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フリージア王国備忘録<第二部>  作者: 天壱
頤使少女と融和

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Ⅱ332.頤使少女は勧誘する。


「こちらになります」


衛兵からの通達で用意された馬車に揺らされてから暫く。とうとう辿り突いたのは、城内でもひと際豪奢な建物だった。

マリーに続いて馬車の扉をくぐり、トランクを両手で持ち上げながらネルは降りる。

ガタン、と力が上手く入らず段差にトランクの角がぶつかったが豪奢な馬車にぶつかったことすら今は気にならない。それよりも遥かに目の前の建物が壮観だった。今までの人生で目にしたことない規模と美しさを誇る建造物が並んでいる。

どうぞ、と落ち着き払ったマリーが真っ直ぐに宮殿の一つへと向かい歩いていく中もネルは足下がぐらぐらと揺れているように感じた。女性にとって憧れともいえる建造物をこの目にできている事実と、今自分がその建物内へ客人と招かれることを今でも夢ではないかと思う。


馬車の中でも何度も頬を抓ったり両手でぺちぺち叩いてみたが、全く現実感がない。

力の入らない震える指で抓っても頭が沸騰した今は痛覚も殆ど感じず、ぺちぺち叩いたところで同じだった。それどころか見かねたマリーに馬車の中で身嗜みを整えるのを手伝われてしまった。

ハンカチで汗を拭かれ、乱れた髪を整え服の皺を伸ばす手際の良さは間違いなく熟達の侍女の手だった。いっそ自分の知る現実に戻りたいと思いながらも、これは詐欺の域を超えていることだけは確信した。


いつもならば使用人専用の出入り口から宮殿に入るマリーだが、今回は客人を迎える為に正面の玄関へと進んでいた。

客人もゴロゴロとトランクを引きながら背後に続くが、あまりにも小さくなるネルにまるで連れて来た自分が宮殿の主かのような錯覚をマリーは覚えてしまう。

姿勢を正し、玄関口を守る衛兵に声を掛ければ既に話が通っていた彼らは礼を返し彼女らを通した。内側へと開かれる重厚な扉の装飾にそれだけで今のネルは息が詰まりかける。服越しに心臓をぎゅっと掴み、せっかく降りる前に整えて貰った服にまた皺を作った。

彼女達が訪れたことで、宮殿で待ちかねていた侍女達も速やかに主人へ報告に向かう。宮殿内の使用人の中で最も立場のあるマリーへも深々と頭を下げた侍女達は、流れる動作で二人を迎え入れた。

荷物を、上着をお持ちしますとそれぞれ声をかけられれば、ネルの声が短くひっくり返った。お気遣いなく……!と大事な商売道具の入ったトランクだけは死守したが、上着だけは流れるような動きで侍女に回収された。


「先に客間にお通しして良いとのことです。このまま向かっても宜しいでしょうか」

侍女の一人から報告を聞いたマリーに振り返られ、ネルは返事の前に喉が干上がった。

もともと乾ききっていた喉が砂を飲んだようにカラリと声まで霞み、言葉の代わりに二度頷いて意思を示す。本音を言えば呼吸を整える時間と水を飲みたかったがあまりの緊張感にそれを望む余裕もなかった。

既に建物に当てられたように火照ったネルの顔色に、マリーは自身も荷物や上着を侍女達に任せながら一度口を閉ざす。ネルと同じ距離を歩いたにも関わらず、マリーの方は落ち着き払ったまま一滴の汗すら流れていなかった。


「プライド様がいらっしゃる前に水差しとグラスを」

第一王女の専属侍女であるマリーの言葉に、周囲の侍女達は一斉に張りのある声で返す。

本来であれば自身も侍女であることを示すべく普段の装いに着替えようかと思っていたマリーだが、あまりに緊張の色が見て取れるネルに急遽変更する。今はあくまで〝仲介者〟として、ネルと同席しようと頭の中で決めた。


マリーに連れられ、客間まで案内されればネルも少しは落ち着いた。しかし、客間と呼ぶには広すぎる空間と上等なソファーや装飾と絨毯に、緊張で閉じていた筈の口がぽかりと開いた。

城内に入ってから豪奢と思えないものがない。一瞬ここが王族の部屋かと錯覚してしまいそうになるほどに充分客間も上等な造りだった。今まで彼女が商売や就職の為に通された客間や応接間とは比べることすら烏滸がましい。

促されるまま新品のような光沢を誇るソファーに恐る恐る腰を下ろし、侍女が用意した水を「プライド様が来られる前に」とマリーに勧められればもう警戒する余裕もなく飲み込んだ。

こくこくと小さく細い喉が鳴ってしまうほどの勢いで潤し、グラスを空にする。グラスに二杯目を注ぎながら、少し落ち着いたか声を掛けてくるマリーに今度こそ言葉で返せた。


部屋の外に衛兵と侍女が控えるだけで、いまこの部屋には自分とマリーのみ。そしてマリー本人はソファーに掛けずネルの視界に入る位置に控え佇んでいる。

仮にも仲介者とはいえ客間のソファーに自分が座ることなど許されないと、敢えて佇み待つマリーにネルはもう指摘することもなく理解した。侍女という立場の人間がそういう常識があることは彼女も知っている。そしてここまで来ればマリーを〝偽物〟と思うことなど不可能だった。

二杯目のグラスを今度は一口ずつ傾けながらも、ネルは無言のままだった。静けきった部屋と第一王女を控えて、無駄口の一つすらする気にならない。ソファーの横に置いたトランクを数ミリ更に自分の方へ近付けながら、深呼吸を何度も繰り返す。今、彼女の胸には一抹の不安と緊張しかなかった。


〝何か不敬があれば〟のそれだけが頭に回る。

唯一の救いは、マリーの主が第一王女ということである。それが真実であれば、自分は間違っても今まで出逢った権力者や資産家のように足下を見た冷やかしや不当な扱いは受けないとネルは確信を持てる。

数ヶ月前の奪還戦では、当時住んでいたロウバイ王国まで噂は広がったがそれ以前からもプライドの噂は有名だった。

〝美しく心優しい第一王女〟〝アネモネ王国の第一王子と婚約解消後も盟友として良好な関係を築いている〟〝大陸中の男達に望まれる高嶺の花〟〝ラジヤからの侵略をきっかけに閉ざされたハナズオ連合王国と同盟を結んだ救いの女神〟〝学校・国際郵便機関の立案者としても知られる優秀な王女〟と、尾ひれも含めれば噂の数は計り知れない。

国中の憧れの的でもあるプライド第一王女にこれから直接お目にかかれるという緊張と共に、不敬を犯してしまったらという不安のみ。

〝プライド第一王女〟なら裏表などあり得ないと思えば、張り詰めていた心臓へ僅かに期待も加えられそうになる。もし、もしも本当に少しでも気に入って頂けて貰えたらとそう頭に過ぎりかけた瞬間。



コンコンッ



軽やかなノックの音に、それだけでネルの肩は激しく上下した。

マリーが手早くグラスと水差しをテーブルの上から片付ける中、ネルは一滴の欲に鞭を振るわれたような気持ちになった。

悠長にソファーに掛けていることもできず、マリーが返事をする前から立ち上がってしまう。姿勢を正し、口の中を強く飲み込んだ。

扉の向こうに居る衛兵と、傍にいるマリーのやり取りが往復してからとうとうゆっくり扉が開かれた。

両手でドクドクと血流を巡る心臓を押さえ付けながらネルは息を止める。指の先からつま先まで疼かせながら、今自分がどんな表情をしてしまっているかまで考えた。


「お待たせしました。お忙しい中ご足労頂き、感謝します」


凜とした声が響かされ、現れたのは深紅の髪をなびかせた女性だった。

白い肌おきりりと釣り上がった眼差しに一瞬自分より年上かのような錯覚を持たせられるが、間違いなく自分よりも若い女性である。

公式の場でないにも関わらず星の欠片のような化粧を鮮やかに施され揺らめく髪の先まで整えられた姿は上等なドレスと合わせ、今まで自分が目にしてきた令嬢の誰より美しいとネルは思った。意識的にではなく、本当に息の詰まるほどの美しさに視界がクラついた。

唇をきゅっと結び、瞬きも忘れて見返せばそこに居るのは間違いなくプライド第一王女だった。

正体をバレないように入念に化粧を施した宮廷化粧師の力作でもある。

一拍置いてから、挨拶を掛けてくれた第一王女に急ぎ言葉を返そうとしたネルだがその前に引っかかった。煌めく王女が第一王女一人ではないことに、頭の中では悲鳴すら上げたくなる。


「第一王女のプライド・ロイヤル・アイビーと申します。そしてこの子は、我が愛しい妹のティアラ。私と同じで、マリーから見せて貰った刺繍を見て是非とのことで同席させてもらいました」

プライドの紹介と共に、傍らに一歩下がって控える王女に口を覆いたくなる。

第一王女だけでも充分恐ろしいというのに、更にその妹までの同席である。続いて入ってくる近衛兵と専属侍女、近衛騎士二人も視界に入らない。プライドとは異なる印象の天使のように可愛らしい王女に思わず顔が赤らんだ。

王女二人の紹介に慌ててネルも声を震わせながら名乗り頭を下げる中、脳内だけが暢気に新しい刺繍やデザインの発想へけたたましく働いてしまう。

こんなに絵になる女性を初めて見たと心の中だけで叫び、この光景をしっかりと頭に焼き付けなければと思う。創作意欲にうずうずと今すぐ浮かんだデザインをメモしたくなるのをぐっと堪える。

しかし、その思考もテーブルを挟んで王女二人と向かい合い座り始めてからはいとも簡単に閉ざされた。


「マリーから刺繍を見せて貰ってからお会いしたくて仕方がなかったの」

「私もですっ。すっごく素敵でしたもの」


ねっ、とそのまま王族姉妹揃って互いに顔を見合わせる。

両手を重ねて笑う仕草から最後の一音まで揃えた王女二人に、ネルの顔が更に茹だり出す。噂以上の美貌を兼ね揃える二人にいま自分の刺繍が褒められているという事実に、目の前の現実をまた疑い掛ける。

プライドがそういう人間ではないことは知ってる筈なのに、お世辞か冗談かと思いそうになる。


更にはマリーがここまでの経緯を簡単に説明しながら「彼女の商品をいくらか見せて頂きましたが、どれも見事なものでした」と言えば、王女二人の顔がぱっと輝き出した。

あるのですか⁈是非!と声を弾ませられる。まるで少女のような明るい笑みに、ぼやけた頭が学校で初めて自分の作品を褒めてくれた二人の少女と重なった。

これが一生に一度の機会だと、茹だる頭へ必死に水をかけながらネルはトランクを手に取った。いつもの慣れたトランクの鍵開けにすら指が震えて引っかかるが、慎重に開けばマリーにも披露した刺繍やドレスがいくつも顔を出す。

こんな展開になるなら学校から直行ではなく家からも数着持ってくれば良かったと叫び出したいほど後悔するが、もうどうにもならない。


「素敵っ!どのドレスも細部まで凄く綺麗だわ。本当に一人でこんな素晴らしいのを作られたのですか?」

「どれも初めて見るものばかりですっ!お姉様、このショール絶対お姉様に似合うと思います‼︎」

マリーにも手伝われながら一枚一枚広げて見せる衣服やドレス、刺繍のどれもに王女二人が声を弾ませる。

本当にネルの刺繍一枚しか見たことのなかったティアラもだが、プライドも今こそ遠慮無く褒めちぎって良い時だとネルに言いたかった言葉を次々と重ね出す。

生徒だった時はいくら褒めても素人目の身内賛辞にしか聞いて貰えなかったが、今ならば第一王女として本気で良いものだと訴えられる、語れると。妹のティアラが隣にいたことも手伝って水を得た魚のようなはしゃぎようだった。

しかもあの時には見なかった新しいデザインの作品も目に付けば、嬉しい悲鳴が上がりかける。特に可愛らしいドレスを手に取れば、目の前にいるティアラに似合うだろうと目が輝いた。


はい、光栄です、恐縮です、いえそんな、ありがとうございますと。ネルは尽きることなく一時間近く続けられる姉妹からの賛辞の言葉に、似たような言葉しか返せなくなる。

専属侍女のロッテから紅茶を出されても、手をつける気にもなれなかった。止まり掛ける思考の中で水を飲んでおいて良かったと思う。

褒められているというのに背筋が伸びるどころか段々と小さくなっていく彼女は、途中から少し泣きたくなった。何度も口の中を飲み込み、テーブルの下の手をぎゅっと爪を立てて堪えるがこれ以上目の前の状況を冷静に受け止めたら決壊してしまうと自覚する。


「本当にどれも凄い気に入っちゃったわ、マリーに紹介してもらえて良かった。ネル様は刺繍の天才ですね」

「あ……ありがとうございます。第一王女殿下に〝様〟など畏れ多く……、ね、〝ネル〟で結構です」

「!私もネルと呼んでも宜しいですかっ?私のことは〝ティアラ〟とお呼び下さい!」

なら私もプライドと。そう恐縮するネルへ自然と距離を詰めるティアラにプライドも便乗する。

ティアラのお陰で早速ネルと距離を詰められたことを感謝しながら、プライドは更に言葉を続けるべく彼女へ視線を向ける。ここからが本番だと言わんばかりに、真っ赤な顔のネルへ一度口を閉ざした。先ほどまでのはしゃぎ声とは一転し、社交界でも見せる落ち着いた笑みと声色で「ネル」と彼女に呼びかける。

水を打ったようなその声にネルも息を飲み、桃色の瞳を丸く彼女へ向けた。


「貴方の腕は本物よ。是非、貴方の作品をいくつか買い取らせて欲しいの。そしてもし貴方が良いと思ってくれるなら、私の直属刺繍職人としてドレス作りに協力してくれないかしら」


とっさに、声も出なかった。

続けてティアラまで「私もお姉様とお揃いの刺繍を作って欲しいですっ」と無邪気な笑みで言い出す。

期待をしていなかったといえば嘘になる。だが、あまりにもあっさり勿体ぶることもなく放たれた提案にネルも思考が追いつかなかった。

身動ぎどころか指一本動かず、強ばり麻痺したような感覚まで覚え出す。目が限界まで見開いたままチカチカと点滅した。胃がきゅぅぅっと締め付けられた感覚にこのまま倒れそうになる。ソファーに掛けていなければ確実に膝が崩れ落ちていた。

宜しいですか、是非、本当に私で、宜しくお願い致します、直属⁇と、いくつもの言葉がバラけて浮かぶ。

更には「専属でも良いのだけれど、直属なら店を持つことも構わないし、資金援助もいとわない」「定期的にドレスに使う刺繍や商品を卸して貰えれば良い」「いつかは式典用のドレスも」と世界中の刺繍職人服飾職人が夢に見る好条件を掲げられれば、もう瞬きも声の出し方もわからない。

驚愕を露わにするネルにプライドは小さく肩を竦めて笑い掛ける。「戸惑うのも無理はないわ」と彼女の意思も汲みながら柔らかな口調で続けた。


「ゆっくり考えてくれて良いの。ただ貴方の作品は貴方にしか作れないから、もし作っても良いと考えてくれたなら私達はいつでも歓迎するわ」

「‼︎いっ……いえ!光栄なお話心より感謝致します。是非、是非とも宜しくお願い致します……!」

考える暇すら勿体ない。

ネルにとって生まれて初めての即決交渉だった。彼女の言葉に「本当⁈」と嬉しそうに心からの笑みを浮かべるプライドとティアラにそれだけでまた頭が呆けた。

噂に違わぬ女神と天使の並びに、絨毯の上にある筈の両足が雲の上に乗っているかのようにふわふわと感じられる。心臓の音が未だにけたましく、このまま発作を起こしちゃわないかしらと一抹の不安を覚えながらネルはその後も引き続き彼女達への言葉を返し続けた。


すぐに契約書を、なにか要望や確認したいことは?確か学校の講師だと聞いたけれどと。第一王女があまりに親身に尋ねくれることに全身が震え出す。王族の前でぶつけようのないこの感情を誰に最初にと考えれば家族の顔が頭に浮かぶ。きっと喜んでくれると思えば、堪えるように下唇を小さく噛んだ。

目の前で王女二人の手により商品がいくつも選ばれ買い取られながら契約書の作成を待ち、今後の発注予定ややり取りの方法を話せば契約もあっという間だった。文官により刻まれた正式な契約書が部屋に届き、第一王女が目の前でサインを書き記す。続けて名を刻もうとするネルにプライドは「ちゃんと内容を確認してからで良いわよ」と淹れ直された紅茶を味わいながら笑い掛けた。

興奮と茫然とするばかりでついペンを走らせ掛けたネルは、しっかりと全文の目を通してから今度こそそこに名を記載した。気が付けば、トランクの中にしまわれるばかりだった商品十数点分の代金と契約書が手の中にあった。


「それでは……また、三週間後改めて刺繍デザインの提案と詳しいお話に伺わせて頂きます」

褒めちぎられ、好条件の契約を交わしたネルのトランクは中身に今はかなりの余裕ができていた。

代わりに彼女の作品である刺繍や衣服小物と作品を手に入れたプライドとティアラは既に上機嫌である。ある程度のサイズ直しならばネルに頼まずとも優秀な専属侍女が調整してくれると、今から袖を通すのが楽しみになる。


ええまた、三週間後もお会いできたら嬉しいですと言葉を返しながらプライドとティアラも席を立つ。

この場で見送りとなる彼女達は最後にしっかりとネルと握手を交わした。女性である自分よりもさらに細く白い手に両手で包まれ、ネルは力が抜けていくように肩が丸くなりかけた。

本当にありがとうございます、と感謝を絞り出せたところで退出を前にやっと緊張がほつれて目が覚めていく。

長らくお邪魔しました、と感謝を込めてプライドとティアラだけでなくその背後に控えるマリー達にも順々に頭を下げた。自分をここまで連れて来て紹介してくれたマリーは勿論のこと、初対面であるロッテにも近衛兵のジャックにも、そして近衛騎士のアーサーとカラムへも視線を向けたところで彼女はまた目を見開いた。


「え……?」

小さく声を漏らし、並ぶ近衛騎士へ口が小さく開いてしまう。

今やっと近衛騎士の存在が思考に入った様子のネルに、プライドもティアラも無理がないと思う。先ほどまでは王族の登場に彼女はそこまで気が付く余裕がなかったのだから。

セドリックの護衛として学校に訪れているハリソンと親戚役のアランはもちろんのことジャンヌの関係者として校門前に立つエリックもネルに勘付かれるわけには行かず、今この場で護衛を任されたのはネルにとって王族ともジャンヌとも無関係とされるこの二人だった。そして講師であるネルの視線の先は、自分と同じ講師であるカラ




「ベレスフォードさん……?」




?!!?!!!?と。

予想外の言葉に、プライドとティアラも顔色が一瞬で変わった。

彼女が瞼がなくなるほど凝視している人物へと首ごと向ければ、アーサーがこの上なく引き攣った顔で彼女を見返している。これにはカラムも驚いたように隣のアーサーと正面のネルを見比べた。

目を限界まで見開いたまま滝のような汗で唇を絞るアーサーと同じく、思わず話しかけてしまったネルも遅れて口を片手で覆った。今が王族の前であるにも関わらず、つい立ち話をしてしまったとそれ以上は口を閉ざす。しかも、それは今この場で彼女にとってもプライド達に聞かれてはまずいことでもあった。


「えっと……その、もしかして……お知り合い……?」

まさかこんなところで知り合い同士にと焦燥を必死に隠しながら、プライドは二人へ恐る恐る問い掛ける。

見開いた目をギョロリと動かしながら喉を反らすアーサーに、ネルも気まずそうに視線を泳がせた。緊張が緩みだした瞬間、つい素が出てしまったネルはじわじわと顔が火照り出す。なんとか言い訳を探したいが、もうここまで来たら逃げられないと、アーサーより先に覚悟すれば最後は顔色が悪くなる。

はい……、とまだ部屋の扉も開けていない内から小声で答えるネルは肩を狭めて頷いた。

ネルの返答に、アーサーも肩を強ばらせながらも無理矢理自身の口をこじ開ける。今この場でプライドに尋ねられた以上、自分も答えないわけにはいかない。まさかこんなところで、プライドが話す被服講師が彼女だなんて、寄りにも寄ってこんな風に再会するなど夢にも思わなかったと頭の中で唸りながらアーサーは汗を顎から滴り落とし、答えた。









































「クラーク副団長の妹さん、です……」





































ええええええええええええええええっっ⁈

そう叫び出したくなる口を両手で塞ぎながら、プライドは今更ながら彼女の名を思い返した。

今日まで、一度も聞いたことがなかった彼女の名前を。

先ほど、契約書のサインで書かれた彼女の名前を。

裁縫の授業では逃亡し、補習では顔見知りだった為名前しか聞かなかった彼女の家名を聞いたのは、マリーに連れて来られた彼女が名乗ってくれた今日だけだった。


『ネル・ダーウィンと申します』


ジャンヌという仮の姿を必死に隠す中、その名に引っかかる余裕など第一王女もまた持ち合わせてはいなかった。


Ⅰ50幕.61.

Ⅱ272

Ⅱ315



諸事情により、次回の更新は来週木曜日からになります。

木・金曜日は番外編を更新致します。

御了承何卒宜しくお願い致します。

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