しい中、黒縁眼鏡の奥は憎悪に渦巻いていた。食い縛った歯で騎士団長を睨みつけたまま、無言でナイフを懐に仕舞われる。
ステイル様のお気持ちは、こうしてティアラ様が王宮で過ごすようになってから私もある程度察しはついている。
本来であれば、このように嫌悪する騎士団長との縁談も望みはしていないのだろう。そしてご自身が伴侶という手段も考えなかったわけではない。
ティアラ様から恋愛感情を向けられれば、その心の氷すら溶かすことができるかもしれない。しかし、ステイル様が誰よりもティアラ様との婚姻に相応しくないと思われているのもご自身だ。
女王の右腕として彼がどのようなことに手を染めてきたかは、宰相である私にも全貌は計り知れない。騎士団長もやはりその片鱗に気付かれているのだろう。
ナイフを仕舞った後もステイル様の殺気は消えない。眼鏡の黒縁を押さえ、騎士団長へ向き直る。
「お忘れなく。王族からの婚姻を断るのは我々を敵に回してみ文句が言えないということを。貴方程度、私一人でもゆうに殺せる」
「それはこちらも同じこと」
ステイル様の殺意に、騎士団長は腰の剣をそのままに軽く握って見せた。
騎士団長は特殊能力にこそ騎士としては恵まれていないが、その技量は本物だ。先ほどもステイル様のナイフが届く前とはいかずとも、刺し違える程度は造作もなかっただろう。
蒼の眼差しを僅かに鋭くしてステイル様を見返す彼は、やはりティアラ様以外の王族のことも許してはいない。
「殺せば良い。歴代の騎士団長を殺めた女王のように。……貴方方に騎士団の舵を取れるとは到底思いませんが」
彼が十年以上前の騎士団長子息だと知ったのは、私も最近だった。
当時、責任の置き場も分からず騎士団衰退のきっかけともなった崖崩落事故は未だに王族と騎士団の間で根深い。しかも彼はそこで父親を失っている。
当時の記憶を思い返せば、ロデリック元騎士団長の生き写しとも言える彼が冷ややかな眼差しで我々を見るのも当然だった。
彼の言う通り、当時傷無しの騎士として名を馳せた伝説とも言える騎士団長の面影を継いだ彼以外が今の騎士団を束ねることは難しいだろう。
今では騎士達から王族以上に圧倒的支持を得ているアーサー騎士団長は、王族でも粗末には扱えない存在だ。騎士達を御するためにも彼をこれ以上は敵に回すわけにいかない。……だからこそもあっての、ティアラ様との縁談だった。
「それとも私を取り込めば王国騎士団も御せるとお思いか。我々騎士団を侮らないで頂きたい」
蒼色の眼光は、私のこともステイル様のことも全てを射貫き見通していた。
我々の腹の奥を見透かす彼を御そうとしたこと自体が間違いだったのだろう。
ギリギリと歯を食いしばり堪えるステイル様がここまで殺意を向けるのも、今では騎士団長くらいだろうか。特に今は大事なティアラ様の伴侶候補であり、それを断られたこともある。
いくらステイル様が社交的に振る舞おうとも、初対面から騎士団長はその胸の内に彼を入れなかった。どれほど甘言や世辞を語ろうと、その表情は険しく一度すら素直に受け取られたことがない。
ステイル様と私が共に唯一騙せなかった相手ともいえる。
単に用心深いだけではない。その証拠に式典の一部貴族やティアラ様、そして城で働く使用人や騎士達の前でも初対面であろうと友好的に関わることがある。
彼は間違いなくその腹の内が淀んだ者だけを見透かし拒んでいる。私のことも、ステイル様のことも。
「もう宜しいでしょうか。演習監督に戻らねばならないので。貴方と義兄弟など私には荷が重すぎる」
「正直に仰って下さい、虫唾が走ると。私も同じ意見です」
失礼致します。と、その言葉と礼儀に則り頭を下げ騎士団長は迷わず退室した。
王国騎士団を味方につけ、摂政と折り合いは悪くともそれ以上の清廉潔白の身を持つ騎士団長との破談が確定する。
これがステイル様にとって幸いか否かは私にも判断出来かねた。
騎士団長が居なくなった後も、拳を肩ごと震わせるステイル様はすぐには公務にも戻れなかった。
仮にも王族であるステイル様が、その配下である筈の騎士団長を罰するどころか脅しすらも通じない。それは単に王族の衰退や騎士団からの支持欠如が理由か、それとも
「ステイル様。また、別の案を考えましょう。ティアラ様に相応しい御方はきっと居られます」
「はい……。ッ申し訳ありませんっ……、ジルベール宰相……」
……過去に犯した、過ちの引け目故か。
きっと、その良心を蘇らせて下さったのもティアラ様なのだろう。
震わす彼の両肩にそっと手を添えながら、その事実に私は一人目を閉じた。
……
…
「……の為、国内各地に配備はしております。しかし現時点では……、……?どうかなさいましたか、ジルベール宰相殿」
ふと掛けられた低い声に、思わず息を引く。……しまった。つい呆けてしまったらしい。
目の前の相手によく気を抜けたものだと僅かに己へ呆れながら「失礼致しました」と笑みで返す。テーブルを隔てて向かいの席に腰を下ろす彼は眉間の皺を刻んだまま私を見返した。
「お疲れでしょうか。また私から出直しますか」
「いえいえ、どうかお気になさらず。別の案件がつい浮かんでしまったもので。お気遣いありがとうございます、騎士団長」




