Ⅱ349.嘘吐き男は呆れる。
「お〜いレイちゃん、こんなクソ高そうな花瓶とかどこに置くわけ?売っちまおうぜ、花飾る趣味なんざ俺様にねぇよ」
「勝手にしろ。包んだのは俺様じゃなく侍女だ」
馬車から積荷を下ろしながら苦情を言う俺様に、レイちゃんはいつもの調子で椅子の上にふんぞり返る。
馬車と家の往復をするのは俺様と、レイちゃんところの衛兵だけだ。とうの積荷の所有者なご本人はなんとも優雅に足を組んでやがるコノヤロウ。
学校の手続きだけ終えて二限で出てきたレイちゃんは、引越しの手伝いをする気はねぇらしい。お人好しな衛兵が手伝ってくれなけりゃあ、馬車一台分の積荷全部運ぶのも俺様だけだったと思うととんでもねぇ。
流石は元侯爵家だったこともあって、レイちゃんの所有を許された品も結構な額のが多いから雑にも扱えねえ。
両手で抱える馬鹿でかい花瓶も売っ払おうと思ったが、レイちゃんの言葉を聞いて仕方なく丁重に窓際に置く。侍女がという言葉に、これは売ったらまずいもんだと理解した。
次の積荷を取りにまた馬車へと玄関を出れば、まだ陽がかっかと昇っていた。昔は散々闇夜に紛れて仕事をしてた俺様が、こんな健全に荷運びなんざ妙なもんだと思う。……ていうか、下手すりゃ今も鎖に繋がれて地下牢だ。
「わっかんねぇもんだなぁ……人生も」
はぁぁぁぁ……と息を吐き出しながら、一人でぼやく。
どうした?と衛兵のコンラッドに聞かれ、適当に誤魔化しながら俺様は再び馬車の積荷を担いだ。
まだ積荷は山のように残っている。屋敷は取り上げられたレイちゃんだが、中の家財道具だの一式は高級品以外は私物として国に取り上げられずに済んだ。
新しく買った新居は、作りだけはまともなボロ家だった。
俺様も家に金使うぐらいなら食い物か女にしたかったしレイちゃんが適当に買った家については文句もねぇが、あのデカい屋敷の家具がこのボロ屋に入り切るのかだけが心配だった。
少なくともベッドは最初から諦めた。あんなデカい貴族用のベッドを入れたらそれだけで部屋が一つ分埋まっちまう。どうせ壁も天井もあるなら床で寝ても問題ねぇ。
「なぁ兄弟、次の棚運ぶのぐらい手伝ってくれよ。俺様のか弱い腕が折れちまう」
「衛兵と一緒に運べば良いだろ。俺様はもう手続きで疲れた」
「コンラッドだろコンラッド。マジで名前覚えねぇんだな??」
覚える必要なんか無い。
そうきっぱり切りながら、ソファーの上で本を読むレイちゃんは未だ屋敷の連中の名前も覚えていねぇらしい。お陰でたった一晩でレイちゃんより俺様の方が使用人達に詳しい。
レイちゃんの裁判が終わった後、城帰りのレイちゃんと一緒に屋敷に戻った俺様はそれなりに使用人連中とも繋がった。レイちゃんの実家管理を任された連中の腹積もりを知りたかったこともあるが、それ以上に屋敷の連中の方から俺様に絡んできた。「お話したいことが」「坊っちゃまをどうぞ宜しくお願い致します」だのと、美人な侍女に話をと誘われたのは良かったが衛兵にも詰め寄られた時は何かと思った。使用人連中の話によればどうにも全員が元はと言えば、……カレン家の使用人だったらしい。
つまりはレイちゃんの生家だ。
レイちゃんには俺様の口から話さねぇで欲しいと前置かれて話されたのは、レイちゃんの母親だ。そんな昔話俺様に話してどうすんのと言いたくなったが、「この六年間坊っちゃまが信用されているのはライアー様だけでした」と言われれば断れねぇ。しかもこれから俺様が面倒見ることになっちまったんだから。
使用人達の話を統合すると、どうにもレイちゃんの父親……カレン男爵はクソ親父だったが母親はそうでもなかったらしい。いや、正確に言えば元々はカレン男爵もか?
旦那は元々人当たりの良い男で、嫁のカレン夫人はそりゃあ優しくて良い女だったと。しかも旦那の方がベッタベタに妻に惚れての恋愛結婚。カレン男爵は夫人を一目見た時から溺愛したらしい。
そんな熱烈な旦那に夫人も惚れて、わりと良い夫婦だった。そんなところで美人が禍してアンカーソン侯爵に見初められ、求められた。
夫の立場を盾にされ、自分さえ耐えれば良いんだと断れなかった夫人が孕んだのがレイちゃんだ。浮気でもなけりゃあ、寧ろ夫人も被害者だ。
使用人連中も、夫の立場を守るために身を捧げた夫人を助けられなかったのを気にしたらしい。
『希少な特殊能力者が本当にお前の血で生まれたのか疑問に思わなかったのか?』
そう言ってアンカーソンがテメェから夫人と関係を持ったことをバラしやがるまでは平和そのものだった。
特別な特殊能力者がたかが男爵家に生まれるわけがない。きっとレイちゃんは優秀な血統の侯爵家の自分の子だろうと。
馬鹿な話だ。特殊能力者が産まれるのに家柄も血も関係ねぇ、俺様みてぇな生まれでもそうなってんだから間違いない。
レイちゃんは母親似だって話だし、本当にアンカーソンの子かも怪しいもんだ。美人な妻がいてカレン男爵も妻が身籠もったことに身に覚えがなかったわけじゃねぇだろうに。
だが結果として、妻が他の男に身体を許したこととレイが憎きアンカーソンの子だと思い込んだカレン男爵はそこで変わった。
惚れた筈の妻を毎日責め続け、自慢の息子を悪魔と呼んだ。使用人連中の話じゃ、どちらが悪魔かわからなかったくらいに盛大だったらしい。レイちゃんのあの顔を見りゃあ想像はつく。
結局、アンカーソンの領地にレイちゃんは捨てられ、レイちゃんが欲しいアンカーソンにカレン男爵が消された。婦人は今もベッドの上だ。
カレン家の使用人達は、アンカーソンに自ら雇って欲しいと頼み込んだらしい。
婦人の代わりにレイちゃんを守る為に。
『奥様は、奥様は本当にお優しい御方でした。レイ様のことに毎日胸を痛めておられました』
『レイ様が居なくなってからも忘れられたことなどありませんでした』
『アンカーソン侯爵に身を許したのは一度だけです。……それも、旦那様の為に屈辱に耐えてのものでした』
『キャロル様……奥様は、当時教養も金もない自分を雇って下さりました。他の使用人達も同じです』
『レイ様が旦那様に攫われ捨てられたのも奥様ではなく我々の責任です』
『旦那様のこともレイ様のことも間違いなく愛されていました。だからこそ我々はキャロル様の代わりにレイ様を御守りすると決めました』
使用人達はどうやら全員レイちゃんの母親を慕っていたらしい。
美人なのは想像できてたが、それ以上にとんでもないイイ女だったと聞けばますます会ってみたくなる。……っつーか、マジで会うことになるかもしれねぇなと思う。
この何年も使用人達はレイちゃんが引き取られてから、婦人と和解して欲しいとレイちゃんに頼み込んだらしい。だが、何年経ってもあいつは耳を傾けるどころか使用人達の名前も覚えねぇ。レイちゃんらしいっちゃあらしい。俺様とつるんでた時も、他の裏稼業連中の名前なんざ覚えちゃいなかった。
しかもそれとなく尋ねられても、自分が父親に嬲られる原因を作った母親には今更会いたいとも思わねぇって突っぱね続けたときたもんだ。
使用人達にも心を許さなかったらしいレイちゃんは、母親からの手紙に封すら開けなかったと。誰にも心を開かねぇ、アンカーソンの機嫌も損ねて自分を〝レイ・カレン〟と名乗り続けながらカレン家とも接点を持とうとしねぇレイちゃんだったが
〝ですが、貴方様のことだけは慕い続けておりました〟
…………。ほんっと、そういう台詞は美女関連で言われてぇんだよマジで。
レイちゃんとカレン婦人の話をした使用人連中が、最後には同じ言葉で締めくくったのを思い出す。どいつもこいつも好き勝手言いやがって、俺様はレイちゃん専用の便利人じゃねぇぞ。
「会いたいと毎日のように」「探しておられました」「あんな坊ちゃまを見るのは初めてで」「我々には及びませんでしたがどうかレイ様を」「そしていつか、どうかキャロル様に」と最終的にはせがまれた。
どうにもここ数年でレイちゃんが懐いているのは相も変わらず俺様だけらしい。どんだけこじらせてんだコイツ。……いや、拗らせさせたの俺様だけど。
結局最後には今まで向けられなかった程の信用の眼差しを一身に受けた俺様は、使用人達にレイちゃんのことを丸投げされた。
人と人の間を渡り歩くのは慣れた俺様だが、生憎人と人の仲を取り持つなんざやったこともねぇ。
だが取り敢えず使用人達がどいつもこいつもレイちゃんのことを本気で心配してんのはよわかった。今こうして運んでる荷も、アンカーソンの屋敷から運んだもんだが元々はカレン家から持ち込んだものも結構あると使用人達から聞いた。さっきの花瓶もそうだろう。
レイちゃんは全く気にしちゃいないが、使用人が必死でカレン家の匂いがする物を並べ飾ったんだろう。レイちゃんが少しでも母親への郷愁に駆られるように。
顔は見たことないが貴族の男二人を奈落に落とした美女を置いて俺様なんざにご執心なんざレイちゃんは趣味がわりぃと本気で思う。
「……なー、兄弟。お前そのカレン家って一応残っちゃいるんだろ?母親~だっけか?アンカーソンの目もねぇなら会いにいけばいいじゃねぇか」
「馬鹿が。財産を相続する為には俺様がプラデストに通わねぇといけないのを忘れたか。あんな地方の田舎、馬車もねぇのに日帰りできる場所じゃねぇ」
母親の存在を仄めかしてみれば、わかりやすく衛兵のコンラッドが荷物を抱えたまま肩を揺らした。
もっと時と場所を考えろと思ったかもしれねぇが、人様ん家の話をテーブル挟んで向き合って話すのはガラじゃねぇ。どうせ結局のところコイツも他の使用人も俺様とレイちゃんにさせたいことはそれだけだ。
ガキの頃だって母親のことは大して悪くも良くも引き摺らなかったレイちゃんに、今更どう思うかなんざ聞くのもアホらしい。
「もったいねぇなぁ、ガキの頃のレイちゃんにそっくりの美人だろ?俺様も一度お目にかかってみてぇのによ」
「金も時間もねぇって言ってんだろ。よりによって子持ちにまで手ぇ出すんじゃねぇ」
「ばーか、未亡人になった程度で女の魅力は衰えねぇよ。っていうか馬車と時間さえなんとかなりゃあ行くのか?」
「…………お前も来るならな」
ガッシャーンッ‼︎
……割れた。俺様のじゃなく、コンラッドが抱えていた花瓶が。
派手な音に振り返れば、さっきのとはまた違う花瓶類を纏めて詰めてた箱の一つをコンラッドが床に落としていた。派手にぶちまけて破片が散らばってるからとりあえずあの箱の中身は全部墓場だ。
それなのにコンラッド本人は箱を抱えた手の形のまま綺麗に固まっていた。
初めて会った時、俺様が勝手に門を超えて屋敷に直行していった時もこんなツラしなかった。目を見開いたまま眼球が乾いたようにゴロついて口があんぐり開いたままだ。落とした食器にどころか、視線が顔ごとがっつりとレイちゃんの方に向いていた。……どうやら、レイちゃんがすんなり帰還を肯定したことが相当驚きだったらしい。
花瓶が砕けた時こそ本から目を上げたレイちゃんだったが、砕けた破片だけ確認するとまた興味がなくなったみてぇに本に視線を戻した。
ピラリ、と一枚捲ってから何も無かったみてぇに「片付けておけ」と口を開く。その途端、コンラッドが上擦った声でレイちゃんに身体ごと向き直った。馬車程度なら自前で手配する。是非明後日の連休に、いや明日の晩からにでも出向をと。コイツも随分と太っ腹なもんだと感心する。……まぁそれだけ母親に会わせてぇってことか。
「良いじゃねぇのレイちゃん。美人の未亡人に俺様からもちゃあんと挨拶してやるよ。〝娘〟さんを僕に下さい~ってな?」
「ッいつまで俺様を女扱いすれば気が済むんだ⁈間違っても俺様の母親を口説くんじゃねぇぞこの変態野郎!」
「おいこら兄弟!テメェこそこの男前を変態呼ばわりするんじゃねぇよ!俺様のどこが変態だ!」
「ガキだった俺様に何させたか覚えてねぇのか?三十も離れたガキに……」
「三十じゃねぇよ‼︎十だ十‼︎‼︎ほんっっと俺様の年覚えねぇなお前⁈」
娘扱いにムキになったレイちゃんとぎゃあぎゃあと怒鳴り合えば、その間にコンラッドが割れた破片を片付け始めた。
本から完全に顔を上げたレイちゃんが、その無精髭をなんとかしろだの、んな年に見えねぇだの言い返してくるのをこっちもこっちで応戦する。昔っからこうして口喧嘩もわりとしたもんだと今だけは懐かしいと頭の遠い部分で思う。
床が片付いてから再び荷運びを続行すれば、家から出た途端コンラッドから何度も頭を下げられた。
感謝します、すぐにキャロル様に手紙をと涙目で言われても俺様からすりゃあ大した説得もしてねぇし頭を掻いちまう。適当に笑って流して言いくるめたが、こんな簡単なことにも苦戦するほどレイちゃんがクッソ面倒だったことは痛いほどよくわかった。
それからなんとか馬車の積み荷全部を家に運び終えた時には、もう日もそれなりに落ち始めていた。
借りた馬車を返しておくとコンラッドが空の馬車に乗って去っていってから、俺様もやっと一息つける。肉体労働は家畜商でも慣れたもんだが、くだらねぇことに感謝されるのはどうにも落ち着かねぇ。少なくともコンラッド相手ならひと月で俺様は全財産騙し逃げれる自信がある。
「なぁ、おーいレイちゃん。ちょっと外出て見ろよ、いつまでも埃まみれの空気なんざ吸ってたら医者代がかかることになるぜ」
開けっ放しの窓とはいえ荷物を運んだばっかで大分煙い。玄関から空気の入れ換えに呼びかければ、わりとすぐにレイちゃんは出てきた。
気に入りの本を片手に「この程度で病気になって堪るか」と言うレイちゃんにまぁそうだよなとも思う。下級層で生きてた頃と比べれば、ここは大分空気が澄んでいる。流石は安くても中級層ってところか。
文句を言ったレイちゃんも外の風にあたれば、わかりやすく欠伸混じりに深呼吸を繰り返した。自覚はねぇがわりと埃を被ってたと日の光の下で見ればわかる。一人だけ大して動いてもいねぇのに首をぐるぐる回し、肩を回して眉間に皺を寄せ
「あっ?!!!」
突然思考を潰すような大声に、うっかり身構えながら振り向く。
俺様でもレイちゃんでも、ましては去って行ったコンラッドでもねぇ影がそこに並んでいた。レイちゃんが微かにそいつらへ呟いたのが聞こえたが、それよりも俺様達を指差して目をかっぴらいているガキの方が続きの声もでかかった。
俺様も一体どうなってるのかわからず、ジャンヌちゃんでもねぇその〝三人〟を瞬きも忘れて見返した。
白髪に若葉色の瞳をした双子と、似たようなツラの綺麗な姉ちゃんに。
「なんでお前がこんなところにいるんだよ?!」
まるで野犬の吼え声のようなそれの後、双子の片割れが歯を剥いてレイちゃんを睨む。
二歩背後に並んでいる同じ顔と姉ちゃんも丸い目でレイちゃんと声のでかいガキを見比べている。レイちゃんが呟いた「お前は」という言葉から考えてもどうやら知り合いらしい。まさか学校で本当に友達かもしくはもめ事でも作ったのかと思う。
「え、なに。引越しってここ?……最悪。姉さん、先に家に入ってて」
「ディオスちゃん、クロイちゃん。もしかして〝お向かいさん〟とお友達なの?」
違う、と。温度差のある声で同じ言葉が双子から同時に放たれた。
短髪の頭を無駄に掻き上げながら、レイちゃんを横目で見る。ニヤリと性格の悪い笑みを浮かべて双子達を見返しているレイちゃんに、移住初日から死ぬほど面倒で心配になる。絶対学校でやらかしてんだろコイツ。
鼻で笑いながら自分より小さい白髪のガキを見下ろすレイちゃんに、やっぱガキの頃より性格悪くなってんなと思う。俺様はこんなこと教えてねぇぞ。
それからまさかの小一時間、レイちゃんが寄りにもよってお向かいさんのガキんちょとやり合うのを俺様は眺め続けることになった。
……ほんっっっと世話が焼けるわ、うちの子は。
Ⅱ136 お向かいは




