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フリージア王国備忘録<第二部>  作者: 天壱
無頓着少女と水面下

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そして追い詰められる。


「どうしてくれる⁈武器なんざ持ってねぇ丸腰だって言ったのはテメェだろ‼︎余計な手間取らせやがって‼︎

「ごっめんなさい!ごめんなさい‼︎だってあんな子が隠し持ってるなんて思わなッいっっったい‼︎」


言い訳の途中で再びぐいと引っ張りあげられる。

根元から皮まで剥がされるんじゃないかと思うほどの強さと容赦なさに、流石の彼女も涙が滲んだ。軽い身体ごと髪単体だけで持ち上げられ、つま先がかろうじて地面につく。

痛い、痛い、許してと何度叫んでも男は手放す気にはならない。とっくに彼女のことなど見限っている。欺された側のケメトの方が「やめてください!」と決死に声を張った。


もともと、話に乗ったのも簡単に、すぐ、フリージア王国の人間が手に入ると聞いたから。少しグレシルの前戯に付き合ったら少年を縛って馬車に積んで人身売買に売るだけだった。追ってきた男達ももともとは上手い話を聞いたから甘い汁だけ啜りに来ただけである。それなのに三人も仕事が暫くできなくなった。

ケメトが寝ている間に、彼の持ち物を奪う暇などいくらでもあった。それを武器を持たせたまま起きるまで転がしていたのは他でもないグレシルである。


「ごめんねごめんなさい‼︎ちゃんとお詫びするから!ねっ?ほらっ、今夜はたくさん好きにしていいから‼︎良いでしょ⁈いっぱい頑張るから‼︎けっ、怪我とかしちゃったらお兄さん達も私で楽しめなくなるし……‼︎ケメトを売れば治療費払っても余るくらいいっぱい稼げるから‼︎この子特殊能力者らしいの‼︎」

痛みに耐えながら必死に媚びへつらう顔で笑い掛けてみせる。

最後にはこの場を凌げるならなんでも良いと苦し紛れを吐く。ケメトが特殊能力者だなんて話は一度も聞いたことがない。グレシル自身ケメトなんかに特殊能力があるとは思わない。しかし特殊能力者じゃないという証拠もなければ充分この場の空気を変える材料になる。

なっ、と男達全員が一瞬だけでも注意を役立たずから獲物へ変える中、ケメトもそれには表情が止まった。

グレシルには一度も自分が特殊能力者なんて言っていないのにどうして知っているんだろうと純粋に疑問に思う。


「本当‼︎本当に言ってたの‼︎その子が言ってたもの‼︎」

だから許して‼︎とその間も髪の激痛と闘いながら命乞いをする彼女の声がまた響く。

ぶちぶちと数本どころか小さな束ごと抜ければ血も僅かに沁みた。あまりの痛みに歯を食いしばり、それでも自分だけは助かろうと彼女は叫ぶ。

だから許して、いい仕事したでしょ⁈と何度も繰り返し続ける彼女にとうとう耳障りになった男は地面へ叩きつけるようにして手を離した。つま先達から開放され、放られた方向にそのままバタッ!と倒れ込む彼女はすぐに地面に手をつき身体を起こした。痛みよりも遥かに自分の安否が確保されたか確かめたい。

しかし、顔を上げられたのもつかの間に今度は背中から泥のついた靴で踏み倒された。


再び甲高い悲鳴を挙げたが、止めに入る人間は誰もいない。

そのまま倒された身体の上に男の太い足が押しつけられればもう動けない。ケメト一人が制止の声と共に駆け出したが、か細い腕を何なく男の一人が掴み止めた。

右手を掴まれ、グレシルの髪のように背丈以上の高さまで持ち上げられればそれだけで宙づりだ。丸腰の子どもなど怖くも無い。

必死に自分を助けようとするケメトのことよりも、自分のことで必死なグレシルは「やめて」よりも「お願い」「許して」と今にも言い渡されるだろう言葉を浮かべては喉を張り上げる。しかし、男達の意見は全員一緒だった。


「なぁに、()()()()ちゃんと可愛がってやる」


とうとう落とされた決定的な言葉に、グレシルから言葉にならない悲鳴が上がった。

当然だ。今までもグレシルの目の前でこうやって売られていく人間はいた。

売ると言われたらもう取り返しはつかない。何を言ってもどんな交換条件を言っても〝売る〟と決めた相手にそれ以上の価値を提示できることなど稀有。彼女もまた出し切った後だ。他国の奴隷ならともかく、フリージア王国の奴隷は最も高値がつく。下級層の少女が何夜かけでも代替わりできる金ではない。

踏みつけられたまま、針が刺された虫のように手足をジタバタさせる彼女はこの場の誰よりも滑稽だった。

武器も手放し丸腰で棒立ちになる少年よりも、今にも逃げだそうと暴れるグレシルを先に縛り上げようと近くの仲間が縄を取り出す。布を用意もなく、最初に太い縄を彼女の口に噛ませれば背中が反るほど力を込め彼女は叫んだ。しかし口を塞がれれば、大して劈くこともない細い音だ。

小柄な少年よりも遥かに嬲り甲斐のある彼女に、完全に縛り上げようとする前に別の男が後ろ首の襟に手を掛ける。着古されたボロ布でできたそれは、男が少し力を込めて引けばビリリと激しい音で難なく破れちぎれた。

もう何度も遊び味わい尽くした少女の肌だが、こうして抵抗されるのは初めてだと楽しみ嘲る。背中の肌が露わになった彼女に「やるか?」「馬車まで待てねぇのかよ」と涎の垂れそうな口で互いに笑い合




「殺しちゃうかもって言いましたよね?」




サクッ。

あどけなさの残る平たい声と共に、確かにその音がグレシルの耳に届いた。グアッッ⁈と直後には男の叫びと同時に自分の背中が一瞬で軽くなった。

涙で視界もぐちゃぐちゃの中、拭うよりも先に素早く手足をついて這い出し立ち上がったグレシルは脇見もせずに距離を取る。

前方にはまだ仲間が壁になったままで逃げ場も無いが、誰一人彼女を取り押さえようとしなかった。口を開け目を見開いた彼らの視線の先に、彼女も釣られ振り返る。

丸腰だった筈のケメトが、またその手にナイフを握って振るっている。

更にはグレシルを足蹴にしていた男の足にもナイフが半分まで突き刺さり、今は彼の方が地面にじたばた痛みにもだえ転がっている。ケメトを宙づりにしていた男も、グレシルが振り返った時には血の滴る右手を押さえ背中ごと丸めていた。

このガキ、とまた別の仲間がケメトを取り押さえようと背後から腕を振り上げたが、宙づりにしていた腕を裂いたナイフを腹に放たれる方が先だった。ブスリと自身の身体へ異物が刺しこまれる感触にガラついた声を上げ、振り上げた腕ごと仰向けに倒れこんだ。

手が空になったと思ったが、次の瞬間にはまた嘘のようにケメトの手には血の付いていないナイフが握られる。ほんの一瞬で手からナイフを表出させているように見えるケメトに、まさか本当に特殊能力者だったのかとグレシルが思ったその時。


「グレシル‼︎」


男達から距離を取ったケメトが、今度は振り返る余裕もなく声だけで彼女を呼んだ。

足取りだけは悪く、パタパタと危なげに後退してくるケメトにグレシルも縋る思いで再び背中についた。逃げ場所がないのは変わらない今、唯一の安全地帯は彼しかいないと冷えた指先を握りながら感じ取る。

ぴったりと背中についたグレシルに、ケメトは両側の男達へ視線を交互に配りながら壁の方へ後退る。グレシルを壁に近付けながら死角がないように右手だけでなく左手も構えれば、そちらの手にもナイフがあった。


「次来た人は目を狙います。外れたら首に刺さるかもしれません」

近付くなと意思を込めた二度目の牽制に、男達は安易に動かない。

足下で転がり傷に呻く仲間にも目すらいかない。ケメトの背後にいるグレシルももう使えない今、傷が嫌ならまた膠着状態しか道は無い。

グレシルはガタガタと顎まで震える中必死に壁に背中をつけてへばりつく。逃げ場を必死に探すがどこにもない。このまま壁まで下がれたとしてもさっきのように足場になる踏み台もなければ、壁自体が建物で乗り越える先も届くような高さに窓もない。

逃げ場所も方法もない今、数だけでいえば男達の方が優位なのは変わらない。更には身構える男の一人が「いくつ隠し持ってやがる⁈」と叫べばやっとグレシルも現実に気が付いた。特殊能力でもなんでもない、さっきまで放たれたナイフは最初と同じく全て彼が小さな身体に隠し持っていただけである。

ケメトが武器を隠し持っているなど思いもしなかった彼女は、最初から持ち物の確認などしなかった。手にも首にも何もぶら下げず、服も内ポケットのありそうな服ではなかった。しかし服の下に身に着けるか隠し持っていたのなら納得もいく。

だが既に六本は使い捨て、更には両手に二本ナイフを携えている少年が小さい身体にあと何本隠し持っているかなどたかが知れている。


「大丈夫ですかグレシル?今度は離れないでくださいね」

言われても、安心などできない。

隠し持っているナイフなど残すもたかが数本。場所も相手も数も全てが悪過ぎる。こんな子どもが自分を守り切れるわけがない。

自分が原因でありながらも逃げられないその事実に、グレシルは震える指ごと爪をたてて握る。釣り上がった目を、男達ではなく守ってくれているケメトに向ける。


「ッッあ、アンタの所為よ‼︎アンタが、アンタがあんな奴ら選んで思い通りにならないから‼︎あのまま大人しく捕まっちゃえば私まで巻き込まれなかったのに‼︎アンタが!アンタの‼︎」

キッと濡れた瞳を怒りに燃やしながら、的外れな責任を彼へと浴びせる。

いつ殺気立った向こうが飛びかかってくるかわからない今、彼女へ振り替えれないケメトは耳が壊れそうな金切り声を顔だけ顰めてただ聞いた。耳を塞ぐにもナイフで両手も使えない。

「ごめんなさい」と嵌められた側のケメトが弱々しく彼女に答える。しかしそれでもグレシルの怒りは収まらない。本当はもっと、自分が絶対有利な時に浴びせてやる筈だった言葉を思いつくままに今叫ぶ。


「よく見なさいよ‼︎誰がアンタを助けてくれるの⁈何が格好良いよ強いよ優しいよ‼︎結局肝心な時には助けてなんかくれないじゃない!四六時中へばりついてなければ何もしてくれない相手に期待して馬鹿みたい‼︎アンタなんか最初からヴァルにもセフェクにも捨てられて当然よ‼︎これだけの数がいても助けてくれると思う⁈じゃあ助けて貰いなさいよ!本当にそいつらが良い人なら汚い奴隷になって金だけかかる商品になってそれでももう一度買ってもらってみなさいよ‼︎絶対誰だってアンタを見捨てるわ‼︎」


ケメトの持つナイフよりも鋭い言葉で何度も何度も激しく刺す彼女は、自分でももう訳が分からなくなっていた。

怒鳴りながら髪を左右に振り乱し、顔にかかった髪が泥と汗と涙で濡れる顔にへばり付いた。地団駄踏んでは血が上りすぎて滲んだ視界がチカチカする。

いつもの彼女とは想像がつかないほど歯を剥き顔を険しく歪め、唾が飛ばして怒鳴り散らし、しまいには唯一の壁であるケメトの背中を両手を振り殴った。

本当は優位の笑みでそれを全部言う筈だった。指を差し、嘲笑いながら高い位置でそう言ってケメトが絶望に染まり泣きわめくのを眺める筈だった。馬車に積まれた彼に鼻歌交じりに手を振る筈だった。

なのにどうしてこうなったのかと、小さな背中にやつ当たることしかできない。彼女の思う以上に弱い背中はそれだけで骨に響くほどの激痛をケメトに与えたが、それでも彼はそこから動かない。手のナイフを彼女に向けようとも思わない。


「……グレシル。僕、はヴァルがグレシルにとっても良い人だなんて思ってませんよ」

痛みに耐えながら、目を開き彼女に応える。

はぁ⁈と半狂乱になった彼女が倍以上の声で怒鳴ったが、ケメトはそれでも落ち着けた声で彼女に返す。


「だけど、大事な人なんです。〝良い人〟なセフェクと同じくらい大事で、僕らにとっては家族なんです。……もし、この人達みたいに弱い者いじめをしたことがあった人でも」

視界に男達を捉えながら独り言のようにそう続く。

彼らには言っていない。その答えは全てグレシルと、そして自分自身への返事なのだから。

何度グレシルに嘯かれても唆そうとされても、彼の答えは〝あの日〟から変わらない。


「もし、罪も無い人を何人も殺したことがあった人でも」

ケメトは知っている。

最初にヴァルが自ら話した時はまだ幼い子どもだったが、その後もヴァルもセフェクも隠しはしなかった。それでもケメトにとってヴァルへの感情は変わらない。過去に犯してきたことが自分達が知っているだけでもどれほど酷いことで、怖いことで、許されないことだとわかっても。


「もし、人を大勢売ったことがある人でも」

目の前の彼らと変わらない。むしろもっと深いところまで関わっていた。

いま、自分やグレシルがされたような真似をヴァルも昔やっていたことも知っている。セフェクもそれを知った上で彼といる。そして自分もそうである。

学校で法律の授業を聞いて、人身売買が重く酷い罪だと知った後も変わらない。

新しくできた友達にも、家族や知り合いが人狩りや人身売買に遭った友人も下級層では少なくなかった。誰もが口を合わせて裏稼業も人身売買も恨んでいる。それでも、変わらない。


「もし、前科者で」

気が付けば言い出した時も穏やかな声だった。

今だってこうして自分が武器を向ける相手に、何か運命が違ったらヴァルがいたかもしれないとケメトもわかる。

背後に隠れているのがセフェクで、いつかグレシルが言ったように昔の子どもだった自分達を助けてくれたのがヴァルではなく別の前科もない〝良い人〟だったらと、グレシルの毒の言葉に一度も考えなかったわけじゃない。

他の中級層の子達みたいに「両親」と呼べる人に拾われて温かい家で平凡に暮らす日々もあったかもしれない。

ただ、もしそんな生活をくれる人が居ても今の自分は変わらずヴァルを絶対選ぶと思う。

変わらず人を殺す武器を両手に構えながら、男達を視界にいれてケメトは仄かに笑う。その笑みを目にするのは背中に隠れ喚くグレシルではなく、自分達を狙う裏稼業だけだ。

目の前にいる彼らのことも出来れば一人も殺したくないとケメトは思う。他でも無い大事なセフェクとヴァルが自分にそうして欲しくないと思っているから。

視界の裏で彼が思い返すのは彼らでも、グレシルでもなかった。

遠い遠い昔の記憶。今の彼らみたいな男に捕まって、暗くて狭い檻に閉じ込められた。人身売買に捕まることもケメトにとっては今回が初めてではない。

こんなに必死に抵抗しなくても、もし自分一人が捕まってもきっとすぐに見つけて迎えに来て貰えるとケメトは思う。何故なら自分が昔から大好きで、強くて、優しくて格好良い彼は─































()()()()()()()()()大罪人だったとしても」





































「……アァ?テメェら何してやがる」


地が割れ、翻る。

誰もが目を疑う間もなかった。


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