Ⅱ355.騎士隊長は息を吐く。
「セドリック王弟殿下、御誕生日おめでとうございます」
優雅な生演奏が流れる。
フリージア王国では聞き馴染みのないその曲は、遠い遠いサーシス王国のものだった。玄関ホールを抜けた先にある広間内の装飾も、並びこそフリージア王国の文化に準じているものの黄金や煌びやかな宝石があしらわれた装飾は来賓である王侯貴族も目を見張る。
絶えず流れる背景曲が主催者に合わせられた空間は、招待された来賓達に特別感を提供した。
フリージア王国の城、その王居にある彼の宮殿で行われた誕生パーティーは大勢の来賓でひしめき合っていた。
つい最近まで閉ざされていたハナズオ連合王国は、開かれた後にもその式典に招かれる者はまだ限られている。距離の問題とまだ同盟国が少ないことも多い。
その中でフリージア王国に根を下ろしたハナズオ連合王国サーシス王弟のパーティーは貴重な機会でもあった。本来、ハナズオ連合王国へ足を運ばなければ目にできない黄金や宝石の芸術品の展示は大いに目の保養である。
更には人脈を築く上でも貴重な機会だ。鉱石の地であるチャイネンシスの片翼、そして黄金の地であるサーシス王国の王弟。今後本格的に始動する国際郵便機関の統括役。それだけでも充分懇意にする価値はある。その上彼自身もまた─
「おっ、お久しぶりですセドリック王弟殿下……!覚えておいででしょうか?私、先の歓迎パーティーで」
「セドリック・シルバ・ローウェル殿下。お初にお目に掛かります。私、ヤブラン王国の第一王女の」
「セドリック王弟殿下、お話中失礼致します。お時間少々宜しいでしょうか?」
その容姿で数多の女性を引きつける。
「お久しぶりです、ブリジット・パテント・ターニフローラ第二王女殿下。お初にお目に掛かります、クリスティーナ第一王女殿下。リリアン第一王女殿下、よくぞお越し下さりました。申し訳ありません、先にプリジット第二王女殿下とお話がありますので、二人きりでのお話でしたら少々お待ち頂いても宜しいでしょうか」
一斉で宜しければこの場で、と。
先に話していた王族と挨拶を終えた直後、一斉のタイミングで口を開いてしまった女性達へ一人一人丁寧に言葉を返す彼の周りには女性が尽きない。男性的に整った顔を優雅に笑ませた彼は、最初に話しかけてきた女性へそのまま向き直った。
その国もハナズオ連合王国とまだ同盟を締結の交渉中であると記憶している彼は、すぐさま先着順で対応する。本来であればそのまま一斉に話しかけてくれても返事ができるセドリックではあるが、それが来賓に対しては失礼な態度であることも理解している。
優先順位を間違えず、一人も忘れず会話をなだらかに続けていく彼に女性の頬は紅潮していく。今年で十九歳を迎えるセドリックは、彼女達にとって間違いなく意中の相手だ。彼が主催となるパーティーに、今こそはと挨拶という名のきっかけを試みる。
公的にフリージア王国の民としても認められた彼の祝べき日に、故郷であるハナズオ連合王国のみならずフリージア王国も活気づいた。
これを機会にと城下ではささやかながらの祭りも開かれ、国中が活気づく。
「流石の人気だね、セドリック王弟は」
その様子を遠巻きから眺めるアネモネ王国の第一王子は滑らかに笑んだ。
既に何度かの式典で顔を合わせている彼が社交界で女性にも人気が高いことを知っている。最初の頃こそ同盟を望む国々の王侯貴族に囲まれていたセドリックだが、今では個人的な関わりを望む女性も多い。
更には故郷であるハナズオ連合王国でもないフリージア王国の城となれば、呼ばれる来賓も多くがフリージア王国かハナズオ連合王国の同盟国王侯貴族。
ハナズオ連合王国とフリージア王国双方との繋がりが深いという意味でも人気が高い。今回は彼主催のパーティーということもあり、当然ながら注目も人気もレオンやステイルを凌ぐ高さである。
レオン自身も王侯貴族の令嬢から人気が高く何度も囲まれた後だが、今は傍らに女性は一人もいない。グラスを片手に寛ぎ佇む彼に言葉を投げかけられた男性は、頷きと共に言葉を返した。
「ええ、やはり今回の主役ですから。それにセドリック王弟はプラデストでも大勢の貴族に注目を浴びています」
「そうだろうね。主賓の到着までは暫くあのままかな。僕が見学に行った時は授業中だったけれど、彼なら納得できるな。そう言うカラムも人気なんじゃないかい?」
いえ、そのようなことはとカラムは慌てた様子でレオンに身体ごと向き直った。
フリージア王国の式典でないとはいえ、セドリックから〝フリージア王国の貴族〟の一人として招かれたカラムはレオンと並んでいた。いつもは〝婚約者候補〟としてフリージア王国王族から招待を受けているカラムだが、今回はセドリック個人からの招待である。
公的にはカラムがプライドの婚約者候補とは知らない筈のセドリックだが、防衛戦のみならずプライド関連でも迷惑をかけた相手の一人でもあるカラムがフリージア王国の貴族であると知れば招待しないわけがなかった。……たとえカラム自身が、それならばプライドの護衛として招かれたかったと願っても。
式典ほどではなくともやはりプライドとの仲を探りを入れたがる貴族もいる中で、〝読書仲間〟であるレオンの存在は変わらず防波堤である。
現に、レオンが合流するまでは伯爵家であるカラムに「カラム爵子は最近の休日はどのように」「ボルドー卿の御体調は」「長く体調を崩しては心配でしょう?」と家の人間について尋ねる者は多かった。
体調不良の両親の代理出席となっている彼が〝それ以外の理由〟でボルドー卿代理を名乗っていれば、それは間違いなく黒なのだから。流石に直接プライドの名前を出して尋ねる者はいなくとも、カラムには投げかけられる言葉の節々からそれが探りか別かは大体察しがついていた。そして大体が探りである。
そうかな、と目の前の騎士としても講師としても優秀な騎士の謙遜に小さく首を捻るレオンは、そこで視線を軽く周囲へ回した。
今ここに招かれているフリージア王国の貴族は全員上級貴族ばかりだが、もし伯爵以下の爵位の人間がいればきっとカラムのことも置いてはおかなかったと思う。
〝学校の生徒と講師〟という絶好の繋がりと、ただの騎士ではなく伯爵家の次男。更には一度は第一王女との浮き名として知れ渡った彼を全く認識しないほど貴族の目は節穴ではない。
プライドの婚約者候補としての噂がある程度下火になった今こそ、王弟セドリックと同じく〝噂に名高い人物〟以外の立場で見られる。本来、社交界とはその目的も強い。
「どちらにせよ、気をつけた方が良いよ。探りを入れる為に敢えて娘に〝関係〟を望ませて確かめる方法もあるからね」
「……重々承知しております」
女性から男女の関係を望み、そこで受け入れれば第一王女の婚約者候補ではないと立証される。逆を言えば、そこでの断り方を少しでも間違えば婚約者候補としての疑いは強まることになる。
ジルベールの暗躍により情報操作された今はカラムへの疑いも薄まっているが、その隙を突いて確かめたがる者はいるとレオンも、そしてカラムも理解していた。
お気遣い感謝致します、と心配してくれるレオンに心からの感謝を示しながらカラムは前髪を二度指先で整えた。ここ最近、夜道の奇襲が減った代わりに式典や兄越しにそういった誘いが増えていたいることは事実だ。
そしてレオンの読み通り、学校の〝生徒〟である息子の話を、学校の話を聞かせて欲しいという建前で夜会やパーティーに招待されることも増えていた。騎士としての任務が忙しい、代理で式典に参加する以外はとてもと兄と共に口裏を合わせて断っているのが現状である。
第一王女の婚約者候補の情報、そうでなくても伯爵家の次男且つ騎士隊長のカラムは令嬢の相手としても充分良い物件だった。
レオンの言葉にそれを思い出し頭が重くなるカラムは、意識的に背中が丸くならないように意識する。
兄にも迷惑をかけている中、自分にできることはこうして父や兄の代理として出席している今ボルドー家の名を貶めないように努めることだけである。
思わず口を噤んでしまうカラムに、レオンも無言で肩を竦めた。やっぱり覚えはあるのかな、と思いながらそれを言及するのは意地が悪いと理解した彼は敢えて聞かない。すると、双方口を噤ませて会話を止めていた隙に丁度気付いた令嬢がまたそろそろと一人歩み寄ってきた。
レオンを横に畏れ多そうに頭を下げながらも用があるのは伯爵家のカラムである。一歩前に出るカラムへ一言挨拶を済ませた令嬢は、細々とした声でカラムを覗き込む。
「……ところでカラム爵子、ボルドー卿のみでなくヴィンセント様も?」
「申し訳ありませんセレスト様。父がまだ体調が優れない為、兄も多忙でしてなかなか式典にも参列できないのが現状です」
「そうですか。それでは、是非今度お時間がある時にー……」
いえそれには及びません、申し訳ありません、お気持ちだけは、私からも伝えておきますと。一つ一つ丁寧に断ったカラムに、令嬢も肩を落としてその場を去って行った。
その様子にレオンは静かに「問題はなさそうだな」と思う。目の前でカラムが令嬢に断りを入れるのを見るのは初めてだが、しっかり綺麗に断りを入れて滞りなく会話を終わらせる技量は見事だと評価した。
自身が数年前まではそういった令嬢達の言葉をどれも断らず親交を深めるつもりが勘違いさせた過去がある為、余計にカラムの言葉に感心する。
そしてほんの数秒とはいえ、会話を止めて隙を作ってしまったことを反省したレオンは再びカラムの横に並ぶ。
給仕の侍女にグラスの変えをと手で合図をしながら、人混みに消えていった令嬢の背中を高い背と目線で軽く追った。「今の女性はどう思う?」というレオンからの問い掛けに「そうではないと思います」と溜息まじりに返すカラムは静かに息を吐ききった。
レオンとの会話を今度こそ切るまいと口を動かすように思考を回す。
「お話中に大変失礼致しました、レオン王子殿下」
「構わないよ。それよりそろそろ場所を変えようか。騎士団もちょうど少し空いてきたみたいだから」
そう言いながらレオンは視線でそっと騎士団の招かれた一角を差した。
もともと騎士団が手薄になるまで本の話題を武器に避難していた彼らだが、ついセドリックの人気に話題が逸れてしまった。いつものように自分を騎士団へと避難させるべくエスコートするレオンに感謝を伝えながら、カラムも共に歩き出す。
近付けば、一角にはセドリックから招待されたフリージア王国騎士団として騎士団長、副団長。カラムの代理として最優秀騎士枠で参列を許されたアラン、そしてプライドの護衛であるアーサーとエリックが並んでいた。
貴族である前に騎士であるカラムにとって最も落ち着ける場所である。
アーサーが聖騎士になってからは、当然のように騎士団への話題に自分関連は消えてアーサー関連にすり替わった。アーサーには申し訳なくは思うと同時に、心の底で感謝するカラムは彼の話題を振られること自体は全く苦ではない。むしろ誇らしい。
近付けば、騎士団長であるロデリックは貴族と会話中だがアラン達は互いに談笑中だった。その光景にほっと肩を下ろしながら歩みよるカラムは、そこでふとある人物が視界に引っかかる。
いつもより表情が優れないその人物に体調が悪いのだろうかと心配になりながら距離を詰めていく。
「プライドはまだ忙しそうだね。まぁ〝あれ〟じゃあ無理もないかな」
本の話題から再び目に付いた来賓の様子を口にするレオンに、カラムもはっと視線を変えた。
そうですね、と言葉を返しながら先ほどレオンと共に挨拶を済ませたプライドのいる方向を見る。彼女の姿こそ見えないが、そこに集う来賓の層をみればすぐにそれがプライドだと察しがついた。
ついさっきも会った筈の彼女の姿を思い出せばカラムもうっすらと頬が火照る。そのカラムの顔色を読むように「今日も綺麗だったよね」とレオンが投げかければ二の句も告げられない。
セドリックの式典とはいえ、そこに招かれたフリージア王国王族達もまた注目は絶えない。大勢の来賓に挨拶される最上層部のみならず、フリージア王国の第一王女、第二王女、第一王子も大勢の人だかりや列を作っていた。ジルベールがそっとその一陣へ歩み寄る。
特にティアラには妙齢の男性が、そしてステイルには妙齢の女性が、それこそ一貴族であるカラムとは比べものにならない数が集う。そしてプライドは
「あら、それはそれは。プライド第一王女殿下、是非詳しくお話をお聞かせ願えませんでしょうか?」
「失礼します。先にプライド様へ挨拶に伺いたいので」
「プライド第一王女殿下、今日は一段とまたお美しく……」
「父上、いまプライド様からお聞きしたのですが…!」
男〝女〟で賑わっていた。




