Ⅱ357.主張少女は慌て、
「騎士団長、……クラーク副団長」
思わずクラークにだけ改まった言い方をしてしまうプライドは、口端がヒクついた。
目の前には騎士団長であるロデリック、副団長のクラーク。そして近衛騎士のアラン、エリック、アーサーと合流したカラムが集っている。
カラムの貴族としての装いも見慣れてきた最近では、いつもの面面という感覚でもある。しかしロデリック以外全員の表情がいつもと違った。
彼女にとって背筋を意識的に伸ばさなければ逃げ腰になってしまいそうなほどの状況だった。
ご機嫌麗しゅうございます、とロデリックを代表に挨拶をしながらも彼女の視界にはしっかりとその傍らに並ぶクラークが目に入っている。そしてプライドの隣に並ぶステイルもまた、苦笑を押し殺していた。
「今日も麗しいドレスですね。プライド第一王女殿下によくお似合いです。部下達も驚いていました」
そう言いながら、ロデリックは背後に控える騎士達へと軽く視線で示す。
騎士団長の視線を受け、それぞれ肯定の意を込めて頷く騎士達はプライドから丸い目が離せない。唇をきつく結んだままのエリックも、反するようにぽっかり口が開いたアーサーも、全力で「すっごいお似合いですよ!」と声を上げるアランもまた顔が火照っている。既にレオンとの挨拶を含めて二度目であるカラムすら、僅かに頬を紅潮させていた。
遠目ではなかなか人垣で姿を確認できなかった彼女は、あまりにも心臓に悪い装いでそこに立っていたのだから。
深紅を基調とした女性らしいドレスに、目を引く刺繍のショールで蝶をあしらわれた彼女は存在そのものが薔薇のようだった。
下地の生地が反射して彼女を輝かせ、蝶を引き立てている。刺繍の美しさから女性の目を引くだけでなく、彼女の美しさを鋭く際立たせていた。
「ありがとうございます。そう言って頂けると嬉しいわ。特にこのショールが、その……とても気に入っていて」
褒められたことを素直に喜びながら、静かに自身の蝶に指を添わすプライドはそこで上目でクラークを盗み見た。
現れた時から顔色で、説明をせずとも彼が製作者に気付いたのだろうとわかった。いつもにこやかな笑みを崩さないクラークが、今はプライド以上に強張った笑みで頬に汗まで伝っているのだから。
彼の不調には挨拶へ行く前からロデリックも、そしてエリック達もわかっている。既にプライドから話を聞いているか、現場にいた。唯一アランだけが少し気になるようにプライドの視線を追っていた。
プライドの言わんとしていることを察し、ロデリックも落ち着いた視線を彼へと向け促した。仮にも上官であるロデリックとそして第一王女の促しに、とうとう頭を押さえたい気持ちをぐっと抑えたクラークも深々と重い頭を彼女へ垂らす。
「プライド・ロイヤル・アイビー第一王女殿下。この度は誠に妹のネルがお世話になりました。……感謝しても足りません」
「えっ、あ!いえっむしろ、そのっ……」
低めた声とプライド以上に改まった口調で頭を下げたクラークに、思わずプライドの方が飛び上がりそうなほど肩を激しく上下させる。
ひっくり返った声で言葉も纏まらない。まさか開口一番に感謝されるとは思わなかった。
頭を上げて下さい、と声を抑えながら慌て口調で告げるプライドにそれでもクラークの上げる頭は重かった。
突然の副団長による深謝にアランの目が丸くなる。事情を深く知っているアーサー、そしてネルから聞いた日の夜にクラークと酒場で過ごしたロデリックは口を一文字に結んでいた。クラークがこうなるのは予想もできていた二人である。
三秒以上下げ続けた頭をゆっくり上げたクラークは、珍しく耳が染まっていた。ポタリと、大理石の床に汗が数滴滴り落ちる。
社交の場ではなかなか見ない副団長の重々しい空気に、近衛騎士達は揃って口を噤んでしまう。一人要領を得ていないアランにエリックもカラムも説明する余裕はなかった。
「お召しのショールに手袋、どちらもとてもお似合いです。……まさか、このような場で目にすることができるとは思いませんでした」
「え、ええ。その、凄く気に入ってしまってつい。ごめんなさい、本当は式典のドレスで最初にお披露目も考えたのですけれど……」
いえ、光栄です。と。大きくゆっくりとクラークが首を横に振る。先手を取られてしまい思わず謝罪口調になってしまうプライドに、クラークもまたもう一度頭を下げたくなった。
パーティーに招かれてからクラークもある程度の覚悟と予想はできていた。まさか僅か数日でドレスが仕立てるわけはない。しかしネルから自分の商品もいくつか購入してくれたと聞いていた上で、あのプライド様ならもしや……とその程度の予感はしていた。
そしてプライドが現れればまさかの大注目である。
まだ遠目で姿が確認できずともプライドの姿をいち早く目にした来賓からの「あの刺繍が」「麗しいショール」「いつもと違ったお召しもので」と聞けばもう心臓は危なげに脈を打つばかりだった。
プライドの人垣が引くまで様子を窺っていた間も、一人最も顔色を隠しきれなかったほどに。
その目で確認する前から、来賓が囁きあっているのが妹の作品であると確信があった。もともと妹の腕前を疑ってはいなかったクラークだが、同時にプライドがそういう人物であることもよく理解できているからこその確信だ。
カラムがレオンと共に合流した時も体調を心配されたクラークだが、こうしてプライドへの挨拶と共に直に目にすれば青白い顔が今は血流が良くなりすぎていた。
自国の第一王女が身に着けているのは、見間違うことがない妹の作品だ。
「褒めては貰えるけれど買うまではいかない」と肩を落としていたショールも、「結構凝らせたのだけれど、パッと見は地味みたい」と売れることも半ば諦めていた手袋もクラークは一目であの時の品だとわかってしまった。
プライドへの挨拶待ちに控えて居た時から気付いてしまった時には目頭が熱くなりかけ、今も立場を弁え意識して堪えている。
こうしてプライドが身に着けているのを見れば、やはり身内の贔屓目なしによくできているとクラークは思う。だが、売れない売れない見向きもされない断られたと語っていた妹の品を王族が身に着けているなど、今でも信じられない。気を抜けば目頭に指がいってしまいそうになる。
「ネルから話を聞いた時は本当に驚きました。この度は私の伝達不足で戸惑わせてしまい、大変申し訳ありませんでした」
「い!いいえ‼︎それは私の方でっ、ネルは本当に素晴らしい刺繍職人です。私の方こそ副団長に何のご相談もなしに少々強引に彼女を勧誘してしまって……」
再び頭を下げそうになるクラークを今度は途中でプライドが押し止める。
あわあわと目を回しかけながら断るプライドと、身内が褒められたことに社交の場で珍しく顔ごと紅潮していくクラークにステイルもつい口が緩んだ。更には先ほどまで黙して佇んでいたロデリックもとうとう堪えきれず「……ブッ‼︎」と顔を背けながら押さえた口で噴き出した。
その後も表情こそ笑いを堪えても微弱に肩を震わせるロデリックに、控えていたアラン達も緊張が緩む。
肘で突く動作で尋ねるアランにエリックが「副団長の妹君がプライド様の直属刺繍職人に」と最低限の情報を手短に囁く。次の瞬間には流石のアランも瞼がなくなった。
一体どういう流れでそんなことになったのかと別の疑問が次々に浮かんできたが、今は口を結んだ。代わりに現状を正しく理解した目で「うわぁ」と声には出さずとも苦く笑ってしまう。
「とんでもありません。ネルもこれ以上なく喜んでおりました。昔から刺繍職人になるのは妹の夢でした。まさかこのような形で叶えて頂けることになるなど思いもしませんでした」
「そっ、それは何よりです。ネルのお陰で今日は一段と褒めて頂けて……、既に大勢の方が彼女にデザインを任せたいと望んでくれました」




