Ⅱ42.騎士は呆ける。
「よぉ!ジャック、フィリップ、ジャンヌ」
……また声が掛けられる。
もう校門を潜ってから十度目だ。殆どが男だけど、どいつもやっぱプライド様に目がいってンなと思う。
俺やステイルには普通に笑い掛けてくれンのに、プライド様には目も合わせられないか、もしくは違和感のある笑顔だ。……あの人への敵意じゃないだけマシだけど。どっちかっつーと〝気にしてないふり〟って顔だ。
エリック副隊長と分かれた後、校門守衛担当の騎士には気づかれなかったけどやっぱり心臓に悪い。眼鏡の蔓を両手で押さえながら俯いて潜る時には毎回色々申し訳ない気分になる。極秘任務ってことにはなってるけど、やっぱ騙していることには変わりねぇし。
「……それでジャンヌ。さっきのキースさんへの爆弾発言については聞いても?」
いつもの席に並んで座ってからすぐにステイルが投げかけた。
本当ならこれから別クラスを見に行く時だけど、今朝はキースさんとのいざこざで登校した時間もギリギリだし、今はこっちの方が重要だった。
昨日よりかステイルもプライド様に集まってくる奴らに敵意も少ねぇし慣れたかなと思ったら違った。たんにそっちの方が気になっていただけらしい。
ステイルが投げた話題に俺も一気に意識が向いて、隣に座るプライド様へ前のめる。机に両腕をついて顔を覗き込めば、きょとんとした顔で俺とステイルを交互に見返した。
爆弾……?と繰り返すプライド様にステイルが「学校入学理由と将来の展望についてです」とはっきり言えば、理解したように口を開いてから頷いた。
「昨日、職員室に呼ばれたでしょう?あの時にもちょうどその話をしたの」
そう言ってプライド様が潜めた声で話してくれたのは、昨日の職員室での内容だった。
俺とステイルはパウエルと一緒に廊下で待っていたから聞いてなかったけど、どうやら教師に飛び級進学を薦められたらしい。でもンなことしたら目立つし、何よりステイルや護衛の俺とも離れちまうしで断ったプライド様は、それでも熱心に薦めてくる教師に理由をつけて断った。
同い年の恋人を探す為に飛び級はしたくないと。
聞いた途端、変に頭に血が上ってグラリとした。
同時にステイルも頭を抱えて机に屈んだ。顔がうっすら赤いけど、多分俺もだろうと鏡を見なくてもわかる。確かにそう言やァ飛び級は諦めて貰えるだろうし、別に庶民には珍しくもねぇ理由だ。けど、それを他でもないプライド様の口から言われると視界がグラグラする。なんでこの人はそォいうことをさらっと言えンだ。
嘘でもプライド様が恋人探しとか言うと、本当に探してるみてぇに聞こえて顔が熱くなる。この人から男探しとか言葉を聞くと色々心臓に悪すぎる。
「そういうことは先に俺やジャックにも教えて下さい……!」
俺達を心配するプライド様にステイルが絞り出すように言い放つ。
俺もそれに首が壊れるぐらいに頷き、同意する。最初から聞いてれば、まだキースさんの前でも平然といられたのに急に言われるとプライド様のその場凌ぎの嘘なのかそれとも、…………実は本気で別の婚約者候補探してンのかわかんなくなる。実際、あの時は一瞬本気でそう思って咽せ込んだ。
放課後帰る時になったらちゃんとエリック副隊長にも教えねぇとと思う。エリック副隊長は婚約者候補についてはカラム隊長のことしか知らねぇけど、俺やステイルと一緒で絶対驚いたと思う。
ご、ごめんなさいとプライド様が慌てて俺達に謝る。まさか二度も同じ言い訳を使うことになるとは思わなかったのと言われれば、上手く責められなくもなる。そりゃァ使うことになるって思われてた方が困るけど。
以前よりはずっと自分の悩みとか抱えてるもんとかすぐに打ち明けてくれるようになったプライド様だけど、そういうとこは相変わらず抜けてンなと思う。下手すりゃあ未だに校内で男達に人気がある事も気付いてねぇンじゃねぇかと本気で思う。……いや、絶対気付いてねぇ。
「事情はわかりました。ジャンヌ、間違ってもその入学理由は今後容易に話さないようにして下さい。……特に異性には」
眼鏡の黒縁を指で押さえながらステイルが顔を上げる。
まだうっすら火照った顔で最後は言い聞かせるようにドスを低めた。俺からも「頼みます……!」と裏返りそうな声を抑えて捻り出せば、プライド様が片方だけ引き攣った口端のまま「わ、わかったわ……?」と了承してくれる。やっぱステイルも俺と同じことを考えたんだろう。
『あの年頃は、本当に何でもやるぞ』
この前エリック副隊長に言われた言葉を思い出せば、構え過ぎでも用心しとかねぇとと思う。
今のところ、プライド様に関しては目を奪われるか妙に違和感のある視線を向けるぐらいだけど、うっかりプライド様が「恋人募集中」みてぇなこと言ったら一気に火がつく気がする。実際、レオン王子との婚約解消した後のプライド様はそうだった。
「でも大丈夫よ。だって最終的に本当のことを話す相手は騎士団だけだもの」
ッッいやそういう問題じゃねぇし‼︎‼︎
俺達を宥めようとするみてぇに笑って見せるプライド様に、叫びたい言葉を喉の奥で抑えつける。代わりに「そぉいうンじゃ……‼︎」とまで掠れた声が漏れ出たらステイルからも同時に「そういう問題ではっ……」と声が重なった。プライド様が不思議そうに首を捻るけど、それ以上は俺もステイルも言えなくなる。
学校に正体がバレた後の事が問題じゃなくて、権威も何もねぇ一般庶民のジャンヌを下手すりゃあ同学年の連中全員が……!になんて流石に恥ずかしくて言葉にできない。何とか言えたとしてプライド様なら「買い被り過ぎよ」と笑って済ませちまう。……いっそ、表向きだけでもフィリップとジャンヌが付き合ってるってことにすりゃあ丸く収まるんじゃねぇかと思う。義弟だし婚約者候補だし、それぐらいの許可出ねぇかな。
そんな事を沸騰しそうな頭でグツグツと考えながら、ステイルと二人で言葉に詰まっていると、一限目の鐘が鳴った。同時に教師が入ってきて、席に着けと全体に声を掛ける。それを合図に俺達も一度口を閉じて正面に座り直した。
「では、先ず出欠確認から始めます」
昨日と同じように生徒の名前を順々に呼ぶ教師の言葉を聞きながら生徒の背中を見回すけど、まだ顔と名前も合致しない。
多分プライド様は大体覚えただろうし、ステイルもある程度は頭に入ってンだろうなと思う。式典の出席者数と比べれば少ねぇし、二人は俺とは頭の出来が違う。俺が覚えられたのは、初日に話しかけてきた男子数人と後は……
「アムレット・エフロン」
あの子くらいだ。
名前を最初に呼ばれた時からステイルが明らかに動揺してたし、お陰でクラスの誰よりも印象に残ったからすぐ覚えた。しかもステイルから関係を聞いてみれば、もう完全に顔も名前も頭に入る。なるべくステイルとアムレットは直接関わらねぇようにしてやらねぇと。
今のところは大して接点もねぇし、プライド様もクロイ達のことで忙しいし大丈夫だろうとは思うけど、まだ一ヶ月が始まったばかりだし気が抜けない。
教師から俺の名前を呼ばれ、返事をする。続いてプライド様とステイルの名前を聞く。最後の一人まで教師が名前を呼び終わると、また一限目の授業からと軽く説明が入った。
一限目が座学、二限目が男女別の選択授業、三限目が男女共有の選択授業、四限目が座学と毎日変わらない。クラスによって必須と選択授業の順番は違うらしいけど。
肘をつき、窓の外に視線を移す。
……鍛錬してぇな。
早朝演習は参加できるけど、それだけじゃどうにも足りねぇ。
手も足も、外を見るだけで疼く。身体を動かすような授業があるのは、三限目の男子のみの選択授業だけだ。
任務でも護衛や警護とか遠征とかであんま身体を動かさねぇ時もあるけど、座りっぱなしはどうにも落ち着かない。騎士になる前だって暇さえあれば店の手伝いか畑を耕してた。
教師が話すのを聞きながら、欠伸を堪えて歯を食い縛る。演習場に戻ったら、早速ハリソンさんに手合わせに付き合って貰おう。
こうして俺とハリソンさんと任務で出ている間は、副団長のクラークと前副隊長のイシドアさんが八番隊を見てくれてる。城に戻って演習場で引き継ぎを済ませて、午後過ぎの演習に加わって……となると結構あっという間に一日が終わる。演習が終わってからだと、夜遅くにアラン隊長と手合わせや鍛錬に付き合わせて貰うことも増えた。あの人の鍛錬量には未だにとてもついていけねぇけど。
エリック副隊長もカラム隊長も俺と同じだったのか、昨日は二人とも演習後に自主鍛錬をしてたらしい。やっぱ身体を動かさねぇのが続くとあの人達でもキツいんだなと思う。特にカラム隊長とアラン隊長は午後もプライド様の近衛騎士任務で演習に加われねぇから、余計に身体が鈍るんだろう。
『やはりアラン隊長も勝手が過ぎます』
「………………」
ノーマンさんの言葉が、脳裏に過ぎる。
それだけで頭が痛くなるし、この場にいねぇアラン隊長に申し訳なくなって思わず片手で頭を抱えて背中ごと丸くなる。頭が重過ぎて机に突っ伏しそうになると、プライド様が「眠くなったら無理しないでいいからね」といきなり耳元に囁いてきた。
不意打ちを食らって耳を直接息で擽られて、心臓が飛び跳ねる。肩が上がると同時に背中が伸びて、逆に目が覚めた。
いえッ、と潜めて言葉を返したけど、プライド様は驚いたように目を丸くした後にクスリと花のように笑った。お陰で落ち着こうとした心臓がまたバクバク鳴り出す。プライド様の奥でステイルが俺から顔を背けて小さく肩を震わし出す。あの野郎絶対笑ってやがる。
教師に気付かれる前に、深呼吸を繰り返しながら正面を向く。落ち着け、落ち着けと頭に言い聞かせながら、何を考えてたんだっけと思い出す。
『やはりアラン隊長も勝手が過ぎます』
そうだ、これだ。
また頭を抱えそうなのを意識的に堪えて、代わりに奥歯を噛み締める。
本当にノーマンさんはどうすりゃァ良いンだ。ひと月後までわかって貰えないことが歯痒い。
あの日、アラン隊長にも演習場で改めて詫びたけど、気にしてないの一言で片付けられた。ノーマンさんの容赦ない正論は知ってたけど、アラン隊長にまで言ったのは結構衝撃だった。しかも本当は誤解だってのが特に。
アラン隊長なら本当に親戚の子とか来れば学校の寮にだって入れてくれるだろうし、自分の都合だけを優先するような人じゃない。ンなこと、騎士団なら全員わかってることだし、今回のことだって俺が何も知らなくても、アラン隊長のことだから絶対何か理由があるんだろうと思っただろう。……早く、誤解が解けりゃァ良いのに。
ノーマンさんは、ステイルほどじゃねぇけど口も悪いし容赦ない。けど、悪い人じゃない。八番隊の中ではわりと挨拶も返してくれる方だし、返事も言葉で返してくれる。基本的に正論だし、自分の間違いにだって認めたらちゃんと謝罪できる人だ。
アラン隊長のことだって実は極秘任務ってわかれば俺が言わなくても謝ってくれると思う。言い方こそ刺はあるけど、自己中心な言い分じゃない。それにあの人は……
『僕なんて所詮は─……』
尊敬できる人だと、思うから。
なのに、ノーマンさんがアラン隊長にあんなこと言っちまって、更にはステイルやプライド様にも聞かれちまった。ノーマンさんと同じ隊の俺だって驚いたのに、ステイルからの印象なんて最悪だろう。
詳しくエリック副隊長から聞いた時にはアイツも結構頭に血が上ってた。アイツは未だに直接関わっている騎士なんて両手で数えるぐらいしかいねぇだろうし、最近は前より近衛騎士の先輩達とも仲良くなっていた。昔っからプライド様とか自分の味方以外には容赦ねぇし、根に持つ奴なのに。完全にノーマンさんも悪く見られた。多分誤解が解けてアラン隊長に謝っても暫くステイルは根に持つんだろうなと思う。
アラン隊長との話を知ってる筈がない俺から窘めるわけにもいかねぇし、言ったところで一言で頷いてくれる気もしない。あの人は自分が正しいと思う限りは絶対折れない。
俺自身、話しかける度に逆に怒られてばっかだ。隊長に就任してからも容赦ない。
『まさかとは思いますが、自分への嫌味か何かでしょうか。もしそうだとすれば心から軽蔑します』
ぐあっと、また別の記憶に頭を殴られる。
いやあの時はちゃんと誤解も解けたけど‼︎‼︎……今思うと、アレが一番ノーマンさんがキレた時だった。でも理由を話したら一応了承してくれたし、それからはその事については一度も怒られなくなった。やっぱ話せばわかってくれる人だと思う。言い方はキツいけど。
八番隊は極力関わり合いを嫌がる人ばっかだし、刺のある話し方や態度もノーマンさんだけじゃない。ハリソンさんは最近は少し俺と関わってくれるようになったけど、やっぱそれも隊長就任したからだよなぁと思う。隊長命令になってからは、ちゃんと話してくれるし関わってくれるし飯も手合わせも付き合ってくれるし、呼べばすぐ来てくれる。……他の八番隊の人も命令は聞いてくれっけど。言葉の刺や返答の有無さえ気にしなければ、一応全員が。
ハリソンさんみたいに隊長格になってから、ノーマンさんともちゃんと話せりゃあ良かったと今更後悔する。八番隊は皆関わりを嫌がる人ばっかだから俺も無理に関わって嫌な気分にさせたくなかったし、八番隊の人らも自分から俺に関わらない。隊長になった今もそれは変わらない。……もしかしてハリソンさん押しのけて俺が隊長なのも、腹ン中で不満なのかなとか思うとその度に落ち込みかける。聖騎士の称号を貰った時だってすっげぇ何人にも睨まれた。
……これで、うっかりノーマンさんに極秘潜入が俺の所為でバレたら。
「八番隊の隊長が部下に隠し通せずになど呆れて物が言えません」「少しは隠そうと努力されましたか」「近衛騎士が王族の足を引っ張ってどうするのですか」「隊長の所為で任務失敗など。それとも僕が鈍感でなかったことが悪いのでしょうか」……駄目だ、どれもすっげーーー有り得る。
ステイルがアムレットと関わりたくねぇってンなら、俺はノーマンさん……っつーか妹のライラだ。ステイルと同じように俺もなるべくライラとは関わらねぇように気をつけねぇと。
そう心に決めながら、教師が使う黒板に目を向ける。さっきまでは文字の読み書きを復習してたけど、今は法律だ。基本的に文字の読み書きは毎回必須科目の度に復習も入れてさらうらしい。やっぱ勉強の基本はそれなんだろう。
法律の授業も、まだ基本しかさらってなく、騎士の俺でも知ってるくらいの法律ばっかだった。男女の成人年齢とか、奴隷禁止とか、他国に入る時の特殊能力の事前申請とか輸入輸出の申請許可とか。中には持参した紙やノートにペンで内容を書き殴っている奴も何人かいる。すげぇ真面目だ。視線を上げればアムレットもその中の一人だった。
アムレット、ライラ……ンでファーナム姉弟。プライド様がした学校の予知とは誰も関係ねぇけど、既に結構大変なことになってるなと改めて思う。
この日の放課後、早速〝大変なこと〟が起こるのを、俺はまだ知らない。




