Ⅱ382.無頓着少女は戸惑う。
「大丈夫かしらキースさん……」
校門でエリック副隊長と別れてからも首だけでちらちらと振り返る。
エリック副隊長に担がれてから、キースさんはものの見事にぴくりともしなかった。耳を立ててみると時折「手帳……手帳……」と譫言のように呟いていたから生きてはいたけれど、それでも死にかけには変わらない。
エリック副隊長曰く、式典や祭りや事件の度にキースさんが睡眠不足の疲労困憊で帰ってくるのはよくあることらしい。ただ今回はそこに大事なお宝もないから余計に悪化しているだけだと。
歩いている間何度も心配するようにこっそりキースさんに触れてみては顔色を覗き込んでいたアーサーも頻繁に背後を振り返っている。
キースさんを軽々と担ぎながらずっとげんなりとした顔で歩くエリック副隊長は、家を出たときの三倍は疲れていた。すれ違う生徒達も憧れの騎士様が成人男性を担いでいる姿に誰もが振り返っていた。多分、このまま城に戻る前に一度ご自宅までキースさんを運んでいくのだろう。
優しいお兄さんがいてキースさんは本当に幸せだなと思う。むしろエリック副隊長がお兄さんだから弟さんもあんな優しい人といえるだろう。一度真ん中の弟さんにも会ってみたい。
「大丈夫でしょう。いつものことだと言っていましたし、キースさんもあと三日の辛抱です」
首だけ動かして振り返っていたステイルが眼鏡の位置を軽く指先で押し上げる。
それよりも今はこの後のことを考えましょう、と正面を向く彼に私とアーサーも頷く。これから私達はカラム隊長と合流が待っている。
自然と早足になれば、アーサーもステイルも合わせてくれた。騎士団演習場から早出してまで付き合ってくれるカラム隊長を待たせるわけにはいかないと、中等部の棟まで辿り付けば昇降口から階段も走らない程度に急ぐ。途中にクラスメイトからの挨拶に返しながらも足は止めないように意識する。三限後はまだしも、この一限前の教室巡りはなかなか機会を逃すことが多い。現に今だって残っているノルマは一限前の時間帯ばかりだ。
特別教室は一クラスだけだし、欲をいえば今日のうちにもう一つ二年か三年の学年もパパッと三度目確認をしてしまいたい。三年はセフェクを避ける為に慎重に動かないといけないからそうなると二年の……
「あ!いたいたジャンヌ‼︎」
……まさか。
二年の階に辿り付いた時だった。階段を上がって廊下に出た途端聞き慣れた声をかけられる。さっきまでの「おはよう」の挨拶を飛ばしたジャンヌ発見発言に姿を確認する前からギクリと肩が揺れる。そうだあの子はそういう子だと思考が頭に過ぎりながら目を向ける。
ツンツン頭の金髪と狐色の眼差しが私達の教室前から堂々と私を指さして立っていた。身の丈に合ったリュックを背負い、額にゴーグル手にはグローブの少年。ネイトだ。
一瞬緩みそうになった足をそれでも前へと動かしネイトと距離が縮ます。おはよう、と声を掛けたけれど彼からの返事は「おせーよ」だけだ。
「また勉強みろよ。昨日も全然わかんなかったし」
「ご……めんなさい、ネイト。実は今朝は用事があって……」
予想通りの依頼に頬を指先で掻きながら断れば、直後に「はぁーーー?」と不満の声が上がった。
廊下に響くほどの大声に周囲の生徒も振り返る。廊下でまで注目を浴びるなんてと慌てて目が泳ぐ。
昨日、ネイトに勉強を教えたけれど進み具合的にもリトライ来そうだなとはちょっと思っていた。でもちゃんと念押しで今回特別と断ったし、流石に断った昨日の今日で来ないわよねと高をくくっていたのだけれど。……うん、ネイトがこういう子だということはわかっていた。
「おーしーえーろーよー!」
「僕らは今日先約があるんです。それにネイト、昨日きちんと伝えた筈ですが」
知らねぇし!と子ども特有の言い返しがステイルへ返ってくる。いや絶対言った!ネイトも間違いなく返事したわよね⁈
ステイルからの窘めも突っぱねるネイトは、グローブの手で私の右手を取った。良いじゃねぇか!と言いながら私達の教室まで当然のように引っ張っていくネイトに取り敢えず続く。どちらにしても教室に一度荷物を置いて席を確保しないといけない。
クラスからいつもの私達が座る席まで引っ張ったネイトは、向かいの席にドンと音を立てて座った。リュックまで下ろしてノートとペンを取り出そうとするネイトに、なし崩しになる前にと席には座らずもう一度「ごめんなさい」と早口で断る。
「今日は駄目なの。教室にも荷物を置きに来ただけで……この後カラム隊長と約束が」
「カラムが?」
ぴくっと。
リュックから荷物を取りだそうする手を止めるネイトの目が変わる。アーサーから「〝隊長〟です」と指摘が入るけれど眼差しは私へ集中したままだ。
短く二度頷き「そうなのよ」と言いながら一歩下がる。アーサーが私達の荷物をそれぞれ置き、これ以上待たすまいと退室に動く。今度はネイトも教えろコールは上げずに無言で取り出しかけた荷物を再収納してリュックを閉じた。手早く背負い、ぴょんと席から両足で音を立てて立ち上がる。
「俺もいく」
またもや決定という口調で言うネイトに、短く声が漏れた。
いえ、それは、大した用事じゃないからと慌てて断ろうと言葉を紡ぐけれど完全に無視される。もう行く気満々のネイトは私達より先に教室の扉へ向かいました。勉強したいなら私達に付き合うよりも教室で自習か職員室で教師に聞いた方が良いんじゃない?とも言ってみたけれど「やーだ」とやはり一言で断られる。
ネイトの背中を追いかけるように扉へ向かいながら、ステイルとアーサーに目を配る。
アーサーは口を結んだまま何とも言えない表情で見返してきたけれど、ステイルからは溜息交じりの頷きが返ってきた。仕方ないですね、と言われずともわかる。この場で勉強会だと粘られるよりは、カラム隊長との約束を果たす方が大事だ。
私からも頷きを返し、アーサーともう一度目を合わせれば「俺が見ておきます」と了承の動作と共に返された。貴族ばかり居る特別教室の階にネイトを連れて行くのは色々と心配だけど、仕方が無い。十三歳を相手に、まるで子ども連れで高級レストランに向かうような心境になってしまいながら私達は四人で特別教室へ向かった。
行き先を伝える私達にネイトもなんでそんなところにと首を捻ったけれど、「貴族しかいない教室だから見ておきたくて」とステイルがそれらしく理由をつけてくれる。
「ただ、万が一にも貴族の生徒に目をつけられたら大変ですし追い出されるかもしれませんから。なのでカラム隊長にお願いして特別に見学に同行して貰うことになりました」
「?なんで目ぇつけられるんだよ。別にカラムいなくても普通にしてりゃ良いだろ」
「カラム〝隊長〟です。……特別教室の階は貴族しかいないンすよ。服装からして違うンで俺らだけ歩いてたらすっげぇ目立ちます」
「ジャックの言う通りです。特にジャンヌは人の目を引きやすいので」
だから貴方も大人しくしていて下さいね。と改めてステイルが注意を喚起する。
階段を一段一段上りながら、最前列から今は先導する私達についてネイトも後列に下がっている。振り返ってみると、大きさ相応に膨らんでいるネイトのリュックをアーサーが無言でそっと上から重くないように持ち上げてあげていた。もう最初に会った時みたいにがっつり詰まってはいないサイズだけれど、やっぱり登り階段では重そうに見える。アーサーには軽くても小柄なネイトには少なからず重量だ。
「ジャンヌが?」
アーサーの気遣いには気付いているのか気付いていないのか、前方を登るステイルからの言葉にキョトンと目を開くネイトは視線を私に変えた。
ステイルの容赦ない言葉にも今は私もぐうの音が出ない。実際色々このひと月にやらかしている私は、これ以上目立てない。ただでさえレイの特別教室でもあの時は人がいなかったとはいえひと暴れした後だ。まだそこまで顔は割れていなくても、実はそれ以外も二度カラム隊長と一緒に特別教室を覗いている私は印象も残りやすい。できることならば残り三日くらい安全安心に何事も無く過ごしたい。
はは……と枯れた声で苦笑してしまう私に、ネイトはちょっとだけを眉を寄せた。そのまま段差を登りながら自分の額へと手を伸ばす。
「じゃあこれ使えよ」
???
すぐに察することはできなかった中、ネイトは額にかけていたゴーグルをおもむろに指をひっかけ外し出した。
登りながらは危ないっすよ、とアーサーがしっかり彼のリュックを掴んで支える。
片手で外したゴーグルを握ったネイトはそれを真っ直ぐに私の方へと突きつけてきた。私も一応手摺りを掴みながら足を止め、ネイトの突き出すそれを受け取る。今までずっとネイトが額に取り付けていたゴーグルだ。
正直、額に飾ってあるだけで彼が目に掛けているところはあまり見た覚えがない。まさかこれを目に掛ければそれだけで変装の代わりになると言いたいわけではないとは流石にわかる。他でもないネイトの愛用品、そして彼の所有物であるならば恐らく……
「ありがとう……これも、発明⁇」
「当たり前だろ」
まさかのこんなところにも発明グッズが‼︎
あっけらかんと言うネイトに思わず口元が笑ってしまう。頭の中で、ゲームでも額に飾っていたゴーグルにそんな設定あったかしらと考えたけれど思い当たらない。少なくとも私の記憶では触れられていない。普通に発明家っぽさを出す為の衣装だと思ってゲーム中もスルーしたままだった。
一見、ただのゴーグルだけど……と思いながら、ベルト部分に触れた。ネイトの頭のサイズに調整されているけれど、今の私でもちゃんと調節すれば使えそうだ。ボタンや仕掛けはなさそうだと色々な角度で確認する。目にあててもサングラス効果はなさそうだ。
階段を昇りきり、取り敢えず特別教室階の踊り場で一度足を止めて端に寄った。
「ええと、これはどんな効果があるのかしら⁇」
伯父の一件の時にはネイトのゴーグルは割れていたし、つまりそれ以降の物ということになる。
首を傾けながら尋ねる私に、ステイルとアーサーも両脇に立って覗き込んだ。二人にもパッと見のしかけは分からないらしい。
「掛けている間だけ地味になる。知ってるやつにも気付かれにくくなるし。でも一回掛けたら外すなよ」
一回分なくなるから。そう教えてくれるネイトの言葉を聞きながら「気付かれ〝にくい〟」ということは全くというわけではないんだなと考える。それでもまたもや犯罪に有益そうなグッズに胸中どきどきしながらベルトを調整する。まぁ透明人間になるわけでもないし、つまりは地味になるだけということよね⁇
何気に初めて使うネイトの発明を慎重に取り付ける。よくよく考えると校内でゴーグルをかける女子って妙だけれど、視界は良好だし目立たないなら良いわよねと思い直すことにする。今こうして目の前にいる相手にはどう見えているのだろうかと、ゴーグルを装着してすぐ三人を見回した。
どうかしら?と尋ねてみるけれど、ステイルもアーサーも同じ方向に首を捻ってしまう。
「……ジャック、お前はどう見える?」
「何も……。格好はお似合いですけど、普通にジャンヌに見えます」
「気付かれ〝にくい〟って言ったろ。最初からジャンヌってわかって見てたら意味ねぇよ」
効果無しと言わんばかりの二人に、ネイトがむっと唇を尖らせる。
彼の説明によると、すれ違う際とかなら知り合いでも個人が認識しにくく〝印象を捉えにくい人〟になるらしい。
私達の知り合いがすれ違って私一人なら気付かなくても、ステイルとアーサーと一緒に居ればセットで私だと気付けてしまう。私とわかって見れば効果もない。完全変装しても二人と一緒にいたり、声をかけたりしたらティアラもジルベール宰相も私だとわかるのと同じということだ。
つまりは、感覚的には帽子にサングラスにマスクにロングコートで歩くような状態になるということだろうか。
集団の中で紛れる分は目立たないから丁度良い。すれ違ったり通り過ぎる時には特に効果発揮するだろう。
…と、概要は掴んだけれど、まだ効果立証していないといまいちわからない。
「そもそも貴方はどうしてこのような発明まで作ったのですか」
「伯父、……これ掛けてたらどこ歩いてても知り合いに気付かれねぇし。学校でもその、……授業抜ける時とか空き教室探す時とか使えたから……」
ステイルの疑問に答えながら、目がそろそろと泳ぎ出すネイトに納得する。
学校のサボり用と聞けば、どうりで今まで誰も教室からの逃亡を止められなかったわけだ。カラム隊長しか捕まえられなかった理由の一つを理解する。そういえば私達もネイトをクラスの前で張り込んでいてもアーサーすら気付かなかったし、……レイの椅子を蹴飛ばした時もそれまで誰もネイトのレイ接近にすら気付かなかった。
よくよく思い返せば、彼がゴーグルしていたのを見たのは空き教室にこっそり潜んだ彼を発見した時だ。
でも、最初に言い淀んだところも考えるとゴーグル第一作目を発明した時は自衛の為だったのかなと思う。
これがあれば家の外を歩いていても通り過ぎるだけなら叔父にも気付かれない。玄関前で張られていない限り、通学中もうっかり伯父に発見される心配はない。……外でネイトを見つけられないから伯父も、ネイトを家の中で待ち構えていたのかもしれない。
なるほど……と言いながらもまだ実感のない私はぼやけた声になってしまう。ネイトの発明なのだから効果は間違いないのだろうけれど、特別教室にはもう知り合いもいないから使ったところで大して実感はしにくい気もする。でも、これで特別教室の生徒に注目される心配がないのならすごくありがたい。
ぎゅーっと眉間を寄せて視線を私達から顔ごと横に向けるネイトに、ゴーグルの端に手を添えながら改めてお礼を言う。
「ありがとうネイト。すっごく助かるわ。ありがたく使わせて貰うわね」
「一回ジャンヌだけで試してみろよ。俺らここでこっそり見てるから」
いやだから特別教室にもう知り合いはいないのだけれども……、と思った矢先に気付く。
ネイトが顔ごと背けたその視線の先に、特別教室の廊下に今は誰がいるのかを。
気付いたアーサーとステイルも一気に顔を引き攣ったように強張らせる中で、私も思わず口の中を飲み込んだ。うっかり逃げ腰に貴重なゴーグルを外しそうになる指にぐっと力を込めて握る中、ネイトは悪戯心満載の笑みで続けた。
「カラムで」と。
私達の心境なんて知らずの様子で言い切るネイトに、今度ばかりはアーサーも訂正する余裕がなかった。
Ⅱ143-2.183
Ⅱ180.196.284




