Ⅱ359.王族は踊る。
「これよりハナズオ連合王国セドリック王弟殿下によるダンス披露を行います」
布告役の号令に、誰もが広間の中央へと集まった。
ハナズオ連合王国の国王二人の到着で更に沸いた後も、パーティーは滞りなく進んだ。大勢の来賓がひしめき合い、互いに時を楽しんでから宴もたけなわの時間にその声は放たれた。
フリージア王国の式典でダンスパーティーが行われるようになったのはまだ一年も経っていない、つい最近からである。そしてフリージア王国の民として同じ城内に身を置くことになったセドリックもまたフリージアの文化に倣うものは多い。
誕生日パーティーにおいても、ハナズオの文化や装飾を残しつつもフリージアの倣わしに合わせている。そして今、この場でダンスが行われることも招かれていた来賓の誰もが想定したことだった。
フリージア王国の王族が式典で定着化しようとしつつあるそのイベントを、他国とはいえ同じ地に住まう王族が無視するわけがない。
アイビー王家による式典のダンスパーティーでは、最初にフロアに立つのは伴侶を持たない王族。その王族が曲の間に次々と数名のパートナーを選び、来賓の前で披露する。そして最後に女王、王配の公式なダンスにより締めくくられている。
今回のパーティーの主役は王弟であるセドリック。今までのダンスパーティーでもフリージア王国の王女に何度も手を取られている彼が、今は母国の国王である兄二人と共に初めからフロアに立っている。そして彼らが相対するは
三人の王族女性〝のみ〟だ。
招かれた女王ローザ、王女プライド、ティアラ。最初から決められた彼女達と共にダンスを披露するのが〝ハナズオ連合王国式〟のダンスである。
元は別の国であったサーシス王国もチャイネンシス王国も、近接していた国同士王族のダンスによる伝統は同じ。神聖なる王族と共にダンスが許されるのは〝同じ〟王族のみであると。もし女王であるローザが夫以外とのダンスはと首を縦に振らなければ、この場でダンスを披露する男性は主催のセドリックとその兄である国王ランスのみで行う予定だった程にそれは厳密だ。
フリージア王国では第二王女であるティアラ主催で行われたダンスパーティーだが、その源は彼女達が触れたハナズオ連合王国での祝勝会。そこで行われた〝王族のみ〟によるダンスこそ、今回セドリック主催パーティーのメインイベントだった。
来賓として招かれた女王ローザも含むフリージア王国女性三人同時のダンスに、来賓は誰もが固唾を飲んだ。
王族による式典でのダンスパーティー開催自体がつい最近である。その中でも国内で女王のダンスを見れる機会は伴侶である王配と共にのみ。それを王族の女性三人のダンスが一度に目にできる機会などフリージア王国の上級貴族主催ですらあり得ない。ハナズオ連合王国の王族主催だからこそだった。
フリージア王国の民でありながらハナズオの伝統に則ったダンスを行いたいと望むセドリックからの提言に、アイビー王家は快く頷いた。
国王ランスと女王ローザ、国王ヨアンと第一王女プライド、そして王弟セドリックと第二王女ティアラによるダンスを、王配、第一王子も含める全ての来賓が見守った。合図により演奏家達により一斉の優雅な調べと共に、彼らは緩やかに揺れ出す。
「この度は誠に感謝致します、ローザ女王。我が弟セドリックは〝フリージア王国〟の民となったにも関わらず寛大な対応、我々も感謝を尽くせません」
「いいえ、ランス国王。彼は根を下ろしたとはいえあくまで〝ハナズオ連合王国〟の王族であることに変わりはありません。我が国はそれを尊重致します。……たとえ、ティアラが次期王妹であろうとも」
優雅なダンスのステップを踏みながら、声を抑えて言葉を交わすランスの手は淀みない。
目の前で手を取るのが大恩あるフリージア王国の最高権力者、更にはあのプライドとティアラの母親であり今も観覧している王配の妻であると考えれば緊張で指を膝も強ばりかける。首筋にもうっすらと汗を滲む中、それでも王の威厳も放ち堂々と振る舞い踊る彼にローザも全力で応えた。
サーシスの国王とフリージアの女王のダンスは、実際の年齢差を全く感じさせないほどに美しく来賓を圧倒させる。それほどまでに女王の麗しさは即位してからも衰えない。
若き国王を前にローザも、あくまで毅然とした態度で眼差しを返す。その含めた言葉をランスはすぐに理解し、僅かに眉を揺らした。直後には小さく閉じた口角が辺り、笑みを零した。
「だからこその寛大なご処置でしたか。……やはり頭が下がります」
〝ハナズオ連合王国〟の王族。それがフリージアの民になったセドリックの変わらない肩書きである。
現段階でフリージア王国に婿入りしたわけでも養子入りしたわけもない彼の肩書きは、少し前までは今以上に重要なものだった。第二王女であるティアラの婚約者候補の一人だった彼は、フリージア王国に根を下ろしながらも〝ハナズオ連合王国の王族〟だったのだから。
もし単なる第二王女だったティアラが婚約者として〝彼を選んだ場合〟のみ、それは大きく意味を為していた。
その時はセドリックの立場をハナズオ連合王国として確立させるべく、フリージアの民や周辺諸国にハナズオ連合王国の文化や伝統を尊重するつもりだった。
アイビー王家の名を捨てることになった彼女が、第二王女としての役割と宿命を成し遂げながらフリージア王国に残り続けることになったことは、当然ローザもわかっている。
そして次期王妹として先に立場を確立させたティアラに今はセドリックが婿入りする状況になっても、そこで手の平を返すローザではない。あくまで〝婚約者候補〟に対し最大限の配慮をするのは当然の礼儀である。特にハナズオ連合王国に対しては一度国王であるランスとヨアンにフリージア王国からティアラの婚約者候補としての打診を白紙に戻しているから余計にである。
しかしランスの言葉へゆるやかに首を横に振ったローザは、音も無く腰に添えた手の圧だけを僅かに強めた。
「我々は国際郵便機関の統括役である彼に敬意を表したまでです。それに、この機会にも私は心より感謝しております」
潜めた声にも関わらず、その一言一言に威厳の深みを発せさせる女王にランスは僅かに肩まで強張る。
くるりと共に組み合いながら回ってみせれば、観客が声を合わせるようにして沸いた。その歓声にかき消えながら呟かれた〝感謝〟に、ランスは首を捻りたい気持ちを抑えて見返した。
何故この機会に、よりにもよって女王であるローザが感謝をするのか。あくまで自分達の伝統文化に合わせてダンスの提案を受けてくれたローザとその伴侶である王配に自分達は感謝をする側だと思う。
補足を待つように口を一度閉じるランスに、ローザも彼の疑問はすぐに察せられた。しかし、若年の国王にそれ以上を語るつもりはない彼女は優雅な女性らしい笑みだけで彼に応えた。
それを応えと受け取ったランスもまた、それ以上は言及せずにダンスへ集中する。大国の女王である彼女の考えは、きっと自分には遠く及ばない先まで見据えているのだろうと考える。
あくまで沈黙。ここで「ハナズオ連合王国の文化に触れることができた」「ハナズオ連合王国の国王とのダンスも楽しみたかった」とそれなりの理由を語ることはローザにも容易にできる。しかしそこで敢えて本音を隠し建前で偽らないのが、今のランスへの最大の礼儀だった。まさかその真意が
〝可愛い娘達と一緒にダンスフロアに立ちたかった〟であろうとも。
あまりに大人げなさ過ぎる願望に、ローザは思い返した途端小さく下唇を噛みしめた。
今は女王の時間。子どものような欲求とここで恥ずかしさを表情一つ出しはしない。そんなことを気取られれば、周囲に在らぬ疑いすらかけられかねない。
あくまで女王としての威厳のみで立ち振る舞う母親は、曲の締め括りと共に滞りなく礼をした。
……
「ジルベール宰相。言いたいことがあるならば場所を移すか?」
新たな曲の調べと共に、パートナーを入れ替えた男女が再び手を取り合い向かい合う。
その様子を最前列で眺めていた王配のアルバートは、隣に控えるジルベールへ視線は向けずに言葉を掛けた。目を向けずとも長年の経験で今自分の隣にいる補佐が何かを言いたがっていると理解する。
他の来賓に聞こえないように配慮しつつも己が補佐へと低めた声にジルベールは「いえいえ」とにこやかな笑みと声で返した。
二人の目の前ではローザがセドリック、プライドがランス、そしてティアラがヨアンとそれぞれ音楽に揺れ出したところである。
互いにパートナーとしっかり目を合わせながらも、優雅に舞う彼女達は一度もお互いにぶつかることもステップの足を止めることもなくダンスフロアを回り続けていた。
「麗しき伴侶と娘お二人の晴れの舞台のご観覧を邪魔するような真似は致しません。ただ王配殿下の感想をお聞きしてみたいものだと思いまして」
「それは私の妻についての話か?社交界や式典で女王が主賓と踊ることなど珍しくもない」
まるで嫌味にも、もしくは探りかと考えながらアルバートは言葉を返す。
外交を担っているローザは国外の式典等に招かれればダンスパーティーや舞踏会で手をとることは当然ある。フリージア王国内でも王族や貴族主催による舞踏会自体は存在する。
今は主催側で観覧が主な女王と王配も、婚姻後でも若い頃はダンスを通して各々が王侯貴族と親睦を深めた。あくまでダンスの本分は〝社交〟である。
そこでいちいち妻が別の若い男とダンスをするからといって目くじらを立てるほどアルバートは青くない。むしろたかがそれしきのことで悪戯半分に突いてきているように聞こえるジルベールの言葉の方が腹立たしかった。
目の前で行われる妻と娘達のダンスがなければギロリと鋭い眼差しを向けていた。
しかし、アルバートの返答にフフッと小さく笑うジルベールは全く臆さない。そういうつもりで掛けた言葉ではないと誤解を解くべく口を動かした。
ジルベールもまたアルバートではなくプライド達の優雅なダンスを見入っている。優雅な威厳の笑みのみで交わすローザと違い、時折楽しそう名満面の笑みを見せるプライドとティアラの姿にそれだけで微笑ましくなる。
「ただ、美しき妻と娘達のお披露目にもっと誇らしげに笑顔を見せても宜しいのではないでしょうか。そうでなければ在らぬ誤解を招くかと。女王陛下にはご立派な伴侶が居られますが、〝婚約者候補が誰かも知れない〟娘二人のダンス相手は未婚の若君ですし。……もともと殿下は自然体でも少々威厳を持てあましておられますので」
ムッ、とジルベールの言わんとしている言葉にアルバートも今度は唇を結ぶ。
自分の目付きが昔から他者に睨んでいると誤解を招きやすいことは理解している。しかも今もつい腕を組もうとしていたところだった彼は、意識的に手を握って開いた。
ジルベールには気にしないと言いながらも、つい含みを持たされた言葉を妻にしか当てはめなかったことを胸の内だけで恥じる。いつもは自分が相手になることが多い妻のダンス姿に、自覚していた以上に見惚れてしまっていたのだと痛感した。彼の助言も一理あると思う。
自分の妻だけではない。公には婚約者候補不明である娘達と、踊る若い国王二人と王弟。
可愛い娘達を狙っていてもおかしくない立場の王族三人に、父親である自分が厳しい目で睨んでしまうなどそれこそあり得る話である。しかも現に一人は婚約者候補だ。
プライドもティアラも国王の妻にはなれないが、それでも一人は本物が含まれている今は少しでも自分が威嚇する目をしていると思われては勘ぐられてしまう。もともと睨んでいるつもりは全くないが、それでも笑みを心がけようとアルバートは「その通りだな」と短く頷いた。
実際、ティアラの婚約者候補であるセドリックに対しても父親として複雑な思いが全くというわけではないが、睨むほどではない。ティアラが選ぶならば候補者の誰でも文句はない。
何よりセドリック自体、プライドの奪還戦ではティアラと共に活躍し大義を為した一人。むしろ快く思える将来有望な青年だ。更にはセドリックの恋慕はアルバートの目にすらも筒抜けだった。ティアラとプライドを狙う令息王子は式典の度に目にするが、その中でも彼は分かり易すぎる。
優秀な補佐の助言に従い、三組のダンスを意識的に笑んだ眼差しと表情で見守り始めるアルバートにジルベールは横目で一度だけ確認してから口元を緩めた。
助言も嘘ではないが、それ以外は無事気取られずに済まされたことに安堵する。
隣に並ぶ友人が今この場ではやはり愛しい娘達よりも最愛の妻へ意識がいっていたことを確認しつつ、改めて踊るティアラへ目を向けた。つい先ほど、ヨアンと踊る前まではダンス相手を前に笑みこそ崩さないが動作にぎこちなさが俄に零れていた彼女に、父親は気付いていなかったようだと見当づける。
セドリックがティアラに明らかに恋い焦がれていることは察しているアルバートだが、未だに娘の恋心についてまでは恋愛に察せていない。
セドリックとダンスを交わすことは慣れているティアラは見事に王女としての振るまいと笑みで毎回やり過ごしている為、少なくともダンスを見るだけでは察しにくい。
しかし、今回はいつもより肩にも足取りにも全身の節々からぎこちなさがやや見てとれたティアラに父親であるアルバートも気付いたのではと思ったが、要らぬ心配だった。
ティアラ本人が隠したがっている様子の恋心に、他に気付きそうな人物をとジルベールはティアラとセドリックのダンス中も来賓全体を見回す動作で確認したが、幸いにもいなかった。
ステイルは間違いなく気付いておらず、そして叔父であるヴェストも本人達の恋模様までは気にとめていない。
もしいまこの場でティアラの想い人がセドリックだと父親であるアルバートが理解すれば、それこそ本当に誤解ではなく本音で複雑この上ない父親の眼差しをセドリックに突き刺しただろうと静かに理解する。
最愛の妻と同様に、ティアラとプライドもまた彼にとって愛しいことに変わりない。
「……それでも、今この光景を尊ぶことは君〝も〟同じなのだろうね」
二曲目のダンスが終わり礼をする彼女らへの拍手で敢えて打ち消されながら、現状を最も正しく理解した宰相は呟きと共にこの上ない平穏な空気を肌で味わい続けた。
どちらにせよ、妻が娘達と共にダンスを披露する光景が彼や妻にとって何にも増して幸福な光景なのだろうと理解して。




