Ⅱ338.頤使少女は聞き、
「それはまた……すごい偶然でしたね……」
翌朝、なんとか就寝時間内に眠れた私は欠伸無しで朝を迎えることができた。
苦笑気味に聞いてくれるエリック副隊長に、それでも欠伸の代わりに溜息が吐きたくなってしまう。
いつも通りギルクリスト家を出た私達は、今通学最中だ。朝日を浴びて……と言いたいところだけれど、生憎久々の雨模様である。
ここ最近は晴れが続いていたけれど、バラバラと降られる雨に四人で二つの傘で泥に跳ねられながら歩いている。大人用の大傘を開くエリック副隊長の隣に私がくっつきながら、反対隣ではアーサーが差す傘にステイルが入っている。私と違ってステイルは自分用傘も持っているけれど、今は私がエリック副隊長に入れて貰っているのと同様にアーサーの傘に入れて貰っている。護衛と王族というのも勿論あるけれど、ただでさえ通学路にも関わらず四人並ぶどころか四人傘を差して歩いたら通行の邪魔でしかないからそれもあるだろう。
「僕も最初に聞いた時は驚きました。まさかネル先生が副団長の妹君だったとは……」
「その妹さんなら自分も演習場で見かけました。副団長の身内が訪問されるなど初めてなので、騎士達も驚いていました」
まさか彼女が講師とは……、と今までネル先生と直接関わったことはないエリック副隊長もまた別の意味で驚いたらしい。
エリック副隊長の話だと、ネル先生は演習場でもなかなかの注目の的だったとか。副団長室で何を話していたかまではわからないけれど、結構な数の騎士が目撃していると教えてくれた。ハリソン副隊長がこの上なく丁重に送り届けたとかで、余計注目されたらしい。まぁそこは慕う副団長の妹さんだから当然だろう。騎士団長子息のアーサーのことだって溺愛してるのだから。
そして、……暫くして副団長室から出てきた副団長が大分疲弊した様子だったことも噂に上がったと。
「ジャックのことも噂になってたぞ。副団長に詰め寄っていたのを何人かの騎士が見ていたからな」
「……すみません、お騒がせしました……」
エリック副隊長の言葉にがっくりと肩を落としたアーサーは、歩きながら深く長い溜息を吐いた。
ハァァァァァ…………と吐きながらも、しっかりとステイルに掲げている傘の位置は保っているのが彼らしい。昨日も休息時間を取ったステイルと手加減無しの手合わせをした彼は、まるで昨日の私みたいに疲れ気味だ。
突然の懐かしい再会をあんな形でしたのだから気疲れしても仕方が無い。しかも今の話だとどうやら王居から飛び出していったまま無事副団長にがっつり直訴したようだ。
「事情は、まぁわかったンすけど……やっぱ隠されてたのは腹ァ立って。結局演習後も苛ついてハリソンさんに付き合って貰いました……」
「この俺を付き合わせておいてまだ足りなかったとは良いご身分だな?」
「テメェを一晩中打ち合いに付き合わせれるわけねぇだろォが」
不満げに声を尖らせるステイルに、アーサーが無茶言うなと言わんばかりに眉を釣り上げる。
確かに一国の王子相手に一晩剣の相手をさせるのは流石に気が引ける。今の言い方だときっとハリソン副隊長には一晩中付き合ってもらったのだろう。
エリック副隊長が「明け方まで聞こえてたな」と笑うのを聞くと、なかなかの長期戦だったようだ。
つまりは今のアーサーの疲弊は気疲れだけでなく体力的な疲労もあるのかなと思う。
けれど、ステイルからすればそれでも自分との手合わせじゃ不服と言われた気がして悔しかったんだろう。言い返された後も、アーサーと違って自由になった両腕を組んで不満を示している。
別に時間帯の問題なだけでステイル相手じゃ本気を出せないという意味ではないと思うのだけれども。それに、休息時間になった途端一番にアーサーから手合わせ相手に希望されたのはステイルなのは事実だ。
「ハリソンさんにはクラークのこと愚痴れねぇし、言えねぇぶん完ッ全に剣と拳だけの潰し合いだったンだぞ」
「言えば良いだろう。それこそ本気で相手して貰えたぞ」
「一晩じゃ足りなくなンだろォが」
遠回しに愚痴れる相手はステイルだけだと言ってくれているのだろうアーサーに、今度はステイルもちょっと機嫌が直ったように小さく笑った。
ちょっと意地の悪い笑みにアーサーが傘を持った方の肘でステイルを突く。副団長の愚痴、という言葉に本当に鬱憤が溜まってたんだなぁと思う。
確かにそれは他の騎士達には当然のこと、騎士団長と副団長を慕うハリソン副隊長には言えないだろう。……アーサーも充分ハリソン副隊長のお気に入りなのだけれども。
「副団長もお疲れのご様子だったぞ?演習監督は滞りなくされていたけど騎士団長が戻られた途端、一直線に飛びついたらしい」
はははっ……、と既にアーサーと副団長の仲も知っているエリック副隊長が宥めるように笑う。
大人用の大きな傘を私の方に傾けてくれている所為で見上げれば反対側の肩が濡れている。一緒に入るなら一番大きい傘のエリック副隊長に入れて貰うことになったけれど、身長差がある分図りづらいのだろうか。
これでも傘から零れないようになるべくくっついたのにと、そう思いながら更にエリック副隊長にくっつく。いっそ肩がぶつかるぐらいに密着してみれば、今度は歩きにくくなったのかエリック副隊長の肩が大きく上下した。雨の日に傘を差して長距離歩くこともなかなか無いからどうにも傘の共有は慣れない。
私がエリック副隊長との傘共有にこっそり奮闘している間に、アーサーがまだ根に持つような低い声で「どォせまた飲みの約束でもしてたンすよ」と吐き捨てる。
なんだか副団長の話題だからか、アーサーがいつも以上に今の見かけ年齢と同じに見える。
「クラ……副団長はネルさんのことは昔から大事にしてたンで。なので、まぁ……城で働けること自体は副団長も喜んでいると思います。俺も、ネルさんの栄転は嬉しいです」
そう言いながら、視線を私に向けたアーサーが小さく首だけで頭を上げてくれた。
副団長は怒ってはいないと励ましてくれる優しさに、私も自然と顔から力が抜ける。心からの笑みのまま「良かった」と感謝も込めてアーサーに笑い掛ければ口をきつく結んでしまった。
顔がじわっと紅潮するアーサーに、ネルのことで照れているのかなと思う。久々とはいえ副団長の妹さんということはきっと子どもの頃は優しいお姉さんだったのだろうし、きっとアーサーも慕っていたのだろう。小さいアーサーがネルに駆け寄る姿を想像するだけで微笑ましい。
すると、私と同じ事を想像したのかステイルから「お前とネル先生はどういう関係なんだ」と問いが入った。もう機嫌は直ったのか、眼鏡の黒縁を軽く指で押さえながら自分より背の高いアーサーに顎を上げて睨む。
私もそれは気になったと視線を向ければ、アーサーは「大したのじゃねぇよ」と一言断った。編み込まれた銀髪を揺らすほどの強さでガシガシと頭を掻く。
「俺がずっとガキの頃にクラークから紹介されて何回か父上ぐるみで飯食ったり家に招いたり招かれたりしたくらいで……。会ったら話すけど、俺は外ばっか出ててネルさんは家で縫い物ばっかしてたから父上とクラークがいねぇと接点もねぇし。あっ、でも昔からすっげー良い人でした!話したら物腰も柔らかくて‼︎」
途中で思い出したように私にネルのフォローしてくれるアーサーに、彼らしくて笑ってしまう。
わかっているわ、と言葉を返しながら二人とも昔から変わらないんだなと思う。
アーサーはご実家の畑作業か、諦める前なら騎士の訓練に励んでいたのだろうしネルは刺繍に夢中だったなら活動域がバラバラなのも頷ける。
個人的には遠目から縫い物をしながら小さいアーサーの駆け回る姿を見守るネルを想像したかったけれど、どうやらそれはなかったらしい。




