Ⅱ325.頤使少女は理解する。
「ジャンヌ、お待たせっ」
暫く待って戻ってきたアムレットは、淹れてくれたカップを二つトレーに乗せていた。
本当に本当にお構いなくと繰り返したくなりながら、私からも一言返す。椅子にピチリと座ったまま背筋が硬くなった私は我ながらまるで面接待ちだ。
アムレットは机にトレーごと置くと、シンプルなデザインのカップを私の手元に置いてくれた。そのまま自分の分のカップだけ片手で持ち、溢さないように水面に注意しながらベッドへと腰を下ろす。
「ごめんね、折角来てくれたのに一人で待たせちゃって。本当はジャック達も一緒の方が落ち着いたでしょ?」
……むしろ〝四人〟でプライベート空間にお邪魔してごめんなさい。
そう、私は心の中で平謝りした。
言葉ではそんなことないわと返しながら、顔が痙攣らないように意識する。今、彼女の見えている部屋と私が把握している状況は少し違う。ここに居るのはアムレットと私。そして、……三名の騎士だ。
元々は私がアムレットからのお誘いに安請け合いしてしまったことが始まりだった。
どうにか女子寮にいる私を他の生徒や関係者に気付かれることなく護衛する方法はと。そう、ステイルが騎士団長と相談してくれた。優秀策士による完璧な対策がこれである。
いま、この場には騎士が人知れず控えてくれている。姿を消す為に透明の特殊能力を持つ騎士を含めて三名も。ステイルと騎士団長達が選んでくれたなら人選も間違いない。第一王子と騎士団長からの極秘依頼に彼らも快諾してくれた。
また極秘視察後にお礼をしなきゃいけない人が増えたなも思いながら、それでも受けてくれたことは本当にありがたい。守衛の騎士にも気付かれないように学校へ潜入させたことだけでも悪いのに、男子禁制区に誇り高き騎士をこっそり連れ込んだことも申し訳ない。彼らにもそして女子寮の人達にも。
せめてもの救いと配慮は、彼らがプラデストにもアムレットにも無関係な方々であることだろうか。
公式であれば、ある程度プライベートな場所にも王族の護衛がつくことは珍しくない。けれど、ステイルやアーサーみたいに既にプラデストも生徒とも面識がある男性を連れ込むと盗聴盗撮にも似たプライバシー侵害感が凄まじい。……いや、今も充分侵害しちゃっているのだけれども。
「ジャンヌはもう学校には慣れた?休み時間になるとよく出掛けてるでしょ?」
「ええ、色々と見て回りたいところが多くて。アムレットこそ学校はどう?困っていることとかはない?」
「ううん、学校は全然!ジャンヌ達とも友達になれてすっごい楽しい!あ、そういえばね……」
何気ない会話を交わしながら、お互いに今の進捗を聞き合う感覚は文字通りお茶会だ。
アムレットに気付かれないようにこっそり騎士から毒味を済ませて貰った私は、カップを片手に暫くは他愛もない話を楽しんだ。
社交界でもお茶会に招かれたことは何度もあるけれど、今の方がすごく落ち着くなと思う。護衛を抜けばアムレットと二人だけで人の目がないこともあるけれど、彼女の癒し効果もある。ティアラと話している時とも似た、かた意地張らないで良い安心感だ。
妹……というよりも、まさに前世でクラスの友達と話す感覚と同じだ。そう思うと余計に癒される。今世では社交界でパーティやお茶会に招かれても未だ一歩引かれてしまうもの。同じ王族ですら、大国フリージアへの壁は厚い。特殊能力者の国として倦厭されていた時代と比べればマシなのだろうけれど。
「……。……あの、それでねジャンヌ。実は今日、相談したいことがあって……」
「!ええ、私で良ければなんでも話して」
さっきまで笑い混じりに話が盛り上がっていたアムレットと一度会話が途切れた時。
急に声色を変え潜めて話すアムレットに小さく肩が上下する。
〝来た〟と心の中だけで叫び、唇を一度結んだ。それがあることは最初から知っている。彼女はその為に私をここまで招いてくれたのだから。
アムレットも改めて言うのは緊張するのか、膝に置いたカップが手の中で紅茶の波紋を作っていた。顔を俯けたまま、既にいっぱいいっぱいのようにほんのり頬を赤らめている。今からそれを言うのが億劫になったかのように、上目で私を覗いたまま何も言わなくなってしまう。それだけ言いにくいということなのだろう。
『……明日、……ううん今週とかでも良いの。実はジャンヌに二人だけでちょっと相談したいことがあって、だから放課後……私の部屋に遊びに来てくれる……?』
あの急を要した様子の相談とは一体何なのか。
無理には促さず、彼女が話し出すのを待つ私は暫く沈黙に耐えた。もともと呼ぶ為にもあれだけ頑張って予定まで合わせてくれたのだから、話すつもりはある筈だ。
待たされれば待たされるほど緊張に胸を打たれながら、私は毒味の終えたカップへ一口つける。冷めてはしまったけれど美味しい。アムレットが淹れてくれたのだろうか。流石乙女ゲームヒロインマジック。料理は苦手でもこちらは強いらしい。
そう思っていると、「……に」と小さく消え入りそうな声が聞こえてきた。顔を上げてアムレットへ向けるけれど、また唇を閉じてしまった後だった。
そろそろ話してくれるのかしら、と今度は根気よく俯く彼女の口の動きを見つめ続けてみれば、とうとう今度は一音以上が紡がれた。
「に……兄さんが、実は……誕生日が近くて。だから、誕生日に何を贈れば良いかなぁって……思って」
じわわっ……と広がるように顔を紅潮させながらの相談に、自分の目が丸くなっていくのがわかる。
兄さん、という言葉に以前お会いしたことがある彼女のお兄様を思い出す。フィリップ・エフロンお兄様。アムレットとお兄様で、ステイルの偽名の持ち主だ。
まさかお兄様の誕生日プレゼントで悩んでいたなんて。覚悟していたよりも遥かに深刻度の低い相談になんだかほっとして全身の力が抜けてしまう。
「おめでとう!私で良かったら一緒に考えるわ‼︎うんと喜んで貰いたいわよねっ」
学校に困ったことはないとも話していたし、平和そのものの相談にうっかり声が弾んでしまう。
前にお会いした時も、過保護なお兄様に対してちょっとお怒り気味というか反抗期気味なアムレットだしもしかすると贈り物をすること自体恥ずかしいのかもしれない。ゲームではお兄様不在だったアムレットがこうして贈り物に悩んでいると思うと、微笑ましいを通り越して嬉しくなってしまう。
全力で協力の意思を示す私に、アムレットがやっと目だけではなく顔も上げてくれる。はにかんだ表情で頬も桃色で「ありがとう……」と笑いかけてくれるのが物凄く可愛らしい。流石は第二作目主人公っ‼︎と叫びたくなる。
耳まで赤くなった彼女は丸くなっていた姿勢を戻すと絞り出すように話し出した。
「学校で、兄さんの正体知ってるのジャンヌ達しかいなくて……。キティ達はずっと兄さんのこと、〝優しくて格好良い王子様みたいなお兄さん〟って信じてるし……本当の兄さんの話できるのジャンヌ達だけで……」
ぼそぼそと少し早口で言うアムレットの声は少し沈んでいた。
……そういえば、エフロンお兄様って人前ではいつもあの美男子姿なんだっけ。以前アムレットが他の友達前ではその姿でいるのを怒っていたのと、エフロンお兄様本人も元の姿になるのを渋っていたことを思い出す。確かにあんなレオンにも似た美男子顔で紳士な言葉遣いまでされたら別人だ。……けれど、ステイル達を省いた理由は何だろう。それに、お兄様の正体を知っているのなら私達だけじゃなくて
「パウエルは?彼もアムレットやお兄様とお友達よね?」
ぎくっっ‼︎と、突如としてアムレットの肩が激しく上下した。
私の方に顔も向けたまま朱色の目が溢れそうなほど丸く開かれる。「うん、親友……」とシャボン玉級の小声の後、下唇をきゅっと噛むアムレットはまだ顔が火照ったままだ。まさかパウエルに知られるのも恥ずかしいのだろうか。
汲み取り切れず、顔を傾けてしまう私にすぐには答えない。それどころか目が泳ぎ出している。腕ごと震える手に包まれたカップの中身が溢れそうだ。
「ぁっ……あああ、ああのジャンヌっ……そっ、それ、もなんだけどっ……」
まるで一人だけ震源地に居そうな震え声のアムレットが、また私から顔を少し逸らす。何か悪いことを言ってしまっただろうか。
どうかした?と自分のカップを机に置き、ベッドに座る彼女に歩み寄る。波紋の酷いカップをそっと受け取り、私のカップの横に避難させた。体調が悪くなったのか、汗が首まで滴っている。
ハンカチで彼女の額から拭いながら、話しやすいようにその隣に座る。二人分の体重をかけられたベッドが小さく唸る中、私は彼女の背中を摩り尋ねた。大丈夫?お医者様か寮母さんを呼ぶ?と繰り返す私にアムレットはぶんぶんと首を振った。
「そのっ……‼︎……〜ぱっ、パウエルとジャンヌ、達、ってどんな関係なのかなって……‼︎」
…………へ⁇
思い切ったように目をぎゅっと瞑って放つ彼女に、世界が一回転したような気持ちになる。
顔が真っ赤なアムレットの横顔を見つめながら、この学校生活で以前にも女子達に似たようなことを聞かれたなと高速で頭が思い出す。確かあの時はステイルとアーサーで、あれは明らかにあの子達は……。
「あっ‼︎違うの!違うの‼︎そのどんな関係というか、パウエルがすごく会いたい人がいるって昔から話しててその人がどんな人かもどんな関係かも詳しくはずっと話してくれないし学校が始まったら会えたってすごく嬉しそうにしてて……っわ、私パウエルが街に来るまでどんな暮らししてたかも殆ど知らなくて知りたいけどそれはパウエルの問題だし、けど力になれたらなりたくてでも昔から私一緒にいたのにパウエルのこと全然知らなくてっ……たぶん兄さんよりも、し、……知らなくて…………」
私が聞き返すよりも先に捲し立てるように話し出すアムレットは、途中から少し涙目だった。
最後には何かを思い出すように言葉も減って声まで落ち込んでしまう。唇だけはわなわな震えていて、あまりにも一生懸命な彼女の横顔を見つめながら、ゲームの場面が脳裏を駆け抜けた。
『教えて下さい‼︎彼の過去に……何があったのですか……⁈』
ゲームの攻略対象者の過去を知ろうとするアムレットの場面だ。
ディオスにもネイトにもレイにもあり得そうな台詞に、残りの攻略対象者かもわからない。ただ、彼女がルートごとの攻略対象者の心の傷を知ろうと奔走する場面だ。……そして、当然ながら第三作目の攻略対象者であるパウエルはそこに含まれない。だけど、これは、まさか。
まさか、まさかと思いながらも段々と私まで顔が熱くなっていく。
うっかり心の準備をし損ねた心臓が耳の奥まで聞こえるくらいバックンバックン鳴り出した。私の温度が上がり過ぎたせいか、アムレットが盗み見るように私へ顔を向け次の瞬間「待って‼︎」と悲鳴に近く叫び出す。至近距離の私の手を両手で掴み、息が掛かりそうなほど密着し詰め寄り出す。
いやだってパウエルは格好良いしアムレットはすごくすごく良い子で天使だしその二人が何年も前から知り合っていたのなら
「〜っっお、お願い‼︎パウエルにも兄さんにも誰にも言わないでっ‼︎に、兄さんにバレたらもうどんな大騒ぎになるかっ……‼︎」
……これは自白で良いのだろうか。
顔が熱くなりすぎてぼやけていく中、ゲームのシリアスさとは全く別方向に必死になる主人公を視界いっぱいに見つめる。
ゲームでは確かハツラツとした印象のアムレットは、ルートに入ってからは好きな人の為に一直線で、彼や学校を守る為に奔走し続けていて。うん、……やっぱりこれってそうよね?
……素敵な恋愛おめでとうございます。
ここがゲームだったら、セーブとスクショをとりまくりたいと久々のゲーム脳で考える。
可愛いアムレットだけでなく、大好きだった第三作目のパウエルの恋愛イベントにうっかりトキメキで死にかける。ここでパウエルは不意打ち過ぎる。
彼女が私を二人きりで呼びたかった理由を再認識しつつ、初お部屋訪問のみならず、恋バナ相談の光栄まで貰えちゃったことに目の前の主人公を抱き締めたくなる。
頭が忙し過ぎて言葉が出ない。その中でもアムレットが一生懸命理由とか事情とか早口で話してくれるけど、もうその姿すら可愛くて仕方がない。
ただ、「兄さんにだけは知られたくないの」と私が返事をするまで何度も懇願し続ける彼女に、ある意味何年も前から彼女の戦いは始まっていたのだなぁとだけ理解した。
Ⅱ273




