そして固まる。
突然背後から放たれた声に身を硬らせる。
今この場で一番現れてはいけない人が確実にそこにいると思う。タイミングが最悪過ぎる。
ステイルを押さえる腕に力を込めながら、ギギギッ……と油の差していない自転車のような動きで振り返る。見上げればそこにはライラちゃんのお兄様、ノーマンが憮然とした表情でそこに佇んでいた。
丸縁の眼鏡の位置を指で直しながら、訝しむように私達を見下ろしている。反対の手にはライラちゃんへのお土産か、可愛らしい包みを携えていた。
「のん兄!」と声を弾ませるライラちゃんが、嬉しそうにノーマンに飛び込んでいく。ぼふっ、と音をたててノーマンの団服に飛び込んだライラちゃんはそのままぎゅっと彼に抱き着いた。
「のん兄が来るまでお話して貰ってたの!のん兄、校内に入って良いの?」
怒られない⁇とライラちゃんが抱きついたまま校門に視線を投げた。
基本的に生徒と学校関係者以外は校門より内側には入れない。しかし、今ノーマンがいるのは校門から少し離れた校内の物陰だ。校門を潜ったらすぐ見える位置だったから、ライラちゃんにも気づいたのだろう。校門を守っている騎士がこっちを見ているし、多分騎士ということもあって通して貰えたのだろう。
「ベンさん……そこの守衛騎士に頼んで通して貰った。門の前ではお前とゆっくり話せなさそうだったからな」
たぶんエリック副隊長がまだ弟さんとバトル中だったのだろう。
校門を見張る守衛の騎士に許可を得て、自分の視界に入る位置まではという条件下でここまでライラちゃんを迎えに来てくれたノーマンは、そこまで言うとジロッと険しい表情で私達を見た。また何か恐ろしいことを言わないかと身構えながら、私は立つ位置を変える。するとステイルも私と同じようにアーサーを隠そうとこっそり位置を移動してくれた。……もし、予想通り正体がバレていたら全くの無駄だけど。
「……君達はアラン隊長のご親戚だったな。エリック副隊長に待たされているのか」
「いえ、僕らがライラちゃんと遊びたかっただけですよ。ずっと一人でお兄ちゃんを待っていて寂しそうだったもので」
ステイル⁈‼︎
笑顔でにっこりとノーマンに反撃するステイルに肩が上がる。
どうしよう、多分まだアーサーのことを根にもってる‼︎遠回しに「お前が妹を待たせたのが悪いんだ」と嫌味も混ざってるし!実際はエリック副隊長を待っているのは本当だし、ライラちゃんから話しかけてきてくれたくらいなのに‼︎
ステイルからの予想外の攻撃にノーマンが無言で唇を結んだ。軽く喉を反らすと、眉間に皺を寄せてから視線をライラちゃんへと向ける。
「……すまない」
「ううん!お姉ちゃん達が話してくれてたから楽しかった!」
予想外にしおらしくライラちゃんに謝ったノーマンは、ポンポンと二つ結びの頭を撫でた。
ライラちゃんもそれに笑顔で答えるあたり、これだけ見ると二人とも毒舌とは思えない素敵な兄妹だ。ステイルからの圧にもそこまで動揺していないのを見ると、もしかしたらまだ私達の正体に気付いてないかもしれないと希望を持つ。
すると、ふいにステイルが肘でアーサーを小突いた。トンッ、と軽く当てられたアーサーはそれだけでステイルの意図を理解したらしく、気がついた私に一度ぺこりと頭を下げてきた。それから眼鏡の蔓を両手で押さえ、首ごと俯いた。
「あのっ……自分、エリック、さんを呼んできます……!」
ノーマンに気づかれないようにと必死に顔や声色を隠すアーサーは、そこまで言うとそそくさと駆け出した。
眼鏡の蔓を押さえる手で左右からも顔が見えないように隠し、ノーマンと目も合わせないようにして逃げていく。
ノーマンも急に逃げられたとは感じたのか、眉を寄せた目でアーサーの背中を見たけれど、それ以上は何も言わなかった。……気付いているのかどうか、本当に微妙だ。
「ねぇ、のん兄」
ライラちゃんの投げかけで、険しい表情でアーサーを見つめていたノーマンの注意が逸れる。
どうした?とライラちゃんの背中に手を添えながら返すノーマンの声は柔らかい。ライラちゃんがノーマンに懐くのもわかる気がする。首を傾げ、ノーマンを上目遣いに見上げるライラちゃんは、可愛らしい唇で爆弾を放った。
「〝聖騎士〟って知ってる⁇」
ライラちゃんッ⁈
またノーマンの発火装置を‼︎と私もステイルも口を引き絞ったまま絶句する。これ以上アーサーの落ち込み案件を増やしたくないのに!とアーサーが去っていった方向をみれば、もう校門を潜るところまで行っていた。
良かった、もうこっちには気付いていない。
「聖騎士……?アーサー隊長のことか。知ってるも何も前に話しただろ」
「知らな〜い」
ライラちゃんから聖騎士の単語が出たのが意外だったのか、聞き返すノーマンは絞っていた目を開き、丸くさせた。
眼鏡の位置をクイッと中指の先で直しながら見返すノーマンに対し、ライラちゃんは〝アーサー隊長〟の単語が出た途端に顔を諫めた。嫌いな野菜を目の前に突きつけられたような表情に私が傷付く。
アーサーがいなくて本当に良かった。私でさえ傷つくのに、本人だったら傷も深いに違いない。女の子が自分の顔で嫌な顔をするだけでも悲しいのに、更にはノーマンからの毒舌も待ちかねている。……というか、私は既に大分ショックだ。アーサーが誰かに嫌われているという時点で色々悲しいし落ち込む。
ステイルも同じらしく、ノーマンに返すかのように自分の眼鏡の黒縁を指で押さえながら、上目で彼を睨んだ。ギラッという眼差しが、昨日とは比べものにならないくらい敵視している。ノーマンはまだ幸いにもステイルの眼差しに気付いてない様子で、ライラちゃんの方を向きながら話の続きに口を動かした。彼女の嫌そうな顔も全く気にもしていない。
「今の聖騎士はアーサー隊長だけだ。だが、あの人は聖騎士というよりも」
やっぱり続いた!!
前回のエリック副隊長やアラン隊長へのガトリング砲のような言葉から察して、それだけで終わらないとは思ったけれど!!
せめてアーサーがエリック副隊長を連れて合流する前に言い終わってくれますように!と願いながら、私は顔の筋肉に力をいれる。ステイルからうっすらと黒い覇気が感じられ、騎士のノーマンに気付かれる前にと腕にしがみつく力を強め
「不死鳥……!!!!」
……え?
今、なんかよく分からないワードが聞こえたような。
耳を疑ってしまい、ステイルを押さえる腕の力が緩まった。けれどステイルもステイルで肩に入った力がストンと落ちる。
意味がわからずに顎が落ちたまま、謎の発言をしたノーマンから目が離せない。彼は彼で包みを持っていた手をそのまま握り拳にし、顰めていた顔にそれ以上の力を込めていた。そして私達が聞き返すよりも先に、とうとう怒濤のガトリング砲が放たれる。
「最年少本隊騎士に史上最年少副隊長に史上最年少騎士隊長……!!歴代でも稀に見る記録でフリージア王国騎士団に名を残す実績をお持ちの騎士だ。更にはあのエリートの中のエリートと呼ばれた三番隊隊長のカラム隊長の史上最年少隊長記録をも上塗った。それだけでも素晴らしい功績だというのにアーサー隊長はそれを全く鼻に掛けず、鍛錬どころか僕や新兵にだって手合わせで手を抜かない。歴代で確実に騎士団長だって超えかねない逸材の騎士だ。一年前にはハナズオ連合王国の防衛戦で素晴らしい活躍を見せて騎士団長と北の最前線の騎士を救い、あのハリソン元隊長すら下しての昇進……‼︎僕達八番隊は完全実力主義なのにも関わらずの出世がどれほど戦闘技術に優れているという証か。そして今年の奪還戦では、ッ言えない。言えないが、しかしそれでもあの人は失意の縁でもプライド第一王女殿下の為に目に光を失わず、それどころか僕らを鼓舞までしてくれ、託して下さり、最終決戦では奇跡の復活をも遂げた人なんだ……!今や誰もが認めて崇め讃える聖騎士の称号を与えられた騎士だが、だが!聖騎士の名も勿論相応しいが僕としてはあの奇跡的な復活を比喩して〝不死鳥〟と名付ける方がずっと良いと思うんだが……!騎士団長も傷無しの騎士と二つと無い名で呼ばれているのだからアーサー隊長も聖騎士とは別に〝不死鳥の騎士〟の名で呼ばれても全くおかしくはないと……」
すっごい褒めてる。
握り拳に力を込めて我を忘れるように息継ぎの間もないレベルで語り続けるノーマンは、熱が入りながらも生き生きとした笑顔だった。
なんだろうこの既視感。前世のオタク友達にもこんな感じでひたすらに自分の〝推し〟を語る子居たな〜と思ってしまう。あまりにも凄まじい勢いで話すから聞き取るだけで精一杯だけれど、少なくともこれ絶対貶していない。ひたすらにアーサーの事を語るノーマンの顔はまるで憧れのスポーツ選手を語る少年だ。……というか、これ絶対に。
ふと気になってライラちゃんを見るとすっごい嫌そうな顔で両耳を自分で塞いでいた。「それもう聞いたーーー」とうんざりしたような声で言うのを見ると、この熱弁は今日だけではないようだ。何か、……ライラちゃんが騎士やアーサーが嫌いと言っていた理由がわかった気がする。
少なくともノーマンは騎士の悪口を言っているわけではなさそうだ。ライラちゃんの苦情も耳に入らないようにアーサーの良さを語る彼は、次第にアーサーの人格まで褒め出した。「なのに全く偉そうにしないんだ」とか「僕が初めて話した時も」とか個人的な思い出話まで始めようとした時、ライラちゃんが更に大きな声でノーマンに怒鳴り出した。
「のん兄その話の時めんどくさい!ライラは騎士なんか嫌いだから聞きたくないもん!」
「ッライラ!またそういうことを……」
ライラちゃんの嫌い発言にノーマンの語りが止まる。
ライラちゃんがポカポカとノーマンに拳を振る中、彼はハッと私達が目の前にいることを思い出したようにこちらへ目を見開いた。うっすらと熱弁していた時よりも顔が紅潮している。
「のん兄その話ばっかするから嫌ーーーー!隊長も騎士も大嫌い!その話するとのん兄達ライラの話聞いてくれないしライラといる時より楽しそうなんだもん!」
ああー……、やっぱり。
つまりライラちゃんは、大好きなお兄ちゃんが騎士やアーサーの話ばかりするからヤキモチを焼いているらしい。この年頃の子だと自分の好きな相手が自分より好きなものを見つけて嫉妬するのはわりとあることだ。まさかライラちゃんのライバルがアーサーとは。
ライラちゃんが泣きそうになるくらい真っ赤になって怒ると、ノーマンも少し慌て出す。「すまない、つい」とライラちゃんの背中や頭を撫でて宥めながら、ちらちらと気にするように私達を見た。何か言いたげに視線を彷徨わせた後、片腕でライラちゃんをよしよしと抱き締めながら、反対の手に握られていた包みを私達へと伸ばして差し出した。
何だろう。持っていてくれという意味だろうかと思って受け取ると、包みの中からふんわりと甘い香りがした。
「……この前は、……君達の親戚のことを悪く言ってすまなかった。こっ、これはその、……お詫びだ」
さっきの子と一緒に食べてくれ、と言われ、返事も出来ず見返してしまう。え、これ私達に??
お兄ちゃんに抱き締められて少し機嫌が直ったライラちゃんは、ノーマンを抱き締め返しながら「今日は渡せて良かったね」と少し明るくなった声を出した。……どうやらノーマンが私達の話と言ったのはこれらしい。
「エリック副隊長も、……君達の親戚のアラン隊長も僕よりずっと素晴らしい騎士だ。たくさんの騎士にも慕われている」
僕よりも。と独り言のような声量で続けたノーマンは、言い切るまで私達に目を合わせてくれた。
言い終えてからやっと顔ごと逸らすと、ライラちゃんに合わせて片膝をついたまま私達を逆に見上げてくれる。
「あと……その、続けてで悪いんだが、……いま僕が話したことは誰にも内緒に、して欲しい。…………色々と、っ……立場が」
最後は濁すように呟くノーマンの顔が、そこで火照った。
もともとアーサー達よりは背も低めのノーマンだけど、丸渕の眼鏡を曇らせて私達に頭をぺこっと下げる姿は余計に小さく見えた。
立場といえば、いつもの毒舌の方がずっと彼の立場を危ぶむ気がするのだけれど。でもそう返すこともできずに口をあんぐり開けた私は、取り敢えず頭を下げるノーマンに向けて頷いて返す。
ステイルもどうかと思って目を向けると、完全に狐につままれたような顔で呆けていた。私から「フィリップ!」と声を掛けて腕を掴めば、毒を抜かれたようなステイルは、やっと気がついたように二度連続で無言のまま頷いてくれた。もうノーマンに対しての敵意が微塵もない。
私達からの返事にノーマンがほっと息を吐く。それから「ありがとう」と言ってくれるノーマンはすごく柔らかな笑顔だ。なんかもう、衝撃的過ぎてどう言えばいいのかもわからない。質問したいことはいろいろある筈なのに脳内でパチリパチリと弾けてしまう。駄目だ、衝撃的事実に理解が追いつかない。
「ライラとは学年は違うが、また機会があれば仲良く」
「ジャンヌ!フィリップ!お待……‼︎……ッ待たせて悪い!」
目の前にいる私達に聞こえる程度の小声で口ずさんだノーマンの言葉が、途中で打ち消される。
その途端、柔らかい表情をしていたノーマンの目が見開かれ、すぐにまた眉間に皺を寄せられた。音もなくその場から立ち上がり、声の方へと振り返る。私達も視線を向けると、守衛の騎士から許可を取ったらしいエリック副隊長がこちらに駆け込んできていた。背後にはコソコソとアーサーも続いている。どうやら私達を待たせているとアーサーから聞いて、急いでくれたらしい。
私達に向けて整えた言葉を逆に直すエリック副隊長は、私達とノーマンを見比べた。立ち上がったノーマンが丸渕眼鏡の位置を中指で直すと、そのままジロとエリック副隊長を睨んだ。
「ノーマン、お前が話し……見て、てくれたのか?」
「いいえ自分は子どもが嫌いです」
ズパンッ!とエリック副隊長の言葉を切るノーマンは、続けて「妹は別ですが」と付け足した。……あれ、嫌いな子どもにお菓子とかくれたの⁇
眼鏡の位置を直すついでのような動作で一瞬私達を見たノーマンだけど、すぐにまたエリック副隊長に向き直る。
「妹に会いに来たところでちょうど居合わせただけです。彼らがライラの相手をしてくれていたそうなので。……アラン隊長に任されているのに、子どもを待たせすぎではありませんか?これが自分ではなく不良生徒や疚しい人間だったらどうするおつもりだったのですか」
しかも僕が横切ったのも気づきませんでしたよね?と、声を低める彼はいつものノーマンだ。
エリック副隊長も正論に声がでないのか、僅かに背中を反らして口を閉じた。いや、でもここはまだ安全な校内だし、と言いたかったけれど更なるノーマンからの連打にその隙はない。
「面倒をみるならば最後までちゃんと責任持って見るべきです。ただでさえエリック副隊長も僕と同じく騎士団から特別に演習内の時間を割いて頂いているというのにそれを無駄話に消耗させるのはどうかと思います。ご家族のようですが、喧嘩するほどにお暇な方ならこの子達もあの方に任せればいいのではありませんか?エリック副隊長は自分と違って責任ある立場と役目を任せられているというのに」
やっぱりノーマンだ。
強い口調でバシバシ言うノーマンはそこで切るとちらっと私達に目を向けた。
謝ってすぐにまたエリック副隊長を悪く言うのも気が引けたのか、そこで落ち着いたように一度強く目を閉じる。「では僕は」とライラちゃんの頭を軽く撫でると、また足早に彼女から離れた。
「今日も妹に会いに来ただけなので。エリック副隊長ほどではありませんが自分も暇ではないのでここで失礼致します」
それでは、とライラちゃんと挨拶を交わしたノーマンは眉間に皺を寄せたまま足早に校門から去ってしまった。
彼の姿が見えなくなるまで放心している間、ライラちゃんは「またね!」と兄の次に私達へと笑いかけてあっさりと寮の方向へ戻っていった。ぽかん、とする中でアーサーが「何か言われました……?!」と青い顔で私達を心配してくれる。
「言われた……というか」
「…………なんとも」
エリック副隊長が声を潜めて待たせて申しわけありませんでしたと謝ってくれる中、私もステイルも口が不出来に引き上がったままだった。
目を合わせ、同時に頷く。うん、やっぱりこの事は言わないであげようと、口に出さず意思疎通する。
大丈夫です、何もなかったと言葉を返した私達にアーサーが「ん?」と声を漏らした。
「その包みどうした?」
甘い香りがする包みをアーサーが指さした瞬間、ステイルは無言でそれを瞬間移動させる。
エリック副隊長も目を向けたけど、その途端やっぱりステイルは「なんでもありませんよ」の一言で通してしまう。やっぱりノーマンからのお詫びの品ということはエリック副隊長に隠してくれるようだ。アーサーも首は捻ったけれど、最終的には早く帰りましょうとステイルが促したことでそのまま四人で校門へ向かう。
ノーマンに悪いことは言われなかったし、ライラちゃんも良い子だったとステイルと口裏を合わせながら門を通る。
エリック副隊長の弟さんのキースさんは家で先に待っているらしく、もうこの場にはいなかった。歩き、人通りが少なくなってきてからは会話がぽつりぽつりと再開されたけれど、ノーマンの事実は私とステイルも胸の内に押さえ込もうと既にここで決めていた。




