Ⅱ328.頤使少女は終える。
「!ジャンヌ」
プライドとアムレットを見送った地点に、二つの影はそのまま立っていた。
時計を持参していたステイルも、彼女らの姿に改めて時間を確認した。見れば予定時間よりも僅かに余裕をもっての到着だ。少なくとも遅れてくることがなかったことに、滞りなく用事を終えたらしいとステイルは小さく安堵を吐いた。
アーサーもアムレットと並ぶプライドに「お待ちしてました」と言いかけ、飲み込んだ。代わりに「おかえりなさい」と言葉を掛ければ、自分で言っておいてむず痒さに閉じた後の唇が変に曲がった。
「待たせてごめんねっ!つい私が話こんじゃって。もしかしてずっとここで待ってた?」
「いえ、ちょうど来たばっかです。こっちこそジャンヌがお邪魔しました」
アムレットの言葉にアーサーが、前に出る。
いつもならばすぐに応対するステイルが今はアムレットとの交流を避ける為できる限り沈黙を貫いていた。今もアーサーの一歩背後に控えながら、変に思われないようににっこりと笑みだけを作る。眼鏡の黒縁に指を添え、手の隙間からプライドを確認する。
「……?」
そこでふと、ステイルは笑みのまま僅かに両眉が上がった。
プライドの口数が妙に少ない。
アーサーと語らうアムレットの横でにこにこと笑ってこそいたが、唇が僅かに笑みで開いたまま硬直している。気になり少し前に出たステイルは、話し中のアーサーの脇腹を肘で突きながら彼女に呼びかけた。
「ジャンヌ。アムレットとの時間は楽しめましたか?」
何も問題はなかったか、も含めた問いにプライドの肩もピクリと揺れた。
ステイルからの肘を受けたアーサーも、アムレットからプライドへ目を向けた。その途端、銀縁眼鏡の奥で蒼が見開かれる。にこやかに笑っているプライドの違和感に息を飲む。
ええ、楽しかったわと返しながらいつもと同じように振る舞う笑みにアーサーは思わず唇を絞った。何があったのかと案じながら、ステイルの疑問に応えるように小さく首を縦に振った。
絶対何かあったと言わずとも伝わるアーサーの返事に、ステイルも表情には出さず口の中を小さく噛んだ。一体何があったのかは気になるが、この場で追求することはない。
後でプライドから話を聞こうと思いながら、ここは言葉を飲み込んだ。少なくともその後に「アムレットと話せて本当に良かったわ」と笑う彼女の笑みは心からのものだ。
「本当にありがとうアムレット。また是非お邪魔するわ」
「!こちらこそ、本当に本当にありがとう!ジャンヌは最高の友達よ!」
優しいジャンヌからの言葉に、アムレットの目がぱっと輝く。
自分の相談全てに乗ってくれた上に、フィリップやジャックにも含みも持たさず流してくれたジャンヌに、次の瞬間抱き付いた。
がばっと勢いをつけて抱きしめられた途端、さっきまで脳内だけは忙しなかった筈のプライドも目を丸くして受け止めた。ぎゅっと抱きしめられた背中を掴み返し、頭の中には〝最高の友達〟が金槌で殴られるより衝撃に響いた。
友達……‼︎と心の中で叫びながら、自分からもアムレットの細い背中を抱きしめ返す。
目に見えてプライドの顔が嬉しそうに火照ったのを、アーサーだけでなくステイルも目に見えて理解した。
その反応にほっと力の抜けた二人の危惧も知らず、アムレットはそっと腕の力を抜くと「ごめんねっ」と明るい声でプライドを放し、待たせたままのアーサー達に振り返る。
「クッキー包んだから後で三人で食べて。本当に今日はありがとう。今度は二人も一緒にお話ししようね」
肩の荷が降りたように柔らかな笑みを向けるアムレットに、アーサーも一言返してからほっと息を吐いた。柔らかなその笑みはどう見ても人前用の作り上げた笑みではないと確信できる。
裏で何かを悪いことを言ったというわけでもなさそうだと思いながらプライドに歩み寄り、片手に持つ布の包みへと手を伸ばした。「自分が持ちます」と彼女から包みを受け取れば、ふわりと焼き立て特有の甘い香りがすぐに鼻を掠めた。
「またねっジャンヌ、ジャック、バーナーズ」
手を振り、アムレットは僅かに浮き立つ声で彼らを見送った。
ほくほくと笑う彼女は、誰が見てもわかる満面の笑みだ。エリックの待つ校門へと向かいながら二人はそれぞれ頭を下げ、そして背中を向ける。どこと無く覚束ない足取りのプライドを間に挟みながら、二人は首の向きは変えずに目だけで彼女の顔色を確かめた。
「…………ジャンヌ。顔が緩んでますよ」
「マジで何かあったンすか……?」
友達発言にほわほわと夢見心地で歩く彼女が転ばないようにと注意しながら、ステイルは深く息を吐く。
更にアーサーもまさか体調を崩したのではないかと危惧するように、そっと彼女の背に手を添えた。
……
「お帰りなさいませ、プライド様」
プライドの部屋に瞬間移動で戻った直後、いつもの言葉で専属侍女と近衛兵が彼女を迎えた。
ただいま、とプライドからも笑いかければ今はいつもと変わらない明るい笑みだ。エリックと合流し、四人でギルクリスト家への帰路を歩いている内にアムレットからの「最高の友達」発言の熱は冷めたプライドは、ステイル達からの問いにも「ちょっと色々話し込んじゃっただけ」としか答えなかった。
そして今も、着替えの為に一度部屋を出る二人の背中を呼び止める。
「あっステイル、アーサー。あの、……アムレットと話した内容は大事なことだから。だから」
「わかっています。護衛の騎士達にも危険と不審の有無以外具体的内容は秘匿せよと命じています。……あくまで〝女性同士の話〟ですから」
「それよか、この後は大丈夫っすか?」
既に帰路でアムレットとの女子トークも隠し通したプライドを置いて、護衛の騎士から探りを入れることは諦めている。
二人きりの相手が男性であればそれなりに心配もするが、あくまで女性。しかもステイルにとってもアーサーにとっても信頼できる少女である。アーサーの目にもあの時のプライドの取り繕いは暗い影を誤魔化すというよりも呆然とした思考を気付かれないようにした時のものだった。プライド自身が今は後に引いていないことを考えても、きっとそこまで深刻ではないのだろうと今は二人も頭が冷えた。
ステイルに続き、アーサーからの心配に「大丈夫よ」と笑みで答えたプライドは小さくはにかんだ。
まさか十四歳の女の子と二人で恋話に興じていたなど言えはしない。さらにもう一つはステイルの昔の友人の誕生日祝いと妹の確執であるとすれば余計に言いにくい。
護衛についてくれた騎士達にも、なかなか恥ずかしいものを聞かせてしまったなと心の中で反省した。あまりにも会話全てが甘酢っぱいものだった。少なくともアムレットの事情を知るステイルとアーサーには聞かせられない程度には。
「着替えには重々お気を付け下さい。ジルベールが来たらレイの裁判結果もわかります」
俺も同席します、と言うステイルにプライドも一言返す。
既に終えたのであろうレイの裁判結果。それによって彼が今現在どうしているのかも変わる。
ジルベールとの打ち合わせで最初に彼女達が確認したいことでもあった。
ステイルとアーサー、そして近衛兵のジャックが最後に部屋を出て扉を閉めるのをプライドは笑顔で見送った。パタンと扉が閉ざされた後、早速着替えの準備を進めるべく専属侍女のロッテが動き出す。
「プライド様、お召し物の脱衣を手伝わせて頂きます」
彼女の身体が元に戻るまで、先に服を脱がせるべく手を伸ばす。
いつもより手が少ないまま着替えを始めるプライドは、真っ直ぐと姿勢を伸ばしながらチラリと別方向に目を向けた。
「マリーは大丈夫かしら」
「ええ、間違いありません」
一人しかいない専属侍女にぼんやりと投げかけながら、打ち合わせの後の予定にも考えを巡らせる。
服を脱ぎ終えた後、再び今日あった衝撃的出来事全てを振り返った彼女は棚上の使い道を静かに決めた。
……
「……っかぁ〜〜……やぁっぱ出てこねぇなぁ」
はぁぁぁぁあぁぁ、と息を吐きながら男はがっくし項垂れる。
城の前までは無事辿り着いた男だが、そこから先は安易に近付けない。高々と聳え立った城壁は流石の彼にも超えられない。更には城門に衛兵が佇み睨みを利かせている。
ここで門を越えようが壁を登ろうが、あっという間にお縄になることが目に見えていた。
結果、城から充分に離れた距離で門を見つめ待つしかない。
……まっ、出るわけもねぇよなぁ普通。
目につく木に寄り掛かり、途中からは面倒になり地べたに腰を下ろして一時間以上経過したライアーは一人考える。
衛兵に捕らえられたのが今朝、早ければ裁判も終えているだろうと見当付けながら姿勢を城門から空へと上げる。時折、城への献上物や輸入関係、来賓で門が開かれることは多いが、そこに目当ての影はない。
追手も騎士と衛兵のお陰で振り切ることができ無事に城前まで辿り着けた彼だが、そこからは待つしかない。いっそ昨晩行ったレイの屋敷で待つ方が確実かとも考えたが、やはりこの場から動く気にはならなかった。
通常、罪人の裁判が城に及んだ場合出て来る方が珍しい。衛兵の詰所や王都ならば別に裁判所もあるが、城に連行された時点で重罪判断に等しい。裁判を終えたのならば、今頃城内の牢獄に捕らえられている可能性が高い。
城相手に脱獄などさせるつもりは毛頭ない。その上、レイ自身が有罪を昨晩吐露していた。
無罪放免がなければ、出てくるとしてもそれは今日ではなく刑罰が執行された後である。投獄を逃れ体罰や死刑であろうともそれを処されるのは後日である場合が多い。つまり、どちらにせよこのまま一日中待ち続けようとレイが現れないと考えた方が利口である。
そう理解しながらもライアーは一向に動く気にはならない。
「……めんどくせー奴」
自分に対してか、それともレイに対してかもわからない。
ぼやいた言葉は殆どが口の中で消えていた。今こうしているのが無駄だとしか思えないにも関わらず、離れる気にもならない。
取り敢えずは自分の気が済むまではここに居ようと考えながら欠伸を零した。……その時。
城門が、開いた。
「……………………ッお⁈」
また空振りだろうと視界の隅にしかいれていなかったライアーは、一瞬で飛び上がる。
寄り掛かっていた木から背中を起こし、座ったまま前のめりになる視線の先では城門を潜り出る一つの影があった。距離こそ離れていたが、目の利く彼はしっかりとそれがレイだと見て取れた。
予想外に早過ぎる釈放に、それほど刑が早く処されたのかと鼓動の気持ち悪さを感じながら一度目を泳がせた。
もう長さのない短髪を無駄に掻き上げながら口の中を三度飲み込み、それからひと息吐き出し前を向く。
「……。よぉレイちゃん!お早い釈放で」
「!ライアー‼︎何故此処にいる⁈」
ヒラヒラと頭の横まで手を振りながら気の抜けた声で笑いかけるライアーに、レイも目を丸くした。
城門を潜ってから、何処へでもなく足を動かし俯き気味に視線を落としていた彼は全く前方に佇む彼にも気付かなかった。
聞き間違えようのない声に頭が反射的に上がったが、一瞬は夢か何かとさえ考えた。自分がこうして城の外へ出る事を許されたこと自体、彼にとっては未だ現実味がない。
「タダ飯食いにレイちゃんの屋敷に行ったら捕まったって聞いたからよ。冷やかしついでに見に来たらちょうどレイちゃんが出てきやがった」
さらりと嘘をでっち上げながら、レイの顔を覗き込む。
昨日に続き、何年も探し続けていたライアーが自ら目の前に現れた現象に仮面に隠されていない右半分が怪訝に変わる。今まで現れなかったくせに、と少し腹立たしくも思いながらも馴れ馴れしく至近距離まで顔を近付けてくるライアーを見返した。
「このまま百年は出てこねぇかと思ったのによ、随分とお早いお帰りじゃねぇか。刑はどうした?罰金と鞭打ち程度で済んだか⁇」
パッと見たところレイに新しい怪我はない。五体満足な上に、大してフラつく様子もなく歩いていることから服の下も大体は無事だろうとライアーは考える。
遠目で見た時はまさか罰で手足のどれかを没収されたのではないかとも過ぎったが、こうして間近で見てもその様子は全くない。例え服の上からは見えにくい部位でも、切り落とされたその日に普通に歩けるなど考えられない。
ライアーからの軽口にレイは一度口を閉ざした。
視線を目の前の彼を見上げるよりも、斜め下へと落としてしまう。憎まれ口どころか相槌すら打とうとしないレイに、ライアーも顔を傾けた。
どうした⁇と、今度こそ本心から気になるように尋ねれば、レイは眉まで寄せた。今の今まで自分の身に起こったことと、裁判でのあらましを繰り返し思い出す。そして
「……………………投獄の方が楽だったろうがな」
「は⁇」
独り言のようなレイの言葉に、聞き取りながらもライアーは聞き返した。
なんて言った⁇と耳をわかりやすく傾けてみせるが、それ以上はレイが口を結んでしまう。視線をライアーから逃げるように自分が追い出された城門へと上体ごと振り返った。
本来ならばあのまま城へ投獄され、相応の罰を待ち続ける筈だった。判決を振り返った今でも、その方がわかりやすかったし楽だったとも思う。もともと下級層で生きたこともある自分にとって独房での生活に大して恐怖を感じない。
自分に下されたいくつもの判決と比べれば、独房生活や体罰の方が話も早い。……しかし。
「レ〜イちゃ〜ん!勿体振らず話せって!野朗に焦らされる趣味はねぇんだから‼︎」
気になって仕方がないままにレイの肩に腕を回すライアーに、そのままグラグラと身体ごと視界が揺らされた。
俺様を焦らして楽しいか⁈と唾が飛ぶほど声を荒げる彼へ横目を向けながら、腕を組む。
判決は全て受け入れたが満足はしていない。しかし想定していた刑罰と程遠いそれを、今は少しだけ幸いに思う。どれほど不快で不満で面倒な判決であろうとも、こうしてまた隣に戻れる為だったと思えば耐えられる。
「……王族の気まぐれだ」
自分の肩を揺らし続けるライアーへ、そう溢せる余裕があるほどに。




