Ⅱ342.配達人は辟易し、
「…………クソが」
薄目を開け、小さく悪態付く。
いつものように校舎裏の壁面に巣を作っていたヴァルは、自身へと殺意を向けるように一人顔を顰めた。先ほどまで熟睡していた筈の彼だが、校舎裏の小さな物音で目を覚ましてしまった。
能力で小さくのぞき穴を作り確認すれば、見回りの守衛である。雨が止みだしてからは特に水溜りやぬかるんだ地を叩く為、見回りの音は目立つ。
今朝のティアラ来訪から護衛の数こそ変わらないが警戒は上がっていた。巡回もその所為で増えてるんだろうと薄ぼんやりとヴァルは考える。
足音も気配も消す素振りもなく進む守衛にも怒りを向けながら、今は目を覚ましてしまった自分にも苛立った。守衛や教師の見回りなど校舎裏では珍しくない。むしろ定期的なものである。
もう一度眠ろうと思っても、苛立ちが勝って目が冴えてしまう。少し呆けてから寝直すかと簡単に結論づけ、一度大きく欠伸をした。
呆けるといっても、学校を終えてからの仕事を脳内で思い出すだけである。
プライドから預かっている書状の内でまだ届けていない国への配達、配達を終えてから今度は返事を受け取りに向かう国への訪問。そして受け取った書状をある程度たまればプライドへ届けるべく城へと赴く。一度に半日程度しか時間がない今は、予定の整理も面倒だった。
学校へ潜入するまではシンプルだったが、今はそれなりにややこしい。しかも学校が始まってから書状のやり取りも普段より増している。二日に一度程度の帰国がちょうど良いのに、学校の所為でそれも叶わない。
明日からはまた纏まった休みが手に入るが、ケメトとセフェクも一緒に付いてくるのならフリージアにも帰らず一気に他国への配達を片付けようと考える。
ならば今日は取り敢えずたまった書状をプライドへ配達と、新たな書状を受け取り今夜中に国を出るかと適当に決めたところで、最後はうんざりと息を吐いた。
頭がいくらか冷めたところでいつもなら再び仮眠に入るヴァルだが、そこでまた別のことが頭に浮かぶ。
……ケメトがうざってぇ。
ここ最近のケメトの動向を思い出し、今度は顔の筋肉に嫌でも力が入った。
今日まで配達の愚痴と同程度に毎回思い返すことである。特に昨日はまた妙だった。
基本的に学校があってもその前後はセフェクと同じくヴァルと行動を共にしたがるケメトだが、日を重ねるごとに一人で思い耽ていることが増えた。言葉数が少ないことは昔からだが、それでも妙なタイミングで押し黙る。違和感に目を向ければ思考が目の前とは別のものへ向いている。ヴァルやセフェクが声を掛ければすぐに気が付くが、それでも思考が忙しい様子は明らかだった。
学校で何かあったかそれとも単純に授業のことでも思い返しているのか疲労かとセフェクも尋ねたが、ケメトの答えは「大丈夫ですよ」の笑顔だけだった。
本気で無理をしているようにも見えないケメトの明るい笑みで、ヴァルにもセフェクにも未だ真意は語られていない。セフェクが「誰かに虐められたの⁈」と何度か息巻いたが、彼女も一度もケメトが虐められているのをみていない。むしろ、彼が大勢の生徒に慕われているのばかりを何度か目にしている。
ヴァルに至ってはケメトが隠す以上は自分から探ろうとも思わない。ただそれでも思い出せば気分が悪くなる程度には内側がざらついた。そして、昨晩はついに
『今夜は何時くらいに寮に帰れますか?』
そう、配達帰りに尋ねられた。
今までは帰りの時間を気にするどころか、あわよくば寮ではなくヴァルとセフェクと一緒に宿に泊まりたがったケメトがである。
セフェクがどうかしたのかと尋ねれば「友達と約束があるので」とヴァルを急かしたことを謝りながら答えていた。ケメトに急かされること事態はどうでも良いが、自分から寮に帰りたがるケメトは昨晩が初めてだった。
一瞬それこそ寮の誰某に脅されているか、使いぱしりにでもされているのかとヴァルも考えたがやはり尋ねはしなかった。帰りの速度だけを速め、いつも通りに寮へ二人を放り出した。
セフェクに言及され続けるケメトにヴァルからは何も言わなかった。
ケメトが言えばある程度のことはできるが、自分にもセフェクにもティアラにもプライドにも語ろうとしないのならあくまでケメトの問題。そこに介入したいとは思わない。
少なくとも身体に傷も打ち身もなければ、毎日配達中にその日学校であったことを飽きず話す程度には目も輝かせている。逐一ガキの悩みに探りをいれて関わりたくはない。いっそ、いい加減配達よりも学校や寮の生徒と過ごす時間が惜しくなったという方がわかりやすくて良いと思う。自分も手放しやすい。
どうせプライドの潜入視察が終われば、長くて二日に一度しか会わなくなるのだから。そして、もしケメトかセフェクが自ら他の生徒と同じ〝普通の生活〟を望んだら。
「……どっちにしろガキの面倒事に興味はねぇな」
低めた声を出し、思考をそこで断ち切った。それ以上のことを考えればまた面倒になると自覚する。
口を閉じた後も舌打ちだけが数度続いた。折角思考を誤魔化したのにまた結果としては苛立ってしまった。一括りに結んだ頭のままガシガシ掻きながら、簡単には壊れない土壁を自ら蹴飛ばした。
クソが、とまた吐き捨てたところで再び人の気配にそれも止める。
ザッザッと断続的な足音にまた見回りかと上から覗き、見下ろした。今度は巡回中の教師である。
基本的に見回りは雇われた守衛の仕事だが、今は学内治安の為に手が空いた教師も見回っている。レイが雇った裏稼業生徒の恐喝が表沙汰になった頃からは特に頻度も増していた。
今度は教師か、と口の中だけで呟きながらヴァルは息を潜める。屋上に近い高さと、完全に校舎の壁に擬態しているお陰で見つかることは先ず無いがそれでも物音を立てるわけにはいかない。確認できればいつまでも眺める必要はないがそれでも気晴らしのように教師の頭頂部を眺め、頭の隅で小さく
〝主じゃねぇな〟と確認してしまう。
そう自覚すれば、また勝手に舌打ちが洩れた。
数日前、突然現れたプライドを壁の向こうに匿ってから毎回である。今までも人の気配や話し声に反応して目を覚ますことはあったが、プライドのサボり事件後はそれが自分でもうんざりするほどに頻繁になった。
今も最初に目が覚めてしまった理由がそれである。
今までならあれくらいの気配は慣れて目を冷まさなかった。なのに今は眠りから覚めて一瞬プライドの見上げてくる姿が頭に浮かんでしまう。その度に不快になり、舌打ちを零しては己自身に悪態をつくばかりである。
正直な本音であれば、プライドに「二度と来るな」と言ってしまいたくなるほどに彼の安眠を疎外していた。しかしそれを実際に本人へ「もう来るな」と言おうとは思わない。プライドの弱みとも言える授業サボりを知れたこと自体は愉快だった。
プライドを匿うか、一時的に隠れ蓑を間借りさせること自体は構わないが、貸す彼女がまた自身の休息を疎外し屈辱を残していくくらいならば二度と来ないでくれと心から思う。
ただでさえ最近は城下でも衛兵や騎士の見回りが目に付くことが増え、路上や広場でもヴァルにとっての居心地は悪くなっていた。レイが校内で雇った裏稼業の一件の所為かと予想はしたが、具体的には興味もない。もともとこういう周期はたまにある。
「……?」
そこまで考えたところで、ふとまた違う気配にヴァルは目を向けた。
既に過ぎ去った教師とはまた別の方向で、今までのように明らかな物音も立てない気配に片眉を上げる。しかも場所は校舎裏ではなく、塀の向こうだ。
プラデストを囲う塀の向こう、外部との境目のそこから一人の人物が校内へと顔を覗かせていた。それなりに高い塀にも関わらず全くの音もなく登り顔を覗かせた人物は、その後も慣れた手並みで人目を警戒しながら首から下も覗かせた。
衛兵ではなく先ほどの教師の見回りを流してからの行動に、大分手慣れているなとヴァルは考える。
ただでさえ外部の侵入者というだけでヴァルにとっては能力を使って捕らえられる理由になるが、それ以上に気に掛かったのはその人物の容姿である。
〝ライアー〟に酷似した特徴を持つその人物の。
「似たような野郎なんざ腐るほどいるが……」
髪も目つきとその色も、裏稼業では珍しくない。
しかしそれでも髪以外はヴァルが絞り上げた裏稼業生徒から聞き出した特徴と同じだった。




