そして次へ行く。
「早朝から何を真剣に図書館へ急いだかと思えば‼︎」
「枯れてしまってからでは遅いだろう⁈」
「ランス、セドリック少し落ち着こうか。ほら、彼女も困っているから……」
兄弟喧嘩を始める二人に、ヨアンもとうとう仲裁に入る。
二人の肩にそれぞれ手を置きながら、細い眉を垂らして落ち着けた声をかけた。こんな喧嘩の仲裁なんて久々だと思いながら、最後に女性を視線で示せば二人も口を閉じて向き返った。
兄弟喧嘩は慣れたものだが、一般人しかもフリージア王国の民に迷惑をかけることは彼らも避けたい。
すまなかった、失礼したと短く謝罪された女性は大きく背を反らし首を横に振った。とんでもございません!と笑顔を作りながら、セドリックが並べ立てていた花の情報から思考をやっと回す。花冠などそれこそ店でも商品外だが、彼女自身はそれなりに心得はある。
畏れ多いですが……と、王族に対しての言葉遣いに重々注意しながらセドリックから改めて花冠の形状を確認した。
枝かもしくは金具など無機物の骨組みに生花が添えられているだけか、それとも他の花や植物の茎などを使用して編み込んだものか。実物が手元になくても詳細に記憶するセドリックが間違いなくそして慎重に質問に答えれば、彼女もほっと肩から力を抜いた。
大束の茎を使っているとはいえ、水分量の多い腐りやすいものとは違う。これなら保管方法さえ上手くやればドライフラワーかもしくは押し花として残すことができると判断した。
王都で一番の花屋であれば植物の長期保存に適した特殊能力者の噂もあった気がしたが、ただの噂も口にできず今は自分にできることを選ぶ。
一般の花屋である女性の説明を、セドリックは一字一句漏らさず記憶する。
ドライフラワーなら一度花と冠部分を分解する必要があると言われた時は戸惑ったが、それでも代わりにその後は安心して手元に置けると思えば決意も決まった。説明する女性もまさか目の前で真剣な眼差しをする王子が自らそんな手間のかかることをするわけはないと思いながら返答していく。自分の専門内の話題ならば王族相手にも比較話しやすい。
ドライフラワーの場合、押し花保存の場合、そして生花としての花冠が維持できる目安期間まで一通り説明を終えてやっと、セドリックも満足した。「承知致しました」と言葉を返しながら、これで大事な品を手放さずに済むと安堵する。
「心より感謝致します。お陰で大事な品を手元に置いておくことが叶いそうです。何かもしお困りのことがあれば、何なりと私の元へお尋ね下さい。必ず力になるとお約束しましょう」
「いっ……いえ⁈はい!あ、あああありがとうございます……‼︎」
「お名前は?」「リビー・ワーナーです」と、流れるように彼女の名前を絶対的な記憶能力に刻むセドリックにもう兄達は呆れしか出ない。
整った顔立ちを遠慮無く至近距離に近付け、女性の顔色が明らかに茹だっていることにも笑みだけで返すセドリックは昔と変わらない。唯一の救いは以前のように気安く女性の手を握らなくなったことくらいである。
懇切丁寧な感謝を綴ったセドリックは、クラつく女性に店頭に纏められていた花束一つと引き替えに代金を握らせその場を去った。
「釣りは感謝料です」と言われても既に熱中症のように正常な判断がつかない女性は握らされたのが金貨であることも、フリージアの金貨より数倍価値があるハナズオのものだということにもまだ気付かない。
「全くお前は……。ティアラ王女のこととなると」
「プライド第一王女殿下相手でもきっと同じだよランス」
「ッ仕方があるまい⁈水に生けることもできぬ花などいつになれば枯れてしまうかもわからん!」
馬車へと踵を返す弟に、ランスもヨアンも片手で頭を抱えながら続く。
パーティーでは立派に王弟そして郵便統括役としても大勢の目に映ったセドリックだが、一枚剥がせばこれである。昨日もティアラから花冠を受け取った後は放心し、花屋の女性より茹だりきった彼を宮殿まで回収した二人は残念なような安心したような気持ちになってしまう。
セドリックが立派になってくれることは間違いなく嬉しいが、こうして昔と同じように頭を抱えさせられるのも彼が昔と変わらず弟だなと口には出さずとも胸の中で思う。
花束を片手に、集まった民へ手を振るセドリックは張る声こそ威厳を交えて「良い花屋だった」「彼女の店で皆も買ってくれ」と語る姿は王族らしいが、実際は好きな女性からの贈り物の保存方法を聞きに来ただけである。
今度こそまともな場所に案内してくれるのだろうかと思いながら彼に合わせて民へ手を振るランスとヨアンも若干の不安は拭えない。セドリック一人が満足した面持ちで最前列で並ぶ民から低い位置の子ども、そして遥か後列から手を伸ばして振ってくれる民へと清々しい気持ちで振り返した、その時。
「……ケメト殿?」
ぴくり、と振った手と同時にセドリックの足も止まった。
自分へ手を振る遥か後列の更に向こう、古びた壁をよじ登る少年を注視する。
視界に捉えられるだけの小さな姿だが、絶対的な記憶能力を持つセドリックには間違いなく照合できた。ヴァルやセフェクも一緒かと思ったが、少なくとも自分の視界に二人のどちらの影もない。代わりに居るのは、セフェクとは似ても似つかない少女だった。
登ろうとするケメトを壁の上から引き上げようと手を伸ばす少女に、セドリックも記憶を照合するが覚えがない。初等部の生徒だろうか、と簡単に結論づけながら思考を巡らす。
どうしたセドリック、と尋ねてくる兄達に指を差して示すが、二人には似ている後ろ姿とは思うが同一人物とまでは判断がつかない。しかしセドリックが言うならば間違いなく本人なのだろうと考える。
「お友達かな。一人なんて珍しいね」
「確か、配達人と同行する少年だったな。共にいるのは姉の方ではないのか?」
いや違う……と口だけを動かしながら凝視するが、その間にケメトも壁の上に乗り上げた。
少女の方が壁の向こうへ降りれば、ケメトも追うように体勢を変えた。一度だけこちらに正面を向けたと思ったケメトは、そこで初めてセドリックに気が付いたように大きく手を振った。
あまりに陽気な大きな手の振り方にセドリックも虚を突かれたまま高く伸ばした手で振り返した。やはりケメトだった、と確信を持ちながら壁の向こうに消えていくまでその姿を見届けた。
フリージア王国の城下の地図も頭に入っているセドリックは二人が超えていった壁の先がどこに繋がっているかも記憶している。何故ケメト殿が……?と思いながらも、女性と二人で出歩いているのを追うのも野暮だとそこで視線を馬車に戻した。
「それでセドリック。次は何所に案内してくれるつもりだ?」
「ここから近いのかな」
馬車へ乗り込む前に集まってくれた民と握手を交わしながら問い掛ける二人に、セドリックも「すぐそこだ」と明るく返した。
私用が花屋だっただけで、彼らに案内したいのは別にある。最前列から子どもまで「お会いできて光栄です」と手を握り返しながら言葉を掛けるセドリックは、何度か民の隙間から顔を覗かせた少年少女にも手を振った。
ダーラ、ブライアン、ハンフリー、と次々呼んだ名前は全員学食で一度は名前を尋ねた生徒である。一度しか会話をしていない王族に名前を呼ばれ、喜びよりも悲鳴か声が出なくなってしまった生徒達に「またプラデストで会おう」と声を掛けてからやっとセドリックは兄達と共に馬車へ乗り込んだ。
扉を閉められ、窓から手を変わらず振り返したところで「何所だい?」とヨアンが再び尋ねた。
既に花屋という選択をしたセドリックに、次にまで間違いがないようにと念を押して確認してしまう。城を出た時は全てセドリックに任せて良い気がしていたが、今は二人とも若干の不安があった。あくまでセドリックが勉強し完璧なのは王族としての振る舞いと勉学だけであることを思い出す。そして
「実は兄さん達に会って欲しい者が居てな。昨日話した体験入学中に知り合った双子とその姉だ」
待て、と。
直後に兄二人から同時に声が上がった。
待て、待ってくれと重なった声だがセドリックは綺麗に聞き分けた。きょとんと目を丸くするセドリックに、二人は畳みかけるより前に背中を丸くして息を吐く。
馬車に乗り込んでから聞いて良かったと思いながら一度互いに目を合わせ、そしてセドリックに照準を向けた。
セドリックの体験入学は二人も聞かされている。そこで友人と呼べる生徒と知り合ったことも、優秀なその少年達を将来的に国際郵便機関で補佐にしたいと考えていることも、その為に体験入学後は使用人として雇うことも昨日のうちに聞かされている。しかし
「セドリック……、まさか彼らの家に直接向かうつもりかい?彼らから許可は取っているのかな」
「?いやまだだ。留守ならば引き返すが、学校が休みの日は基本的に家で勉学に励んでいると話していた」
「王族に突然訪問される相手の迷惑も考えろ馬鹿者」
ヨアンへの返答に、もう予想はついていたと言わんばかりに腕を組むランスは馬車の外に漏れない程度の声で切った。やはり先に尋ねておいて正解だったと思う。
セドリックだけは二人の言葉にわからないように首を捻っている。初対面や親しくない相手や目上の相手に対して事前に予定を尋ねず訪問することが不敬であることはセドリックも今はわかっている。しかし、相手は庶民であり自分にとっては友人。既に家の場所も把握している上、都合だけは把握している。
別に帰ってくるまで待つわけでも、そのまま馬車で連れ回すつもりでもない。ただ家の前に馬車で下り、そして兄達に玄関前で一言紹介するだけである。手短にすれば十分も掛からない。これから先長い付き合いになるであろうディオスとクロイだけでも自分の大事な兄達に紹介したいと考えるのはセドリックにとっては至極当然のことだった。
しかし、相手は中級層の庶民である。
そんなところに王族の馬車が訪れればそれだけでも目立つ上に騒ぎになる。
お忍び用の馬車ならばまだ紛れられるが、今回自分達が乗ってきた馬車はハナズオ連合王国の馬車。その時点でセドリックが隠すつもりが皆無であることが兄達にはわかる。
まだファーナム兄弟の住処に訪れたことのないランス達だが、いくら広大な土地とはいフリージア王国城下の中級層に全ての家がぽつんとしかないとは思えない。近隣住民にも確実に目がつくことになるそこで、王族三人が突然訪れるなど奇襲に近い。
顔も見たことのないその双子が姉と共に目を白黒させる姿がランスにもヨアンにも容易に思い浮かんだ。
揃って眉間を狭める二人に、セドリックは「無礼だったか?」と純粋に尋ねて見るが「そういう問題ではない」と容赦無くランスにまた切られた。後ろに流した前髪を頭ごと押さえながら、拳を落とすことだけは我慢した。少なくともセドリックは間違いなく善意だけでファーナム兄弟にも自分達を紹介しようとしてくれている。
「その子達は、確か近々には君の部下として城で働くことになるのだろう?」
「そうだ。今は城で会えんからこうしてディオスとクロイの家に兄さん達を……」
「ならば紹介も城でその時にしろ。私もヨアンも、今後もフリージア王国に訪れるのだから急がん」
そうだねそれが良いよ、とランスの言葉にヨアンも頷く。
少なくとも城内でならば、いくら紹介されても彼らの住処にまで迷惑をかける心配はない。その時は兄としてしっかり彼らにセドリックが迷惑をかけていないか確認しなければとランスは思う。そしてそれはヨアンも同じだった。
いや、しかし、折角城下まで降りたのならば……とまだ釈然としないセドリックが異論を唱えるが兄二人はもうそこで結論付いた。
「どうするヨアン。先ほど言っていた広場にでも行ってみるか」
「良いね。なら近くに市場もあるそうだから少し見てみようか。僕らの国とどう違うかも見てみよう」
「ッ待て兄貴兄さん!俺を置いて話を進めるな!!」
思わず花束を掴む手に力がこもり、前のめりに顔を近付けるセドリックにランスは「わかったわかった」と頭を額から鷲掴んだ。
せっかく気合いを入れて兄達に紹介しようと思っていたのに、すんなり予定を変更されたことにセドリックはまだ不満しかない。
「そのファーナム兄弟……だったか。彼らは次の楽しみにしておこう。長い付き合いにしたいならば気苦労をかけるな」
「セドリック、市場では摘まみ食いはしないようにね」
そんなことはわかっている!!と今度こそ声を上げたセドリックだが、その時には素手にヨアンが御者へ行き先変更を伝えた後だった。
自分が向かおうと思っていた場所と全く違う方向に向かう馬車にセドリックも腰を上げるが、その途端ヨアンからも上から頭を撫でられた。ランスの上から置くような手の圧と違い、自分の髪の流れに添って柔らかく撫でてくるヨアンにセドリックも無為にほどけない。う゛、と中腰のような体勢からまた椅子に落ち着けるセドリックに「ありがとう」と細淵眼鏡の向こうが柔らかく緩んだ。
馬車が走り出したとはいえ、またこんな風に撫でられるとはと思いながら「俺はもう十九だぞ」と言ったが、その途端ヨアンより先にランスから「〝まだ〟十九だ」とからかうような意地の悪い笑みと共に断じられてしまう。
新しくできた隣人を紹介しようとしてくれたセドリックの気持ちだけ受け取った二人は、広場に着くまでむくれるセドリックを宥め続けた。
やはり変わらず弟は弟なのだと。
急成長した弟の変わらぬ面影に、小さな安堵と微笑ましさを気取られることなく胸の奥にそっと宿した。




