そして逃げたくなる。
「すっっげぇ美味そうに食いますね、あいつ」
そう言ったアーサーは、少し腰を浮かせてセドリック達を眺めていた。
ステイルもその言葉に頷きながら「ここの食事は安くて味が良いと評判だ」と返した。食堂を作ることになった時、値段が安いだけではなくてちゃんと温かみのある美味しい料理を提供したいとジルベール宰相に希望したのはステイルだった。
私も前世はドのつく庶民だからわかるけど、元庶民のステイルも特に食べ物の安さと美味しさについては思うところがあったらしい。ジルベール宰相もそれを言われた時には「ええ、もちろんです」と初孫を見るような目で嬉しそうに返していた。
「やっぱ火が通っただけじゃない料理って良いよな。俺も久々に食えた時は涙が出たの覚えてる」
もぐもぐとパウエルが自分の分のパンを食べながら、頷く。
ステイルとアーサーの視線に釣られるようにまたセドリック達を見て、遠い記憶を思い出すように笑った。……そういう爆弾発言うっかり言うのやめて欲しい。第三作目の子にそれを言われると私が泣きたくなってしまう。
「あの王弟の隣にいるのは従者とかか?服とか俺らとあんま変わらねぇけど。確か学校に従者同行させるのは禁止だったんじゃ」
「昨日話した女性の弟だ。れっきとした庶民に違いない」
ステイルの返答に、パウエルは納得したように声を漏らした。「確かに似てるな」と呟いたところで、思い出したように言葉を続ける。
「そういや、あれから様子見たけどやっぱ結構身体弱いなあいつ。荷物持って歩くだけでふらふらだった」
昨日ステイルが話してからパウエルはお姉さんを本当にしっかり見守ってくれたらしい。
昨日も今日も移動教室や階段で見かける度に荷物を持ったり手を貸してあげたとか。本当にパウエルが優しい子で良かった。ステイルからお礼が言われても、本人は本当に大したことはしていないように手を軽く振って返してくれた。
「女がふらついてたら手を貸すのは当然だろ」
……あまりにもイケメンな台詞にステイルも口端がヒクついていた。
彼が会った頃のパウエルは、一体どんな感じだったのだろうと今更ながらに気になる。ゲームの設定通りだとすれば、……とそこまで考えて一度思考を止めた。だめ、今それを考えたら頭が全部第三作目に行ってしまう。考えたいのはやまやまだけれど、今は第二作目の子達に集中しないと‼︎推しのシリーズだからって順序を優先して良いほどこの世界に生きる人達の人生は安くない。学校潜入中の今はとにかく二作目だ。
「取り敢えずまだ心配だしこれからもなるべく見とく」
パウエルさん心強い。
言い終えてから、あむっと最後の一口を食べ終えたパウエルはテーブルに両肘をついた。手持ち無沙汰になったように注目が集まったセドリック達の方にそのまま目を向ける。まだ人だかりができていて、座った状態でもセドリック達への熱は冷めないままだ。人の隙間から、幸せそうにオムライスを頬張る白髪の男の子の姿が見えた。
本当に好物なんだなぁと思う。ゲームでは……、と考えたけれど、申し訳ないことに彼らの好物まで細かい設定まではわからない。パウエルの好物なら覚えているけれど。……あれ。
「……そういえばパウエルって好きな食べ物とかある?」
ふと気になって、現状と全く関係ない疑問を投げてしまう。
パウエルが大きく瞬きをしながら私に振り返る。いきなりそんなよくわからない質問されたら驚くに決まっている。ステイルとアーサーも不思議そうに私の方に振り返った。
パウエルは聞かれたことには驚いた様子だけど、返答自体はすんなりだった。
「蜂蜜入りのパン」
……やっぱり。
ゲームの設定とは違うパウエルの返答に、私は静かに納得する。ゲームの設定……というか、第三作目のファンブック記載情報では彼の好物は〝羊肉〟だった。まぁまだそれを食べたことがない可能性もあるけれど、やっぱり私が何かする前から現状は変わっている。正確には、多分ここ十年以上の私の色々なやらかしと、ラスボスプライドの大罪が無いことが影響されているんだろうなと思う。
「確かにそのパンは美味い」と頷くステイルの言う通り、パウエルが毎日食べているパンがとっても美味しいのもあるとは思う。けれど、好物って味の好みとは別にその人の人生によっても結構ころころ変わるものだ。
なんともゲームでは好物が肉食系だったパウエルが、可愛らしいものを好きになったなとホッコリするけれど、今はあまりそこで感傷に浸らないようにしよう。
「なんか気になったンすか?」
アーサーが首を傾げながら尋ねてくれる。
突然好きな食べ物なんてベタ中のベタな質問をしたのだから当然だ。
ううんと笑ってみせながら、このままだとまたパウエルの予知をしたとか変な容疑がかかってしまうかと焦る。首を左右に振りながら、返答を考えているとまた人の隙間から美味しそうにオムライスを頬張る彼の笑顔が目に入った。
「……彼の、美味しそうな顔を見たら私も作りたくなってきちゃっただけ。私も作ったものを美味しそうに食べて貰えた時、すっごく嬉しかったもの」
今思ったことをそのまま口にする。
自分で言ってみて、途中で気恥ずかしくなり堪えきれず照れ笑いを浮かべてしまう。でも、最初に彼が食べているのを見た時も本当に思ったことだ。最後に料理をしたのはもう一年以上前になる。最近はティアラも忙しくて一緒にいられないけれど、今度少しだけあの子にも手伝いを甘えてみようかしらと考える。
「「是非‼︎‼︎」」
ステイルとアーサーの目がぐわっと開いた。
本人達にも予想外の大声が出たのか、途中でステイルが慌てて自分と、そして隣のアーサーの口を片手ずつ使って塞ぐ。それでもキラッと光っている二人の目は社交辞令とかではなく、本気で食べたいと思ってくれているようだった。
まるで本当の少年のような反応が眩しくて、思わず自分の頬を掻いてしまう。パウエルが「そんなに料理うまいのか?」と興味深そうに尋ねると、私より先にアーサーとステイルが同時に頷いた。
純粋なパウエルに謙遜どころか〝一人でも料理ができる〟と嘘をつくのもなんだか忍びなく、代わりに話を変えるべく私は今度は二人に投げかける。
「そういえば二人は好きな食べ物とかある?」
アーサーは以前にカラム隊長が的確な推測を立ててくれたけど、本人の口からは聞いていない。ステイルも一緒に食事してきた中で味の好みとかはわかるけれど、具体的な好物を明言されたことはない。
もし私の作れる料理だったら今後の参考にもしたいなと思って尋ねてみると、……二人同時に発言して聞き取れなかった。
息ぴったりの二人に思わず苦笑いしてしまう。するとお互いに言葉が被った二人は目配せし合うと、最初にアーサーが軽く顎を動かす仕草で先にと促した。それを受け、ステイルがおずおずと改めて口を動かす。
「俺はっ……ジャンヌが作ってくれた……表面がクッキー生地のパンが一番好きです。……また、その。……機会があればぜひ」
ジャンヌが作ったものならどれも美味ですが……とフォローを入れながら言ってくれるステイルは、最後は甘い物が好きというのが恥ずかしいのか、紅潮する顔を隠すように伏せてしまった。
休息時間もお菓子より紅茶や珈琲を嗜むステイルが、まさか一番好きな食べ物が甘い物だったとは思わなかった。でも確かにメロンパンをリベンジした時も美味しいとステイルは喜んでくれていたし、それならまた今度も作ろうかなと思う。
ステイルは言い終わると、無言のまま同じく前のめりになっていたアーサーの肩を軽く拳で殴った。パコッ、と音が聞こえる程度の威力に、アーサーは既に若干赤い顔を私に向けて口を開いた。
「俺はあの、っ……以前の祝いで作って下さった豚肉料理が。……もう一生忘れられねぇンで、食いたい、です……」
王族相手にご飯を所望するのが恥ずかしいのか、アーサーも言ってすぐに目を逸らしてしまった。
見かけが二人とも子どもだから照れた姿が何だかいつもより可愛く見える。自分より年下のアーサーなんて一度も見たことなかったし。
アーサーは、前のめりの体勢から元の椅子に腰を落ち着けると、消え入りそうな声で「でも、手間だったら、……全然……」と遠慮がちに下を向いた。やっぱり中身は気遣いないつものアーサーだと、つい顔が綻んでしまう。フフッと成人男性相手に「可愛い」の言葉を飲み込んだ私は、上目で見上げてくれた二人に心から笑顔で返す。
「ええわかったわ。次に作る機会があったら絶対その二つはって約束するわね」
生姜焼きはレオンからまた食材調達をお願いしないと、と思いながら次の機会を考える。
返した途端、二人とも本当に嬉しそうに目を輝かせてくれるからなんだか擽ったくなる。「ありがとうございます!」と声を揃えてくれる二人に、私も顔が更に嬉しくて緩んでしまう。むしろ好物が私の異世界料理って言ってくれたことに、私の方がお礼を言いたいくらいなのだけれど。二人がそんなにあの料理を気に入ってくれたのなら作り甲斐があるもの。
「良いなぁ、今度俺にもできたら分けてくれるか?」
年下三人の会話を微笑ましそうに眺めていたパウエルが、最後に私へと目を向けた。
ええ、と一言で返すと今度は昼飯のサンドイッチも私の手作りかと聞かれて慌てて首を横に振る。それでもすぐに親御さんも料理上手いんだなと素敵な切り替えしで笑ってくれた。
実際は城の料理人の品だし、実の母上は料理をしたことなんて絶対にないだろうけれど。でも、そうして私の親のことまで褒めてくれようとするパウエルの優しさは嬉しくなる。ひと月後には学校からいなくなる予定だけれど、遅くてもお別れの時くらいには何か作って贈りたい。
そう思っていると、パウエルが「楽しみだな」とステイルとアーサーにも同じ笑顔を向けた。二人も同意の声を上げる中、パウエルは「ちなみに」と言葉を続け、食べ終わった後の包を畳み直す。
「ジャンヌのクラスは選択授業の〝料理〟はいつだろうな?」
………………………………。
んんんんん、と引きつりそうな口に私は力を込めて結ぶ。
血の気が段々と引いていくのを指先の冷たさで感じながら、一気に手足が泥でも被ったように重くなる。
貝のように口を固く閉ざす私に、ステイルとアーサーが呼びかけてくれるけれどもう言葉が出ない。どうしよう、タイムマシンに乗って今すぐさっきの安請け合い発言を取り消したい。
「確か女子の選択授業に〝料理〟があるんだろ?俺の隣のクラスも昨日、女子は早速調理実習だったらしい」
実際作って食えたんだと、とパウエルが続ければ、まるで槍を向けて追い詰められた気分になる。喉が干上がって返事を濁らせることすらできない。
「そんなに料理が上手いなら、ジャンヌの班は大成功だろうな」
悪気のない純度百のパウエルの言葉が胸に刺さる。正直泣きたい。
選択授業は、毎回当日に教室に現れた担当教師や講師によって授業科目が知らされる。男女別の選択授業についても同様だ。これはもう最悪の場合、嘘ついて逃げるしかないなと今から考える。
特に男女別選択授業。女子は女子らしく将来役立つ技術を。男子は男子らしく将来役立つ技術を。この時間だけは、ステイルとアーサーとも私は離れ離れになる。代わりにアラン隊長がこっそり教室の外で見張ってくれているけれど、絶対バレないようにしなくちゃと切実に願う。
座学なら良い。でも技術演習中にうっかり教室を覗かれると、最悪の場合アラン隊長にまでドン引きされる可能性がある。何故なら男子の選択授業が身を守る格闘や剣、即戦力となる土工や炭鉱とかの働き方演習などの身体を動かす技術が主なのに対し、女子の選択授業は
すぐ家庭に入っても、仕事でも役に立つ〝家庭的な技術〟
それをパウエルの口から突きつけられた途端、自分の中で地獄の窯を開くのを地鳴りのようにはっきりと感じとる。
最悪の場合、敵前逃走も辞さないと今から決意した。




