Ⅱ351.頤使少女は粛々と謝る。
「でぇ?結局ライアーってのはもうどうでも良いんだな?」
「その通りです。……報告が遅くなってしまい申し訳ありませんでした」
朝食を終えた私は、残念なスタートを切ることになった。
目の前には玄関から入ってすぐの間で機嫌最悪だったヴァルが今も至近距離から私を見下ろしている。客間へ移動するどころか床に腰を落ち着けることもなく、眼前で圧を掛けてくる彼はいつもよりなかなかのご立腹だ。
学生年齢の姿も大分見慣れたけれど、やっぱりこの圧は姿が若くても変わらない。最初はいつもと違ってセフェクとケメトがいないから調子が狂っているのかなくらいにしか思わなかったけれど、全く関係なかった。
セドリックの誕生祭が城で行われる今日、誕生祭に出席する私達だけでなくヴァルも学校は休んでいる。護衛対象である私が不在だから当然だ。
昨日から夜通しで複数の同盟国を巡ってくれた彼は、大量の祝いの品や書状と共に訪れた。いつものように報酬を渡して……とそこまでは平和だったのだけれども、その直後に不機嫌この上ない低い声で苦情が放たれた。
ライアーとレイの近況について現状報告不足について。
「次の配達依頼の時に報告すればと悠長に判断した私の責任です。大変ご迷惑をお掛けしました……」
ヴァルは今日まで、レイがライアーを探していることは知っていたけれどその後の進捗はアンカーソンが検挙されたところで止まっていた。
アンカーソン検挙までは学校で色々と暗躍して貰っていたけれど、その後はぱったりだ。彼に授業サボり許可だけ与えてその後はレイとライアー探しから怒濤の連続だった。結果、彼はライアーが見つかったこともレイと再会したことも、記憶を戻したどころか記憶喪失だったことも知らない。
正直、彼も彼でこのまま私が言い忘れていてもあまり興味はなかっただろう。もともとジルベール宰相とステイルの言葉巧みに誘導されての仕事請負だったし、アンカーソンが検挙されて不良が根絶された時点で彼にとっても興味の対象ではないと思う。……ただし、まさかの事態が起こってしまった。
ステイルもティアラも朝から父上とジルベール宰相の補佐で不在の今、近衛兵のジャックそしてエリック副隊長とアラン隊長を背後に肩幅も狭くなる。
ティアラなんて昨日はセドリックの代わりに朝から下校時間まで学校を回ってくれたから余計にその分の皺寄せで忙しい。
振り向かなくてもきっとエリック副隊長は苦笑いしていると想像がつく。この事態は流石のステイルもきっと想定外だっただろうと思いながら、レイについての現状を説明終えた私は彼からの言葉を待った。
「つまりは俺が見たあの二色頭は〝ライアー〟ってことで間違いねぇってわけだ」
はい、と。もうそれしか言えなかった。
まさかの昨日、学校の校舎裏に潜んでいたヴァルは塀の向こうで彷徨いているライアーに会っていた。
しかも髪の長さこそ違ったものの、レイが当時裏稼業達に公開していた情報通りのに髪色三色中二色が適合したこともあってヴァルの中では完璧にライアーで判断がついたらしい。
ヴァルからすればある意味指名手配中の人物だし、レイと一緒に私達がライアーを探そうとしていたことも知っていた。その上でやっと偶然にも発見したのに、箱を開いてみたら既にレイと再会済みだったという完全に取り残された感満載の展開だ。
もしかしたら小さじ一杯分でもライアー探しに協力してくれようと思って彼と接触してくれたのかなと思うと余計に申し訳なくなる。私が学校でもちゃんとこまめに報告できていれば、わざわざそんな手間を取らせることもなかったのに。
「俺様を使いっぱしにするのは構わねぇが、要らねぇ仕事はさっさと言え」
「ごめんなさい……」
もうこればかりは謝るしか無い。やっぱり二人が居ないからかいつもよりお怒りが鋭い気がする。
手を前で結んだまま頭を下げれば、今度は舌打ちが返ってきた。これ以上苦情が続くなら本格的に客間に場所を移させて貰えないかお願いしようかしら。
よくよく考えればエリック副隊長が市場で偶然会った時から想定すべきだった。本当に今までライアーが見つからなかったのは〝トーマス〟さんとして細々と街外れの隅で生きていたからもあるんだなと思う。まぁ我が国に戻ってこれたのもつい最近ということもあるけれど。
エリック副隊長に続きヴァルにまで見つかって更には見回りの守衛にまで見つかって追いかけ回されるなんて、あまりにも神出鬼没過ぎる。しかもどちらもレイ絡み。……まぁ気持ちはわかる。きっと根からの良い人なんだろうなと、トーマスさんの姿を思い出す。
反省しつつそのまま首を垂らしてヴァルの怒りが収まるのを待ったけれど、収まるどころか舌打ちの数が増えた気がする。
目の前に佇んだまま至近距離からの圧に口を結んでいると、不意に今度は呟きのような声が降らされた。
「……もっと〝下らねぇ用事〟じゃ呼び出してきやがった分際で」
はっっ‼︎と、次の瞬間考えるより先に風を切る速さで頭を上げてしまう。
さっきまで下がっていた眉が一瞬で釣り上がって顔に力が入るのが自分でもわかる。校内で彼を呼び出したことは何回もあるけれど、今の言葉がどれを指しているかは嫌でもわかる。
首が疲れるほど見上げてしまえば、私の顔色が変わったことを確認したヴァルからニヤァと悪い笑みが浮かべられた。やっぱりそうだ。
あのこととは言えない筈、とわかっていても私がこっそり昼休みを抜け出したことまでは口止めしていないから余計に焦る。今にもヴァルが仄めかさないかとあわあわと唇を震わせれば、にやにやにやと心から楽しそうな笑みが広げられた。
もう完全に弱みを掴んだ顔だ。しかも私の背後にはアラン隊長もいるから振り返るのが恐い。
「なぁ?主。良いんだぜぇ、別に〝いつ〟呼び出してくれてもよ。教師なんざのありがたいご高説の〝代わり〟に俺様が為になることをイロイロ教えて……」
「ッ結構です‼︎ちゃんと呼び出す時は時と場所と緊急か否かを考えます‼︎‼︎」
やっぱり授業サボったこと弄ってきた‼︎
またとんでもないことを言い出しそうなヴァルの言葉を叫んで止める。
もう私にとって黒歴史と言ってもいいようなイベントに顔が熱くなるのを感じながら、鼻の穴を膨らませ釣り上がった目で彼を睨みあげる。にやにやにやとその間も彼の馬鹿にするような笑みは変わらない。今は私の方が姿こそ年上なのに‼︎
謝罪から打って変わって怒り出す私に「〝緊急〟ねぇ?」とまた意味深に繰り返すから余計に腹立たしくなる。さっきまで身体の前に結んでいた両手を二つの拳にして肩ごと上がってしまう。もう本当にそのことを蒸し返すのはやめてほしい。
いつもならここで間に入ってくれるティアラもステイルもそしてセフェクもケメトもいない今、不毛な会話がこのまま何時間でも続く気がする。
すると専属侍女のマリーが「プライド様、そろそろ……」と切り上げるように声を掛けてくれた。そうだ今日は悠長にする時間はない。
これからヴァルが届けてくれた書状の確認と、それにセドリックの誕生祝いに向けての身支度が待っている。今回の主役で二日間学校を休んでまで準備を進めたセドリックほどじゃないけれど、主賓として私も忙しい。
マリーに一言返した後、改めてヴァルに向き直る。もう黒歴史を盾に馬鹿にされたことで申し訳なさも吹き飛んでしまった。「それで」といつもの口調で改めて彼に投げかける。
「今日はお願いする書状はありませんから、明日また来て貰えれば充分です。ただ明日から二連休ですし、もし希望でしたらその姿も」
「戻せ」
即答だった。やっぱりなるべく元の姿で過ごしたいらしい。
最後まで聞かずに希望したヴァルに、私も一息吐いてから了承した。近くの衛兵にジルベール宰相とステイルへ〝派遣〟要請をと伝言をお願いする。
城の中でもジルベール宰相の特殊能力は極秘の為、あくまでジルベール宰相とステイルが連れて来てくれるという形式だ。
私と衛兵のやり取りをまどろっこしそうに睨むヴァルは片眉を上げてまた舌を打った。
「少しお待たせすると思うので客間で待っていて下さい。……セフェクとケメトは、あれから変わりなく学校を楽しんでる?」
流石にジルベール宰相達も忙しいしと断りながらいつもはいない二人について尋ねれば「アァ?」と一声上がった。
もう今ではヴァルがセフェクとケメトと離れているのを見るのも珍しくはないけれど、今二人は学校だ。これから先、視察が終わったらこういうことが日常になっていくのだろうしと思うと少しだけ引っかかった。しかもセフェクはあのレイと同じ学年だ。
私の言葉に面倒そうに頭を掻くヴァルは、何か思い出すように眉を寄せた。即答ではないということは、何かあったのだろうか。
「……楽しんでいるのは違いねぇ。ケメトが時々面倒なくらいだ」
「ケメトが⁇」
まさかの言葉に自分でも目が丸くなる。
なにか問題でもあったの?と尋ねれば「問題じゃねぇ」とだけ返ってくる。
くわりと思い出したように大きな欠伸を零すヴァルはそのままどうせ下らないことだろと投げやりに言った。王族に嘘がつけないヴァルがそう言うのだから少なくとも彼にとっては本当なのだろうけれど、やっぱりケメトのことと思うと心配になる。以前に学校で見たことも思い出せば余計に色々考える。
思わず口を噤んで顔に出してしまう私にヴァルは一瞥するとまた「問題ねぇ」と一言で切った。つまりは私に干渉されたくもない話ということだろう。
私が聞いたから命令に沿って答えただけで、彼にとっては話すつもりもないことだったのだろう。
「昨日も早めに帰りてぇだ言うからこっちの配達は後回しにしたが、その程度だ。ガキ同士のいざこざなんざ人攫い連中と比べりゃあ平和なもんだ」
じゃあな。とそれだけ言って背中を向けたヴァルはガシガシと頭を掻きながら客間へ向かっていった。
確かにそう言われてみればそうかもしれない。私も少し心配性過ぎた。学校で人間関係なんて一度は直面する問題だし、ケメトは余計一気に人間関係が増えて大変なだけかもしれない。彼が虐められる姿も今は想像できないし、ヴァルが言うのなら大丈夫なのだろう。
考え直した私は一呼吸を整えた後、書状の束を抱えたロッテ達と共に部屋へ戻った。
……
「おーいケメト!早く選択授業行こうぜ!」
窓際にぽやんと呆けていた少年に、クラスの友人が声を掛ける。
あ、はい。と一言返したケメトは席から立ち上がってすぐに椅子を机へ戻した。男女別の移動教室へ向かうべく既に複数の男子生徒がケメトの為に立ち止まっていた。
お待たせしてすみません、と丁寧な言葉遣いで謝るケメトに友人達も気にしない。彼がそういう口調なのも慣れた彼らは早く行こうと笑いながら廊下を飛び出した。
なにをぼけっとしてたんだよ、寝不足か?そういやあ仕事してるんだもんなと尋ねる彼らの早足に続きながら、ケメトも言葉を返す。次が移動だとわかっていたのに、授業が終わった後もつい呆けてしまったケメトは頭の中では別のことをまた考えた。
……今日はヴァルがいないんだなぁ。
プライドがセドリックの誕生日で不在の今、ヴァルも校内にいない。
昨晩も配達を一区切り終えた後は、早々に自分達を寮に送り届けて別の国へ向かってしまった。校内でヴァルに会ったことがないケメトにとって別段学校生活の中では支障もない筈なのに、その事実だけでほんのり胸に影が差す。
不安、とまでは言わないがそれでもいつもは居てくれるという感覚が強い。学校初日もヴァルが校内にいるという安心が強かった。セフェクに対しても不安と心細さで潰れそうな彼女を元気づけ、なかなか自分と離れたがらずに強張る彼女の足が動くのを笑顔で待つ余裕もあった。
しかし、誰より長い間一緒に居たセフェクと離れることよりもヴァルと離れることの方が自分にとって
『〝良い人〟って思いたいだけじゃない?』
「…………」
ふと、頭に過ぎった言葉に早めていた足を止めかけた。
どうした?と後ろを歩いていた友人が勢い余ってケメトにぶつかる。背中が押されるように前のめるケメトを、振り返った友人が慌てて受け止めた。相手が小柄なケメトだったお陰で巻き込まれることなくそこで止まる。
ぶつかったことを慌てて謝るケメトに友人は風邪でも引いたんじゃないかと心配するが、彼は笑顔で首を振った。行きましょう、と改めて移動教室へ足を急がせ階段になれば段差に集中した。
校庭を集合場所に指定されていた彼らが昇降口から飛び出せば、風がぶわりと大きく吹いた。寝癖まじりの髪を押さえながら友人と急ぐケメトは、校庭へと向かいながらふと三日前の夜を思い出す。
……今日は、ちゃんと会えるかなぁ。
今はいないであろう彼女との待ち合わせ場所方向に目を向けながら、転ばないように学校の友人と並んで歩く。
学校で出逢った頃は自分より細いかもと思った下級層出身の男友達も、今では学校という衣食住を整えられた環境下で体格も少しずつ変わっていた。やはり下級層の中でも自分は他の子より小柄で背も小さいと思い知る。それを卑下することはないが、事実として何度も確かめてしまう。
背も小さい上に小柄で弱々しい姿の自分と仲良くしてくれる彼らは皆良い人だと思う。少なくとも、今では記憶も薄いセフェクと二人で生きてきた頃の〝怖い人達〟と比べればずっと。
もう石を投げられた時の感覚も薄れるほど、今の自分はあの頃よりずっと恵まれている。友人にも囲まれ大事な家族もいる。そしてだからこそ思う。
彼女に会おう、と。
ヴァルとは昨日会ったからきっと明日までは配達の仕事で会えないと考えれば、他に予定もない。配達人の彼は学校潜入さえ無ければ日を跨いででも各国を駆け抜けるのだから。折角のまとまった配達期間が取れる間に、二日経つ前に自分達へ会いには戻ってこない。
なら、別に今日会っても問題ない。何時間でも待てる。むしろ折角会ってくれるならなるべく会いたい、もっと話がしたいと思うケメトはそこで今夜の予定も決めた。
友人達が校庭へ既に講師らしき大人が待っているのに気が付き駆け出したのに合わせて自分も走り出した。
『私はケメトの為に言ってあげてるの』
最後に、その言葉を過ぎらせながら。




